「ユリアの日記」〜第二章・思春期編 Part3



グラン歴 776年 4月 11日
 昔から、ずっと気になっていたことがあります。
 それは、胸にある自分の傷痕。
 ちょうど、わたしが命を生み出せるようになった頃に現れた、 鈍色の竜の顔のような形の傷。何年経っても、決して消えない傷。

 これはいったい、何を意味するのでしょうか。
 今まで聞きづらかったことですが、レヴィン様に、聞いてみました。

 「今はまだ、知らないでいい。 いずれ時が来れば、自然に分かるだろう」…とのことです。
 今すぐに答えを知らされなかったことに、ほっとしました。

 レヴィン様は、わたしよりもわたしのことを知っているのでしょうか。 それを知りたい、とも思います。 でもどこかで、それは今知るべきではない、と思う自分もいるのです。
 レヴィン様のこと。傷痕のこと。ロプトの追っ手のこと。 さまざまなことが、わたしとわたしをとりまく恐ろしいことにつながっていそうで。
 それは、あまりにも大きくて…。
 今はまだ、それと向き合う勇気が無いのです。

グラン歴 776年 9月 21日
作者・暁生鞘様
護りたいと思ったの。

何時も真っ直ぐに差し伸べられる手を。
血の繋がりも無い、何処の誰か己ですらわからない私の手をとって。
何時も。

「何処かで危ない橋渡ってらっしゃるようですし」
笑いながら言うとレヴィン様も口の端に笑みを浮かべたようでした。
「そう言えばお転婆だったな、お前は」
何時かは看破されるだろうと踏んでいた事ではありましたから、別に今日バレても構いませんでしたけど。
選りにも拠って練習中に戻って来なくても良いんじゃないのかな…とは思います。
何時も、帰って来てほしい時にはちぃーっとも帰ってこないくせに。

「でもこれで役には立てるかと」
「………」
「怪我したら言って下さいね」
「………今度から帰って来る際の土産は杖にでもするか」
「………そんな可愛くないの、嫌なんですけど」

そんな事を言い合っていた(?)養い親は今机でうたた寝中です。
掛けたケープを握ってあどけなく…なんて私が書いたら変かも知れませんが。
疲れているようなので自室に引き上げる際にでも起こそうかとは思っているんですけど。

「解放軍」

彼にとって庇護の対象であるのでしょう私には相変わらず何も言ってくれませんけど。
取り合えず、貴方の養い児は多分そんなにも馬鹿でもないんですよね…
………まぁ、目下記憶喪失中ではありますけど。

「セリス様………か」

こっそり小さく呟いて。

あんなに驚かれたのは初めてでした。

グラン歴 776年 9月 25日
 今日は、暖かい一日でした。
 海を見に行きました。

 セイレーンとトーヴェの中間の村の外れ、広い緑の草原のまわりに、 さざ波をたてる青々とした海が、どこまでも広がります。 青い空、白い雲、さんぜんと輝く太陽。
 美しい、と思いました。
 こんな世界ならいいな、と思えました。
 そんなことを思う自分に、わたしは驚いていました。

 そのとき、風が吹きました。
 一陣の風は、さわやかで、切ないものでした。
 風の精霊が、何かをささやきました。 わたしには聞こえませんでしたが、 レヴィン様が、はっとした表情を見て、わたしに背を向けました。

 「…フュリー…。そうか、おまえが…。俺は、もう…」
 レヴィン様が背中をふるわせました。とても、哀しそうでした。
 何なのかはわかりません。でも、大切な何かを失う悲しみに、 わたしは背を向けてはいけないと思いました。

 杖を手に、わたしは祈りました。
 何にかは、分かりません。自然に、そうしていました。

 ぱあっと周囲が明るく輝くと、光の粒が現れました。 緑色がかった光は、天馬のようにレヴィン様のまわりでくるくる回り、 そしてゆっくりと天上へとのぼっていきました。
 「ああ…。」レヴィン様は手を広げて抱き上げるように、それを送り出していきました。

 レヴィン様は、ユリア、ありがとう、と言いました。
 また、風が吹き抜けていきました。

グラン歴 776年 11月 8日
作者・鵜楽氷水様
 昨日の出来事は、本当は日記に書くつもりはありませんでした……
今日の日記が、もしレヴィン様の目に触れるような事があったなら…………私はどうすれば良いのでしょうか?

