闇の皇女・後編 誇りの章


「この裁判についてのご意見は…」
「彼らに罪がないのは明らか。これしきのことなら、わたしに聞かず決めて」
「別の件では、一部の者が嘆願書を集めており…」
「そちらの罪は罪。一部に甘く一部に厳しく、では示しがつかないわ」
「城下の難民については…」
「先に発表した救済政策を採りなさい」
「しかしそこまで民を甘やかす余裕はないと、第三次閣議ではまだ議論が…」
「何度も多数決を採っていたら、その間に彼らが死んでしまう。すぐ実行に移して」

城主が解決しないといけない瑣末事はあまりに多い。 結論を城主に頼りきりであれば、なおさらだ。
多くのものには明白だと思われても、政治では実行までに手間がかかる数々の政策。
昼になって意見をうかがいに来る人の列がひとまず途切れると、 城主ティニーはため息をついた。
「もう…。どうして誰も彼も、簡単なことを難しく考えるのが好きなのかしら」
足を組み、前髪に手をやりながらつぶやく彼女を、 衛士アミッドは尊敬のまなざしで見つめていた。

ティニーのいとこで、解放軍にも加わった彼は以前から彼女を知っていた。
しかしその時の彼女は自信なさげ、常にうつむきがちで表情も暗く、 よく言えば「薄幸」悪く言えば「陰気」という形容がよく似合う少女だった。
何度か話をしたことはあるが、口数も少なく、話しやすい相手では決してなかった。
彼女がフリージ公の位を辞退して一時姿をくらました時も、大して気にはしなかった。
だから、彼女が「みんなのために決心した」という理由でフリージに戻り、 公位を継いだのを見た時、彼は驚きを隠せなかった。
まっすぐ伸びた背、きっと前を見据えた視線、決意に満ちた表情。
アミッド同様に彼女の継承を不安視していた者たちも、 りりしくなった彼女の姿に一転して賛意を示した。
しかしいかにりりしい姿をしているとはいえ、女性の城主は少ない。
甘く見られないための工夫だろう、彼女は背を高く見せ、 スタイルを際立たせる服を好んで着るようになった。
その印象の変化には、女性のチェックに余念のないアミッドも目を見張った。
薄化粧で猫背、ゆったりした服をまとっていたため分かりにくかったとはいえ 彼女がここまで美しく、そして妖しい魅力の持ち主であったとは思わなかった…。

「どうしたの、アミッド」
名を呼ばれてアミッドは我に返った。ティニーが口元に微笑を浮かべ、こちらを見ている。
「はっ、申し訳ございません。少々、考え事をしていたもので…」
「そう、それならいいの。でも、しっかりとわたしを守ってね。頼りにしているから」
「は、はい!」
考えが余計な方向へ飛んでいたのを恥じながら、アミッドは姿勢を正した。
そこにまた文官が入ってきた。また質問者か。ティニーの美しい眉に不満の影がさした。
「申し訳ございません。ですが、山賊が城外を荒らしているとのことで…」
おずおずと口を開いた文官だったが、ティニーの表情はさっと明るくなった。
「それなら構わない。彼らは不満を言っているだけ?それとも」
「それが、城内に入りきれない難民のキャンプを襲い、物品を奪ったり人をさらったそうで…」
多く控えている衛士の中で真っ先に声をあげたのはアミッドだった。
「なんて奴らだ。セリス様の治世になって世も落ち着こうってのに!」
「そ、それで彼らは近くの森に逃亡したそうです。あの、いかがなさいましょう?」
それには答えず、ティニーはすっと立ち上がり、アミッドに目をやった。 アミッドもすぐ理解し、走って部屋を飛び出した。
「衛士集合!出陣の準備だ、山賊どもを討伐する!」

