バカ殿セリス様・華麗なる日々

終章・そして二人は…(前編)


 戦いは終わった。
 後の世に、聖戦と呼ばれることになるこの戦争…、しかし、その実態は、 正義と悪の戦いなどではなく、つらいことも、汚いこともある、 ごく普通の人間による戦いだった。
 ロプト帝国打倒の旗印のもとに集いながらも、それぞれの人が、 それぞれの思いを胸に抱いて戦っていた。リーフは、トラバントの打倒とトラキア半島統一。 アレスは、父エルトシャン王の無念を晴らすこと。 オイフェは、ぼくを育て、シグルドの遺志を果たすこと。 そんな、個々人の思いこそが、ぼくたちの力の源だったのだろう。
 ぼくも、何の力も無い平凡な人間だけれど、「ユリアと一緒にいたい」という思いがあった。 その思いを形にしようと行動した結果、ユリアを闇から救い、 ひいては解放戦争の勝利に少しだけ貢献できたようだ。
 歴史を動かすのは、神の意志でも、一人の英雄や一部の聖戦士の活躍でもなく、 名もない民衆、ひとりひとりの意思と行動なのだ。 それが、この戦いを通して、ぼくが学んだことだった。

 解放軍でともに戦った仲間たちは、戦後間もなく、それぞれの国に帰っていった。 リーフはトラキア、アレスはアグストリア、シャナンはイザーク…。 その他みんな、あるべき国に帰り、王として、あるいはその恋人や重臣として、 国政を担うこととなった。 彼らは名実ともに、当代の英雄である。きっと、 その実力をもって、国を一つにまとめる事ができるだろう。
 だが、このぼくの姿をどのように脚色し、美化して描けば良いのかは、 当代の歴史家を悩ませる難問となるであろう。現実のぼくは、 間違っても「光の公子」とか「聖王」とかいう柄ではなかった。

 だが、レヴィンの言葉で、結局ぼくはグランベルの王座に座らされてしまった。 民衆の大多数は、光の公子・セリス様の即位を熱狂的に望んでおり、 とても断れるものではないようだった。
 …あ〜あ、いいのかなー。こんなのに国を任せちゃって。 まあ、ぼくは政治にはノータッチの、お飾りで行くつもりだけどさ。どうなっても知らんぞー…。 ぼくはそう思ったけれど、それでも断らなかったのは、 そうすれば多分ユリアの側にいられる…、という目論みからであった。

 レヴィン…、いや、フォルセティは、人の力と竜族の血について、 いくつかの戒めを残して、去っていった。 その中には、アルヴィス皇帝の理想と、その失敗を学べ、というものもあった。 その言外に、ともにロプトの血を含むぼくとユリアの関係を、 牽制する意図があったのは、よく理解できた。 だけど、レヴィンは決して、ユリアと結婚するな、とは口に出さなかった。
 未来は、ぼくたち人間の手に任されたようだ。

 そのアルヴィス皇帝について、ひとつのエピソードがある。
 彼について、ぼくの口からユリアに伝えるのは、非常につらいことだったけれど、 やっぱり…、どう考えても、これはぼくの役目だった。
 バーハラの戦いから数日後。城の花壇で二人きりになったとき、 アルヴィスの死を防げなかったことを、ぼくはユリアに伝えた。 ユリアは…恐らくは以前から察していたのだろう、ショックを受けた様子もなく、 静かにその知らせを受けとめた。ユリアは、花壇に咲く赤い花の一輪をなで、 厳かに祈りを捧げた。その花に、どんな思いが込められていたのだろうか。
 だが、話はそれだけでは終わらなかった。
 アルヴィス皇帝の遺体が行方不明になっているという、奇妙な情報が入ったのは、 それからしばらく後のことである。誰かが引きずって持ち出した形跡もなく、 遺体のあったはずのシアルフィ城の謁見の間には、 ただ優しい風が吹いていただけだったという。
 その状況が、かつてシレジアのレヴィン王が亡くなった時の話と似ていると、 セティからの手紙で知ったとき、ぼくとユリアは顔を見合わせた。
 レヴィンはそのしばらく後、突然何事もなかったかのようにぶらりと妻子のもとに 姿を現した…という経緯は、フィーから聞いていた。ということは…。
 「お父様も…。」
 「うん。もしかしたら、もう一度会えるかも…。」
 ユリアの言葉に、ぼくはそう返して微笑んだ。…実際に、あのレヴィン…いや、 フォルセティが、そんな味な真似をするとは考えにくかったけれど、 アルヴィス義父上が生きているかもしれない…、そういう希望が見えただけでも、 ぼくたちの心に、明日への活力が生まれた気がした。

