しあわせの樹

1章 聖なる約束 (後編)


 「スカサハとラクチェって、双子のくせに性格が全然違うけど。 ああ見えて、いいコンビだったんだよね。 まずラクチェが敵に突進すると、勢いで敵を押しまくれる。 それでも討ちもらしたり、陰からラクチェを狙う敵がいたら、 スカサハが発見してばっちりしとめる。 強敵には、二人並んで必殺の流星剣! …本当、惚れ惚れしたなあ。」
 「ラクチェさんの勇敢さと、スカサハさんの慎重さは、 お互いに引き立てあうことができたのですね。」
 「うん。町の中でもそんな感じだったかな。ラクチェが真っ先に 店に行ったり話しかけに行ったりして。おかしな店に引っかからないかって スカサハは心配してたけど、でも二人してけっこう 楽しんでいたみたい。リボーで闘技場をはじめて見た時も、 真っ先にラクチェが飛び込んでいって。道場破りみたいに…」
 「闘技場のラクチェさんは、とても楽しそうですものね。」
 「うん。でも町の中でいちばん活躍したのは、ラナかな。 武器屋とか道具屋とか、いろんなお店を見つけ出してくれて。 パティと一緒に掘り出し物を買い込んできてくれるから、 とても助かったよ。」
 「わたしも、ラナさんと一緒ですと、とても安心して 町を歩くことができました。」
 「うん。でもパティがスリープの剣でいたずらした時には 参ったなぁ。あれってさ…」

 目を輝かせて喋り続けるセリス。彼をしっかり理解して 相槌を打つユリア。
 汲めども尽きぬ思い出話。
 あの戦いの日々が、いかに鮮烈で、いかに貴重であったのか。
 思い出が楽しければ楽しいほど、まぶしければ眩しいほど。 それが二度と戻らぬ日々であることを、セリスはその胸に 刻み込まれることになった。 いや、自分たちの手で、戦いを過去のものにしていかなければならないのだ。

 「ふう…みんな、どうしているかなあ…。」
 ほぼ一方的にしゃべり倒したセリスが、一通り話を終えたとき、 日は既に傾き、空は赤く染まり始めていた。
 「…元気だと良いのですけれど。皆さん、苦労しているかもしれません。」
 ユリアの静かな口調は、現実が甘いものではないことを 的確に示していた。
 「うん。私もみんなも、戦いは強いけど、今度は政治をしなきゃいけないから、 どうしたらいいか戸惑うよね。たぶん、破壊よりも再生のほうが ずっと難しいんだ。 しかも、全く新しい土地に行くわけだし。 今までと違って、腹を割って話せる自分の仲間が少ないんだよね。 アーサーにとってのフィーとか、レスターにとってのパティとか、 かけがえのない存在なんだろうな。 ぼくも、今きみと話していて気づいたよ。 毎日政務で堅苦しくやっていたら、神経が参ってしまう。 自分のことを知っていて、気兼ねなく話せる人、こうやって楽しめる人が そばにいなきゃだめなんだ。…きみみたいな人がね。 こういう人、なんて言うんだっけ。単なる仲間、じゃなくて…」
 ユリアはセリスのほうをもう一度見つめて、 やわらかく言葉を吐いた。
 「…家族、ですね。」
 …風が、二人の髪を揺らした。

 家族。
 妹。
 ああ、ぼくは、ユリアと。
 ユリアにとっても、ぼくは、たった一人の。
 …家族なんだ。

 目の前が、ふっと遠くなる。 現実であるはずの光景が、壁画のように、彫像のようにかたまっていく。
 ユリアは生きているのに、目の前で話しているのに、 宮廷芸術家が作った美しい大理石の女神像のように見えてくる。
 それが何故なのか、セリスの感覚は追究を拒否した。

 上半身を起き上がらせ、蒼の目を見開いて ユリアをまっすぐ見つめたセリス。
 ユリアもまた、正座したまま背筋を伸ばし、正面からセリスを見つめる。

 「きみは、家族なんだ。」
 セリスは、一分の隙も無い、やわらかな表情とまっすぐな視線を作って、 ユリアに告げた。
 「ユリア、きみは…、あの戦いの後、ここに残ったただ一人の仲間。 そして、私のただ一人の家族なんだ。」

