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2節・胎動
それから、数ヶ月後の話である。 戦災からの復旧は、各地において急ピッチで進んでいた。 戦争により家族も財産も失った人々は数多く、終戦時の国は、 荒れ果てていたと言っても過言ではない。財政も厳しく、 商業・流通網も寸断されていた。未来を担うべき若者たちの中には、戦争に駆り出され、 戦死したり、手足を失った者も少なくない。 現時点での国力は、平和な時期には比ぶべくもなかった。 だが、そこからの復旧は、意外にも足早に実現への道を辿りつつあった。 もっとも、その最大の功労者は、新王セリスでも、側近の文官たちでもないだろう。 セリスたちに流れる竜族の血は、戦闘能力を高めてはくれたが、 政治を執る事は、それとは全く別の問題であった。 真の殊勲者は、勇気と希望を取り戻した民衆一人一人に他ならない。 かつて、ロプト帝国の下で、ある者は家に閉じこもり、 良心の呵責に苛まれつつ自らの子を帝国に差し出し、 またある者は非道の者に刃を向け、権力という名の暴力の下に押し潰されていた。 だが、暮らしが、心が、いくら貧しくなろうとも、 彼らは生きる力の全てを失ったわけではなかった。 ただ、いくら頑張っても良いことは無いだろうという絶望を前に、 生きる力が覆い隠されてしまっていただけだった。 彼らが求めていたのは、未来を切り開く活力であり、 明日を託すことのできる希望の星であったのだ。 戦争中も、そして戦後も、その役を担うのは光の公子・セリスであった。 だが。 光の当たる裏には、影ができる。 国王セリスは、全ての国民から祝福されたわけではなかった。 そして、セリスの戴冠により、新たな軋轢も生まれようとしていた。 「ふう…。」 青空を見上げ、色とりどりの花に囲まれつつ、 「民衆の希望の星」ことセリスは一人、ため息をついた。 ここは、バーハラ郊外の村の外れにある保養地の野原である。 すぐ近くに、セリスが泊まっている王家の別荘があった。 日々の政務の合間に、こういった場所に出かけることが、 野原の上で育ったセリスにとっての気晴らしになっていた。 王として十分な実力が既に自らに備わっていると考えるほど、セリスは自惚れてはいなかった。 自分がこれまで積んできた経験は、剣を振り回したり、軍隊を指揮することのみ。 要するに、単なる戦争屋である。政治は、書物を読みかじり、 戦いの合間にオイフェから心得を学んだ程度であり、 その手腕は、文官のパルマークやフェリペに遠く及ばない。 なのになぜ、私が王座にいるのか。それを分からぬ自分ではなかった。 「だけどそれって…、お人形、という事だよね…。」 そう口に出して、セリスは天井を見上げた。今、この部屋には他に誰もいない。 だからこそ、口にできた言葉だとも言えよう。 セリスは、決して今の境遇が不満なわけではなかった。 自分が王座にいることで、国民に希望が生まれるのならば、道化役も悪くはない。 だが、それだけで、果たして国王が務まるのか?国が良くなるのか? そして何より、セリス自身は幸せなのだろうか? 「私の、生きる意味は…。」 このところ、ずっと思い悩んでいた。 がさがさっ。 不意に、セリスの背後で物音がした。振り返ると、草叢からひとりの男の頭が現れた。 粗末な服に暗い顔の、不健康そうな男である。非常に怪しげな雰囲気だ。 男はそのまま、急いでセリスに近づく素振りを見せた。 その時のセリスの行動は、ある意味で当然だったであろう。 常日頃から、オイフェ達に暗殺の危険を説かれ、 保身に気をつけるように入念に諭されていたせいでもある。 セリスは、腰の剣に手を伸ばしかけた。 が…。 「ああっ、そこの人!助けてくださいっ!」 男は涙を散らせつつ、弱々しい足取りで、へなへなとセリスの元に縋り付いてきた。 彼に衝突されて、セリスは思わず二、三歩たたらを踏んだ。 