闇の皇女・後編 雪の章


 シレジアに古くから伝わるひとつの伝承がある。
〜吹雪の時には、無用心に外を歩いてはいけない。
 黒衣の女がさ迷い歩き、出会った者を殺してしまうから〜
 吹雪の危険さを象徴した物語だと言われている。

 例年通りの吹雪が、冬のシレジアを襲っていた。
 この時期は街の外どころか、家の外に出る者すらほとんどいない。 しかしその中でも、伝馬騎士は国を空より見回るのである。 雪と風に備えて厚い衣服とマントをまとい、 吹雪の中でも視界を保てるペガサスと共に国内を見渡し、 道に迷った旅人や何かの事情で外に出た人を保護するのである。
 
 この日、白いマントで身を包み、フードを目深にかぶった一人の旅人が、 吹雪の中を歩いていた。その小柄さから女性と思われるが、 降り続く雪と深く積もる雪にもひるむことなく、一歩一歩確実に進んでいく。
 と、天空からひとつの影が舞い降りてきた。顔を上げるまでもなく、 それが天馬騎士だということは分かる。
「誰?吹雪の中を歩くのは危険よ。失礼だけど顔を見せて」
言われて旅人は目深にかぶっていたフードを下ろした。まだ顔に幼さを残した少女だった。 天馬騎士は怪訝な顔をした。
「緑の髪、だけど…あなた、シレジア人なの?」
 彼女が疑問を持ったのも無理はない。シレジアの民はほぼ例外なく緑の髪に緑の瞳であるからだ。 だが、目の前の旅人は緑髪なのに瞳はルビーのように赤い。 そんなシレジア人は間違いなく存在しないのだ。
 そのとき、旅人のマントの前が二つに割れた。マントの下に見えた黒衣。 それが最後に天馬騎士の見たものだった。

 一閃。返す刀でもう一振り。

 旅人のマントは全く汚れていなかった。だが、そこには物言わぬ天馬騎士と彼女の天馬、 そして彼女らの血の跡が残っていた。
 それに軽く雪をかぶせると、旅人は再び歩き始めた。 絶え間ない雪が、やがて亡骸を完全に覆ってしまうだろう。

 旅人は少しずつ、だが確実に前へ前へと進んでいった。 彼女の進む方向には、シレジア国境を守る要衝・ザクソン城があった。
だが、彼女はザクソン城に向かっているわけではないようだ。その方向を目指しながらも、 決して城には近づこうとしない。城の付近を歩きながら、何かを待っているようだ。
 風の勢いは弱まり、雪もわずかに手心を加え始めたようだった。 旅人はザクソン城の視界から見えない辺りをさまよい続けた。

 やがて、ひとつの影が頭上からふわりと舞い降りた。 やはり一人の天馬騎士が乗っていた。だが、随分と幼さの残る天馬騎士である。 両耳につけたイヤリングが目を引く。旅人は足を止めた。
「ね、あなたこんなところで何をやってるの?吹雪は少し弱まったけど、 こんな中歩いてたら凍え死んじゃうよ」
天馬騎士が声をかけると、旅人はフードをゆっくりと外して言った。
「あなた…もしかして、シレジアの王妹君、フィー様ですか?」
「う、うん。そうだけど」
やはり旅人の赤い瞳に気を取られてか、雄弁で知られるフィーは珍しくどもりながら答えた。
「それで、あなたは?見た感じシレジア人みたいだけど」
「あたしですか?あたしは…旅のシレジア人で、ドライっていいます」
「ドライ?変わった名前だね。どうしてこんなとこにいるの?」
 ドライはその赤い瞳でフィーの緑の瞳をじっと見つめると、ゆっくりと言った。
「実は…フィー様に申し上げたいことがあるんです」
「あ、あたしに?」
ドライの赤眼の輝きを見つめたまま、フィーは答えた。
「はい。フィー様でなければならないのです…」
二人のシレジアの少女。赤い瞳と緑の瞳。互いの眼を見つめ合ったまま、 しばらく沈黙の時が流れた…

