いのちの翼


 一軒家の中にいたのは、ひとりの少女。

 緑髪の男に連れられてきた、銀髪の少女。
 心を閉ざしたまま、必要なこと以外答えない、もの言わぬ少女。
 ただ言うなりに働き、言うなりに動く少女。

 ユリアの人生は、ただ、そこに流れる時に身を任せるものだった。


 冬になった。
 ユリアは重くたれこめたシレジアの空を、窓ごしに見上げる。
 雪に閉ざされた窓を、きゅきゅっと拭いてみた。 ユリアの指がなぞった分だけ、窓の曇りが取れて、 降り積もる雪がよく見えるようになる。
 はあっ、とため息をつくと、ユリアはまた椅子に座った。

 春になった。
 雪が溶け、川のせせらぎが聞こえてくる。
 やがて周囲にぽつぽつと白い花が咲くのが、彼女の視界に入っただろうか。
 自らの簡素な服を洗濯し終えたユリアはそれらを干すと、 無表情なまま家へと戻っていった。

 夏になった。
 あたたかな陽射しは、大地に生けるものたちに平等に降り注ぐ。 家にも、草花にも、ユリアにも。
 それを気にかけるユリアではない。


 美味とも上手とも言えない食事を作り、狭い家と、たまに周囲とを掃除し、 洗濯をする。育ててもらっているのだから、そのぐらいはやるべきだろう。
 でも、養い親からもらった書物を読み、学問をおさめ、魔力を鍛える。 そんなことに、何の意味があるのかは、分からない。

 短い夏が終わると、また冬に戻るだろう。
 それだけの日常だと、思っていた。
 それだけの人生だと、思っていた。

 雪に閉ざされたユリアの心に、ひとひらの葉が舞い降りた、あの日までは…。


 シレジアの夏は、そう暑いわけではない。 かわりに、さわやかな風とまぶしい輝きをもっている。
 透き通るような青空には、はるか遠くに白い雲が点々として。 明るい緑に輝く草は丘の向こうまで広がり、短いこの季節の恩恵を 心行くまで享受している。
 家にいるのがもったいないような、素晴らしい陽気の中。 それでもユリアは、ひとり読書を続けていた。
 …家のはるか遠くで、どすん、という重い音が聞こえるまでは。

 何か大きいものが、空から落ちてきたような音。 この離れ小屋では滅多に聞かれない 音を耳にして、ユリアも興味をひかれた。
 何が起きたのか、外に様子を見に行こうとして、 彼女はゆっくりした動作でサンダルをはく。
 扉を開けると、周囲の草たちのように明るい緑の髪をはねさせて、 足を引きずりつつ、それでもユリアよりずっと速く、 少女がこちらへとやってきていた。

 年のころは、ユリアと同じぐらいだろうか。大人へとせっかちに歩んでいるけれど、 まだ世間では子供として扱われるぐらいである。
「どじっちゃった…急に風が吹くんだもん。 まだうまく乗れないなぁ…あたしも未熟ね。」
 そう一人でぼやいていた彼女は、ユリアの姿を見つけると、
「あ! あなた、ちょっと助けてくれない?わたし、ケガしちゃって…」
と、ユリアに呼びかけてきた。

 ユリアは微動だにせず、駆け込んできた少女を、じーっと見つめる。 その無表情からは感情を全く読み取れないが、何となく品定めをされているような 気になったのか、緑髪の女の子が付け加えた。
「わ、わたしはフィー。ペガサスに乗る練習してたんだけど、 風にあおられて、落ちちゃって…」
 何かに追い立てられるように、あたふたと説明するフィー。 彼女はユリアが何も言わないので、自分が何かよくないことをしたのかとうろたえ、 何とか自分のことを分かってもらおうと、言葉を重ねていたのだが。 ユリアのほうはフィーの説明をほとんど聞いていず、 別のことを考えていたのである。
 …この子は、ロプトの追っ手ではありませんよね…。

「あ、それで、無理そうだったら近くのお医者さんか司祭様を 紹介してくれるだけでもいいから。で、えーと…」
「わかりました。こちらへどうぞ。」
 なおも弁解じみた説明を重ねるフィーの言葉をさえぎって、 ユリアは彼女を招き入れた。 はじめてユリアの声を聞いたフィーは、安堵の表情を浮かべ、 彼女の後についてゆっくりと家の中に入っていった。

