紅葉の別れ


 晩秋のもみじ狩りには、生命を惜しむ風が吹く。
 時は秋という季節を押し流し、一歩ずつ冬を運んでくる。
 緑鮮やかだった葉は黄に赤に深く色づき、やがて舞い落ちる。
 決別の摂理に逆らい蘇らせようとすることは、罪なのだろうか。



 「あなたは、いったい誰なの!?」
 玉座を前に敢然と立ち、凛とした態度、毅然としたまなざし、そして 常になく激しい口調で迫るのは、グランベル帝国皇女、ユリア。 だが彼女はここでは、このように強く物を言える立場ではなかった。
 「私は、ロプト一族の力を受け継ぐ者」
 ユリアの問いに答えた男。その姿は、彼女の双子の兄、ユリウス。 だがその言動は、かつてユリアにとって優しい兄であったユリウスのものからは 変わり果てていた。
 仲の良い兄と妹ではなく、帝国軍の総帥と、捕虜の少女。
 そして、ロプトの力を完全に備えた男と、ナーガの力を秘める宿敵。
 それが、今の二人の立場だった。

 だがここに、思いがけぬ波乱が起こる。
 「私はバーハラに引き上げる。あとはマンフロイ、おまえに…」
 傍らの暗黒魔道士にそう言い残し、玉座から立ち上がろうとした次の瞬間。
 「ぐっ…!」
 ユリウス、いやロプトウスは突如うめき声をあげ、頭を抱えて苦しみだす。 マンフロイとユリアは何事かと驚いたが、やがてユリウスは平静を取り戻した。
 「……何でもない…大丈夫だ」
 顔を起こし、マンフロイへ冷静に告げるユリウス。 彼はユリアへ向き直ると、恐ろしい表情を作って言い放った。
 「クックック…俺もいいことを思いついた。しばらくユリアを預かるぞ。 二人で外に行く。その間は人払いをしておけ」
 そして勢いよく立ち上がり、有無を言わさずユリアの手を引き、 謁見場から城の中庭へと連行していった。

 「…わたしをどうしようというのです!」
 ユリアの抗議にも、ユリウスは無言。その瞳に、先ほどは見られなかったまっすぐな何かを 感じたユリアは、そのまま彼に引きずられるようにして歩いていった。
 やがて辿りついたのは、紅葉で囲まれた森の広場だった。

 「しっ…ユリア、静かに。マンフロイに気づかれちゃダメだよ」
 そう言って、指を立てて自分の唇に当て、ウインクするユリウス。 その姿は、子供の頃の、賢くていたずら好きで優しかった兄を思い起こさせた。
 ユリアは驚きを隠せない。まさか…。
 「まさか…にいさま?」
 その問いかけに、彼は意思を持ってしっかりとうなずいた。
 「うん、ぼくは…ユリウスだよ」
 このとき、彼はロプトウスではなく、確かに…ユリアの兄である、 ユリウスであった。


 「…きれいだよね、この景色。そう思わない?」
 子供の頃と同じ笑顔で、ユリウスは無邪気に語りかける。
 ユリアは戸惑いつつも、周囲を見渡す。

 ヴェルトマーの中庭。
 昼下がりの青い空のもと、大きなもみじが数十本立ち並ぶ広場。
 父の実家ではあるが、ユリアは今まで訪れたことのない場所だった。
 秋が深まり、赤から茶に変わりゆく紅葉も、その半分以上が樹から離れて、 足下の地面に幾重もの絨毯を形作っていた。
 派手好きな人なら、この風景はやや寂しいと感じるかもしれない。 けれどユリアは、枯葉の舞いが終わろうとするこの風情が好きだった。

 「ええ、本当にそうね…。」
 澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込み、吐き出し、 ユリアは安らかな声色でそう応えた。
 西日を照り返す髪は、ユリアの銀。きゃっきゃと声をあげてユリウスに 抱きつき、甘えていた幼い日を思い出す。今はずいぶんおとなしくなったけれど、 ユリウスのそばだと心安らぐその瞳は変わらない。やや垂れ気味の目の形は、 兄のそばにいることで穏やかな心持ちを取り戻したためであることを、 ユリウスの経験は知っていた。
 ユリウスはそっと、ユリアを見つめて微笑みかける。 ユリアもまた、ユリウスの瞳を見つめた。
 紅葉よりも紅く、そして心安らげる、そんな紅だった。

