4節・ふたつの真実


 シムソンの目に、迷いが見えた。苦しみがありありと浮かんだ。 その様子は、村人だけでなく、セリスの胸にも疑惑を広げることになった。 バッツなどは、今にも飛びかからんばかりだ。
 やはり、バッツの言う通りなのか…?

 だが…、周囲の誰もが…、シムソン自身さえ、シムソンを疑っていた中で。 一人だけ、最後までシムソンを信じつづけた人がいた。
 「シムソン…。負けないで…。」
 抱きとめたシムソンの耳元で微かに囁いたリルルは、 彼の眼を覗きこみ、にっこりと微笑んだのである。
 …そして、シムソンの目に、光が宿った。シムソンはリルルに支えられながらも ゆっくりと立ち上がり、バッツを静かに見つめて、告げた。

 「ぼくは、決して子供の誘拐などしていません。ここの掟は守ります。 これからも、そして、これからも。」

 それを聞いたバッツは、一瞬、意外そうな表情をした。 村人の中にも、シムソンに気圧された者は多かった。
 だが、バッツは気を取り直し、深い息を吐いてシムソンを睨み返した。
 「ふん…、まあ、そう言うだろうな。言うだけなら、誰にだってできる。 だが、それが本当かどうかは、分からんのだ。 ケインだって、どう脅され、言い含められているか分からんからな。 神様でもなければ、本当のことは分からん。 あとは、わしらがどう受け取るか、なのだ。」
 そう言ったバッツは、次いでリルルを見やった。

 「リルル、母さんのことを思い出せ。ロプト教は、消えなければならん。 それが、わしらの真実だ!」

 リルルの顔に、動揺が走った。それだけでなく、村人も何かを思い出し、 そして顔を怒りに染めたようだった。

 セリスは、バッツの言葉に計り知れぬ衝撃を受けていた。 「わしらの真実」というものがあるということ。つまり、この世の出来事とは、 ただ一つの真実があって、知る人みんながそれを共有するような単純なものではなく、 同じ現象が見る者によって千差万別となり、それぞれの人の中で「真実」が 形作られていくということ。普段、「真実」と言っている物は、 たまたまそれが言葉の上で一致しているに過ぎないのだということに、気づいたのである。

 バッツの真実と、シムソンの真実。
 それらは、全く異質のものだった。



 バッツにとっての真実を知るには、彼の人生を語らねばならない。

 バッツの人生は、本来ならば平凡なものになるはずだった。
 のどかな村に生を享け、村の掟の元でのびのびと育った彼は、 やがて農民として一人前になり、幼なじみの村の娘と結婚した。 村独自の形式の、つつましやかな式場で、村人ほぼ全員を前に、 ずっとともに生きることを誓った二人。二人の子供をもうけ、 家族で協力して作物を育て、皆がうらやむ仲の良い家庭を築いていった。 やがて、指導力のあるバッツは村の代表のような存在となった。
 この村が、この村だけで存在することができたならば、おそらくそれが 最も幸せだったのだろう。だが、激動の時代はそれを許さなかった。 ロプト教団の魔の手は、この村にまで伸びてきたのである。

 この村は街道から外れていたため、外との交流は少なかった。 必要ならば村人は、自らの腕力と団結力により、盗賊などの外敵から村の自治を守っていた。 偵察でそれを知ったロプト教団は、力による正攻法の侵略ではなく、 別の手口を用いることにしたのである。
 ある日の夕刻、旅装束の二人の青年がこの村を訪れた。道に迷ったという。 バッツは、自分の家の納屋に彼らを泊めた。だが、翌朝出ていった二人は、 怪我をしたと言ってまたこの村に戻ってきた。バッツは訝りながらも、もう一晩 彼らを泊めることにした。だが、この時点ですでに、村の地理などの情報は、 この二人の仲間…ロプト教団の魔道士に伝わっていたのである。
 夜半過ぎ、村の外で火の手が上がった。盗賊の襲撃のようである。 バッツは妻子を起こし、自室にいるように言い聞かせて、外に飛び出して行った。 盗賊は村の外回りを走りまわっていたが、バッツたちが来るのに合わせ、 巧妙な間合いで逃げ出して行った。
 その時、バッツの家から絹を引き裂くような叫び声が上がった。
 バッツは、思わず舌打ちした。ようやく、彼らの真意に気づいたのである。 彼が家に戻ったとき、例の二人組が、子供たち…12歳のリルルと5歳のケインを縛り、 家から逃げようとしているところであった。そして、彼らに組み付いていたバッツの妻を 引きずり倒し、バッツと子供たちの目の前で…。
 彼女の首を、踏み砕いたのである。