 フィーを椅子に座らせ、家の奥からユリアはライブの杖を取り出してきた。
「え、あなた、杖を…」
と言いかけたフィーをよそに、ユリアはフィーの足を無造作に手に取ると、 突然掴まれて痛がるフィーをよそに、ぶつぶつと呪文を唱え始めた。
 すると、杖の先端にふんわりした明るい光が現れ、少しずつ広がっていこうとした。 ところが、その光が満ちないうちに、途中でふっと消えてしまった。
「……?」
 何が起きたのか分からないフィーが首を傾げるがユリアは無視し、 もう一度呪文をとなえる。だが、それでも光は途中で消えてしまった。 フィーの足は怪我したまま、痛みは消えていない。
 するとユリアはフィーをほったらかしにして、魔道の参考書らしき本を 取り出して、交互に見つめたりしはじめた。
「…ねえ、どうしたの?」
 フィーが質問すると、ようやくユリアが答えてくれる。
「ライブをかけても、失敗してしまうのです。本当に人にかけるのは、 はじめてですから…」
 まだコツが飲み込めないらしいユリア。参考書でポイントを確認しつつ もう一度トライすると、ようやく周囲が暖かい光で満ち溢れ、 そしてみるみるうちにフィーの足の腫れが引いていった。

「…治りました。」
「あ、ありがとう…」
 ユリアのマイペースぶりに戸惑いつつも、フィーはお礼を言う。 ユリアは無言のまま、そこにたたずんでいた。
 間が悪くならないように、フィーは何とか話題を探してユリアに話しかける。
「それにしても、あなた…杖が使えるのね。すごいなー。 わたしも杖習ったことがあるけれど、ぜんぜんダメなのよね、これが…あはは。」
 自分で自分の話に落ちをつけて、フィーはぽりぽりと頭をかく。 ユリアは無言…かと思ったが、しばらくの沈黙の後、ぽつりとつぶやいた。
「でも…わたしには、何もありませんから。」
 えっ?
 フィーは、その言葉に戸惑いを隠せなかった。
 この子は、何を言っているのだろう。
 …でも、それ以上は何となく聞くことができなかった。


 凍りついたような場の空気に耐え切れず、フィーは口を開いた。
「あ、そうだ。マーニャのケガも治さないと。」
 そう言って立ち上がったのだが、ユリアはその場にちょこんと座ったまま 動かない。
「…えっと、マーニャっていうのは、わたしのペガサスなんだけど。 わたしと一緒に落ちてケガしちゃって…」
 そこまで説明しても、まだユリアは無表情でフィーを見つめたままである。 わざとらしかったかな、とフィーが思うような誘導にも、ユリアは 気づいてくれなかったようだ。
「あ…だから。悪いんだけどさ、いっしょに外に出て、マーニャのところに 行って、その杖で治してくれるかな。」
 さっきから言外に込めていた申し入れを、結局フィーは直接 言わなければならなかった。
「はい、わかりました。」
 嫌な様子ひとつ見せずにユリアが立ち上がったので、フィーはほっと 胸をなでおろした。

「こっちよ。」
 ユリアの家を出て、森の坂道をフィーが上りだす。 ユリアは彼女の後に続き、てくてくと歩き出した。 しばらくの間、二人は無言で歩みを進める。
 フィーは、ユリアに何か語りかけようとして、何を言っていいのか分からず 口を閉ざす、ということを何度か繰り返した。
(…お母様と、こんな風に歩くときは、わたしがしょっちゅう喋ってて、 お母様も丁寧に相手をしてくれるから、調子よく話すことができて。 だから、それが当たり前だと思ってたけど。 この子、いつも表情変わらないし、無愛想で、話しづらいのよね…。 親切にしてくれるし、怪我も治してくれたし、良い子だと思うんだけど…。 ちょっとだけ、苦手なタイプかな…)
 そんなことを思っていると。
「あの…。ペガサス…とは、どんな生き物なのですか?」
 そんなフィーに頓着せず、ユリアはあくまでマイペースに尋ねた。

「うん?見たことないの?…えーっとね、ペガサスってのは羽の生えた 白い馬で、空を飛ぶことができるの。それで、わたしはペガサスナイトって いって…」
 簡単に説明を始めたフィーだが、再びユリアと一緒に歩き出しても 説明は終わる気配を見せず、むしろ熱を帯びていった。
「マーニャは、普段はとても優しいんだけど、必要な時は勇気を持って 飛んでくれる強いペガサスなのよ。わたしが急いでるときは ちゃんとスピードを上げてくれるし、落ち込んでるときは ゆっくり、くるくる回るように飛んで、なぐさめてくれたりね。それから…」
 ユリアは、その説明よりも、生き生きとしたフィーの表情のほうに 心を奪われていた。
 この人は、なんて情熱的に、ペガサスのことを話せるんだろう。
 この人は、わたしには無い何かを持っている。
 そう、ユリアは予感した。

 そして間もなく、森を抜けた二人の前に広い草原が開ける。
 その中に、白くうずくまるものが見える。 凛々しい顔立ちの馬…そして、背中には羽。 フィーの天馬であるマーニャに、間違いなかった。