30分ほど後には、フリージの衛士勢が玉座の間に揃った。 武器も魔法も使いこなしティニーへの忠誠篤い、精鋭中の精鋭である。 その前でティニーが檄を飛ばす。
「困窮する貧民を狙った卑劣な賊どもに手加減は要らない。殲滅します!」
「おおっ!」
「では、わたしに答えなさい。愛には!」
「友誼を!」
「賞賛には!」
「忠義を!」
「反逆には」
「誅死を!!」
フリージの家訓を唱え合うことで結束を確認し、戦意を高める、忠誠の儀。
ティニーは満足げにうなずくと、最前列に並ぶ数人の衛士へ直接声をかけた。
これは長い順番を待たないと回ってこない、衛士として最高の名誉の儀式である。
その日最前列に立てた幸運な者たちの中に、アミッドもいた。 ティニーはアミッドの肩に手を置き、顔を近づけると、微笑みながらささやいた。
「アミッド、あなたの忠義は分かっている。見ているから、私への愛のため、勇敢に戦って」
「はい!この命、ティニー様に捧げましょう」
ティニーの赤い瞳に見つめられて声をかけられ、アミッドはまさに夢心地だった。
彼女が他の衛士にも同じように声をかけていることなど、今の彼には全く見えなかった。
「では、出陣は明日の朝。あなたたちの武勇に期待するわ!」

高ぶった気持ちが治まらないまま部屋に戻ると、そこには誰かがいた。
「アミッド」
「リンダ!一体どうしたんだよ、珍しいな」
妹のリンダがそこにいた。普段都市の警備をやっている彼女が、 休みの時以外城に戻ることは少ない。
「出陣するって聞いたから、戻ってきたの。なんだか、嫌な予感がするから」
「縁起でもないこと言うなよ。お前より魔力で劣るって言っても、山賊なんかには負けないぜ」
「うん…アミッドは大丈夫だと信じてる。でも…」
「でも、何だい?気にしないでさっさと言いなよ」
「うん…でも…」
なかなか言おうとしない妹に、アミッドは内心もどかしさを覚えた。 いつものことだけど、俺の妹とは思えないな。
アミッドがそう考えるのは、あながち間違ったことではない。
緑髪の陽気そうな青年アミッドと、茶色の髪をした大人しげな少女リンダ。
彼らを見てすぐに兄弟と思う者はほぼいないだろう。実際、彼らの家系は多少複雑なのだ。
彼らの母はエスニャ。アーサーとティニーの母ティルテュの妹で、 戦死したフリージ公レプトールの次女である。
初めエスニャは政略結婚の道具としてシレジアの貴族の元へ嫁ぎ、息子アミッドが生まれた。
しかし相手が早くに病死すると呼び戻され、今度はフリージの傍系にあたる貴族と結婚。 この時に生まれたのが娘リンダだが、その男も戦死した。
元々父と兄を嫌っていた彼女は、逃げるようにして帝国の敵にあたるマンスター王の元へ嫁ぎ、 そこでようやく安住の地を得た。
なお、この二人の下で生まれたのが後のマンスター女王ミランダだが、 これはまた別の物語である。

「あくまで直感だけど…、なんだか最近の進軍、あまりいい気持ちがしないの」
「そりゃあな、俺だって人殺しは好きじゃない。でも国やみんなを守るためだ、仕方ないって」
「人を殺すことだけじゃない。なんだか…寒気のする、嫌な思惑が、動いてる気がする」
アミッドの表情がこわばった。
「嫌な思惑って…そりゃあ、ティニー様に悪い考えがあるってことか?」
しばらくの沈黙の後、リンダはつぶやいた。
「帰ってきてから、あの子急に変わっちゃった気がするの。 『怒り』といっても、前はあんな風じゃ…」
「仕方ないだろ!フリージを治める立場になってみろ、 以前の弱い子じゃ誰も言うこと聞かないだろ!」
怒りを抑えきれなくなってアミッドは怒鳴った。 その怒気にリンダは顔をそむけたが、明らかに納得していない表情だった。
「リンダ、お前もしかして、自分がフリージ公になれなかったから妬いてるんじゃないか?」
「!!」
アミッドの厳しい言葉にリンダは体を震わせた。図星だったのか、それとも動揺か。
もう何も言わず、彼女は部屋を飛び出していった。 それを見送ろうともせずアミッドはつぶやいた。
「まったく、分からない奴だ」