 ユリアは、女神のように完璧に整った美貌を崩さず、 全く平らかな声で応えた。
 「わたしは…、兄妹だったと知って、うれしいのです。」

 セリスはその反応を予期していたかのように、にっこりと笑った。 いつものセリスが得意とする笑みを凝縮した、最高の笑顔だ。
 「うん。そう言ってくれると、気が楽になるよ。」

 セリスの心は、決して叫んでなどいなかった。
 自分の心を支えてくれた大切な人が、妹だとわかって。
 慣れない政治の世界の中で、ただ一人、心を分かち合える仲間として、 妹として、ずっと自分の傍にいてくれる。
 これ以上、何を欲することがあるだろうか。

 ユリアの心は、決して泣いてなどいなかった。
 自分を救い、導いてくれた大切な人が、兄だとわかって。
 これからの人生の目的を見失いそうな自分を支える指導者として、 兄として、ずっと自分の傍にいてくれる。
 このうえ、何を望むことがあるだろうか。

 「これが…運命なのですね…」

 セリスは、胸に手を当てて宣言した。
 「私は、王になる。この荒れ果てたグランベルを建て直す。 これは、とてつもなく難しいことだろう。でも、やらなければならないんだ。 そのためには、私の全てを犠牲にしてでも…。 でも、苦しいときは、きみに妹として助けてほしい。」

 ユリアは、目の前に手を組み、厳かに告げた。
 「わたしは、シグルド様へのつぐないをします。 旧帝国の娘として、政治の表舞台へ出るわけには参りません…。 ですが、陛下がお困りの時は、できる限りお助けしたい…。 そして、家族として、心の支えになれたら…。 陛下…いえ、セリスにいさま、とお呼びして、よろしいでしょうか…。」

 正しかった。
 議論の余地など、無かった。
 そもそも、何を議論しようというのだろうか?
 もともと、二人に用意された道は、ただ一つなのだ。
 世界は二人に、究極の台本を用意した。
 セリスとユリアは、それを完璧に演じるだけでよい。

 夕日が、蒼と紫の二人を真っ赤に照らす。
 オレンジに照る草花たちの上を長く伸びる二人の影。
 二人の表情に、涙も感動もなく、ただ完璧な笑顔があるのみ。
 二人は立ち上がり、正面を向いて、手に手を取り合った。

 その光景は、天界の園のごとく、美しかった。
 二柱の神による、聖なる約束のように。

 「たった二人の家族。ぼくたちは…兄妹だよ。忘れないでね。」
 「はい…にいさま。」


 中庭の外から、慌てた口調の呼び声が聞こえてきた。 セリスは普段、道草を食ったりしない性質だけに、こんなところに いるとは思われなかったのだろう。ずいぶん発見が遅れたものだ。
 「あ、しまった。明日の戴冠式の準備、しなきゃいけなかったんだ。」
 「長く引き止めてしまって、すみません。わたしも、にいさまを お手伝いします。」
 早足で文官たちのもとへ行ったユリアは、 文官の小言を一手に引き受けることになった。
 セリスももちろん彼女の後に続かなければいけないのだが、 その前に、それまで握っていた左手を開いて、中を見てみた。 さっき池に落ちそうになるまでして手に入れたものが何か、 気になったのだ。
 それは、薄い薄い桃色の、ひとひらの…。
 「…花びら…?何の、かな…?」


 翌日。
 セリスは城壁の上で豪華な冠を頂き、集まった大観衆の歓呼に 手を振って応えた。
 伝説を引き継いだ聖王の誕生を、国民は熱烈な歓声で迎える。
 ユリアは彼の斜め後方で、その様子をひっそりと見守っていた。

 グラン暦778年5月。
 セリスは新グランベル王国の王座についた。



 二人は、気づいていただろうか。
 その上で、あえて無視していたのだろうか。
 自分たちが、神でも聖人でもない、二人の人間であることに。

 その日、セリスとユリアが施したのは。
 悪魔の混沌への道を断ち切る英断であったのか。
 悲しすぎる現実から目を反らす、モラトリアムであったのか。
 自らの真の気持ちへの永遠の封印であったのか。


 二人だけの間に交わされた、聖なる約束。
 それは、二人の関係の決着ではなく、手をとりあって歩く長い道程の、 始まりの始まりにすぎないことを。
 知っているものは、今はまだ誰もいなかった。



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