|
6節・決断
「セリス様…。」 バッツは、この問題に介入しようとする 若き国王を見る視線の中に、苦々しさを隠せなかった。 本来ならば、このような問題が起きた場合に、その場にいる人の誰もが 納得するような形で裁くのが、王たるセリスの役目である。 もちろん、地域の細かい問題まで全てセリスが裁き切るわけではないが、 このような場にセリスが居合わせたのならば、彼が裁くのが自然であろう。 だが、この村はロプト帝国支配下の時代を除いては 歴史的に自治権が強かった。自分たちの問題は、自分たちで解決する。 その独立意識と村の中の連帯感が、彼らの誇りであった。 シムソンが村に入ったのが歓迎されなかったのにも、そのあたりの事情がある。 だが、国王を蔑ろにするわけにもいかない。バッツは気を取り直した。 「セリス様…、いえ、国王陛下に、この件の処置はお任せいたします。」 バッツは、自らの意思とは異なる発言を行った。 青く晴れ渡る空のもと、照りつける日差しが皆の肌に汗を浮き出させ、 忙しなく鳴く虫の音が、村の者にはやけに煩わしく感じられた。 バッツは、セリスが昨日すぐにシムソンを捕らえなかったところを見て、 シムソンがお咎め無しにされてしまう危険を感じていた。 だが、さすがに国王の決には逆らえない。シムソンが生き延びようとも、彼はロプト教徒だ。 セリス王が然るべき処置を取るだろう。彼がこの村を去ればここは平和になる、 それで我慢しよう…。そう覚悟した。 シムソン、セイラムは、一見したところ平然としてセリスを見ている。 ひとまずセリスの考えを聞いてから、自分の動きを決めようとしていた。 …いや、セイラムの方は、どちらかというと安心していたのであるが。 ここの中で、最もセリスの言葉を恐れていたのは、リルルであった。 「セ…セリス…様ぁ…。」 彼女はセリスを正視できず、顔を後ろに向けて耳を塞いだ。 シムソンが彼女を促さなければ、リルルはセリスの言葉を聞き逃していたであろう。 セリスは、護衛の兵士をほぼ引き払わせていた。自分の言葉を、 武力を背景にした押しつけと感じさせないための配慮である。 もっとも、いくら配慮したところで、国王の権力による押し付けとなってしまう事は 避けられなかったが。 パルマーク司祭も、事態を聞いて駆けつけて来た。厳粛な表情の彼を背に…、 セリスは、自らの裁決を皆に言い渡した。 「ケイン君が誰かに連れ去られた証拠も、シムソンやセイラムがそれに絡んでいる 証拠もない。だから、今のところこの件では誰も咎めないことにする。」 やはりな…。バッツは舌打ちしたくなるのを堪えて、次の言葉を待った。 「この後、この件について何か分かれば、またそれで判断する。そして…。」 セリスは、シムソンに近寄る。顔を強ばらせ、シムソンの前に出たリルルに、 セリスは微笑みかけた。安心してほしい、と。…頑張ってほしい、と。 セリスの出した次の言葉は、その場にいる者の多くの度肝を抜いた。 「シムソンは、これからもこの村で暮らしてほしい。 シムソン自身と、村人のうち誰か一人でも、彼がここにいることを望む限り。」 「な…っ…!」 村人の多くが密かに抱いていた、シムソンとの縁を切る目論みは、見事に外れた。 「誰か一人でも、ここにいることを望む」という条件は、リルルによって満たされるであろう。 すなわち、シムソンは村にのうのうと居座ることになる。 それでも、村人の多くは、セリス王の指示には従う以外の対応法を持たなかった。 そんな中、ただ一人…。 「…なぜ、そう仰るのか…。お聞かせ願いたいですな、陛下。」 国王の前に堂々と歩み出て、威圧感のある低い声で村人の気持ちを代弁したのは、 バッツに他ならなかった。国王に対して無礼とも取れる彼の行動を、 しかし、周囲は心の中の拍手で迎えた。 一方、心に焦りを覚えたのは、パルマーク司祭である。 突拍子も無いセリスの裁定は、パルマークにとっても意外だった。 だが、さらに、それに素直に従わない人間が出たことは、彼の心を大きく揺り動かした。 セリスは、適切に彼らを説き伏せなければならない。 もし、セリスの気持ちが曖昧なままで、うまく説明できなかったならば、 逆に村人に押し切られ、セリスは前言を翻らせざるを得なくなるであろう。 