ですが日記をつけるのはレヴィン様の言いつけですので、言いつけを破ることは出来ません。
一日遅れですが、昨日の出来事を綴ろうと思っています。。

私は今日、レヴィン様からいただいた大切オルゴールを壊してしまいました。
いつもの様に、料理をする時に寂しいからという理由でオルゴールの音色を聞こうとして、ネジを回していた途中に、手に一瞬力が入らなくなり、結果的に私はあんなに大事にしていたオルゴールを、床に思いきり叩きつけてしまったのです。

煮立っていたお鍋を放り出し、慌ててオルゴールを見ると、箱には裏側にだけ少し傷が入った程度でした。
しかし、床に落ちたと同時に流れ出した音楽が、私に衝撃を与えました。

音が、一音足りないのです。オルゴールの音を出す、でこぼこの部分が一ヶ所欠けていたのです。
私はそれを直す術を持っていません。

一度壊れた物は、そう簡単に元通りになる事は出来ないのです。


もう私はそのオルゴールを鳴らすことは無くなりました。
何故なら、鳴らすたびにあの一音足りないメロディーが、私の罪を糾弾するかのように私の心を貫くのです。

私は私の犯した過ちから逃げているのです。それは分かっています。
けれど、逃げずにはいられません。

昔にも、このような事があった気がします。

私は昔に何か………大きな罪を犯したのではないのでしょうか?
そしてそれを思い出せないという事は、私はまだ私の過ちから逃げているという証でしょう。
その過ちを思い出した時に、私の途切れた記憶が元通りになるのではないかと思います。

その事を考えると、酷く頭痛がしたので、昨日はお鍋をそのままにし、そのまま床に就いてしまいました。

グラン歴 777年 1月 31日
 ロプト教の追っ手について、考えてみました。

 彼らは自分をさらって、殺そうとしているのでしょうか。 なぜかは分からないが、深く暗い情熱を感じます。 彼らは今まで、ひどく抑圧されていたようですが…。
レヴィン様がわたしを逃がしてくれなければ、彼らは暗黒魔法をもって 命をかけて戦い、その目的を果たそうとするのでしょう。

 では、わたしはどうでしょうか?
 わたしは魔道の修行を受けました。まだまだ未熟ですが、 光の魔道書があれば、彼らと戦うことは不可能ではないのではないかと 考えてみました。
 でも…無理です。わたしには、彼らは殺せません。
 いや、どんな人であろうと、わたしが殺すことはできないと思います。
 それは、博愛精神でしょうか。
 どんな生き物であっても生きる権利があるという考え方でしょうか。
 そうかもしれません。ですが…それだけではない気がします。

 わたしには、命をかけてでも守りたいものが、ないのです。

 彼らの行いを認めようとは、思いません。ですが、あれほどの情熱を持ち、 命をかけて成し遂げたいものを。 そういうものを持っている彼らを、ほんの少しだけうらやましくも、思うのです。

グラン歴 777年 2月 17日
作者・鵜楽氷水様
今日、レヴィン様は私に荷物をまとめておくようにと言いました。
「また引っ越すのですか?」と聞くと、
「いや、今度は引っ越しでは無い。」と言われました。
「では何処に行くのですか?」と尋ねると、
「今は言えない。だが私を信じてついて来て欲しい」と言われました。
そう言われては、私は言う通りにする他ありません。だって私がレヴィン様に拾われ、数年間匿っていただいたのは事実ですし、また私にはレヴィン様の他頼る方がいないのです。

私は自分の荷物をまとめ始めました。とは言え、元々追っ手から逃げての生活だったので、持ち物はさほど多くありません。
言われた日数の食料と、寝袋があれば十分です。
…………それと私は、今回あのオルゴールを持って行こうと思います。あのオルゴールを見ているのは辛いですが、私の記憶を強く揺り動かす力を持つ物であるという事は事実だからです。

このオルゴールが、私に何か大切な事を教えてくれる……そんな気がするのです……

グラン歴 777年 2月 25日
 シレジアから、イザークに渡りました。
 はじめて行く場所です。

 レヴィン様はわたしを連れて、ティルナノグ砦というところに 立ち寄りました。修道院で、とても美しい中年の金髪の女性が現れ、 レヴィン様とお話をしました。
 村人たちは、解放軍が蜂起したおかげで、この村は助かったといい、 感激していました。その雰囲気は、何か大きな波が 巻き起ころうとしているのを予感させます。

 …わたしも、胸が熱くなるのを感じました。この気持ちは、何でしょう。 何かはまだ、わかりません。でも…ずっと求めていたものが、 私の目の前に、近づいてきているように感じます。
 それは、私の記憶や、将来や…今まで恐くて立ち向かえなかったさまざまなことに、 向き合う勇気を与えてくれる、そんな気がするのです。
 命をかけてでも、成し遂げたい何か。わたしにも、できるのでしょうか。

 「ユリア…強く生きるのよ」
 そのとき、誰かの声が、わたしの脳裏に響きました。


 こうして、二冊めの日記帳は最終ページまで到達し、その役割を終えた。

 ユリアにとって寒く厳しかったこの時代は、 全てを失い、無為無気力の底に突き落とされても、レヴィンや人々の 助けを得つつ自力で這い上がり、家事から魔道まで幅広い実力を身につけていった、 新たなるユリアを形作るための時期であったと言って良いだろう。
 世の中の荒海を渡るだけの耐久力を得たユリアという船に、唯一 なかったのは、人生の目的地を示す羅針盤であった。 いよいよ、出航の時がやってくる。

 運命の扉がついに開かれ、ユリアは前へと歩みだす。
 それは、三冊めの日記帳において、語りたい―――。


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