「フィー様は、ロプト教団というのをご存知ですか」
 抑揚のない声で、ドライが言った。フィーは無言で首を縦に振った。
「ロプト教団はこの大陸のものと違う宗派ゆえ、常に弾圧を受けてきました。 確かに過去は罪もなき子供を生贄に捧げるような惨い行為もしてきました」
ここでドライは言葉を切った。フィーはドライの瞳を見つめたまま、話に聞き入っている。 ドライは続けた。
「しかし、それはもう昔の話。次に世に現れるとき、 ロプトは心の矛盾に苦しむ人々を解き放ち、勇気なきひとに勇気を与える… そんな教えを説くんです。その教えが広まれば、今は悩んでる人も、 不幸や差別に苦しんでる人も、セリス王の世で幸福を甘受していない人も、 みんなが救われるんです。わかってくれますか」
フィーは完全に虜になっている。ドライの言葉に、そして瞳に。
 心の中でドライはほくそえんだ。噂には聞いてたけど、甘い姫様だね。 魔将の瞳には見る者の心を捕える魔力が備わっている。 ロプトウス直々に力を与えられたユリア皇女には及ばないけど。 今までまだるっこしくて使っていなかった力だけど、 こんな簡単に一国のお姫様を思うがままに出来るなんて思わなかった。
 止めをさすべく、ドライは次の言葉を放った。低く、何の感情もこもらない声で。
「ですから…フィー様。これより現れるロプトは、もう邪悪な存在ではありません。 人々を悩みから救う、聖なる存在なんです。どうかロプトの再来があったとき、 攻撃なんかしないでください。いいえ、ロプトを支持し、助けて下さい」
 フィーの頭が、ゆっくり、縦に揺れた。
「…わかった。あたしは…ロプトを、助けるね」
「分かってくれたんですね、ありがとう」
 もはやその顔に笑みを隠さず、ドライは言った。 これで難敵シレジアに、大きなくさびを打ち込めた。彼女はそう確信した。
 それだけに、フィーの次の一言はドライを狼狽させた。
「ドライは…なんで、そんなに苦しんでるの」
 ドライに苦しんでいるという意識は全くなかった。 狂戦士として人間を密かに葬り去り、今ここで使命を完遂したばかりなのだ。それなのになぜ。
「…ちがう。あなたの、深い心のほう」
 深い心?それは一体、なんだ。フィーの深緑の瞳が、ドライをじっと見つめている。
「そっか…この国で、嫌な思い出があったんだね。実力で勝ってると思ってた人に、 立場で負けちゃったのね。だから、頭と心と体を変えちゃったんだ」
 全く覚えがない。だが、フィーのその言葉は、確実にドライの頭にしみ込んでいった。
「見せて…その赤い瞳の奥で、別のあなたがもがいてる。 評価されたい、思うがまま生きたい、って。今のあなたと奥のあなた、どっちもあなた。 でも、それが別々になってしまってるから…」
 ドライは急に恐ろしくなった。逃げ出したかった。 だが、フィーの緑眼から目がそらせない。自分が彼女の眼を捕えているのか、 彼女が自分の眼を捕えているのか、分からなくなってドライの頭は破裂しそうだった。