それは、セリス王の威厳に傷がつくことを意味していた。 自分は、セリス王を補佐する者として、王の真意を汲み取り、 その正しさを判断し、動かなければならない。 セリスの国王としての器と、自分の能力が、同時に試される場面である。 パルマークは、穏やかな表情の裡に、セリスを助けると決めた覚悟をおさめた。 そして、当のセリスは…。 「村人の皆さんには…、不服があるかもしれない。 だけど、これは平和のために必要なことなんだ。」 セリスは、注目する一同を見渡して、両手を前に広げた。持ち前のカリスマ性に加え、 これまでも軍内での演説などの経験を積んできたこともあり、なかなか堂に入っている。 次に、自分の目の前に進み出ていたバッツを、鋭く見つめてセリスは告げた。 「バッツさん。さっき、『ロプト教は消えねばならん』と私は聞いた。…ということは、 …シムソンたちが、ケインをさらった犯人でなくても… 彼を倒す、という事になるだろうか?」 「それは…。」 村人の一人が、声を上ずらせた。 このセリスの指摘は、鋭かった。 『シムソンがケインをさらった』という名目で、厄介払いをしたいという本音を、 村人の多くは自覚していなかった。その本音は、シムソンがロプト教徒であるという事実が 明るみに出るとともに、彼の抹殺へと変わっていた。 そしてそれは本質的に、この事件そのものとは無関係だったのである。 それを最初から自覚していた男は、国王の尋問に堂々と開き直ってみせた。 「……然様です。セリス様なら、お分かり頂けるでしょうな。 ロプト帝国のやつらは悪魔です。それを打ち払わずして、平和はあり得ません。」 セリスはその言葉に、これから自分が歩もうとしている道程の遠さを感じ、 一瞬気が遠くなった。しかし、気を取り直して、…しばらく考え、 ゆっくりとバッツに向かった。 「それは突き詰めて考えると…、結局、ロプトウスの血と、 ロプト教徒の無い世界を目指す…ということになるのでは?」 「セリス様は、それを目指してきたのではありませんかね?」 即座に返ってきたバッツの問いに、セリスは視線を足元に向けた。そこでは、 信じられないという面持ちで濡れた目をぱちくりと見開いたリルルが、 ずっとシムソンの腕を抱きつづけていた。 リルルの一途な思いを見つめ、セリスは言葉を続けた。 「ロプトを信じる人を、全て排除することによって、世界が平和になるだろうか? …いいえ。そのようなやり方は、実現不可能なんだ。 少なくとも、恐ろしく遠い道のりであることは間違いない。」 「セリス様たち聖戦士が…、そして我等が力を合わせれば、できると思いますがね。 我等の思いは強いのです。」 「そう…、その『思いの強さ』が、問題なんだ。それは、こちらだけでなく、 向こうにもある。それは…、数年前の私達を思えば、分かるだろう。」 バッツの言葉に、セリスはすかさず対応した。そして…。 「国王陛下。僭越ながら私が補足させて頂きます。」 パルマークが、セリスの言葉の後を継ぎ、村人に演説した。 「ロプト教団は、自らの考えに反する者を、皆殺しにしようとしました。 しかし、そのために、セリス様も、あなた方も、…多くの人が、強く反発したのです。 それは…」 パルマークは、この場の誰もが共感できる豊富な具体例を交えて、 歴史を淡々と説明した。また、その解釈においては、 セリス王の強い思いが正しく受け止められ、反映されていた。 「…ベルクローゼンを始めとするロプト教団がどんなに執拗に人々を付け狙っても、 周囲の人は一致団結して弱い者を、子供を、逃がしていきました。 ロプト教団に反抗する気持ちを胸に秘め、子供に伝え、記録に残して、 綿々と受け継がせていきました。一度反乱を起こし、たとえ鎮圧されても、 その志は残り、やがてまた次の反乱が必ず起こる…、そのような状態になったのです。」 セリスの心は、パルマークの応援に強く支えられた。 自分の気持ちは決まっているのに、それを言葉にして表現できないもどかしさ。 それは、若者にしては交渉経験豊富なセリスでさえ感じるところだった。 パルマークは、自分の意思を汲み取り、豊富な知識と経験を生かして 見事に村人の共感を呼んだのである。 