血のせいであろうか、 アミッドとリンダは性格も魔法の素質も全くと言っていいほど異なっている。
アミッドはシレジア人特有の緑髪と自由闊達な気性を持ち、操る魔法は風。
リンダはグランベル貴族特有の気品と貞淑さを備え、操る魔法は雷。
しかし何より違うのは、フリージ特有の「怒り」と呼ばれる、 激昂すると止まらない潜在的な人格の有無である。
「怒り」は復讐心によってのみ発動し、戦意と魔力を段違いに高揚させる。
その力で幾度も危機を乗り越えてきたフリージ家だけに、 当主には「怒り」の血を引くものが望ましいとされてきた。
だが、その力はフリージの申し子リンダと傍系のミランダに受け継がれても、 アミッドには受け継がれなかった。
それゆえ、ティニーが行方不明のままであればリンダがフリージ公となるはずだったのだ。
アミッドは「怒り」のなさを気にしたことはない。 上級貴族になって自由を失う方が大きな損失だった。
だが、妹がどう考えているのかを聞いたことはない。公爵という地位への思い、 ティニーへの気持ちを。
仲こそ非常に良かったが、二人の間には越えられない何かがあったのである。

そんな考えを引きずって戦場に出たせいだろうか、 生き生きと前線で戦うティニーの姿がアミッドにはいつもと違って見えた。
雷の魔法を振るう彼女が返り血を浴びたことはない。 彼女の魔法を受けるとある者は外傷なくこと切れ、ある者は痕跡すら残さず消滅する。
彼女の戦い方は「殺人」ではなく、「遊び」のように見えなくもない。 「戦争」ではない、女神が「戯れ」に人を消しているのだ。 アミッドはそう自分に言い聞かせた。
「うふふ…。わたしに逆らうなら、みんな消していいの。反逆者は死罪なんだから」
だがティニーの口から漏れるつぶやきを聞くたび、リンダの言葉が脳裏に蘇ってくるのだ。
『怒り』といっても、前はあんな風じゃなかったような気がする。 何が違うのかは分からないけれど。

「こ、降参する!助けてくれっ!」
「許しません。王国に逆らった以上、死罪は当然。さあ、みんな!」
「おおっ!」
他の衛士たちは全く疑問に思わず戦っている。どうして俺だけ悩まないといけない?
考えるのを止めようとすればするほど、疑問が大きくなっていく。勝ち戦に盛り上がる中、 1人浮かない顔のアミッド。
「アミッド!」
声で我に返ると、目の前にティニーが立っていた。
「一体どうしたの。そんな様子じゃ山賊相手でもやられてしまう」
「あ、いえ…なんでも」
「駄目よ。あなたが死んだら、わたしはどうしたらいいの」
他意はないのかもしれない。が、甘い響きの言葉に、 本音を隠そうとしたアミッドの心の壁は一瞬でとろかされてしまった。
「申し訳ありませんが…降参した反逆者の家族くらいは、許してやりたいんです」
言ってしまった。ティニーが法に厳しく容赦しないのは、誰より自分が知っている。 顔をしかめるか?困った顔をするか?それとも怒るのか?
「それも、一理あるわね」
「え?」
その意外な言葉にアミッドが驚き喜ぶより早く、ティニーの指揮が飛んだ。
「降参した者自身は許すわけにはいかないけれど、その家族は命を許す。そう伝えなさい!」

