わたしへの笑顔、彼女への笑顔


 それは、今までの純真な子供のわたしに別れを告げ、 汚い大人になってしまった日かもしれない。
 それでも、わたしは彼女…ユリアさんに会えて良かったと思う。
 セリス様も彼女も、この出会いで幸せを見つけたことは 間違いないから。…ううん、それだけじゃない。
 きっと、わたしだって…。


 ガネーシャ城の城門前の広場。これまで同様何の予告もなく 風のように現れたレヴィン様は、いつもの通りセリス様だけを呼び出した。
 レヴィン様の近寄り難い雰囲気を前に、わたしたちは何となく そこを見ずに別の話をしていたのだけれど。 セリス様が息を飲む音が聞こえたような気がして、 わたしは思わずそちらを振り返ってしまった。
 そこにいたのが、彼女だった。
 伏せられた紫の目は宝石の原石のようで、きれいなのに どこか曇ったように見える。巫女のローブに包まれた体は 叩いたら折れてしまいそうに華奢だ。 かなり不安げな表情で、話しにくく、 仲良くなりにくい感じのする女の子…。
 それが、彼女を見た瞬間の印象だった。

 でも、セリス様の印象は違ったようだ。
 レヴィン様はしばらく何かを話した後に立ち去り、 その場にはセリス様と彼女だけが残された。
 わたしは、遠くからセリス様を横目で見るだけ。
 その場に割り込んだり、あからさまに見つめたり、 聞き耳を立てたりしては、いけない気がしたから。
 それでも、わたしが見るセリス様の姿だけでも、 わたしの心を大きく波立たせた。

 セリス様…わたし、見たことありません。 あなたのそんな表情を。
 まぶしさに眩むように、目を細めて早口で話すあなたを。
 顔が少しだけ紅潮して、大声になって、頬が緩んで、 そしてそのどれにも負けないほど輝いた、あなたの目を。
 初対面の相手に、自分を「ぼく」と呼ぶあなたを。
 「きみを守るから」と…そして、「…本当はそんなに 強くないんだけどね」と、強さも弱さも出してしまうあなたを。

 暗い印象だった彼女の顔。セリス様の言葉を受けても、 傍目には変わらなかったと見えるかもしれない。
 でも、わたしには…彼女もまた、セリス様の言葉を受けて、 硬く沈んだ表情を和らげ…わずかに微笑んだように見えた。

 セリス様はそのまま、彼女をともなって城内へと消えていく。 わたしはその後姿から、目をそらすことができなかった。 二人の姿が消えた後も、ずっと、ずっとそこを見つめていた。
 「…ん、どうした、ラナ?汗かいてるぞ。気分悪いのか?」
 レスター兄様に呼ばれて、はじめて我に返ったわたし。 全身が硬くなり、歯を食いしばり、杖をこれ以上ないほど ぐっと握り締めていることに、自分ではじめて気がついた。

 そんなことがあったから。
 わたしは、どうしても彼女を。
 ユリアさんを、意識しないわけにはいかなかった。
 夜、ベッドの上で目を閉じても、瞼の裏に浮かぶのは あのときのセリス様の笑顔。 17年生きてきて、一度も見なかった、幸せそうなセリス様。
 …その夜、私は何度も寝返りを打って。枕を、毛布を、抱きしめて。
 結局、一時も眠ることはできなかった…。

 認めたくないけど、気づいてしまったのは、 わたしの心にはじめて生まれた感情。
 プリーストとして、神に仕えるものとして、あってはならない感情。
 …嫉妬ジェラシー

 ぱんっ!
 窓から朝日が差し込む中、朦朧とした頭を抱えてベッドから起き上がった わたしは、自分の頬を思いっきり叩いた。
 こんなことを…くだらないことを考えている場合じゃない。
 きょうは、出陣なのだ。