セリスは、パルマークの後を受けた。 「…分かるだろうか。私達がロプト教を根絶やしにしようとしたならば、 これと同じ抵抗を、ロプト信者から受けることになる…ということを。」 村人の多くは、明らかにうろたえた。 「どういう…事です…?」 「聞いたことがあるだろうか。以前のグランベル王国ができてからの、 ロプトの歴史を。考えたことがあるだろうか。彼らの気持ちを…。」 セリスの言葉を、再びスムーズにパルマークが受けた。 「以前、ロプト帝国を滅ぼした十二聖戦士…。彼らが作った新しい国では、 ロプトウスの血を引く者を根絶することを目標としました。 しかし、ロプト信者たちはイード砂漠の神殿に引きこもり、静かに時を待ったのです。 どんなことをしてでも生き残り、ロプト帝国を復活させるという、強い意思を持って。 そして…、それは、実現したのです。それからの悲惨さは、私達が知る通りです。」 その真実を最も良く知る者…セイラムは、目を瞑り腕を組み、 ただ黙ってその言葉を聞いていた。 「押さえつける力が強ければ強いほど、反発もまた強い。」 そう、セリスは締めくくった。 セリスは、ロプトの現実を知る者…シムソンとセイラムを見て、 また次のテーマを挙げた。 「ロプト帝国の人間は、悪魔だと言った。…そうかもしれない。 だけど、それは彼ら自身だけの責任ではない。 彼らをそこまで追い詰めたのは…、私達が、ロプト教徒を消そうとしたから…。 そういう原因もある。」 「しかし…、ロプト帝国のやつらは、実際に我等を殺したではないか! 捨て置くわけにはいかんのです!」 拳を震わせるバッツの思いを、セリスは怖気づくことなく受け止めた。 「その思いは、私も同じだ。ロプト帝国の子供狩りや略奪は、止めなければいけない。 だけど…、私達が憎むのは、悪しき『行い』なんだ。宗教じゃない。 …ロプト教徒でも、正しく生きる人に対しては、正しく迎えなければ…。」 「『差別』とは、人間を、一つの肩書き…あるいは、側面から判断することを言うのです。 女のくせに…とか、ヴェルダン人だからとか、…ロプト教徒だから、とか…。 女は戦場に出るな、などという言葉は、まさに偏見…。ラクチェ殿を一目見れば、 二度とそのような言葉は吐けなくなります。同様に、ロプト教徒に対しても、 その肩書きではなく、一人一人の中身を見定めよ…。 そう仰りたいのですな。」 セリスとパルマークとの連繋は、事前の準備が皆無だったとは思えないほど見事だった。 シグルドとアルヴィスに仕えたパルマークは、その二人の後継者になろうとする セリスの理念を、自然に理解していたのかもしれない。 セリスは、元ロプトの暗黒魔道士を手で示した。 「先程の、セイラムの言葉は本当だ。私と、トラキアのリーフ王が保証しよう。 彼は今や、ロプト教徒ではない。だが、昔はそうだった。そんな彼でも、 私達解放軍の貴重な戦力として活躍してくれた。 他にも、ロプト教に関わった事のある方が、私達の力になってくれた事は多い。」 セリスは話には挙げなかったが、サラとエーヴェルの事を意識しているのだろう…、 セイラムは、目を細く開き、そう読み取った。 「彼らは、初めから私達のすべてと打ち解けあったわけではない。 だけど、行動で、お互いを理解しあったんだ。」 セリスは、シムソンをじっと見つめて告げた。 シムソンは、セリスに自分の心の底を見透かされたように感じ、背筋を寒くした。 自分に足りない物が何か、ずばり言い当てられたのだ。 「理解し合うことを、諦めてはならない。話し合えば、正しい知識を得れば、 …いつか、『そこに居る』ことを許せるようになると思う。」 「それが、反対勢力を戦争で切り捨ててきた人の言葉ですかね?」 「……なっ!?」 セリスに真っ向から立ち向かう言葉を、バッツは放ってしまった。 国王に向ければ、相手によっては侮辱罪として切り捨てられかねない言葉である。 パルマークも、少数のセリスの兵士もさすがに色をなしたが、 セリスは手を挙げて彼らをおさえ、バッツに誠実に答えた。 「…戦争の前と後とでは、手法が違っても良いと思う。」 パルマークは気を取り直し、再び自分の役目を果たした。 「かつては、できるだけ早くロプト帝国をなくし、人が人として生きられる世界を 作る必要がありました。