|
青玉の薔薇
世の理を逸せし花は、深海のごとく蒼き薔薇。 神の手ならず生を享けれど、そはただ佇み、生くるのみ。 「…では、本日の謁見はこれにて終了!」 聖戦が終わり、バーハラで王としての日々が始まってから、 しばらくの時を経た春の日。 セリスは呼び出し兵の声を背に、いまだ慣れない王冠を脱いで文官に預けると、 わずかな休憩時間を満喫すべく、緑あふれる中庭へと向かった。 中庭の広場から脇道に入り奥へ進むと、やさしい陽の光に照らされて 赤、黄、白といった華やかな色をふりまく花たちの姿が見えてくる。 セリスがたどり着いた花壇の入り口には、そんな花たちよりも可憐な 一人の少女がたたずんでいた。 「セリス様、ようこそ。」 「お待たせ。ここがユリアの言っていた場所だね」 少女…ユリアの銀髪がなびき、彼女は華麗なる花の園をやさしく見つめる。 セリスもその花を間近で見る。ユリアから受けるそれよりも、 強く明るい印象を抱かせる花たちだった。 「…この花は?イザークでは見かけなかった花だけれど…。 ずいぶん派手というか…色が鮮やかで、とても綺麗な花だね…」 「これは、薔薇です。ここはバーハラに古くから伝わる、 王室の薔薇園なのですよ。」 「えっ?これ、全部が?」 セリスは目を丸くした。多くの色がまざりあう この花壇を見て、複数の種類の花があると思っていたようだ。 「はい。薔薇にも種類があります。紅薔薇、紫薔薇、黄薔薇、白薔薇… オレンジ、朱色、桃色…さまざまです。 ですが、どんな色でも、ひとつひとつが薔薇なのですよ。 細やかで…美しい形をしています。」 「そうだったんだ。ここには、全部の種類の薔薇が植えられているの?」 「全部かどうかは分かりませんが、大陸で知られている薔薇の ほとんどの種類が集められ、植えられているはずです。 …ただ、昔…黒い薔薇が見つかったときは、不吉だと言われて 薔薇園には迎えられなかったそうです。古のロプト帝国の軍団は ベルクローゼン…黒薔薇と呼ばれていたとか…。」 「そういえばここに、黒い薔薇はないね。…あと、青い薔薇も」 「…ええ…ですが…」 「…?」 何か言いよどんだユリアは、そのまま目を伏せ、沈黙した。 ユリアは花を愛で、セリスはそんなユリアの横顔を眺め。 そんなひとときを過ごした後、セリスは執務室へと戻っていった。 数日後、セリスのもとに奇妙な知らせがもたらされた。 不思議なものが見つかったので、見て欲しいという。 セリスが城の地下に行くと、そこにはユリアが一輪の花を手に待っていた。 ユリアの背後の壁はわずかに開き、すえた匂いが漂ってくる。 「ユリア…それは?」 「ここには、ロプトの魔道研究室が隠されていたのです。捜索したのですが、 もうほとんど何もありませんでした…、いくつかの書物と、 この花だけを残して。」 ロプトの研究室にあった、新しい薔薇の花。ユリアの手にあったそれは…、 深い海のように、透き通るような蒼でその身を染めていた。 それを手に、ユリアは青に染まった花びらをじっと見つめる。 セリスも、吸い込まれるようにそこに目をやり…、 ぞくっと、背筋が震えるのを感じた。 「何だか…不思議な感じがする。他の花とは違うような…」 青い色の花というのは、他にも見たことがある。名前は忘れたが、 雨季の水辺に咲く青い花はきれいだった。 だが、目の前の、この存在から感じるのは…、何かが違う。 息を呑むような透明感、宝石のような素晴らしい美しさ。 見る者をして、どこか心に引っかかるものを持たせる。 平静ではいられなくさせる、この世の理ならぬ存在のような…。 「セリス様も、そうお感じになりますか。 それは、この薔薇が…、自然でない存在(もの)だからなのでしょうね。」 セリスの思いに反応したかのように、ユリアが語り始めた。 「自然でない…?」 「はい。そもそも青い薔薇というのは、この世にはありえない存在なのです。 赤、黄、白…薔薇はさまざまな色になりますが、ただ、 青にだけはなることができないと。 薔薇は、自らを青く染める力を持っていないのだと。 そう、言われていました。」 「……」 「研究されていたのです。…薔薇を、青く染めるため。」 静かに告げてユリアが取り出したのは、ぼろぼろの書物。 染まらぬ薔薇を青く染めるために、苦心を重ねた記録であろう。 「ロプトの魔道士が、なぜ青い薔薇を求めたのか…、 それは分かりません。分かるのは…その夢が、ここに達成されたことです。」 部屋の奥から、ひとりのバーハラ文官が現れた。 「これは…恐ろしいことです」 蒼白な顔をした彼は、少しどもりながらセリス王に礼を行い、 説明を始めた。その内容はユリアが言ったことと同じであったが、 かなり憔悴しており、説明の合間に歯が鳴る音が聞こえてきた。 