歴史に学べ!

1節・炎の墓標


 セリスよ、人の悲しみを知れ…
 真実は一つだけではない…




 燦燦と降り注ぐ、暖かな日差し。周囲の木々には色とりどりの花が咲き乱れ、 小鳥がさえずり蝶が舞い、優しく風がそよぐ。周囲の自然が一致団結して、 今が春真っ盛りであることを告げていた。
 だが、こんな景色の中でも、セリスは寂寥感を禁じえないでいた。いや、 こんな景色だからこそ、かもしれない。これを見ることができなかった人のことを思うと、 胸の内にしゅんと、自分の心を刺し、溶かすような何かがにじみ出てくるのだ…。

 ヴェルトマーの西にある森林地帯に、細い道が通っている。 だが普段、この道を通る者は誰もいない。この暗い道の先にあるのは、 木々に囲まれた広場と、その中にある、たった一つの墓だけなのだから…。
 青い髪の男が、その真新しい墓石の前にたどり着き、すっと横に退いた。 それは、彼の後ろにいる人に、その墓を見るように…、という意味だった。 彼女は、「きみに告げなければいけない事がある」と男…セリスに言われ、 彼の案内ではじめてここまで来たのである。
 紫がかった銀髪に、穏やかな物腰で、彼女はそれを見つめた。 その反応をセリスは半ば予測していたが、半ばは驚きをもって迎えた。 もしぼくが彼女の立場だったら、こんな平静を保っていられるわけが無い…、 そう思ったからだ。
 「アルヴィス・ヴェルトマー ここに眠る」
 墓石は、生前の彼の偉大なる業績と大いなる罪には一言も触れず、 ただ客観的な事実だけを限りなく簡潔に提示していた。 また、その名は、皇帝時代ではなく、それ以前の彼のものであった。
 彼女…ユリアは、またしても、戻らない時の哀しみを思い知らされた。

 風の囁きや葉ずれの音、虫の鳴き声…、それらが二人の耳に否応なく入りこみ、 その場に訪れた重い沈黙を強調した。それを破ったのは、 相手に対して報告の責務を負うもの…、すなわち、セリスだった。
 「ぼくは、子供だったんだよ。」
 重い口ぶりで吐き出した言葉が、ユリアに届く。彼女は、微動だにしなかった。 二人とも、白い墓石をただじっと見つめている。
 「彼は、ぼくにとって、父の仇だった。彼は私の父をだましうちで殺し、国を奪った。 ぼくは、それだけしか聞かされていなかった…。小さい頃から、ずっと、それだけを…」
 セリスの声が、地上をどろどろと這い回るようにして伝わっていった。
 「帝国についても、本当にぼくは何も知らなかった。圧政も弾圧も、子供狩りも、 帝国がやっているんだから帝国が悪い、皇帝が悪い…。それしか考えられなかった。 だから、彼と相見えたとき、ぼくは、彼を倒すための使命感と怒りしか感じなかった。」
 セリスは腰にさした剣を抜き、天高く掲げた。まばゆいばかりに輝くその立派な剣は、 しかし、赤黒く汚れているようにセリスには感じられた。それは実際…。
 「そしてぼくは何も考えず、この剣をアルヴィス皇帝の首に、 突き刺したんだ…っ…!」
 ついに…、セリスは自分の功績を、いや罪を、ユリアの前に告白した。
 ユリアはその言葉を聞き、ぎゅっときつく目を瞑った。
 …正直に言って、ショックだった。それが避けられない事実であると半ば感づいていても、 …いや、だからこそ、それを認めたくないという無意識の作用によって、 ユリアはそこから目を反らしていたのだ。 そんなユリアを責めるのは、酷というものだろう。 それでなくてもユリアは、さまざまな運命と使命に弄ばれてきたのである。

 「それが、ぼくの使命だと思っていた…。 これで戦いが終わるのだと、信じて疑わなかった…。
 その後、シアルフィの岬に行ったぼくは、不思議なものを見た。 透き通った、幽霊のようなものから、声が聞こえた…。 それは間違いなく、シグルド父上とディアドラ母上だったんだ。」
 剣先が、がたがたと震えた。
 「そこで…、ぼくは誇らしげに笑って、母上に言ってしまったんだ。 『私はついにアルヴィス皇帝を倒しました!父上の無念を晴らしたのです!』…などと…!
 それを聞いた母上は、ユリウスとユリアのことをぼくに聞いた…。 それでも…、母上が何故そんなことを言うのか、分からなかったんだ。馬鹿だった…。」
 ディアドラの抱いた複雑な気持ちを想像するには、そのときのセリスはまだ子供だった。 いや、解放軍盟主という大きな地位と責任が、彼を押し潰していたのかもしれない。
 悪者であるアルヴィスといたディアドラは、きっと辛かったのだろう、 皇帝を倒したことを、きっと喜んでくれる…、そのぐらいにしか思っていなかった。
 「だけど…、暫く経って、そのときの興奮が消えると、何故か空しくなったんだ。 その時は、その理由が分からなかったけれど…。今なら分かるよ。 ぼくは、何も考えずに戦ってしまったんだ。 考えもせずに、非道を行う帝国と、アルヴィス皇帝とを重ねて見ていた…。」
 だが、子供狩りをはじめとする帝国の残虐な行為の数々は、 アルヴィスの意思によって為されたものではなかったと言えよう。 無論、皇帝である彼に責任が無いとは言えないが、実際のところは、 ユリウス皇子と、ロプトの大司教マンフロイこそが黒幕だったのである。
 「レヴィンに話を聞いたのは、その後だった。 ぼくたちや、ユリウス皇子に、竜族の血が入っていること。 ロプトウスに唯一対抗できるナーガの血を宿しているのは、ユリウスの双子の妹であること。 ……そして、その名前が、……ユリア、ということを…。」
 その時、セリスの依って立っていた世界観は根底から覆ったのである。 セリスにとっての、少年期の終わりであった。