「マーニャ…ちゃんと待っていてくれたのね。具合はどう?」
 フィーが白い胴に触れると、マーニャは切なげに小さくいななく。 立派な毛並みも心なしかしおれているかのようで、 力なくふらついている前足が、状態が良くないことを暗喩していた。
「…どうかな…?」
 フィーが問いかけると、ユリアは天馬に近づき、すっと手を触れた。 ペガサスは人を選ぶといわれるが、マーニャはユリアには抵抗を示さない。 それはユリアの心が清らかだからなのか、ペガサスに反抗するだけの 気力が無いからなのか、不分明であったが。 どくん、どくんと命の鼓動が聞こえる。フィーとユリアは、それがやや不安定である ことを見て取った。

 杖を取り出し、ライブの使い方を慎重に思い出すユリア。
 ライブの基本は、「祈り」。
 相手の「命」を思い描き、自らのエーギルを増幅させたうえで、 杖を媒介に、相手を包み込むように流れこませる。 その理論をユリアは思い出し、丁寧に再現しようとした、そのとき。

「ね、ねえ…治る、よね…?」
 直感的な不安にかられて、 フィーはすがるようにユリアを見る。そしてぎゅっと手を合わせ、 目をつぶって、治って、治って、と必死に念じはじめた。
 その様子に、ユリアははっと目を見張った。

 ユリアの内なる魔力は、フィーのエーギル…気の流れが、マーニャの身体を 包み込んでいるのを見た。

「どうか、どうか治って…」

 フィーの思い。
 ペガサスへの愛情が、正の気になって流れ出していく。
 それは、「祈り」と言えるものだった。

 ああ…、そうなんだ。
 今まで、わたしに欠けていたもの。
 失いたくない、「大切な存在」。
 このペガサスに、生きていてほしい。この人に、元気になってほしい。
 その気持ちこそが…。

 次の瞬間。
 ユリアがかざした杖から、先ほどとは比べものにならないほど大きな、 白い光が膨れ上がると、ふわりとペガサスを包み込み、 あたたかな流れが周囲にたゆたう。
 それが収まったとき。
 ペガサスは、四本の足ですっくと立ち上がった。
 傷は、完全に治っていた。

「あ…ありがとう!」
 マーニャが再び活力を得たことを確かめ、フィーはユリアに 思い切り感謝した。
 ユリアは、自分の杖を、呆然と見つめていた。 これほど見事に杖を使いこなせたのは、はじめてのことだったのだ。

 ユリアはフィーを見つめて、よかったわね、と言った。
 相変わらずの無表情が、それでも、少し微笑んでいるように、フィーには映った。
 マーニャの首の毛並みを優しくなでるユリアは、 もう一度、本当によかった、とつぶやいた。

 そして、フィーに向かって、あらためて…。
「わたしは…ユリア。」
 養父レヴィンからの戒めを破って、自分の名前を、彼女に教えた。

「ユリア…最初はあなた、冷たい感じの子かなって思ったけど、いいところあるのね。 見直したわ」
 フィーはそんなことを言って、ユリアの手を握り、笑いかけた。
 きょとんとするユリアだが、彼女の言わんとするところは、 何となく分かるような気がした。 昨日までの自分なら、全く理解できなかっただろうけれど、と思いつつ。

「じゃあユリア、また会おうね!」

 マーニャにまたがると、フィーはにっこり笑ってぶんぶん手をふる。
 ユリアも控えめに手を振ると、それを合図にしたかのように ペガサスがばっと大きく羽を広げ、地面を蹴った。
 気がつくと、日は西に向かい、空は少しずつ赤みがかっている。 その中を、ゆったりと雄大に飛び立って行く。

 黄金色の夕空に、力強く羽ばたく天馬。
 その姿は、何よりもきれいだった。
 ユリアがはじめて知った、「命の輝き」に満ちていた。


 数年後。
「あれー!?ユリアじゃない、久しぶり!」
 銀髪の男魔道士の背後から、懐かしい声をユリアは聞いた。
「フィー…」
 イザークの野原で。セリスの解放軍で、彼女たちは再び出会ったのだ。

「あの時は、本当にありがとうございました。」
 ユリアはぺこりと頭を下げて、フィーにお礼を言った。
「え?なんでユリアがお礼言うの?わたしが助けてもらったんでしょ?」
そんな疑問を口にするフィーに。

 ユリアは、ゆっくりと説明した。
「わたし、あなたに教わったのです。」
 昔と同じぐらい寡黙な口で。
「この世の中には、自分をかけて頑張れる『何か』があるんだ、 ということ。その何かと一緒にいたい、と思えて、それで、頑張れること。 それを心から感じるようになって、 わたしは杖を修得することができました。」
 それでも、昔よりずっと自分を表現できるようになった口で。
「命が、あのペガサスの羽根のように美しくて、大切だということ。 それを…フィー、あなたが、教えてくれたのです。」
 ユリアは、しっかりと告げた。

「そんなあなたと、また出会えて、同じように頑張れることが とても嬉しいのです。ありがとう…。」
 フィーは、ぎゅっとユリアの手を握って、その言葉にこたえた。




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