バカ殿セリス様・外伝

うたかたの宴(後編)


 はかなき定めの  さくらの花よ
 そは現世うつしよの  宿命さだめに似たり
 咲くも枯るるも ひとかけの恋
 いと美しき えにしなりけり

 季節のあわいに 舞い咲く花よ
 夢とうつつの 交わりし地に
 ひとも御霊みたまも 今こそ集え
 げに楽しきは 泡沫うたかたの宴



 「うん…?ここは…?」
 ぼくのまわりでぐらぐらと回っていた世界が、ふっと止まる。 あたりを見まわすと、そこは元通りの花見の場所だった。 ぼくの横ではユリアがちょこんと正座している。
 さっきまでと違うのは…、 まわりから、ぽつぽつと多くの人が集まってきていることだった。

 正面の霧の中から、ふわっと人影が現れる。
 「花の香りにひかれて参りました…」
 それは、ユリアによく似た神秘的な印象の女性だった。ユリアよりも年上で、 ウェーブのかかった豊かな銀の髪を持ち、優しげに微笑んでいた。
 彼女の背後に、もうひとつの人影が現れた。背の高い青髪・長い顔の男性が、 彼女の背を優しく守っている。
 「みんな、元気に育ったな。私もここに入れてくれ。」
 向こうにいたオイフェが、その姿にあんぐりと口を開けた。 二人をさす指が、ぶるぶると動いて定まらない。
 「ディ、ディアドラ様…シグルド様…!」
 その女性はオイフェににっこり笑いかけた。
 「オイフェ、久しぶりですね。さあ、桜を観ましょう。」

 「セリス、大きくなったな。私の若い頃を思い出す…。」
 酒を片手にしみじみと語ったのは、目の前の男性…シグルド父上だ。 確か、バーハラの戦いで亡くなったと思ったのだが…
 ぼくは目をしばたたいてシグルド父上の足元をよーく見たのだが、 両足は確かに揃っている。…これは夢なのだろうか?
 そんなことを考えているぼくに声をかけたのは、彼の隣の女性…ディアドラ母上だった。  こちらも両足をそろえ、ユリアにそっくりのポーズで正座していた。
 「セリス…今がいつか、ここがどこかなど、考えずともよいのですよ…」
 その言葉の不思議な響きにひかれ、ぼくはこれ以上考えるのをやめた。

 「ところでセリス、恋人はできたのか?」
 明るい口調で堂々ととんでもないことを問いかけるシグルド父上に、 ぼくは危うく口に含んだものを吹き出すところだった。
 「げほ、げほ…。いきなり何を言っ…」
 咳き込みながら必死で抗議の声を上げるぼく。だがシグルド父上はそれを意に介さず、 ぼくの隣を指差して得意の追撃を放った。
 「そちらの可愛い娘さんとは、お似合いじゃないか。 もうキスはすませたのか?」
 衝撃の言葉をさらりと放たれ、ぼくの顔は一瞬でユリア以上に真っ赤になった。
 「ま、ままま、待ってよ。キスだなんて…ぼくたち、そんなのじゃ…」
 「それはいけないな、情熱が足りない。」
 手足をじたばたさせて抗弁するぼくを途中で遮って、シグルド父上は もっともらしく説教を始めた。ディアドラ母上の肩に手を回し、ぎゅっと抱きしめる。
 「私など、ディアドラと出会ったその日に一目惚れ。深い森の中まで追いかけて、 再会したその場で抱きしめ、結婚を決めたのだからな!」
 「シグルド様…」
 …いや、そこでピースしてまで手の早さを自慢されても困るんですけど…。 ディアドラ母上も母上で、うっとりした目でシグルド父上を見上げてるし…。

 …いや、いいんだ。ぼくだって、本当はユリアとそうなりたい。だけど…
 ぼくは下を向いて、か細くつぶやいた。
 「ぼくとユリアは、兄妹だから…だから…っ…」
 「いいのよ、セリス…」
 ぼくの言葉を受けたのは、ディアドラ母上だった。 その紫の瞳には、ユリアがときどき見せる、深い慈愛の光がある。
 シグルド父上が、頬を引き締めて語り始めた。
 「私はディアドラを愛し、禁忌に逆らって森から連れ出した。 その結果、ディアドラは世界の大きなうねりに翻弄され、私も苦労を味わった。 だが、そのおかげで、私はかけがえのないものを得られたんだ。 ともに戦ってくれたみんなと…、セリス、お前をな。」
 シグルド父上は遠い目をこちらに引き戻し、ぼくをじっと見つめた。