 今日の戦いは、苦戦が予想された。
 ガネーシャを落としたときとは違う。 今度は相手がこちらの存在を認識し、組織だって警戒してやってくる。 しかも、部隊は2つ。騎馬隊と歩兵隊の相手を、同時に しなければならないのだ。
 わたしたちの前で、セリス様が戦術の確認をする。
 「オイフェが前線で盾になって、敵将のヨハンが見えたら ラクチェが例の手はずどおり…」
 きびきびと説明するセリス様。若いながらもその姿には、 すでに一軍を率いるリーダーの風格が備わりつつある。 これまで兄妹のような感覚で一緒に育ってきたけれど、いつの間にか わたしよりずっと大きくなっている。 このまま、遠い存在になってしまいそうな不安にかられる。
 「ラナは、ラクチェたちの後ろで対ヨハン部隊の 回復にあたって。私は、ヨハルヴァの歩兵隊を引き付ける。」
 「はい!」
 セリス様の指示に、私は気合いを入れて答えた。 その横から、おずおずと進み出てきた人影があった。
 「あの…」
 ユリアさんだ。彼女も、何かの役目を待っているのだろう。 セリス様のほうを、じっと見る。
 「ユリア、きみは何もしなくていいよ。 レヴィンも言っただろう、きみを守るのがぼくたちの役目なんだ。 戦場の後ろの草原で、待っていてほしい。 危なくなったら、安全なところまで逃げるんだ。 前線に出てはだめだよ。わかったね。」
 セリス様はそう言って、にっこり彼女に笑いかけた。
 その笑顔は、指揮官としてのもの。 ユリアさんを守るという役目を与えられたから、 彼女を安心させるために笑って見せた。 そう、思うことにした。
 そう、思わなければいけなかった。
 …目の前にあるのは、戦いだ。
 余計な感情は、捨てよう。

 「よろしくね、ユリアさん」
 「はい。」
 ユリアさんとはじめて言葉を交わしたとき。 にこやかな笑顔、優しい声色とはうらはらに、 その場には目に見えない冷たい糸が張り巡らされているような気がした。
 それはきっと、最初から微妙な関係だったわたしとユリアさんのせい。 このときわたしは、そう思った。
 でも本当は、わたしだけが意識していたのかもしれない。

 騎馬隊との戦いは、さほど厳しいものではなかった。 というより、ほとんど戦いらしい戦いは無かったのだ。 馬首を並べて襲い掛かってくる敵兵の正面にラクチェが立つと、 敵の指揮官から兵士に停止命令が出た。 そのまま進み出た彼…ヨハンさんは、ラクチェの説得にあっさり応じ、 わたしたちは血を流さずして多くの味方を得ることができた。
 だが、安心したのはつかの間だった。
 遠くから駆けつけたレスター兄様が、馬の足音に劣らぬ 大きさとせわしなさを持つ声で叫ぶ。
 「セリス様が負傷した。応援を頼む!」

 兄様の話では、慎重な戦いを続けていた敵の歩兵軍が ある時を境に猛然と攻撃に出て、不意をつかれたセリス様が 深い傷を負ってしまったそうだ。 セリス様はいったん城まで退却し、残りの敵はスカサハたちが 支えているという。
 「戦場に来い。ラナ、早く!」
 すでにヨハンさんの騎馬隊やオイフェさんたちは 戦場に向かっている。残ったのは、わたしたちだけだ。 兄様が馬上から手を差し伸べる。 本当は即座に行動に移るべきだったが、わたしは大きな不安に駆られた。
 「待って。セリス様は大丈夫なの?敵は城まで追ってくるんじゃ…!」
 「話は後だ。とにかく来い!」
 レスター兄様の声に従い、わたしは走り始める。 それでも、行き先がセリス様のいる城ではなく前線であることに、 わたしは不安を隠せなかった。
 ヨハンさんの話によると、もうひとつの敵・ヨハルヴァの部隊も かなりの人数だ。戦力を分けて、負傷したセリス様を 追撃にかかるかもしれない。 激戦の中、わたしの回復の力は必要かもしれないけれど、 でも、わたしはどうしても…セリス様が心配なのだ。
 城にいるだろうユリアさんも、回復の杖など持っていない。 回復役が一人だけというこの部隊の欠点が、 こんなときに出てしまうなんて…!
 そのとき。