「どうしたのです?」 セリスが尋ねると、男は憔悴しきった顔でまくし立てた。 セリスよりやや年上という程度の青年である。 頬も首も痩せこけた貧弱な身体と、みずみずしい青の眼とが不釣り合いである。 「追われているのです、『息子を返せ』なんて言われて…、 村の人たちが、鍬やら何やらを持って…!」 しどろもどろな男の説明が終わらぬうちに、彼の言葉を証明するものが 男の背後から現れた。男の村人たち数人が、血走った目をぎらつかせている。 その中に一人、不安そうな表情の少女が混ざっていた。 村人はセリスからある程度離れて立ち止まり、男とセリスを交互に見やった。 「誰だ、あんたは!見掛けん顔だが…!?」 村人達の中からずいっと進み出てきたのは、日に焼けた白髪の中年男だった。 がっしりとした体格で鍬を持ち、いかにも農作業一筋に生きてきたという容貌である。 「私は休養のためにここを訪れているのです。 彼とは初めて出会ったところですが、いったい何事ですか!?」 セリスは、その白髪の男を見つめて問い返した。男はしばらく沈黙したあと、 険しい視線を向けて語りかけた。 「…何も言うな。その男を引き渡していただこう。」 その声に、セリスの横の男がびくっと痙攣し、怯えの波動がセリスに伝わった。 「待ってください、バッツさん!ぼくが、何をしたって言うんですか!」 「やかましい!言う事があるんなら、牢屋の中で言うのだな…!」 青年の声に、バッツと呼ばれた白髪の男は憎しみを込めて宣告した。 非常に険悪な雰囲気である。 …そのとき、群衆の中のひとりの少女が、その場にそぐわない間延びした声を上げた。 「…あの〜、もしかしてあなた、セリス様ですかぁ?」 周囲が一斉にどよめき、視線がセリスに集中した。 「ええ、言い忘れていましたが、私がセリスです。」 セリスの答とほぼ同時に、セリスの宿舎の方から身なりの良い老人がやって来た。 この保養地に来たセリスのお供、書記官パルマークである。 パルマークは周囲の様子を見、懐から王家の紋章を取り出して皆に示した。 「確かに、このお方がセリス王じゃ。皆の者、いかがした?」 「……なぜ、彼を追っているの?」 パルマークとセリスの問いかけに、バッツは恐縮して頭を下げ、 事情を説明した。 「これは…、セリス王とは知らず、失礼いたした。 実は、一昨日の夕方、10歳になるわしの息子が、行方不明になってしまったのです。 あの日は村の集会があったので、この村の大人はみんな集会場にいました。 この、シムソンを除いて、な。そして集会が終わると、 家で待っているように言いつけたはずの息子、ケインが、消えていたのですよ。 だから、犯人はこいつしかあり得んのです。それで、 村の者と一緒に捕まえようと思ったらこいつが逃げ出したので、ここまで追いかけて…」 「誤解です!ぼくは、そんな事していません…!」 シムソンと呼ばれた青年は、バッツの言葉に反論する。 「うん…、確かに、彼が犯人だというには根拠が薄い気がする。 もっと、証拠が無いと…。」 セリスも、とりあえずシムソンの言い分を聞いた。 だが、バッツは納得がいかないようだった。 「ふん…。そうかもしれませんな。ですが、わしには分かるのです。 村の者は皆、長年信用しあってきた良い奴ばかりだ。そうでないのは、 最近この村にぶらりと来て、集会にも来ずしきたりも守らんこの男だけです。」 結局、パルマークの忠告もあり、シムソンはセリスが預かり、 状況を見て処遇を判断することとなった。 村人の多くは、シムソンが犯人だと頭から決めてかかっているようだったが、 セリスは、軽率に決め付けてはならないと直感した。 だが、容疑者と考えられることも事実である。 セリスは、シムソンを自分の宿舎内に保護し、 配下の兵士に命じて捜索に当たらせることにした。 だが、その日はさしたる収穫も無く、日没とともに捜索は打ち切られた。 