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7節・出発
その日の夜。セリスは村人たちを別荘に招いた。 バッツは、リルルと手に手を取ってやってきた。その後ろにはシムソンが立っている。 彼の足の怪我は、パルマークの回復の杖で完治していた。 シムソンの表情は、時に卑屈に、時に強がっているように見え、 どのようにセリスやバッツ親子に接して良いのか迷っているふうであった。 ケインは疲れて家で休んでいるという。セイラムは、適当に野外で時間を潰し、 バッツたちに遅れてセリスの別荘にやってきた。他の村人も、 手の空いている者はぞろぞろとここを訪れている。 セリスも村人も、平服である…「平服」とは言っても、格の違いはあるのだが。 振る舞われた食事も、味は見事だったが、食材としては村人もよく口にするもので、 特に豪華という印象は無かった。酒は少ししか出なかったものの無礼講という、 奇妙な交流の場であった。 そして、セリスは一人一人の村人に話を聞いた。 身分の壁を意識せずに村人と話をするのが、セリスの意図だった。 昼間にも、お互いに身分を意識せずに本音をぶつけあったこともあり、 セリスの目論みはほぼ的中した。 「国王陛下、私の無礼な言動、平にご容赦下さい。」 そのバッツの謝罪を、勿論セリスは笑って受け流した。 この場では、昼間のような接し方で良いというセリスを、 彼よりずっと背の高いバッツは頼もしそうに見つめた。 「陛下…、正直なところ、私にはまだ、これをやり遂げる自信はありませんな。 シムソンたちを信じたわけではないのです。殺してやりたいほどの気持ちは、 まだ残っています。 ですが…、陛下のお言葉で、しばらくの間、我慢してみようという気になりました。 …そのように解釈して頂きたいですな。」 「…我慢の限界が来そうになったら、私や、他の村人に話すことですよ。」 バッツの注文に、セリスは助言で応えた。 身分も年も背も離れた二人の目が、対等の位置で交錯した。 「セリス様。私には、サラ様をお守りする役目があります。 しかし、私の知識が役に立つのであれば、いつでも呼びつけてください。」 「分かった。そのうち、バーハラに来てもらうことになるだろう。」 セイラムは、セリスとそんな言葉を交わした。 この二人は、それだけで十分に意思を通じ合わせることができた。 「セリス様ぁ、ごめんなさい〜…。あたしが、もっと早くセリス様に言えば よかったんですぅ。…でもぅ、セリス様って、ロプト教の敵だって思ってましたぁ…。」 リルルは、手を胸の前で組み、瞳をうるうるさせてセリスに訴えかけた。 その様子に、少し昔のラナやティニーを連想し、懐かしさにセリスの頬が緩んだ。 「だってぇ、セリス様って、マンフロイとかを倒したんでしょ…?だから、あたしぃ…。 …でもぉ、シムソンを助けてくれて嬉しいですぅ」 「うん。そう誤解されても仕方ないと思う。だけど、ぼくが嫌いなのは ロプト教徒という肩書きじゃない。子供狩りなどの悪行だ。 …だから…、シムソンが悪い事をしないように、君がしっかり見張っていないとダメだよ。」 セリスの言葉に、リルルはあごの前でこぶしをぎゅっと握って唇を噛み、 真剣な面持ちで首をこくんと縦に振った。 「ええ。あたしもぉ、たまに感じるんですぅ。シムソンは善い人なんだけどぉ、 村ではやっちゃいけないこととかぁ、まだよく分かってないところも少しだけあるって…。 あたしがぁ、シムソンを護りますぅ。…だってぇ、あたしぃ…」 そこまで言ったリルルは、急に口篭もって周囲をきょろきょろと見回した。 その林檎のような頬にいじらしさを覚え、セリスはリルルの耳元に囁きかける。 「…シムソンと、一緒にいたいから……、というのは、言わなくてもいいよ。 …言いたいのなら、彼の目の前で言ってね。」 「あうぅっ!!