 そのとき。
「フィー様っ!!」
 気づかぬうちに一人の天馬騎士がこちらに駆け寄ってきていた。 まだ十代半ばを過ぎたくらいの若い騎士だ。フィーの護衛役であろうか、 若さに似合わない立派な装備をしている。
「フィー様、勝手に外に出られては…んっ!?お前、何者だ!」
 ドライに気づき、彼女はすらりと剣を抜いた。だが、フィーが彼女を制した。 その動作は彼女に似合わず緩慢だったけれど。
「待って、フェミナ…この子は…敵じゃないわ…」
 ゆっくり言葉を口にするフィーの瞳は、緑ではなく…赤だった。
 フェミナは直感的に主の異変を察した。自分と年の変わらない正体の分からないやつが、 フィー様に何かした。フィー様は正常ではない。そうとなれば主命を破るも仕方なし。 そう判断したフェミナは剣を構えると、ドライに向かって走っていった。
「よくも我が主君に邪悪な真似をしてくれたな!覚悟っ!」
ドライは彼女をあざ笑った。深く積もった雪の中を走ってくる人間の動作速度など知れている。 ましてや小柄な少女、しかも戦場を経験しておらず、ペガサスにも乗っていない騎士だ。 ドライにとって、フェミナの動作は止まっているかのようだった。
 ようやく剣の間合いに入ったフェミナはドライを突いた。 しかしドライはその剣を軽くあしらうと、フェミナの胴に強烈な当身を打ち込んだ。
「ぐ…がっ」
フェミナは剣を落とすとその場に倒れこんだ。白目をむいているところを見ると失神したらしい。
「はあ…はあ…」
珍しくドライは疲労を覚えた。普通ならこれしきの戦いともいえない戦いで疲労するはずがないのに。
 だがそれで終わりではなかった。彼女めがけて、頭上から一本の槍が降ってきたのだ。
「!!」
 危うくその場から動くドライ。槍は彼女がその前の瞬間までいた場所に的確に突き刺さった。 そして天空から女性の声が聞こえた。ドライにとっては忘れることの出来ない声だった。
「我が部下や主に手を出すことは許さない!去るならそれでよし、去らないなら攻撃する!」
 その声の主が誰だかは分かっている。いくら憎んでも憎み足りない女。 なぜ憎んでいるのかはもう覚えていない。ただ、無限の憎しみだけがある。
「…騎士団長、ミーシャ!殺してやるっ!」
ドライはマントの下から手斧を取り出すと、投げる構えを取った。 天空を駆けるペガサスが見える。おそらくその上からミーシャもこちらを狙っているはず。 だが、ミーシャはこちらの手斧が届くとは思っていないはず。 馬鹿め。あたしを人間と一緒にするな。
 だが、ドライが手斧を、ミーシャが槍を投げようとした瞬間… ドライは光に包まれ、あっという間に消えてしまったのだ。 ミーシャは一瞬目を疑ったが、近くにドライがいないようだとみて降下し、フィーの元に降り立った。
「フィー様、ご無事…ではないようですね」
 赤くなったフィーの瞳を見て、ミーシャは言った。 まだ若いにもかかわらずどんな内容でも感情を込めることなく淡々と話す、いつもどおりの口調だった。 それが部下の天馬騎士に慕われる理由であり、また一部の天馬騎士に妬まれる理由でもあるのだけれど。
「ううん…大丈夫よ。少し疲れただけ。お願い、フェミナを運んであげて。 そして、彼女が気がついてから話を聞いてほしいの。やらなきゃいけないことがあるから」

 「なぜ、あたしをレスキューで引き寄せたの!あいつを殺すチャンスだったのに」
人の近づかない森林の中で、ドライはアハトにくってかかっていた。 せっかく斧を投げるばかりだったのに、 彼女が引き寄せの杖を使ったせいでドライは逃げることになってしまった。 それが最強の戦士を自認するドライにとっては不服だった。 一方、気まぐれなアハトは手の中の杖で遊んでいる。
「答えて!理由次第によっては、魔将のあんたでも…」
 激しい剣幕のドライに対し、アハトはくすりと笑って言った。
「あのまま戦ってたら、あなたの方が死んでたから。槍に貫かれてね」
「バカ言わないで!魔将のあたしが人間の槍なんかで」
「魔将?あなたが?」
 無邪気に微笑むアハトの表情と言葉に、ドライは困惑していた。 そのドライにアハトがぽそりとつぶやいた。
「…瞳が緑なのに、魔将なの?」
「…!!!」
衝撃のあまりその場に崩れ落ちるドライ。
「ふふっ、ウソよ、ウソ。いつもどおり赤い瞳だよ」
「な…」
安堵か、失望か、ただの驚きか、ドライは深々とため息をついた。 よかった。普段なら怒るところだが、今のドライには怒る力すら残っていなかった。
「ただ、あのまま戦ってたら死んでたってのは本当だからね」
「…わかった。もう戻ろうよ、任務は終わったんだし。これ以上人殺しもできなさそうだしね」
 平静を装っていつものような言葉を吐いたものの、彼女の心は乱れていた。 フィーの緑の瞳、そして言葉が頭から離れないのだ。 いくら調整を受けたところで、このことは頭から消えないのではないか。 そんな予感がドライを悩ませていた。