 「セリス、運命とは自分で掴みとるものだ。定めなどに…ひるむな。」
 「…はい。」
 ぼくの胸の底で、何かが切なくたぎるのを感じた。

 ふと見ると、あたりは人でいっぱいになっている。 どうやら、霧の向こうから次々と客人が現れたようだ。 ぼくの目に、耳に、近く遠く、奇跡が刻まれてゆく。
 春の日の宴は、最高潮を迎えていた。

 「あなた、いらっしゃい。ほら、リーフもこんなに大きくなって…」
 「おお、フィンもいるじゃないか。ずいぶん老けたなあ、ハハハ。」
 「まさか…キュアン様、エスリン様…!」
 「あら、竜騎士になったのね。とっても凛々しいわ…」
 「よかったら、私のところに来てくれないか。 昔はお前になにもしれやれなかったからな…」
 「…はい、父上、母上…」

 「シグルド、キュアン、久しいな。」
 「おう、エルトじゃないか!妹姫も一緒か。相変わらずお似合いだなぁ…」
 「さて、約束通り三人でワインでも飲むか。極上ものを持ってきているぞ。」
 「…花見でワインか?別にいいが…」
 「アレス、この一杯はお前にやろう。うまいぞ。」
 「………乾杯。」

 「素晴らしい…エーギルがこれほど眩しく流れ、きらめく所があるとは…。 ブラギ様も驚かれることでしょう…」
 「リーン、コープル、よく頑張ったね…」
 「踊り子…、お母さん…なの?あたし、ずっと…探して…」
 「これがぼくの…本当の父さんと母さん…?」
 「そうだ。いつぞやは世話になったな…」
 「ハンニバル将軍…。あたしこそ、コープルのこと…本当にありがと。」

 「アゼル〜、こっちこっち!」
 「はぁはぁ…そんなに急がなくても大丈夫だよ。せっかちだなあ…」
 「だって〜、早く会いたいじゃない!…あっ、アーサーね!きゃー、可愛いっ! さすがあたしとアゼルの息子ね!」
 「……う、ううっ…ママ…」
 「ティニー、はじめまして…っていうのもおかしいかな。ボクがきみのお父さん…だよ。」
 「…お父様…ぁ…」

 「レヴィン様…それに、セティもフィーも…」
 「…母上…」
 「……私にはもはや妻も子もいない……」
 「…ひ、ひどい!まだそんなこと言ってるの、お父様!?」
 「…というのは、かの世界の話。今は家族となっても罰はあたらんだろう…」
 「ありがとうございます…。また、レヴィン様と大空を旅したいものですね。 そのときは、姉も一緒に…」
 「ああ、そうだな、フュリー…」

 …そして。本来ならこの場にいるはずのない人物までもが、姿を現した。
 遠くの桜の影から、じっとこちらを見つめる赤髪の少年が…

 「…あら、ユリウスも来てくれたのね。さあ、いらっしゃい。」
 「何を言うんだ…ぼくは母上に…あんなことをして…。もう、敵なのに…」
 呼びかけるディアドラ母上の声に、その少年…ユリウスは首を振る。 だが、ディアドラは自分の隣の席を空けて、息子を呼び寄せた。
 「この場所で、敵も味方もありません。あなたも花は好きでしょう?」
 「わたしも…兄様に来てほしいです…」
 ユリアも、遠くの兄に小さな呼び声を発した。
 みんなに見つめられて戸惑う彼の背後に、もうひとつの大きな赤い影が現れる。
 「どうやら、私たちもここにいていいようだ。せっかくだから、 行こうではないか。」
 そう言ってユリウスの肩を叩き、ともに歩み寄ってきたのは…
 「お父様も…来てくださったのですね…」
 ユリアの声が、懐かしさに染まった。

 シグルド父上と、ディアドラ母上、アルヴィス皇帝。
 ぼくと、ユリアと、ユリウスと。
 父上やぼくと一緒に戦った人たちも。不幸にして敵になってしまった人も。
 この桜の下では、みな平等に、時を分かち合える。
 つらい戦いも、悲しい別れも、みな風に流して溶けていくように…
 そして、そして…。

 はらり。
 ひとひらの白が、舞い降りる。

 「…もう行かなければいけないようですね。」
 ディアドラ母上の一言が、宴の終わりを皆に告げた。 それを合図にしたように、シグルド父上やアルヴィスやユリウス、他のみんなが つぎつぎと帰り支度を始める。
 「ユリア、今日は楽しかったよ…また会えるかな…?」
 紅い目で見上げるユリウスに、ユリアはそっと答えた。
 「兄様は、いつもわたしの心の中にいます。」

