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バカ殿セリス様・外伝
うたかたの宴(前編) 時の流れは、とぎれることがない。何も意識せずに過ごした「現在」は 矢のように過ぎ去り、永遠に取り戻せない「過去」となったとき、 それがいかに貴重なものだったのかが…はじめて、わかるのだ。 夢幻の群れの中に、ふと浮かび上がった奇跡のひとかけらを、ここに―――。 「セリス様、こちらですよ。」 布のマットの上に積み上げられた弁当箱を並べなおしていたラナは、 小さな丘からこちらを見下ろして明るく手を振った。 周囲は広々とした緑の草原。その中で、この丘は多くの木に囲まれていた。 その枝は薄桃色の花に彩られ、今が見頃であることを示している。 あいにく空には暗い雲がかかり、昨日の陽気とは打って変わって 肌寒いのではあるが、みんなの明るさはそんな天気を吹き飛ばしている。 「みんな早く来て、さっさとお花見はじめようよ〜。」 手招きするフィーの手には、すでになみなみと注がれたコップが握られている。 宴の始まりを待ちきれないのは、なにも彼女だけではなかった。 ぼくの傍らに立つのは、いつも通り落ちついた表情の少女。 彼女はしばし足を止め、丘の上につつましげに咲く花たちに見入っていた。 ぼくはにっこり笑いかけ、手を差し出す。 「さあ、行こう、ユリア。」 「はい。」 こうしてぼくたちは多くの仲間たちに迎えられ、桜の門をくぐった。 「ゴホン。ダーナ砦の十二聖戦士の奇跡から幾星霜。 こうして聖戦士の末裔たちが揃った、この意義は…」 「かんぱーい!!」 皆の前で無駄に長い話をはじめようとしたレヴィンの前で、 ぼくは思いっきりコップを突き出して叫んだ。ずらりと並んで座っていた みんなもそれに倣い、「乾杯!」と互いのコップで軽く音を立て、一気に飲み干す。 次の台詞を言う機会を永遠に奪われ、硬直したまま ひきつった頬に汗を流すレヴィンを置き去りにして、宴は始まった。 「うわぁ、うまいな、この卵焼き。」 「そうだね。」 がつがつと料理にむしゃぶりつき、頬をほころばせるレスターの賞賛の声に、 ぼくも賛同する。隣にちょこんと正座して食べているユリアも、 こくりと肯いて同意を示した。 「うふふ〜、そりゃそうよ。何たってこのパティちゃんのスペシャルメニューよ。 桜と言えばパティって言われたほどだもん。まずいなんて絶対言わせないわよ!」 両腰に自分の手をがっちり当てて胸を張るパティ。その背後からファバルが こつんと彼女の頭を叩いた。 「調子いいこと言ってるんじゃないぞ。お前どう見ても、 桜よりひまわりってイメージだろ。」 「何よー、本当のことだからいいじゃないの。あっ、シャナン様〜、 あたし、シャナン様のためにこれ作ったんですぅ〜」 他とふたまわりは違う特大の弁当箱を、彼の前にでーんと置く。 さりげなくシャナンの横に座りつつ話し掛けようとしていたラクチェは、 機先を制されてむっと眉をつり上げた。 「パティ、そんなに食べ切れるわけないじゃないの。シャナン様がお腹をこわしたら どうするの!」 「むーっ、あたしの料理ならシャナン様はいくらでも食べられるに決まってるじゃない。 ね〜?」 パティがシャナンの背中に抱きつき、しなだれかかる。 それをラクチェが引き剥がそうとして、スカサハがなだめようとして、 …あとは、いつものじゃれあいである。ほんっと、懲りない面々だよね…。 そのとき、横手から大きな拍手と歓声が上がった。見ると、 リーンがみんなの前でぺこりと頭を下げている。 先ほど面目をつぶされたレヴィンも、なんとか機嫌を直したらしく、 リーンの後ろで横笛を用意していた。 アレスは不機嫌そうにぷいと背を向けたが、良く見ると後方の桜の根に 腰掛けてリーンのほうを横目で見ていたりする。 そして…笛の音が、踊り子のリボンが、静かに流れ始めた。 それは静謐な、幻想的な光景だった。奏でる音色はゆったりと、 少し明るく、少し寂しく、感傷的な気持ちをかきたてる。 リーンの舞いには、微妙な動きがふっと現れ、ふっと消えゆき、 気がつくと別のところにいる。小さな妖精が空中に現れ、微笑みかけては消え、 いたずらをしては消え、笑い声だけが残るような…そんなイメージが浮かんだ。 「夢を見ているのかな…?この場所にとても良く似合う…」 最後に礼をするリーンに拍手しつつ、ぼくは心の中でつぶやいた。 「はい、セティ様、どうぞ。」 「ありがとう。桜の花は美しいね。」 「ええ、本当にそうですね…」 「静かで、慎ましやかで…。でも、私にはもっと好きな花があるんだよ。」 「それは何ですか?」 座の真ん中で寄り添う二人。問いかける少女に、セティは迷わず続けた。 「ナデシコだよ。一見おとなしいけど、情熱を秘めて可憐で。まるで…、 そう、ティニー、きみのように…」 こんな台詞を恥ずかしげもなくさらりと言えるのが、勇者の勇者たる所以だろう。 頬をぽっと染めたティニー。二人はじっと見つめあい…。 げしっ。 「俺の妹に何言ってるんだ!」 アーサーの蹴りが、夢見る二人の世界に闖入した。