 「覚えてる?子供の頃、ユリアがもみじ狩りに行きたい、と言ってたの」
 ユリウスが問いかける。だけどユリアは、よく覚えていなかった。
 「お母様が、秋は紅葉がきれいなのよ、と言って、それを聞いたユリアが、 もみじ狩りに行きたい、って何度も頼んだんだ。でもお父様もお母様も 忙しくて、その時は行くことができなかった。それで、来年は絶対に 連れて行ってね、とユリアが言って、お母様とぼくとで約束したんだけど…」
 思い出した。その半年後、ユリアは記憶を失いバーハラから出ることになったのだ。
 「だから。ユリアをもみじ狩りに連れて行きたいって、ずっと思ってた」
 そんな昔の約束まで覚えていてくれた、にいさま。ユリアの胸に、感謝の気持ちがあふれる。
 「ありがとう、にいさま…。」
 ここが敵地であることを忘れ、ユリアの心はすっかり昔に戻っていた。

 どうしてかは、分からない。
 でも、ここは秋の紅葉の林で。
 そして、にいさまが一緒にいてくれる。

 ユリアは、こんな時がずっと続いてくれればいいのにと思っていた。
 心のどこかで、それが決して果たされないと知りながら。
 風が吹くたびに、一葉、また一葉、散り行く紅葉。
 それは、ひとつの季節の終わりを示していた。


 二人並んで、無言で紅葉を見ていた、そのしじまを破って。
 「ユリア…会いたかった」
 ユリウスは、そうつぶやいた。
 「はい…わたしも、にいさまにお会いできてうれしいです。」
 ユリアも、同じ気持ちだった。
 「ユリア…苦労をかけてすまない。よく頑張って、生きていてくれた」
 ユリアと目をあわせず、そう語るユリウスに、どれだけの思いがこもっているだろうか。
 「いえ、わたしは…、」
 言いかけるユリアをさえぎって。
 「でも。ぼくは、もっとつらいことをユリアに押し付けなくちゃいけない」
 ユリウスははっきり言い放ち、ユリアを見つめた。
 「ぼくは、何週間かに一度だけ、『ぼく』に戻ることができるんだ」
 ユリウスが始めた説明は、ユリアの精神に彼の心臓から血を浴びせるに等しい、 苛烈で悲痛なものだった。

 10歳の頃、ロプトウスに覚醒したユリウス。ロプトウスは、ユリウスの人格を 乗っ取ることも破壊することもせず、ただ彼の意識に語りかけることで ユリウスを支配した。
 子供たちをさらい(コドモタチヲサライ)殺し合わせろ(コロシアワセロ)人の血をすすれ(ヒトノチヲススレ)
 ロプトウスはユリウスの一挙手一投足に至るまで、彼の意識に命令した。 最初はユリウスも抵抗しようとしたが、そのたびに彼の脳髄と身体中の神経に 耐え難い痛みが走り、意識が遠のいた。
 それでも、どうしても子供を殺すことはできず、拒否する。打ち続く苦痛に 意識を失ったユリウスが次に目を覚ましたとき、彼が見たのは自分の手が 子供の首を無惨に絞め殺したところだった。
 こうやって(コウヤッテ)お前の意識を奪って(オマエノイシキヲウバッテ) 行動を支配することも(コウドウヲシハイスルコトモ) できるのだぞ(デキルノダゾ)
 そうロプトウスは言った。
 その日、ユリウスは自殺を試みたが、ロプトウスの呪縛は彼の手足を痺れさせ、 自らの胸を突こうとしたナイフは空しく床へと滑り落ちた。

 それからユリウスは、自らの意思で子供を殺すようになった。 母も殺し、妹も手にかけようとした。 同じ罪を重ねるなら、それに無自覚なのは許せない。意識を失いロプトウスに 操られるのではなく、自分で自分を動かすことで、自らが何をしでかしたのか、 ひとつひとつ記憶することが、自分の責務だと思った。