 一方、ザクソン城の一室にて。
「ちょっとフィー様、本気なのですか?」
フェミナがフィーに食って掛かった。他に部屋にいるのはミーシャだけだ。 彼女もかすかに困惑の表情を浮かべていた。 常に表情の揺らがない彼女としてはとても珍しいことだった。
「本気よ…。シレジア国境を閉鎖するよう、警備隊に命じて。 権限は…あたしが、兄さんからもらってるから」
窓の外を見、二人に背を向けたままフィーは静かに言った。
「そうじゃありません。どんなことか分かってるんですか? 国境を閉鎖すれば、国内に異変が起こってもイザークやグランベルの応援は見込めません。 そして逆にその二国に異変が起こっても、私たちは助けにいけないんですよ。 もし二国を見捨てたら、シレジアの立場はどうなると思ってるんです!」
ミーシャは無言のまま、二人を見守っている。
「わかってる…でも、必要なの…」
「それなら理由を説明してください!」
フィーはすっと向き直った。ややうつむいたまま二人をじっと見すえる。 瞳が赤くなったせいか、彼女の眼は心なしか以前より鋭くつり上がったように見えなくもない。 奇妙な迫力が、彼女の小柄な身体から放たれていた。
「…口答えは無用…。これは、命令だよ。国境を、完全に…閉鎖するの。 拒否は、許さない…。…行って」
 その気に押され、二人は命令受諾の敬礼を返すと、早々に部屋を出た。

「フィー様、完全に変わってしまわれた…あの黒い衣の女のせいで」
ミーシャと共にザクソン城の廊下を歩きながら、フェミナは自責の念を込めて言った。 ミーシャの表情はいつもどおりの静かなものだった。もう何を考えているのかも表れていない。 無言のミーシャに、フェミナはさらなる罪の意識に駆られた。
「私が悪かったんです。私がフィー様をしっかり警護していればこんなことにはならなかった。 あの曲者と刺し違えていればよかったかもしれない。そうすればフィー様も…」
不意にミーシャの手がフェミナの肩に置かれた。 フェミナは自分の目線よりだいぶ高いところにあるミーシャの顔を見つめた。 その表情は動いていないが、目には優しい光が宿っていた。
「お前の責任ではないわ。お前はやれることをやった。 そしてこれからも、フィー様のためにやれることをやればいい」
 ミーシャは言った。彼女が部下への念を言葉に出すのは珍しい。 それだけに、フェミナは少なからず力づけられた。
「それに、心配しなくてもいいと思う。フィー様は変わっておられない。 少なくとも、お前が心配するほどはね」

 フィーは自室の窓から、フェミナとミーシャが国境方面へ飛んでいくのを見つめていた。 瞳は赤いが、その顔からはすでに恐怖の気は消えていた。
「ごめんね…フェミナ、ミーシャ。でも、こうしなければますます被害は大きくなってしまう。 シレジアも、グランベルも、そしてロプトも」
そうつぶやきながら、彼女の瞳は南、イードのほうを向いていた。
「カリン…それが、あの子の本当の名前。ドライ…それもあの子の名前。 あの子を救ってあげないと。 あの子だけじゃない、何が本当の心で、何が偽りの心なのか苦しんでる、何人もの人たちを…」
 赤くなったフィーの瞳には、この先起こる争乱がわずかながらも映っていたのかもしれない。




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 セリス(コメント by マルチくうねる)
 こちらは、磯辺巻き様から投稿していただいた小説です。
 カリンの出番となりました。魔将側の主役が彼女なら、今回の裏の主役はフィー。
 フィーのアプローチは、スカサハやファバルとは一線を画したものとなりそうです。 彼女の思いは、どこにあるのでしょうか…。

 感想を伝えたいという方は、磯辺巻きさんあてに メールでお願いします。(ぺこり)



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