セリス様ぁ…」 さらに顔を火照らせ、じたばたするリルルを尻目に、セリスは次の相手に向かった。 「陛下、見事な裁きでした。」 一仕事を終えた満足の表情で、老書記官パルマークは自らの息子よりも若い国王を労った。 実際、彼は今回のセリスの働きぶりに満足と驚きを持っていた。 これが、王家の血と言うものだろうか。セリス自身の資質と努力、 オイフェたちの教育の賜物とも言えるだろう。 もちろん、今回のセリスの決断が吉と出るか凶と出るかは、パルマークにも分からない。 分かりやすい「反ロプト」の旗印に比べ、この方針は分かりにくく、実現も難しい。 国を安定させづらいということを、パルマークは危惧せざるを得なかった。 だが、何よりも、これまで今ひとつ主体性の無かった国王としてのセリスが、 自らの国を導く先を明確に示したことが、前進である。 そして、アルヴィスの流れを汲むセリスの理想自体にも、 パルマークは共鳴するところが大きかった。 「パルマークは、私の考えに賛同してくれるだろうか?」 「仰せのままに。同じ茨の道ならば、より多くの者と一緒に歩みたいと考えます。 ロプト教徒と共に歩めるのならば、より喜ばしいものです。」 「しかし、陛下。何も一緒に住まなくても…。 仮にロプト信者を生かすとしても、ロプト教の国を作って、 そこに住んでもらうような…『住み分け』をしては如何でしょうか?」 パルマークの部下の文官が、セリスに進言した。 セリスは、質素なグラスを片手に暫く目を宙に泳がせていたが、やがて答を出した。 「住み分けは、この場合、良くないだろう。 ロプトの血を引く者がそこに入った場合、ロプト復活を止めるのが難しくなる。 私達みんなの手で、復活を止めなければいけないんだ。」 国王の輝く視線に、パルマークたちは畏敬の念を新たにした。 「陛下…、本当にありがとうございました。」 痩せた元魔道士は、そういってセリスに頭を下げた。今の服装は村人の標準的なものであり、 周囲の風景にある程度馴染んでいる。ただし、くぼんだ頬と男のくせに細い腕は、 多少の違和感を残していた。 「もしかしたら、ぼくも子供狩りに加わっていたかもしれない…。 リルルさんと出会ったことで、自分が変わったような気がします。」 シムソンは、そう言って、自分を救った少女を遠くに見やった。 セリス自身も、反省しなければならないことがあった。 シムソンと初めて会ったとき、剣に手をかけてしまった自分…。 セリスはそれを恥じ、シムソンに謝った。 シムソンが当惑したのは当然である。だが、セリスはシムソンに自分の気持ちを説明した。 それはある価値観では当然かもしれなかったが、その行動の奥に、シムソンの外見から 彼を疑った自分の気持ちが問題なのだ。その姿勢では自分の理想が実現しない、と。 この謝罪は、これからの自分が導く先を自分に示す儀式なのだ、とセリスは言った。 そして、セリスもまた、図らずもこの村をセリスの真実に導いた少女を遠くから見つめた。 「…一緒になりたいだろうけど、焦らないでね。『結婚』というのは、 ただ二人が一緒になることじゃなくって、それをまわりが…、社会が認めることなんだって。 私の育ての母のエーディンから教わった言葉だ。」 セリスに諭されたシムソンは、今度は彼女の父の隆々とした背中を見つめた。 「長い戦いになりそうですね。」 こうして終わった一日。それは、霧に包まれた坂道の入り口だった。 今日はひとまず、セリスの名前と真剣な眼差し、脅迫めいた啖呵が勝った。 だが、押し付けられた「セリスの真実」を心から受け容れたものは、村人の中には殆どいない。 ここから先も、一触即発の、長い長い綱渡り…。 それでもセリスは、この難しい道を選んだのだ。 「父上、母上…。アルヴィス皇帝…。見ていてください…。」 誰もいなくなった部屋で、セリスは一人、晧晧と照る月に過去の影を見ていた。 