 「お待ちください、ラナさん」
 わたしにかかった声の主は、仲間になったばかりの少女、ユリアさん。 何も装備が無いため、今日の戦いでは後方でじっとしていた。
 「ユリア、なに?」
 「不安なのです。セリス様が怪我をされたと聞いて…。 城に戻られたというのですけれど…。」
 …!同じことを、考えている。
 わたしの気持ちは、複雑だった。 セリス様への心配が適切なものであったと感じたこと、 そしてそれに対する納得と、セリス様の危険への不安。 セリス様への気持ちがわたしだけのものではなく、 ユリアさんにもあることに対する、軽いライバル心。 彼女がそこまで気を回すことができることに対して、 能力を認めようという気持ち。
 火急を要するこのとき、わたしの頭の回転は素早かった。 ユリアさんが巫女であること、その能力に気がついたのだ。
 「ユリアさん、もしかして、回復の杖を使える?」
 わたしはユリアさんに聞いた。 彼女は目を一瞬しばたたいた後、少し表情を引き締めて、 こくりとうなずいた。
 よかった。これで、状況は好転する。
 戦場は目の前。回復役が二人いる。そして、 わたしの手元には、回復の杖が数本と、ワープの杖があった。 ひとりがこの戦場で負傷者の回復にあたり、 もうひとりが城にワープして、セリス様を回復させればよい。

 じゃあ、セリス様を回復……
 そう口に出そうとして、数瞬、わたしは凍りついた。
 わたしとユリアさん、どちらが、城に行くの?

 わたしの頭脳は、明快な論理で回答をはじき出した。
 傷ついたセリス様のもとに現れるわたし。 「無事だったのですね」と、声をかける。 ライブの杖で、優しく傷を癒すと、セリス様は大きく息をつき、 「ありがとう」と微笑んでくれる…
 そんな情景が、目に浮かんだ。
 この役目、譲れない。

 ユリアさんに傾きそうなセリス様の気持ちを呼び戻すには、 方法はひとつ。 ユリアさんにリライブとワープの杖を渡して、 ワープでわたしをガネーシャに送ってもらうのだ。 そして戦場での回復は、彼女に任せる。
 もし、この関係が逆転してしまったら。

 わたしはもう一度、ユリアさんを見つめた。
 風が吹き、彼女の豊かな紫の髪を揺らす。 だが、その瞳は揺れなかった。じっと、こちらを見ている。

 さっきまで胸の奥に思い描いていた、セリス様とわたしの姿。
 わたしの位置に、ユリアさんを当てはめてみた。
 とたんに、セリス様の顔が赤くなり、目が少しだけうるんだ。 あのときユリアさんに見せた笑顔が、そこにあった。
 そのまま、ユリアさんの姿をもう一度、わたしに置き換えようとした。
 でも、わたしの前のセリス様は、どうしても、 あんなふうに躍動感あふれる笑い方はしてくれなかった。

 わたしは、ユリアさんを思いっきり叱り飛ばした。
 「…どうして!どうして杖が使えるって、戦いの前に言わなかったの! 言っていれば、もっと楽に戦えたのに。怪我人だって出さずに…! セリス様に…みんなに迷惑よ!」
 ユリアさんは、うつむいて小声で答えた。
 「…申し訳ありません…」
 そんな彼女に、わたしはリライブの杖を押し付ける。
 「この軍で、働かずにのうのうと暮らそうったってそうはいかないわ。 この杖で、セリス様を回復するのよ!いいわね!」
 そう言い放って、彼女に返答の機会を与えず。
 わたしはワープの杖を振るい、 ユリアさんをガネーシャ城へと飛ばした―――。