 ぼくは、毎日ユリアと一緒にいた。
 ぼくをどう思うとか、恋人になって欲しいとか、そういう話を蒸し返すことはしなかった。 ユリアがぼくを認めてくれているのは、日頃の態度で十分に分かる。 それだけで、十分に幸せだった。 それに、今のユリアには、できるだけ負担をかけたくなかった。
 城内の部屋で他愛もない雑談に花を咲かせたり、一緒に食事やゲームをしたり。 ぼくが昔に習った唄を歌ったり、気品と深みのあるユリアの歌声に聞きほれたり、 ふたりの心の支えになった例の歌を、合唱したり。 城下町や周辺の草原にこっそりと散歩に出掛けたり、 ユリアから、バーハラ城内の思い出の場所やユリウスと探検に行った場所を教わったり…。
 そんな小さなことの一つ一つが、ぼくの喜びであり、 唯一ぼくがユリアに対してできる、感謝の表し方だった。
 いくらユリアでも、兄を殺した心の傷は、一朝一夕で治るものではないだろう。 新しい毎日を積み重ねることで、少しずつ傷を癒し、 過去から未来へ目を向けられるようになってほしかった。
 恋人になりたいとか、それから、えーと…、あの、二人っきりになって、 もっと深い仲になりたい…、とか、そういう種類の気持ちも無くはなかったけれど。 兄妹だし、レヴィンの戒めの通り、決して軽々しくはできないし、 今の状況ではまだ早いだろう。それに、今のぼくはこれで幸せなのだ。 そう、自分に言い聞かせた。

 ぼくは、ユリアを愛している。確かなのは、それだけだ。 ユリアのぼくへの気持ちも、必要ならいずれ聞けるだろう。
 それが恋愛か兄妹愛かなんて、どうでもよいことなのかもしれない。



 戦争終結からすでに、一ヶ月半が経っていた。
バーハラ城のテラスから外を見やると、限りなく広がる草原の緑がまぶしい。 そこかしこに、赤、白、黄色…、色とりどりの花が咲き乱れていた。 心地良く吹き抜ける温かい風と、さんさんと降り注ぐ日差しが、 ぼくたちに春の到来を告げていた。
 雲ひとつない、抜けるような青空。城の中庭の池に、日の光がきらりと反射し、 ぼくは眩しさのあまり、思わず横に目をそむけた。 そこには、以前と変わらぬ純粋さと、日を追うごとに増す可憐さを併せ持つ、 ぼくの大切なひとの姿があった。
 普段のドレス姿でくつろぐユリアを見ると、気品にあふれてはいるが、普通の女の子だ。 少し前まで、戦場で敵と渡り合っていたなんて、とても信じられない。 ぼくは一瞬、今の平和な光景を夢ではないかと疑ってしまったけれど。
 本当は、こんなに優しい女の子に武器を持たせる戦争の方が、間違っていたのだろう。 あんな悲しい戦いを、二度と繰り返さないように…。 ぼくなどが言うには不遜すぎる願望だったけれど、ユリアを間近で見てきたぼくは、 それを心から願わずにはいられなかった。

 「ユリア…、お茶にしない?」
 ぼくの声に、ユリアはゆっくり振り向いて「はい」とうなずき、 テラスに面したティールームへと戻った。
 「こちらの、シレジアの高地でできた紅茶は、レモンを浮かべると美味しいのですよ。 レヴィン様と居たとき、時々楽しんだものです。」
 ユリアはそんなことを言いながら、自分の手で手際よく紅茶を淹れた。 皇女らしくもない、その見事な手さばきを見ながら、ぼくはあらためて、 ユリアが乗り越えてきた人生の厳しさに思いを致した。
 以前のぼくなら、自分が伝説の戦士の血を引き、強力な武器を持てれば、 それを喜び、自分の力に酔いしれたと思う。 だけど、数奇な運命に翻弄されつづけたユリアを、この一年を通して間近に見てきて、 ぼくは思ってしまった。
 竜族の血や伝説の武器など無かった方が、人は…いや、ユリアは、 幸せなのではなかったか…。

 ティーカップを手にくつろぐユリアに、ぼくはそのことを尋ねた。 聞かないほうが良いかなとも思ったけれど、やっぱり一度、 ユリアのことについて、彼女自身の考えを知っておきたかった。
 「わたしは…、ナーガの血をもらって、幸せです。」
 香り立つ紅茶を優雅に飲み干したユリアの口から、 ぼくにとって意外な返答がもたらされた。

