「ユリアの日記」〜第二章・思春期編 Part1

 貴重な歴史資料が集まる、バーハラの書庫。そこには公式の歴史記録だけでなく、 私的な文書、たとえば日記も隠れている。中でも、激動の人生を歩んだ 光の皇女・ユリアの日記は、彼女の人となりを知るのに貴重な資料となるだろう。

 数冊に分かたれたユリアの日記はそれ自体が、 彼女の歩みが波乱に満ちたものだったことを示す。

 今回は、その中の二冊め。
 優しかった母を永遠に失い、記憶を心の水底に沈め、 風の化身とともに新たなる茨道を歩むことになった、思春期のユリアの日記。  そのごく一部を、ここに紹介しよう。

 雪に閉ざされたシレジアにも、いつか春が来るように。 凍てついたユリアの心を人々のあたたかさが徐々にとかしていくさまを 感じていただければ、幸いである―――。



グラン歴 771年 10月 1日
 レヴィン様から、日記帳を渡されました。 その日にあったこと、感じたことを書くのだそうです。

 …何を書けばいいか、分かりません。
 感じたこと、と言われても、特にありません。
 …わたしには、何もないのですから。

グラン歴 771年 10月 12日
 レヴィン様といっしょに、隠れ家に住んでいます。 ここは、シレジアというお城のはずれの村だそうです。
 レヴィン様が町で買った野菜を切って焼いてみました。 火はあぶないので、やけどしないように、と言われていたので、そこに 気をつけていたら、いつのまにか料理が丸焼けになってしまいました。
 少し食べてみましたが、おいしくありません。
 それでもレヴィン様は平気で食べます。 わたしも、おなかがすいていたので、食べました。

グラン歴 771年 10月 26日
 レヴィン様といっしょに町に行きました。 町には人が多いです。
 ある家の前で、たくさん食べ物が並んでいるのを見ました。
 まわりの人がそれをもらっているので、わたしもほしいと言いました。 ところが、お金を払わなければもらえないのだそうです。
 お金とは何か、よく分かりません。そういうと、変な顔をされました。 何だかさみしかったです。

 後で、お金のこと、買い物のしかたをべんきょうしました。

グラン歴 771年 11月 15日
 空から白いものが落ちてきて、やがて地面が真っ白になりました。
 雪、というものだそうです。

 冷たくて、音がなくて、真っ白な雪。
 かれた木も、茶色い地面も、すべてを包み、ただ 白一色の世界にそめ上げる。この世の何もかもを消していくように。

 わたしの心と身体にも雪がつもり、消えてなくなれば。
 …そうなればいいのに、と、ふと思いました。

グラン歴 772年 1月 28日
 町へ買い物に行ったら、黒い服の男の人が自分を追ってきました。
 そのまま立っていたら、わたしの手をつかまえて どこかに連れて行こうとしました。逃げようとも思いましたが、 どうでもいいという気持ちもありました。

 捕まりそうになったところを、レヴィン様が助けてくれました。
 「ロプトの追っ手だ。逃げるぞ」と、レヴィン様は言います。
 今の家を引き払い、遠くへ行くことになりました。

 道すがら、ロプトのことについて説明を受けました。
 暗黒の宗教で、わたしがいると都合が悪いので、 とらえて消してしまおうとしているのだそうです。

 …あの人の目を、思い出しました。
 恐くて…でも、哀しそうでした。

グラン歴 772年 2月 1日
 山のふもとにある新しい村に、かくれ家があり、わたしたちはそこに入りました。

 なぜ、見知らぬ場所にこのような場所があり、わたしたちを 住まわせてくれるのでしょうか。村人はレヴィン様をそんけいしているようです。 レヴィン様は、このあたりで顔が利くのでしょうか。

グラン歴 772年 4月 8日
 血が止まらなくて、困りました。 仕方がないので、レヴィン様に相談しました。

 病気ではないのだそうです。おめでとう、と言われました。
 わたしは「いのち」を生み出す力を得た、と。

 わたしの命…、わたしからの生命…、 どれほどの価値があるのか、まったく分かりません。
 少なくともそれが分かるまでは、わたしに生命を生み出す権利は 無いのだと思います。

グラン歴 772年 4月 30日
 レヴィン様に学問書を手渡されました。 「若いうちに学問を身につけ、さまざまなことを知っておくのが大切だ」といいます。
 それで、本格的に勉強を始めました。 掛け算や割り算、世界の地理、動物や植物。ひたすら覚えていきます。