「きみが言ってくれたこと、ようやく少しだけ分かった気がする。」 自らの腰を預ける柔かい椅子に対し、いまだに拭えぬ違和感を感じながら、 セリスは傍らの少女に語りかけた。 あれから、また1週間ほど過ぎた。 ケインが行方不明になった事件の真相を知る者は、ケイン自身しかいない。 彼はそれを語りたがらなかったが、暫く経って父に打ち明けた。 虫捕りに行って、夢中になって蝶を追いかけているうちに迷子になってしまったという。 日が暮れて困っているところにセイラムと出会い、助けてもらったとのことだった。 バッツは、ケインに真実を語る重要性を諭したという。 それはきっと、自らに向けての言葉でもあったのだろう。 旅先で貴重なものを得たセリスは、バーハラ城に戻り、 政務に追われる日常に戻っている。今は、ユリアと共に休息の一時を過ごしていた。 セリスは、村での出来事を、洗いざらいユリアに伝えた。 ユリアは、静かな面持ちでセリスの体験談を自分の中に消化しようとした。 一通りの話を終えたセリスは、テラスの向こうに広がる森に目をやった。 そこは、かつてユリアと共に訪れた、アルヴィスの仮の墓がある場所である。 今思えば、あそこが彼の原点のひとつとなっていた。 「ユリア、ついて来て。」 セリスは、ユリアに笑いかけ、そう告げて、テラスから物見台へと上がって行った。 「ぼくが、岬で父上と母上の姿を見たとき…。父上は、ぼくに言ったんだ。 『セリスよ、思い上がってはならぬ。アルヴィスが倒れたのは おまえの力ではない…。』って。そして…。」 セリスは、壮大な景色を見やりながら、ユリアに、そして自分自身に向けて語った。 ユリアも静静とついてきている。ここからは、アルヴィスの墓のある森も、 シグルドやディアドラの幻と出会ったシアルフィの岬も、見渡すことができた。 そして、彼はユリアに向き直った。彼女もセリスの動きを見て、彼に一歩近づき…、 二人は、正面から見つめあった。 「『セリスよ、人の悲しみを知れ。真実は一つだけではない。』 …シアルフィの岬で出会った父上から、そう聞いた。 『それがわからなければ、この戦いは無意味となろう…』と。 だからぼくは、その意味をずっと考えつづけていたんだ。そして、ひとつの答を出した。」 ユリアの瞳は、自分にまっすぐ向かってくるセリスの言葉と気持ちを、 正面から受け止めた。 「バッツも、シムソンも、心の悲しみを背負っている。それが、 一つだったはずの真実を、バッツの真実とシムソンの真実、二つに分けてしまった。」 セリスの言葉の真意を、ユリアは正しく理解した。 「同じように、昔の王家の真実と、ロプト教団の真実は違ったのですね。 自分の視点を押しとおして、互いに相手の存在を認めなかった…。」 「そう。それを理解しない限り、戦いは繰り返される…。 父上は、それを言いたかったのではないだろうか。」 セリスは、再び周囲を見渡した。山は、海は、どこまでも続く。 どこ一つ取っても、他と同じ風景ではあり得ない。世界は、あまりにも広いのだ。 「ひとりひとりが…、心の中に、別々の世界を持っている。 人の悲しみが、世界を根底から覆してしまうことも多い。 一つの世界を、真実を、全員が共有することなんてできないんだ。 でも…、だからこそ、どんな時にも、少しでもそれを近づけ、 共有できる部分を広げる努力が必要だと思う。 それが、人と人の触れ合い、心を通わせる、ということだから…、 それがない世界は、寒すぎると思うから…。」 そんな言葉を、セリスはぽつぽつと浮かべ、風に載せていった。 いつの日か、この大陸のあらゆる人に届くことを祈って。 「…わたしも、セリス様の夢に乗せていただいて、よろしいでしょうか?」 切実に問い掛けるユリアを、セリスは初めて心からの笑顔で迎えた。 「もちろん。きみの力が必要だ。一緒に、頑張ってほしい。」 セリスが風に託した言葉は、まず、ユリアの心に届いた。 |