 そのあと、セリス様の無事を祈りつつ、何度か仲間を杖で回復し。 やがて、敵の歩兵隊との激戦が収束し、わたしたちは大きく息をついた。

 わかってる。
 ユリアさんが悪いんじゃない。彼女が役割を与えられなかったのは、 セリス様の指示だ。彼女はそれに従ったに過ぎない。
 自分の想像の中でさえ、わたしよりもユリアさんのほうが セリス様を喜ばせられるとわかってしまったとき。 わたしは、場所もはばからず、泣きたくなった。
 でもそれは許されない。一緒に戦うみんなに迷惑はかけられない。 それに何より、そんなわたしを、ユリアさんに見せたくない。
 だから、わたしは…。
 怒りの仮面をかぶることで、涙を隠したのだ。

 こうしたら、ますますユリアさんに差をつけられてしまうのに。
 なぜ彼女をセリス様のもとに行かせたのか、自分でもわからない。
 ただ、ユリアさんの前で微笑むセリス様が頭に浮かんだとき、 わたしは自然にそれを決めてしまっていた。

 目の前には、敵の指揮官が倒れていた。まだ若い、精悍な男だ。
 もう目を開かない彼に向かって、ヨハンさんが語りかけた。
 「馬鹿な弟だ…悲しいな。 お前もラクチェを愛していたのは知っていたが、 こんなことになるとは…思っていなかった。」
 聞いたところ、彼…ヨハルヴァさんは、ヨハンさんが ラクチェに口説かれて寝返ったのを聞いて、ラクチェが彼を選んだと思って 逆上してしまったのだそうだ。 ラクチェは彼も説得するつもりだったけれど、ヨハルヴァさんは 死を覚悟した猛突撃でセリス様に傷を負わせ、 オイフェさんも彼を捕らえることができず、 彼は激戦の中に消えていったのだという。

 城に戻ったわたしたち。
 手を振って出迎えてくれたのは、仲良く並んだセリス様とユリアさんだった。
 夕日を受けてたたずむお二人は、それだけでとても絵になって。 わたしはまた、後悔しそうになった。

 ふう…バカだなあ、わたしって…。
 でも…もう一度同じことがあったら。 やっぱり、ユリアさんを送り出すような…気がする。

 「セリス様、よかったですね。ユリアさんに助けてもらって」
 「ユリアに聞いたよ。ラナ、きみのおかげだって。 これからはユリアもラナたちと一緒に戦ってもらうよ。ラナ、ありがとう。」
 そのときのセリス様の笑顔は、わたしに向けられていた。
 でもそれは、ユリアさんへの笑顔とは、やっぱり違うものだった。

 わたしへの笑顔、ユリアさんへの笑顔。
 セリス様の笑顔が、わたしの気持ちを揺さぶる。
 嫉妬を知ってしまったわたしは、もう 何も知らない花のような少女には戻れない。
 でも、これでいいんだという気持ちもある。これが、人の気持ち。 あとはわたし自身で、どうすればいいか決めればよいのだから。
 ヨハルヴァさんのように、恋で身を滅ぼすような 悲しいことはしたくない。 嫉妬を戒めるシスターの教えだって、正しいと思う。
 でも、簡単にはユリアさんに負けたくない。 わたしにだって、昔からの夢があるんだ。

 これからも…わたし、いろんな時に悩むと思う。
 ときには、矛盾したことを、するかもしれない。
 でも、セリス様の本当の笑顔を守ること、それをわたしが見ることが わたしの希望だというのなら。 たとえ矛盾があっても、それが、「わたし」なのかなって…思った。

 「はい。セリス様、ユリアさん、これからもよろしくね!」
 とりあえず、わたしは微笑んだ。遥か彼方に続く草原を前にして。


 セリス様のコメントへ


 制圧部隊に戻る

 トップページに戻る