 ロプトウスは、数週間に一度、眠りにつく。するとユリウスは 呪縛から解放され、数時間の間だけその身体を自由にすることができた。
 ユリウスは考えた。この間に、何ができるだろうか。 父アルヴィスや、ロプトの息のかかっていない者に、自らの窮状を伝え、 救いを求めるべきか。だが、それがうまくいくとは思えなかった。 自分がロプトに支配されていることは、すでに父も知っている。 だけど、自分を救うには、必ずロプトウスを倒さなければならない。 いかにファラフレイムを操る聖戦士の末裔であろうと、 父にそれができるはずがなかった。 それができる者は、ただ一人。ナーガの末裔。だが彼女はここにはいない…。

 「だからぼくは、結界を作ることにしたんだ。それがここだよ」
 幻覚と封印の暗黒魔法を改良し、ユリウスが編み出した呪法。 それは空間をゆがめ、周囲からの干渉を断ち切るものだった。
 「ここにいれば、ぼくが誰と何を話しても、マンフロイにも誰にも 見られることはないし、聞かれることもない。まあ念のため、 小さい声で話しているけどね」
 そう、いたずらっぽく笑うユリウス。
 「世界を救う鍵を持つ人が来たら、ここに招いて、ぼくのことを打ち明けよう。 そう決めていたんだ。ここまで言えば、もう分かるよね」
 そして…ユリウスは、深く頭を下げた。
 「ユリア…頼む。ロプトウスを、倒してくれ」


 「にいさま…。でも、それでは、にいさまが…。」
 ユリアの背筋がぞくりと震えたのは、吹き抜けた冷たい秋風のせい だけではなかっただろう。
 ロプトウスがいるのは、ユリウスの身体の中。それを倒すことが 意味するのは…兄の、死。
 ユリウスは、心のきしむような妹の声を胸に刻み込んだ。
 優しい妹を戦争に巻き込んで、こんなに苦しめているのは、自分なのだ。
 そして、いまユリアをもっと苦しい道に引きずり込もうとしているのも、自分。
 それでも…自分はこれを、言わなくてはならない。

 「うん。そのとき、ぼくは死ぬだろう」
 苦しみも悩みも見せず、ユリウスは淡々と言った。
 先ほどと同じく、伏せ気味のユリアの目。だが今、彼女から感じられるのは 落ち着きではない。
 「ぼくが助かることは、ありえないよ。ぼくからロプトウスを 切り離しでもしない限り」
 自分の言葉が、ナイフになってユリアの精神をざくざくと傷つけていることは 分かっている。 だがユリウスは、冷徹の仮面を被ってそれを続けた。

 ユリアはいつの間にか、頭を伏せていた。普段から小さい声が、 ますます小さく、そしてか細く、弱弱しくなっている。
 「それなら…」
 ユリアは虫の鳴くような声でつぶやく。ぐすん、という音が聞こえたのは ユリウスの気のせいだろうか。
 そしてユリアは体を傾け、ユリウスの腕にすがりついた。
 「それならわたしが、にいさまのそばにいます…。 にいさまの体がロプトウスに捕らわれたなら、それを解放する方法だって、 きっと、あるはずです…。」
 それは、同情かもしれない。正しいことでは、ないかもしれない。 ユリア自身にも、自分の心が理解できてはいなかった。 それでも、心の命じるままに、ユリアは続ける。だが。
 「でも今は、その方法がわからない」
 「…それは…。」
 「解放軍はすぐそこまで来ている。マンフロイたちも決戦へと 動いている。そう何年も待つことは、できない。それに、ぼくのエーギルは ロプトウスに食われ続けていて、ほとんど残っていない。もう…終わってしまうんだ」
 「…それでも!」
 ユリアが顔を上げたとき、その紫の瞳は…熱い液体に潤んでいた。
 わたしにとってロプトウスは敵だから、ユリウスにいさまに「生きていてほしい」と 思ってはいけない。
それでも。ユリウスにいさまに、「生きようとしていてほしい」。そう思った。
 それが、わがままだと知っていても。