 記憶を失い、敵に捕らわれ、兄と戦うことになった過酷な運命をもたらした、神竜の血。 ぼくだったら、到底耐えられない。だけどユリアは、 しっかりとした口調と、凛とした眼差しで、自分の宿命を肯定してみせた。
 「たしかに、つらいことも、悲しいこともありました。 ですが、だからと言って自分の生まれや血筋を恨んで、何になるというのでしょう。 わたしにナーガの血があるのでしたら、それを受け入れ、活かして、 わたしにできることで、少しでもお役に立ちたいと思います。」
 なるほど…。今度もまた、ユリアの前向きな考え方に、 ぼくは感銘を受けることとなった。
 「それに、うれしいこともたくさんありました。 ロプト帝国の子供狩りは、わたしも見ていて心が痛みました。神竜の力を使って 暗黒竜を倒し、子供狩りを止める役に立てたことは幸せです。」
 あえてユリウスの事には触れず、ユリアは続けた。
 「それに…。ナーガの聖書は強い武器だと聞いていましたから、 最初は触れるのが恐かったのです。でも、実際に触れたナーガの力は、 とても不思議な、暖かくて懐かしいものでした。 まるで、お母様に抱きとめられているような…。 あれを手にしたとき、ああ、わたしはここにいても良いのね、と思えたのです。」
 その感覚は、ぼくには分からない。ぼくは、ティルフィングの力を受け入れることが できなかったから…。でも、ユリアの優しげな表情を見ると、 その言葉を素直に信じることができた。
 「それに、わたしにナーガの血がなく、ずっとここで暮らしていたら、 帝国が滅びるのとともに、わたしも処刑されていたかもしれません。 ここを出たおかげで、レヴィン様や、解放軍の皆様と会うことができたのです。 みんなの支えがあったから、わたしは、強くなれたのですよ。」
 …確かにそうだ。禍福はあざなえる縄のごとし…、 不幸を幸福に転換することができるユリアはやっぱり、とても強い。
 「それに、何、よりも…。」
 ユリアのしゃべるスピードが、一層ゆっくりになった。 この言葉が終わったところで、ぼくの方を上目遣いにちらっと見る。
 「うん?」
 ぼくは特になにも意識せず、疑問符を浮かべて先を促した。
 ユリアは、胸の前で両手を合わせ、小さな握りこぶしを作ってもじもじしたり、 空のティーカップにスプーンを入れたり出したり、 テラスの外に目をやって、外の草原をきょろきょろ眺めたり…、 ぼくから目をそらして、落ちつかない様子を見せた。 いつも冷静沈着なユリアにしては、不自然な態度だけど…、 ぼくは、とりあえずユリアをじっと見つめていた。
 やがてユリアは、右手を開いて胸を押さえ、深呼吸をひとつすると、 首を傾げたまま、ぼくを斜め上方向の目線(流し目と言うのかな)でじっと見つめた。 その色っぽさに、ぼくがどきっとするのとほぼ同時に、ユリアが潤んだ声で告げた。

 「セリス様に巡り会えたのが、最高の幸せです…。」

 「えっ?」
 そ、それって…。ぼくは、ユリアの言葉を自分の中で反芻する。 そして、その意味を悟った。さっきの…、いや、今も見せている、 そわそわしたユリアの様子が、照れから来たものだと知って、 ユリアが急に、とってもいじらしく思えた。
 「ユリア…。」
 さっきまでは、兄妹愛で良いというつもりだったけど、 こうなると、やっぱり…、切なくなってしまった。
 ぼくは、どくんどくんと鳴る心臓を左手で押さえながら、ユリアのそばに近寄り、 しっとりと湿り気を帯びたユリアの温かい手を取った。 そのまま、じっと見つめあう。ぼくは、ユリアの頭に手をかけて、すっと引き寄せた。 急激に、二人の顔と顔が近づいた。緊張するぼくの手から、額から、汗が噴出する。 至近距離で、ユリアがふうっと息を漏らし、その息の感触と紅茶の匂いと、 ユリア自身の肌の香りが、ぼくの鼻を心地良くくすぐった。
 そのままユリアは、唇をわずかに開き、とろんとした目をすうっと細め、ぼくは…。

 と、そのとき。
 不意にぱたりと部屋の扉が開いた。
 「セリス、そろそろ時間…だ…が…」
 扉の前に現れたシャナンが、台詞の途中でぼくたちのただならぬ様子に気づき、 気まずそうに横を向いて、こほんとひとつ咳払いをした。
 すっかり忘れていた。今日は、即位式典の日だったんだ…。
 ぼくはユリアとの会話を中断し、慌てて準備に取りかかることとなった。



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