 「さようなら…。」
 その言葉とともに、ディアドラ母上の姿が霧の中に消えた。 ほかのみんなも、どんどん去っていく。
 …いや、まわりが去っていくのではない。ぼくがみんなから遠ざかっているように思える。 周囲の霧がどんどん濃くなって、みんなの姿が見えなくなっているのだ。
 いつの間に片付けたのか、飲みものも料理も無くなっている。 桜の木々から花びらがぱあっと散って、その枝もやがて見えなくなり…
 ラクチェもラナも、みんないなくなって…
 そして、そして…!
 最後に残った、銀髪に紫のローブ姿の清楚な少女の姿も…すぅーっと白い闇に溶け…!

 …ま、待ってよ…!
 これはみんな幻なの?嘘なの…?
 お花見も、楽しいみんなとの日々も、ユリアさえも…
 桜が散るように、あっという間に消えてしまうものなの…!?
 そんなの…、嫌だよ…!
 みんな、会いたいよ…いつまでも、桜の下で…楽しく…
 ……寒い、よ……ユリア…ぼくをおいて…行かないで……

 「…起きてください…」



 さあ……ああぁっ……

 風が…吹いた。冷たい風が。
 空から、次々と桜の花びらが舞い散ってくる。 ぼくの身体にも舞い降りてきて…とても冷たい…。 そうか…これ、桜じゃない。雪だ…。
 ぼくは白い闇から目を覚ました。いつの間にか、草の上に寝そべっていたらしい。 体を起こし、自分の顔に触る。少しだけ雪を被って、冷たくなっていた。
 周囲を見る…そこにあるのは、桜だけだった。誰もいない。
 桜は散り…ユグドラルの仲間も…みんな、幻の中に消えてしまったのだろうか…?

 そのとき、ぼくは気づいた。
 桜は、散ってなどいなかったのだ。
 天から降り積もる雪を受け、冷たい氷の中にいる桜の木。
 雪の白の中にあって、ほんの微かな桃色が。
 静かに、強く、咲いていた。

 その姿は、まさしく、かの少女のもの。雪の桜こそ、 彼女に最も相応しい花に違いない…!
 「ああ…」
 ぼくは雪桜に呼びかける。それを待っていたように、その木の陰から、 ぼくの求める姿が現れた。
 白い両手で胸を抱き。いつものローブと長髪と。 遠く、なおかつしっかりした紫の瞳で、ただ静かにぼくを見つめた。
 「夢じゃ…幻じゃ、ないよね…?」
 ぼくは、その少女に問いかける。彼女は、そっとうなずき…、 ぼくの手を握った。
 生きる者の、温かい手だった。…本当の、ユリアだ…!

 「花見は、終わりました…。帰りましょう、セリス様。」
 優しく呼びかけるユリア。その手を、ぼくはぎゅっと握り返した。
 無言のまま、目をぱちくり開けるユリア。その息遣いが、これほど貴重に思えた 時はなかった。
 「ユリア…。花の終わりが、こんなに寂しいものだなんて…思わなかったよ。 きみも、いつかはぼくの前からいなくなってしまうかもしれないけど…、 それでも、ずっとここにいてほしい。今になって、きみがこんなに大切だってわかった…。」
 ぼくの心臓が、がたがた震える。 そのとき、ふわっ…と暖かい感触が降りてきた。 ユリアの両腕が、かたく冷えていたぼくの肩を包み込む。 ぼくの目の前の霧が、ふっと晴れていくように感じた。

 「約束します。わたしは、セリス様の前から消えません。」

 ユリアの言葉は、ぼくの魂を震わせた。
 ぼくの腕をしっかり握って告げるユリア。彼女は、確かにそこにいた。
 黒目がちの瞳と、いつもに増して張りのある声…その両方がしっとりと 潤んでいて。ユリアの温かさが、じんわりと伝わってきた。
 「…ありがとう。ぼくも、約束するよ。きみの前にずっといるって。」

 花見は、一瞬の奇跡。
 花も、雪も、あっという間に過ぎ去り、二度と戻らない。
 ユリアという世界一美しい花が生まれたのも、ぼくがそれを見つけたのも、 永劫の時の流れの中できらめく、うたかたの幻に過ぎない。 いつか、そのかたちは無くなってしまうもの…。

 だからこそ、この一瞬に浮かぶ夢を、かぎりなく大切にしたい…。

 「また来年も、花見に行こうね。」
 「はい、必ず。…お母様に会いに行きましょう。」
 ぼくたちは、かたく手をとりあった。


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