そのために、戦争はやむを得なかったのです。 だけど…、今は、そうではない。ロプトウスの脅威は、すぐ目の前には無いのです。 ならば、将来の危険を避けるために、正しく伸びるかもしれない芽を摘み取るようなまねは、 してはならないと考えます。 …そうですな、セリス様?」 セリスが頷くのと同時に、バッツの膝は大地へと落ちて行った。 力無くくず折れる体。だが、その声は投げやりになりながらも、力を失ってはいなかった。 「セリス様…。強いですな…。だから、勝てたのですか…。 ですが…。わしは、わしは…。」 バッツの震える腕が真っ赤に膨れ上がり、持っていた鍬の硬い柄を、 鈍い音とともに強引にへし折った。 「シムソン…あいつは、ロプト教徒なのでは…最初から、そう思っていた。 奴を見るとき、ずっと、妻のことが頭から離れなかった…。 奴がケインをさらったかどうかなど、今ではどうでも良い。 これからも、わしらに迷惑をかけないのかも知れん。だが…。」 バッツの喉から、久しく忘れていた叫びが上がる。 「奴を見ると、妻のことが…あの日のことが、 わしの頭に甦るのだ…!」 リルルは、シムソンの手を握りながらも、顔を半ば伏せ、父を上目遣いに見ている。 ケインは、父の横で唇を噛んでいる。セイラムも、常に無表情だった顔がついに歪んだ。 セリスは今のところ、バッツの真実を知らない。だがそれでも、バッツの言葉を聞けば、 おおよその事情の推察はついた。 バッツは、自分の存在を擲ち、本音を叩きつけた。 「セリス様も、ロプトウスを倒す、バルドの戦士なのでしょう! わしらに、ずっと不安と共に生きていけとおっしゃるのか!」 誰も、何も言えなかった。 夏なのに冷たい風が、青空から舞い降り、バッツとシムソンの…、 見詰め合えない二人の間を、吹きぬけて行く。 バッツ、リルル、ケイン…ロプトの手先に大切な人を奪われた親子。 シムソン、セイラム…ロプトの内と外の世界を知る者。 そして、セリス、パルマーク、村人たちも…。誰も、バッツを責められる者はいなかった。 人には、正しくても、できないことがある。心は、論理では動かない。 人の悲しみに触れたセリスは、暫く動けなかった。 目を閉じたセリス。その瞳の奥に浮かぶのは…。 それでも、『セリスの真実』だった。 セリスも、本音を出した。それは同時に、国の方向性を決定付ける重大な行動でもあった。 自らの血筋を、機密とせず、白日の下にさらけ出したのである。 「ディアドラ…私の母上は、ロプトウスの血を引く、精霊の巫女だった。 つまり…、私自身が、ロプトウスの血を引いているのだ。」 セリスは、村人達のためにこの決断をしたわけではなかった。 もちろん、最終的には村のため、国のためを考えてのことであるが、 それを志した心の底にあったのは…、ごく個人的な思いだったのである。 「もし、ロプトの血を絶やさなければならないと言うのなら…。 まず、私と…。」 …その次の言葉を言うのは、『私と』の部分よりも幾万倍も苦しかった。 セリス自らが、守ると誓った人のことだから。…だが、言わなければならなかった。 自分が王である意味がもしあるのなら、それはきっと、こういうことだ。 「私と、ユリアとを切り捨ててくれ!」 風が…、吹き抜ける。 セリスのマントを、シムソンやセイラムの服を、バッツやリルルの髪を、村人達を…、 一陣の風は、彼ら全てに分け隔てなく接し、その間を通過した。 「ロプトに関わる人を、全て滅ぼして作る国。みんなが作りたいなら、作れる。 途方も無い血の海の上に。…だけど、…」 セリスは、バッツの手を取り、力をこめた。 「歴史から学べることが、ひとつある。憎しみの鎖は、剣で斬ることはできない…。 私は、『一緒にいること』で、それを融かそうと思っている。」 もはや、誰も言葉を発しない。 やがて…、バッツもセリスの手を握り返し、膝を立て…、立ち上がった。 「やれやれ、陛下は人遣いが荒い。この老骨に、とんでもない荷物を負わせるとは。」 セリスに背を向けて、冗談めかしてそう呟いたバッツは、一転して表情を引き締め、 セリスに向き直って跪いた。 「陛下のお言葉……、慎んでお受けいたします。」 |