その夜。ほうほうと鳴く梟の声を耳に、自室で床に就こうとした時、 セリスは窓がカタカタと鳴ったのに気がついた。 窓の外を見ると、そこには一人の少女が立っていた。 「きみは確か、あのときの…?」 「はい〜。バッツの娘のぉ、リルルと言いますぅ。」 彼女は、今日の昼にシムソンや村人たちと出会った時、セリスの名を呼んだ、 あの少女だった。のんびりした独特の語り口調が印象的である。 年の頃は、16〜7歳程度であろうか。 月明かりの下に地味に映るのは、典型的な村の娘の服と黒い髪、 ぱっちりした目ととても小柄な背…。 「リルル…。こんな夜更けに、どうしたの?」 その問い掛けに、リルルはしばらく口をつぐんだ後に答えた。 「あの〜…、セリス様はぁ、今度のこと…、どう思っているんですかぁ?」 「どう…って?」 「……。やはりセリス様も、シムソンがぁ、犯人だろうって、 思っているんですかぁ…?」 慎重に言葉を選び、ゆっくりと話すリルル。その目に不安の色を湛え、 セリスにも見て取れた。 「い、いや、それは…。」 セリスが言葉に詰まっていると、突然リルルが目に涙を浮かべ、 窓枠にしがみついてセリスに訴えかけてきた。 「お願いしますぅ!シムソンを、つらい目にあわせないでくださいぃっ! シムソンはぁ、子供をさらったりする人じゃありません!…信じてくださいっ…!」 リルルの声が上ずり、セリスは慌てて彼女の言葉を止めた。 「ま、待ってよ。そんなに焦らなくても、大丈夫だよ。 私は、彼が犯人だろうなんて決め付けていたりはしないから…。」 「ありがとうございますぅ。」 リルルはぺこりと頭を下げ、頬を風船のようにぷっくりとふくらまして笑みをこぼした。 「ずいぶん、シムソンのことを心配しているんだね。…今、彼に会ってみたい?」 そのセリスの提案に、リルルは意表を衝かれた。目を見開き、みるみる頬を赤くした。 「えっ、えーと……、いえ、別にいいですぅ。もう、夜も遅いですし〜…。」 悪い事をしたかな、とセリスが後悔するほどの慌てぶりを見せたリルルだったが、 直後に急にその表情が曇った。 「うー……でも…、やっぱり心配ですぅ。 パパはシムソンのこと信用してないみたいですし、もし何かあってシムソンの秘密が ばれちゃったりしたら…、誤解されそうでとっても怖い……、あっ…。」 リルルは、余計な事を口走ってしまった事を自覚し、はっと口を両手で押さえた。 だが、セリスは重要な点を聞き逃さず、すかさず聞き返した。 「シムソンの、秘密…?きみは、何を知っているの…?」 「それは…。」 リルルは顔全体に不安を張りつかせ、その先の言葉を口に出そうとはしなかった。 ただ私を信じろというのはやっぱり甘いんだろうな。 でも、私の名前は民衆の間でも評判は良いはずだ。 説得すれば、信じてもらえるだろう…。セリスは、そんな事を考えた。 「リルル…。私はこれまでずっと、仲間と一緒に努力してきた。 みんなと話し合って、お互いの気持ちを通じ合ってきたから、帝国を倒すことだってできたんだ。 きみの弟を助けるためだから…、きみの知っている事を、教えてほしい。 この私を、セリスを、信じてほしい…。」 じっと、リルルを見つめて訴えるセリス。だが、セリスが真摯になればなるほど、 リルルの首は下を向き、その目に辛さを色濃く滲ませることとなった。 「セリス様だから…。」 湿った布をきつく巻いて、ほんの少しの水を絞り出すように、 リルルは微かに言葉を押し出した。 顔は完全に横を向き、その表情はセリスからは読み取れなかった。 分かったのは、リルルが心を開いてくれなかった事だ。 「セリス様だからぁ、言えないんですぅ…。ごめんなさいっ!」 一息に言い切って、その場から駆け出して行ったリルルの後姿を、 セリスは茫然と見送った。 王であっても、英雄であっても、自分は全ての人に信用されているわけではないことを、 セリスは思い知らされた。 |