 バッツの逆上と、それにより引き起こされた行動は、激烈を極めた。
 敵に子供を人質とさせる時間を与えず、即座に体当たりで弾き飛ばした。 子供たちの無事を確認すると…、あとは、なんの遠慮も要らなかった。 二人を、棒で衝く、殴る。彼らの命を引き裂くまで、そう時間はかからなかった。
 「愚か者め、子供狩りはロプトウス様のご意志…。 純真な子供をロプトウス様の僕として生まれ変わらせようとする我等が理想、 何故理解しようとせぬ…。」
 ロプト教に殉じた青年は、そう言って事切れた。

 それまで、稀に風の噂に聞く程度であった、ロプト教の子供狩り。 冷たくなった妻の体は、ロプト教の名を憎しみとともにバッツの魂に刻み込んだ。
 以来、バッツは見知らぬ流れ者には心を開かず、 男手一つで二人の子供を守り育ててきたのである。



 シムソンの真実を全て知る者は、シムソン自身しかいない。

 バッツに問い詰められた時、シムソンは、迷っていたのだ。自分の罪を、認めようか…と。
 しかし、シムソン自身に、自分が罪を犯した覚えが有るわけではなかった。
 それでも、自分を偽ろうとしたのは…、リルルのことを考えたからである。


 シムソンは、イード砂漠の隠れ家の中で、ロプト教徒の家庭に生まれた。やがて ロプト教団が帝国の実権を握ると、シムソンもロプト教徒となって暗黒魔道士を志した。
 同胞が子供狩りを行い、村を焼いても、特に疑問には思わなかった。 異教徒は人ではなく、殺しても構わない。子供をロプトの僕に生まれ変わらせることは、 神の御心にかなう。そう教えられていた。
 シムソンが変わる第一のきっかけになったのは、セイラムであった。 シムソンの兄弟子であったセイラムは、教団で固く禁じられている脱走を行い、 シムソンに見咎められたのである。
 真面目で思慮深いセイラムに日頃から敬意を払っていたシムソンは、 セイラムの行動に驚愕した。 理由を問い質すシムソンに対し、セイラムは静かに告げたのである。
 「私達は、ロプトウス神のご意志に従って、行動していました。 しかし…、なぜ、ロプトウスの意志は正しいと、言えるのでしょうか?」
 その場では、シムソンは何も答えられず、ただセイラムを見送った。 そして、教団には何も言わなかった。 シムソンの世界観は、この時を境に大きく揺らいだのである。
 それ以来、シムソンは暗黒魔道士の修行に身が入らなくなった。 長い間、セイラム発した疑問は頭から離れず、しかも解決できなかった。 彼の魔力は伸びず、魔道士として落伍しかけた。 シムソンは、自分の生きる意味が見出せなくなっていた。
 そんなある日、シムソンはバーハラ本部への使者となるよう命じられた。 だが、その帰り道で道の横の斜面から誤って転落し、足を骨折した。 そこに通り掛かり、シムソンを助けたのが、この村のリルルであった。 彼女に連れられ、シムソンはこの村にやって来た。
 最初はリルルとバッツの家に居候をして、怪我の治療に励んだ。 余所者を村に入れることにバッツは渋い顔をしたものの、怪我人を放り出すわけにも行かず、 リルルのたっての願いもあり、シムソンを世話することにした。 明らかに異文化の村人達の中で、最初は居心地の悪さを感じていたシムソンであったが、 リルルの献身的な介護によって、だんだん心が落ち着いていくのを感じた。 教団での生活では感じたのとは別種の、心の安らぎを得た。
 一方で、村人から聞こえてくるロプト教団の噂話に、シムソンは愕然とした。 帝国とロプト教団は悪魔と罵られていたのである。ある者は一刻も早いロプト帝国滅亡を切願し、 またある者は家族を教団に奪われて絶望の底にあった。 シムソンは、ようやくセイラムの言葉の意図するところが見えた気がした。 異文化の存在を、シムソンははじめて知ったのである。
 リルルから聞くこの村の生活、新しい世界の話は、シムソンにとって何よりの楽しみだった。 シムソンも、自分がロプト教徒である事を隠しつつ、 旅で聞いた話や科学、魔法などについて話した。リルルは、目を輝かせて聞いてくれた。
 その後、病床でシムソンは衝撃的な知らせを受けた。 セリス達によってマンフロイ、ユリウスが倒れ、ロプト帝国が滅びたというのである。 その知らせは村中を歓喜に包んだが、シムソンは自分の生きる道を見失った。
 傷の癒えたシムソンは、村を去ろうとした。ロプト教徒の自分の居場所が、 この村にあるとは思えなかった。出て行こうとする自分に、リルルが尋ねた。
 「これから、どこに行くの…?」
 「…分からない。もう、この世界に行き先は無いかもしれない…。」
 「…どうしてぇ?」
 そう訊かれたシムソンは、何故か…、正直に答えてしまっていた。
 「ぼくは、ロプト教の信者だったから…。」
 次の瞬間、自分がリルルを酷く傷つけただろうことをシムソンは後悔した。
 実際、リルルも混乱した。これまで見聞きし、 実際に母を失うという形で体験してきたロプト教団の残虐さと、 目の前の優しい青年との間のギャップは、彼女の心を激しく揺り動かした。 だが…、彼女は、より自分の体験と深く結びついた実像の方を信じた。
 「…行かないでぇ…。ここにいて…、シムソン…。」
 自分の背中にしがみ付くリルルを感じ、シムソンは思った。 自分の居場所は、ここにあるのかもしれない…と。
 シムソンは、村の片隅にあった廃屋を自分で改造し、そこに住みつくことにした。
 しかし、シムソンはリルルには心を開いたものの、生活習慣があまりに違うため、 なかなか村に馴染めなかった。そして、所々に現れる仕草や癖から、 彼がロプト教徒ではないかと怪しむ村人も出てきたのである。 シムソンは、孤立を深めていった。
 この事件は、そんな背景の上に起きたのである。