 なぜ必要かは、分かりません。そういうものなのでしょう。

グラン歴 773年 5月 1日
作者・暁生鞘様
楽器の前で立ち止まるレヴィン様に気付いたのはそう言えば何時だったでしょうか。

買出しなどで町に行く折、何時も足を止めて。
何処か興味深そうに目を細めて。

「吟遊詩人だったからな…」
何ですかそれは、と尋ねたら教えてくれました。
綺麗な声で歌ったり楽器を奏でたりそういった事を生業とする人なのだそうで。
…言われてみればレヴィン様の声は綺麗ですよね。
それって、

「吟遊詩人だったからなんですか」
「………ユリア、何か変な捉え方してないか…?」

………私、あの時変な捉え方してたんでしょうか。今でもわからないのですけど。



「………そうだな…総てが終わったら」
「吟遊詩人、ですか?」
「…それも良いかもしれないな」

今日は帰り道も手を引きながら珍しく機嫌が良いように笑んでおられましたっけ。

………その時は私も一緒に行きたいな、と思いました。

グラン歴 772年 5月 14日
 少し遠くの森に、食料やまきを取りに行きました。
 羽を持った白い馬が2頭、空を飛んでいるのを見ました。
 片方には長い緑髪の女の人が乗っていました。もう片方は小さめの馬で、 短い緑髪の女の子が、少しふらふらしながら乗っていました。
 それを見ると、レヴィン様は木のかげにかくれてしまいました。

 青い空を白い馬が飛ぶけしきはとてもきれいで、 思わず、「すごい…」と言いました。
 そんな良い目をするユリアははじめて見た、とレヴィン様は言いました。

 レヴィン様がかくれているので、「ロプトの追っ手なのですか?」と聞くと、 「いや、ちがう」とだけ答えてくれました。

グラン歴 773年 7月 9日
作者・鵜楽氷水様
今日は、またレヴィン様と住む場所を変えました。
今度は前に住んでいた所より、少し寒い所です。

もうこれで何度目になるのでしょうか?
どうしてロプト教団の人たちは私を追ってくるのでしょうか?
どうしてレヴィン様は、何の関係も無い私の為に色々と心を砕いて下さるのでしょうか?


分からない事がたくさんあります。

ですが一番分からない事があります。
それは、私が何故そこまで追われ、また生かされる存在なのかという事です。
私には、そのような価値が自分には無いように思えます。

だって、私には何も無いのですから。この身体と心一つ以外は……


グラン歴 773年 9月 3日
 村の人に、あなたはどこの人か、とたずねられました。
 分かりません、と答えると、あなたのような人はとても珍しい、とのことです。

 落ち着いた物腰で、姿勢がよく、発音にシレジアのなまりが無いと。 そして、わたしがもともと着ていた服が、グランベルの首都バーハラの店で見かけた 超一流品だともいうのです。

 …わたしが何者なのか。
 今までは、どうでもいいと思っていたこと。
 知りたい、という気持ちが、少し頭をもたげました。

グラン歴 773年 12月 21日
 今日も、学問書を読み進めます。読み書き、計算、科学、地理歴史、宗教、 ひととおりのことは習得したように思います。
 レヴィン様から、ユリアはよく覚えるな、と言われました。
 わたしにはもともと何もないから、かもしれません。

 「ロプトの血を引く者は火あぶりにされること」が正しいか、 意見を求められました。
 …分かりません。そういう考えの人も、そうでない人もいるでしょう。
 わたしは、何かの意見を言いたくない…言えるような人ではない、 そんな思いがするのです。

グラン歴 774年 2月 3日
 今日、わたしは悪いことをしてしまいました。

 近頃は食料が手に入らないので、むしょうにお腹がすいていました。
 とぼとぼと歩いていると、村人とその娘さんが来てくれて、 固いパンとしなびたリンゴ、 ほんの少しのお金を手に、これをあげると言ってくれました。
 その手を、なぜかわたしは払いのけてしまったのです。
 後でレヴィン様に、きつく叱られました。

 なぜそんなことをしてしまったか、分かりません。
 その村人たちは、はたから見ていてもとても貧しい人たちでした。
 そんな人たちにさえ恵んでもらうという、わたし自身がみじめに思えた からかもしれません。でも、それだけではなくて。
 必死で生きて、畑を耕している、そんな人たちの 命をつなぐ、貴重な食べ物。それを、わたしが取ってよいものでしょうか。
 わたしは、何かを持ち、何かを生み出している彼らが、うらやましくて しっとしていたのかもしれません。

 後で、村人たちに謝りました。
 わたしの集めた木の実と、彼らの食料を、みんなで分けて食べました。



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