惹かれあう血脈
イード砂漠は今日も荒涼として、沈黙を保っている。
つい数時間前まで、灼熱の地であった砂漠も、日が暮れて
暗闇が訪れた今は急速に冷えこんできていた。
この砂漠の中のうち捨てられた砦の跡に、人知れず隠れ住む者達がいた。
邪教として排斥された、ロプト教を信奉する一派である。人として暮らすことを許されず、
百年以上の間、差別と貧困に耐えつづけてきた彼ら。
しかし今、砦の一室に集まっている暗黒教団の幹部たちの暗い眼差しに、
久しく見られなかった野望の光がよみがえっていた。
部屋の奥に座る黒いローブの老人が、重々しく口を開いた。
「ついに、われらが復讐を遂げる絶好の機会が訪れた。ロプトウス様を降臨させるのじゃ」
別の暗黒魔道士が、低い声でこたえる。
「はい、マンフロイ大司教。しかし、シギュンはすでに亡く、
闇の血を引く者は今やあの赤毛の男のみ。どのようにして実行なさるおつもりで?」
「ふふふ…。シギュンは王宮を去る前に、すでに身ごもっていたというのじゃ。
その娘がヴェルダンに潜んでいるという。…ということは…」
マンフロイの両眼が妖しく光る。その意図に気づき、
部下たちの間にざわめきが走った。
「そう、シギュンは初めて禁を犯したのじゃよ。このふたりの血が
交わったときこそ、われらの積年の願いが達せられるのじゃ」
「おお!ついにわれらの帝国が!」
周囲から、感嘆の声が漏れる。マンフロイは、隣にいる部下に向き直った。
「サンディマよ、さっそくヴェルダンに向かい、何としてもシギュンの娘…
呪われし娘を探し当てるのじゃ。抜かるなよ」
それを受けたサンディマが、戸惑いつつ尋ねる。
「承知いたしました。しかし、仮にその娘を連れて参ったとしても、
結婚話どころか浮いた噂ひとつないあの男が、そう簡単にその娘に惚れ込むでしょうか?
まして、その二人は兄妹…。」
だがマンフロイは、自信に満ちた笑みで答えた。
「心配要らぬわ。奴らが出会えば、おそらく結婚まで半年もかかるまい。
お前はとにかく娘を探し出せば良いのじゃ」
その後、会議が終わった部屋で、ひとり、マンフロイは呟いた。
「すべては、ロプトウス様のご意志…。」
三年後。シアルフィの公子シグルドは、アグスティ城を奪回しよう
とたくらむシャガール王の軍勢との戦いのさなかにあった。
シグルドの妻となった精霊の森の巫女ディアドラは、
夫の身を案じて不安な毎日を過ごしていた。しかし、今日は
いつにもまして心の乱れを感じていた。まるで何者かに、心を突き動かされているような。
オオ…、チカクニ、オナジ血ガアル…。
イマノママデハ、タリヌ…。ホシイ…、チカヅキタイ…。
ディアドラは、その声をはっきりと聞き取ったわけではなかった。
それでも、激しい衝動に耐え切れず、外に出て行くことを本能的に決意していた。
シグルドから彼女の身を任されていたシャナンは反対したが、
せっぱ詰まったディアドラの迫力に押し切られて、しぶしぶ認めてしまった。
城の外に出たものの、もちろんディアドラは目的地を意識してはいなかった。
しかし、その足は明らかにひとつの方向を目指してスムーズに動いていた。
コッチダ…。行ケ…。我トオナジ血ガ…。スグソコニ…。
そして、運命の場所にたどり着く。
そこにいたのは、暗い色のローブをまとい、赤黒い水晶玉を手にした男、マンフロイであった。
水晶玉と、現れたディアドラを見比べ、不気味に笑みを浮かべた。
「ふふふ…。あの赤毛の小僧の血をもとに作ったこの道具、
思いのほか効果があったようじゃな…」
ディアドラは、自分の間違いを悟った。自分の中のもう一つの竜族、ナーガの血が、
身の危険を告げていた。だが、もはや遅すぎた。
「ククッ…、シギュンの娘よ。おまえは今から記憶を失い、ある男の妻となる…。
それがおまえの運命じゃ、あきらめよ…。」
マンフロイが手をかざすと同時に、ディアドラの意識は闇へと沈んでいった。
ヴェルトマー公アルヴィスは苛立っていた。自らの理想の実現のため、一日もおろそかにする
ことなく動き続けてきた有能な彼が、今日はなぜか仕事が手につかないのだ。
何故か分からないが、血が騒ぐ…。
ムコウニ…ワガ ナカマガ…。近ヅクノダ…。
周囲を散策して心を鎮めようと思い、アルヴィスは愛馬にまたがり自らの居城を飛び出した。
しかし、普段は彼の心を和ませるこの地の豊かな自然も、
今日はかえって彼の焦燥感をあおっていた。
ふと、彼は道端に一人の女性が倒れているのを見つけた。
美しいはずの白いローブも銀色の髪も、泥で汚れている。豊かなこの国で行き倒れとは珍しい。
アルヴィスは、おい、大丈夫か、と声をかけ、彼女を抱き起こしてその顔を覗きこんだ。
その瞬間、彼の心臓から全身に衝撃が走った。
オオオオッ…!コレコソ ワガ 分身ダ…!
…ワレノ 血ヲ 分ケ与エルノダ…!コノ者ニ!