 今日、追い詰められたシムソンは、思ったのだ。
 自分は、リルルと一緒にいたかった。だが、もはや自分はこの村に居られない。 殺される時も近そうだ。…そう感じた時、シムソンは思ってしまったのだ。
 自分が潔白を主張して、村人やセリスに受け入れられずに殺されれば、 リルルは彼女の思いが誰にも受け入れられないことに苦しむだろう。 村の中でも、暮らし難くなるに違いない。 ならばいっそのこと、自分が全ての罪を背負い、リルルに自分を憎ませた方が、 彼女にとって幸せなのではないだろうか…と。
 だが、リルルの眼を見て、考えが変わった。
 リルルだけは、自分を信じている。彼女を、裏切れない。 そして…、できるだけ永く、彼女の側にいたい。
 そのためなら、ぼくは、武器がなくても戦える…。差別という名の、敵と…。

 こうして、シムソンは戦いの継続を決意した。



 バッツは、決して偏狭な男ではない。 あのような経験を持ちながら、リルルがシムソンの世話をするのを許したことを見ると、 むしろ非常に寛容な性格だと言えるだろう。 もっともそれは、リルルの熱意に押されたという要因が大きかった。
 だが、…当然のことだが…、バッツはシムソンの身辺を常に警戒し、 決してリルルがシムソンと二人きりになることを許さなかった。
 この村は、爆発物に満たされた火薬庫だったのである。 今回、そこに火がついたのは、偶然のようであるが…、いつかはこういう事態になっただろう という意味では、言わば必然だったのだ。

 バッツの真実と、シムソンの真実。
 ならば、セリスの真実は、何だろうか?

 セイラムとシムソンに飛びかかる隙をうかがっているバッツたちを前に、 セリスがここで、自らの魂に呼び起こしたものは。
 数ヶ月来、心の奥にしまわれていた、あの場面…、自分を見つめる妹の瞳だった。


 5節「光と闇」へ


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