 「それでも、にいさまは…にいさまです。 憎いのはロプトウス…わたしからにいさまを奪ったのも、 たくさん人を殺してしまったのも、ロプトウスが…」
 「ちがうんだ、ユリア!」
 ユリウスは妹の言葉をさえぎった。
 「国民からみれば、ぼくとロプトウスは同じだ。それに…、 ぼくはロプトウスに心や体を操られていたわけじゃない。 ぼくの意思で、やったことだ。ぼくは皇子でありながら、国民を守れなかった」
 「…。」
 そう。ついそのことから目をそらしていたけれど、ユリウスにいさまは 自分で非道を行っていたのだ。でも、それもロプトウスに脅されてのことで…。
 そうユリアは思うが、ユリウスは…。
 「だから国民はぼくを許さないだろう。それに、ユリア… 誰よりも、ぼく自身が、これ以上ぼくが生きることを、許せない」
 「…!」

 そうだった。にいさまは、いつだってそうだった。
 炎の紋章は、正義のしるし。ファラの血を受け継ぐ者は、悪を許さない。
 アルヴィスお父様も、犯罪者には厳しかった。
 ユリウスにいさまも子供の頃から、宮廷で賄賂や弱いものいじめを見かけると 大人が相手でも厳しく追及し、時には父親に報告して処断した。 重犯罪者の処刑を前に、幼かったわたしが「かわいそう」と言うと、 にいさまは厳しい顔で、「この人の罪は重すぎる。彼が死ぬことで、 これからの悪をなくすことが大切だ」と言っていた。
 今なら、わたしにも少しわかる。わたしも戦争で、人を殺したことが…あるから。
 ユリウスにいさまの望みは、正義を貫くこと。ロプトウスと、そして心ならずも ロプトに加担したユリウスにいさま自身を…裁くことだ。

 ユリアは、唇をかみしめ、顔を上げて潤む瞳を兄に向けた。
 「それでは、わたしはロプトウスを滅ぼして…、それから、 にいさまとともに行きます。」

 聖戦士という名を持つ、神の道具。人は正義の心を持っているのに、 とりついた竜がその未来を奪う。
 その悲しみを、誰が知ろう。
 世界で最も孤独な皇子。双子の妹であるわたしが ともに行かなくては、誰が彼をみとればよいというのか。
 ならばせめて、鏡の裏表であるわたしが…。
 兄を抱きとめようと、ユリアは両手を伸ばした。

 だがユリウスは、救いの手を押さえ、ゆっくりと首を横に振った。
 「ありがとう、ユリア。でも、きみには…生きていてほしい」
 優しく微笑むユリウスは、昔と同じ、甘えん坊の妹を優しく諭す兄の瞳だった。
 「ぼくには、イシュタルがいてくれる。それで十分だ。でも、ぼくがいなくなった後の 国には、新しい希望が必要だ。ユリアは…ユリアにしかできないやり方で、 ぼくを、これからの世界を救ってほしい」
 そうか…イシュタルねえさまがいてくれるから、にいさまは寂しくないんだ。 そして、わたしには…。
 そんなことを思っていると。 ユリウスは、笑顔にいたずらっぽさと、ほんのちょっぴりのやきもちをこめて。
 「それに…いるんだろう、ユリアにも。好きな人が」
 ふふっと笑いながら、言ってみせた。
 ユリアの頬が、もみじよりも真っ赤に染まった。

 「わかりました。にいさま…わたしは、戦います。」


 「ああ…もうそろそろ、ロプトウスが目覚める時間だ。戻らないと」
 周囲を見回すユリウス。もう夕方になりつつあった。
 そのとき、はらはらと舞い落ちるうちの一葉が、ユリウスの手のひらに落ちる。
 ユリウスは彼の髪より鮮やかなそれを、ユリアに手渡した。
 「これを…今日の思い出に。ぼくのこと、忘れないでね」
 「…はい。」
 それがユリアにとって、「ユリウス」との最後の別れとなった。

 結界を抜け、城内に戻ると、そこにいるのはロプトウスと一人の捕虜。
 ユリアはまた、牢の中で暮らすのだろう。
 だけどもう、寂しくはない。たとえ魔道で体を操られようと、心が揺らぐこともない。

 散りゆく紅葉が、残した思いに。
 ごめんなさい、ありがとう。
 白い手の中の紅い葉へ、ユリアはそっと語りかけた。


 セリス様のコメント


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