腕をわななかせ、 怒りに燃えた目でセティを見下ろしている。 その背後から頬を膨らませて近づくフィーは…。 どうやら、ここでもどたばた劇が繰り広げられそうだ。 そんなこんなで、花見は楽しく続く。 「みんな、楽しそうだね。」 ぼくはそう言って、ユリアに微笑みかけた。 「ええ、そうですね…」 料理を飲みこんでからそう答えるユリアを見ると、いまだに正座を崩さずにいる。 そんなに硬くならなくても、とぼくは言おうかと思ったけど、それは違うようだ。 よく見ると、その姿勢で食べたり話したりする動きがとても滑らかで、 もたつきがない。…つまり、これはユリアにとって自然な姿勢なのだ。 ユリアの強さ、美しさは、こんな目立たないところに現れてくるんだな…。 そう思っているうちにも、ユリアはのんびりと食事を続けている。 お弁当箱から上手に食べ物を取りだし、口に運ぶ。そして、傍らのコップに 入ったお酒を口にして……って、あれ…? 「…ユリアも、お酒を飲むの?」 ぼくは思わず尋ねていた。これはちょっと意外な気がする。 ユリアといえば常に理知的で冷静で、羽目を外すことなど滅多にない。 常に自分をいましめ、律して生きている。 そんなユリアが、若い身空でお酒に手を出すというのは、これまでのイメージと 違うものだった。 ユリアは自分のコップのお酒を飲み干すと、 普段よりさらにゆっくりと…こちらを振り向き、のんびりと答えた。 「はい。お酒を飲んだのは、今日がはじめてなのです。 こちらには、他に飲み物はございませんし…、皆さん、今日は飲んでも良いと おっしゃいますので…。」 そう言うと、ユリアはぼくの空のコップを取り、そこにお酒をしずしずと注ぎ足した。 無論、正座のままである。そして、両手でぼくの目の前に差し出してきた。 「セリス様も、お飲みになりませんか?」 ユリアの、お酌…これを断るわけにはいかない。ぼくはコップを受けとって、 中のお酒を少しだけ飲んでみた。ユリアは首を傾げて、その様子をじーっと見ている。 ぼくは口を離し、コップを下に置いた。だけど、 ユリアはまだこちらを見つめたまま動かない。ぼくが飲むところに興味があるようだが…。 ぼくは肩を落とし、ちょっと重い気持ちを抱えつつユリアに語りかけた。 「うーん…、ごめん。ぼくはお酒って、あまり好きじゃないんだよね…。 お酒を飲んで酔うと、自分が自分でなくなるというか…。 何か、格好悪いって思ってしまうんだよね…。」 ユリアは、あら、と手に口を当て、目を沈ませて頭を下げた。 「そうだったのですか、すみません…。でしたら、他の飲み物を用意しますので…」 「あっ、いや、いいって。もうほとんど食べ終わったし…」 謝り、出て行こうとするユリアを、ぼくは押しとどめた。 本当はこの後、「きみがそばにいてくれたほうが嬉しい」って続けようと 思ったけど。何だか照れくさいので、それはやめておいた。 「気にしないで。ぼくもきみと話したり、みんなが楽しんでいるのを見ていれば 嬉しいから。きみも、自分のしたいように楽しめばいいよ。 …もう少し、飲んでみる?」 ぼくが明るく問いかけると、ユリアはこくりと肯いた。 「セリス様は、もう飲まないのですね?」 「うん?…そうだね、もういい…かな。」 「それでは…。」 そう確認すると、ユリアはしずしずと…ぼくのコップに手を伸ばした。 細い手でそれをつかむと、すっと自分の口元に持っていって…。 これってば…間接…… 「……ユリア……」 あっけにとられ、口をぱくぱくさせるぼく。それを見たユリアは、 また少し体をちぢこませた。 「あ…すみません、セリス様…わたし、また失礼を…」 「あ、ごめん、そうじゃないんだ。ただ驚いたっていうか…」 謝ろうとするユリアを、ぼくは再びあたふたと制しなければならなかった。 ぼくと違って純真なユリアは、間接キスなんてことは気にしないだろうけど。 「ユリアは酔うのって、不安にならない?」 ぼくはコップに口をつけるともなしに持ちながら、そんなことを聞いてみる。 隣のユリアは、口に入れた小魚をもぐもぐと時間をかけて咀嚼し、ごくんと飲み込んでから、 こちらに首を回して答えた。 「大丈夫です。ここには邪悪な気配はありません。それに、 酔ってしまったとしても…」 ユリアはこちらに首を伸ばし、耳打ちするような姿勢で、そっとつぶやいた。 「セリス様がいてくだされば…大丈夫です。」 ぽうっとした目でこちらを見つめたユリアの言葉。 それは、ぼくにとって何よりも嬉しいものだった。 酔った自分を、任せられる。それほど、ユリアはぼくを信じてくれているのだ。 ならばぼくも、ユリアの期待に応えなくてはいけない。 「ユリアを酔わせていたずらを…」などとどこかで囁いていた悪魔の心に、 ぼくは完全追放を命じた。 お酒を飲めるって、こういうことなのかな? 酔って自分を失ってもいいと、信じられる人がいること。 だったら…。 「…うん、大丈夫。気持ちよく酔っていいよ。」 さっきのままの体勢でずっとこちらに目を向けているユリアに、ぼくは にっこり笑いかけた。 今度は、ぼくがユリアの前で酔ってみようかな…、と思いながら。 |