 「ぼくは…、ずっと人を殺しつづけてきた。それが、罪にならないわけが無い。 ぼくたちに殺された兵士やその家族は、みんなどこかでぼくを恨んでいるだろう。 それでも、ぼくはこうして生きて…、それどころか、王になっている。
 人を殺して英雄と呼ばれるのは、より良い世の中を作りたいという多くの人の思いが、 ぼくの上に乗っかっているからなんだと思う。
 みんながより良く生きるために、自分の、他人の命を投げ出す事もやむを得ない―――。 多くの人がそう考えたとき、戦争は必然的に起こるのかもしれない。 たまたま、その旗印がぼくだっただけなのかもしれない…。
 でも、だからこそ、戦争の指揮者は、いつだって考えつづけなければいけないと思うんだ。 自分たちの目指す事は何か。そのために、本当に殺さなければならないのかを…。 ぼくだって、ずっと考えていたよ。そのつもりだったんだ…。
 だけど、本当に甘かったよ…。アルヴィス皇帝が、何を思っていたのか、 ぼくは本当にこれっぽっちも考えていなかったんだ。 『帝国を倒す』という言葉だけに踊らされて、いつの間にか考えるのを止めていた。 そして、守ると誓ったはずのユリアの、大切な父上を奪ってしまったんだ…。
 …これでは、ただの人殺しじゃないか…!」
 血を吐くようなセリスの独白の後、彼はそのまま大地へと膝をつき崩れ落ちた。
 「皇帝よ…、あなたはなぜ、私に斬られたのですか…!」

 これは、光の公子に祭り上げられ、 負いきれない責任を被ってしまった者の、痛切な懺悔の儀式だった。
 ユリアは、そんなセリスを暫く見守っていたが…。 やがて、彼の手を取ると、そっと引っ張り、アルヴィスの墓石の上に置いた。
 セリスは、自らの涙に翳んだ視界の中に、自分をじっと見つめるユリアを見た。 決して笑顔ではない、真剣で深刻な顔…。だが、細く伏した瞼の奥には、 誰よりもセリスを理解する者の、慈愛のまなざしがあった。

 「セリス様…。わたしに話して下さり、ありがとうございます。 お父様のことは…、気に病まない方がよろしいのではないかと思います。 お父様は、わたしを人質に取られていたために、やむなく戦ったのですから…。 そのことは、わたしの罪ではあるでしょうが、 セリス様が悪いのではないのです…。」
 ゆっくりと、セリスに語りかけるユリア。
 だが、セリスは下を向いたまま、動かない。
 「うん…、きみが捕まっていたから…という理由はあるだろう。 でも、それだけではないような気がする。あの時の、アルヴィス皇帝の表情…。 諦めていたようだったけど、それだけでなく、満足していた感じもした…。 何故そんな顔をしたのか…、ぼくには分からないんだ…。」
 ユリアに背を向けて弱々しく呟くセリスに、ユリアは後から優しく問い掛けた。
 「セリス様…。お父様の理想を、ご存知ですか…?」
 「……理想…?」
 「お父様がなぜ、権力の座を目指したのか。どんな世界を作ろうとしたのか…。」
 セリスは、再び深くうなだれ、膝をついた。それを知らなかった事、 知ろうとしなかった事こそが、セリスが最も悔やんでいた事であったから…。
 ユリアは、セリスを傷つけてしまったことに気づき、心中で自分を叱ったが、 それは表に出さず、穏やかに言葉を続けた。
 「…いいえ。知らなくても良かったのです、今までは。 知っている方がいても、セリス様に教えはしなかったでしょう…。」
 ユリアは、セリスの横、花咲く草の上に座り込んだ。
 「わたしが子供だった頃のある日、お父様はユリウス兄様とわたしを呼んで、 一つの話をされました。お父様の、昔の話を…。」
 凍てついたセリスの心を温かく包み込み、ほどくように祈りながら…、
 「今度はそれを、わたしがセリス様に、お話しします。」
 ユリアは、物語を始めた―――。


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