「これは、人が手を出してはならない領域だったのです。 神が定めたもうた、命の領域。そこに手を加えるなど、 人として決して許されることではありません」 魔道士による研究は、薔薇という生物の「命の仕組み」を解き明かし、 そこの「花の色を決める」部分を魔道の力を借りて捻じ曲げる ものであったという。 それによって生み出されたのが、この青き薔薇。 「これは…不吉です。ロプトの研究など、一日も早く 廃棄するべきではないでしょうか」 神官でもある彼はぎゅっと目をつぶり、ブラギ教の聖印を手に持って 悪魔祓いの祈りを始める。 セリスがもう一度静かに花が開く姿に目をやり、そしてまた、 背筋に冷たいものが走るのを感じた。 薔薇の扱いはユリアに任せ、セリスは政務に戻った。 その夜、セリスがなぜか眠れず、城の廊下を歩いていると、 中庭の奥のほうからかすかな歌声が聞こえてきた。 「あれは…?」 木々のさわめきのような、砂浜の波打つ音のような、 やさしい歌声。セリスの足は自然にそちらへと向いていた。 「ユリア…」 薔薇園の入り口で、セリスが見た歌姫の姿。 月明かりの下で青白く輝くその顔は、かすかに愁いを帯びているようにも見えた。 「ごめんなさい、起こしてしまったでしょうか。」 セリスが現れたのに気づいて問いかけるユリアに、 セリスは軽く首を振って微笑む。 「大丈夫だよ。ぼくも少し眠れなくてね。」 見るとユリアの手には、あの蒼い薔薇があった。 彼女は小鳥を抱くようにそれを手に取り、先ほどの優しい歌をまた少し口ずさむ。 どこか遠いところで聞いたことがあるような…かすむ記憶を辿りきれず、 セリスは尋ねる。 「…それは?」 セリスのあいまいな問いの意図を正しく察して、ユリアは答えた。 「子守唄です。小さい頃、かあさまがいつも聞かせてくれた…」 そこで会話が途絶える。 月明かりに光る銀髪をなびかせ、今は藍色にも見える薔薇を持って、 ユリアはただ静かに立っている。 その無表情からは、セリスといえども感情を読み取ることはできない。 …だから彼は、口を開いた。 深いところにある真意を、読み取ろうとして。 「そういえば、聞いてなかったね。 …ユリアは、どう感じるの?この…青い薔薇を。」 問われるのを予感していたからだろうか。 ユリアは静かに彼の視線と問いかけとを受け止め、胸に手をやって深呼吸した。 「もし仮に、花に心があったなら…、」 夜風の音にかき消されそうな、かすれるようなユリアの声。 だが彼女の言葉にはぴんと芯が通り、セリスの心の奥底へと響いていく。 「…どんな色に染まっても、ただ花開き、生きようと。 きっとそう思うのでしょう。」 ユリアはそう言って、優しげに目を伏せ、一輪の薔薇を近づける。 触れるか触れないかという程度に、その花びらに頬を添えた。 「ユリア、きみは…」 言いかけて、セリスは絶句する。ユリアの視線に、射すくめられた。 理解したのだ。青い薔薇は、ユリアをうつした鏡であることに。 ロプトの陰謀のもと、闇の血を受け継ぐ存在として生まれたユリウス。 偶然か運命か、同時に光の血を受け継ぐユリアがこの世に現れた。 竜の血と人の思いが交錯した存在に、背負わされたのは深く暗い宿命。 闇を打ち倒し、光はこの世に「平和」をもたらした。 それが兄殺しを意味することなど、誰にも省みられることなく。 人の手により歪められた属性を身にまとっても、願うことは変わらない。 青という不思議な彩を持つ花も。ユリアという竜の血を受け継ぐ人も。 この世界に、受け入れてほしいと。 ユリアは我が子を抱くように、氷のような薔薇を胸の前で掌に包む。 青き薔薇の幾重にも重なった花びらの先端を、同じように繊細な ユリアの白い指先がそっとなでる。 そのとき、薔薇の花びらの先から、青く透明に輝くものが零れ落ちた。 青白い月光の下、きらりと光る、一粒のサファイア。 それは夜露であったのか、それともユリアの瞳からの…。 明くる日、セリスとユリアは、バーハラの薔薇の園に青い薔薇を植えた。 空の青よりもっと青い花は、白、赤、黄の彩りをなす花園の中でも いっそう華やかに目をひく存在である。 人の手で人と異なる宿命を与えられた存在に対し、 その不安定さを受け入れ、手を取ってともに歩むという意思のあらわれ。 ユグドラルの全てが集まる薔薇園の一員に、蒼き薔薇も今日から加わる。 二人は、そこにいる皆でユグドラルの世を生きる決意を、 青玉の薔薇に託したのだ。 青が加わった薔薇園の、その次世代がどうなるのか、 今は誰にも分からない。 それでも、生まれてきた命を…祝福したいと、二人は思う。 「きっとみんな、受け入れてくれます。セリス様の、色ですから。」 そう言って、ユリアはかすかに微笑んだ。 |