この青年は、これまで恋を経験していなかった。自らの理想の世界を作るために全力を注いでいた
ためであり、恋愛などくだらないと思っていたふしさえあった。
だから、今自分の中ではじけたこの気持ちこそが恋なのだと思ったとしても無理はなかった。
いや、実際それは恋だったと言えるかも知れない。
アルヴィスは顔全体を紅潮させて、目を見開いた彼女に尋ねていた。
「き、君の名は?」
自らの置かれた状況が把握できず、戸惑っていた彼女は、はっと我に返り、
ともかくその質問に答えようとした。
「…ディアドラ、と申します」
辛うじて名前だけは言えたものの、ディアドラの心は、それ以上の行動を取る余裕を失っていた。
単に、自分が倒れたことから立ち直っていないだけではない。彼女もまた、目の前の赤毛の青年に
対して、自分の中の暗黒の血が歓喜の雄叫びをあげるのを聞いていたのだ。
ウオオオ…、ホシイ…!ワガ血、ワガチカラ…!
コノモノト 血ヲ交エヨ、ワガチカラ カンゼンニ フッカツサセヨ…!
名前以外の記憶をなくしていた彼女にとって、すがれるものはもはや自分の中の、
その声しかなかった。
だから、ディアドラはこの青年を愛した…いや、それだけではなかったのかも知れない。
じっと見つめ合ううち、二人はもう、自分が何をしているのか分からなくなっていた。
気がつくと、二人はお互いの体を強く、強く抱きしめあっていたのだ。
「…す、済まない、ディアドラ、私は…。」
正気に返ったアルヴィスが無礼を詫びるのを、ディアドラは夢心地で聞いていた。
(この方は…?そして、私は一体…?)
数ヶ月の後。バーハラ王宮の中央にある庭園において、ヴェルトマー公爵アルヴィスと
ナーガの血族最後の生き残りであるディアドラの、豪華絢爛を極める結婚式が行われた。
「心から」惹かれあった二人の愛に立ちはだかる障害など、無いに等しかったのである。
一抹の不安を満面の笑みで隠しつつ臣民に手を振る二人の様子を遠くで眺めながら、
木陰でひとりマンフロイはほくそ笑んだ。
「だから心配は無用と言ったのじゃ、サンディマよ。
我らが暗黒神のご意志、人の力で覆せるものではないわ」
「だったらオイフェ、アルヴィス皇帝と母上との愛は…、」
偽りだったのだろうか、という言葉をぐっと飲み込む。
シアルフィ城の書庫で、グランベル王セリスは辛そうに目を伏せた。
その隣では、アルヴィスの忘れ形見でもある妹ユリアが同じ不安を抱え、無表情で立っていた。
あれから、ほぼ二十年が経過していた。後に聖戦と呼ばれる、竜族の血による戦争が終結した、
その数ヶ月後のことである。セリスの手には、竜族の血についての古の文献と、
最近発見されたアルヴィスの手記が握られていた。
古文書には、次のように書かれていたのである。
――― 竜族の血が人間に宿った…、その事により、人間は力を得たが、
代償として自らの心の一部を彼らに明け渡す事となった。竜族は、程度の差こそあれ、
自らの宿主である人間の心に働きかけ、同族の血の交わりを欲する。
それによって、自分の血を濃く受け継ぐ存在をこの世に生み出し、
自らをこの世により色濃く具現化しようとするのだ…… ―――
もし彼らの心が、復活をもくろむ暗黒竜の意識によって操られていたとすると…。
アルヴィス皇帝は、自らの血に潜む竜族に心を縛られた奴隷だったのか…?そして、自分達
竜族の血を引く者は、皆…?
セリスの苦悩の表情は、アルヴィスの、そして自らの存在への疑問を表していたのである。
しかし、オイフェはセリスと向き合い、落ち着いた口調でそれを否定した。
「私は、お二人は本当に愛し合っておられたと思います。
お二人の中に暗黒の血が流れていても、いや、だからこそ、
ロプトの意思を含めてお二人の気持ち、お二人の愛だったと言えるのではないでしょうか。
それに何よりも、お二人は子供をもうけられ、十年もの間、温かい幸せな家庭を築かれました。
ロプトの意思がどうあれ、お二人に愛がなければ不可能だったはずです。
ユリア様がこのようなすばらしい方に育たれたのが何よりの証拠でしょう。」
ユリアの表情が崩れた。頬を赤くして微笑んだのは、照れもあったのだろうが、
何よりオイフェの言葉が真実であることを自分が一番良く分かっていたからである。
戦乱の中、ずっと忘れていたことを、オイフェに言われて思い出した。
お父様とお母様、お兄様に囲まれて、私は幸せだった。それで十分ではないか…。
ユリアはそう感じた。
セリスも、そんなユリアを見て心の霧が一気に晴れていくのを感じていた。
ユリアの笑顔を見るのは、本当に久しぶりだ。
強い光を秘めたユリアの瞳を横からじっと見つめながら、
セリスはまた別の思いをめぐらしていた。
ぼくがユリアを一目見て愛してしまったのも、神竜ナーガの血の影響かもしれない。
でも、きっとそれだけじゃない。
竜族の血があろうと無かろうと、ユリアはぼくが一生護ると決めた、
ぼくにとってかけがえのないひとであることに変わりはないのだから…。
シアルフィの緑の大地に、今日も暖かな日差しが降りそそいでいた。
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