普段なら捕虜は一切とらないティニー軍だが、 今回の討伐はいつになく捕虜の多い凱旋となった。
家族ぐるみで山賊行為をしていた者が意外と多かったからだ。
「なんだ、命を許したのか?」
「珍しいこともあるもんじゃ」
「いやね、あんな罪人達、みんな処刑しちゃえばいいのに…」
民衆のつぶやきも、必要のない処刑ををしなくて済んだと考えるアミッドには届かなかった。
「ティニー様は俺の考えてる以上に度量のある人だ。リンダはやっぱり誤解してる」
そう思いながら、彼は遠征で疲れた体を休めようとベッドに入った。
だが、あまり休んだとも思わないうちに、彼を誰かが揺り起こした。
「ん?くそっ、誰だよこんな時間に」
「私よ」
いつの間にか真夜中になっていたらしい。 部屋に差し込む満月の光で、リンダの不安げな顔がうっすらと見えた。
「リンダ?どうしたんだ、こんな時間に」
「城に戻ってきたら、地下の方から叫び声がしたような気がしたの。 それだけじゃない、魔法の気配も」
「魔法だって?」
魔法の感覚は後天的な努力より、生まれ持っての才能に拠るところが大きい。
そして血筋の為せる業か、リンダはアミッドよりもはるかに魔法の才に優れている。
優れた魔法使いなら、魔法の気配を察知することもできる。
「山賊の中に魔法の使い手がいて、脱獄しようとしてるのかもしれない。よし、見に行くぞ」

だが不思議なことに、地下牢には誰一人として捕虜がいないのだ。
「どうなってるんだ?あれだけいた捕虜が1人もいないなんて」
「ここじゃないわ。もっと深いところから、魔力を感じる」
「もっと、って…ここが城の一番深いところだってお前も知ってるだろ」
だが、妹の才をアミッドは認めている。悪態をつきながらも、探る手は緩めていない。
そのうち石壁を探る彼の手が、他の石と少し違うものを探り当てた。 妙にすり減っている石をゆっくり押し込むと…
それに合わせて、地下牢の床がゆっくりと開いた。底の見えない階段が下へ下へと続いている。
奇妙な不安感から明かりを消すと、二人は音のしないように階段を下っていった。
と、その時。
閃光。そして、短いうめき声。焦げ臭い匂い。
最深部に部屋らしきところがあり、かすかに開いた扉から光がもれている。
二人は息を殺して覗いた。
部屋の中に、ティニーが立っていた。
その前には、縛られた夫婦が生きた心地もなく座っている。
その後ろには、小さな独房があり、子供二人が別々に捕らわれている。
部屋の奥は通路のようになっており、 おそらくより多くの囚人がその先に捕らわれているのだろう。
「た、助けてくれ。俺はどうなってもいい、妻と子供は助けてくれ!そういう話だったはずだ」
「どうか、どうかお許しを!主人を殺さないで下さい」
二人の嘆願を、ティニーはいつも通り微笑と共に聞いている。
「父さんと母さんを殺さないで!」「おうちに帰してよ!」
子供達の叫びにも、ティニーの表情は変わらないまま。
その手がゆっくりと上がり、男の前にかざされる。男が震えながら覚悟したように目をつぶる。
妻と子供が叫んだ瞬間、目のくらむような閃光が部屋に満ちた。

しばらくして、目にしている者たちの視力が戻った時、 部屋にはおびえる妻と泣き叫ぶ子供しかいなかった。
男のいた場所には、ただ黒い焦げ跡が地面に残っているだけだった。
ティニーは妻の方を見もせず、子供達の方に微笑みかけた。
「ふふっ。わたしのこと、どう思うかしら?」
泣きじゃくりながらも、子供達の眼に限りない憎悪の色が浮かんだ。
「このヤロー!殺してやる!」
「お父さんを返せ!悪魔あ!」
罵倒を受ける彼女の表情は、むしろ満足げだった。
そしてただおびえる妻の方へ向き直った時、その表情は冷たかった。
「あなたはどうするの?夫を殺したわたしを見て、ただおびえるだけ?
憎まないの?殺意を抱かないの?飛びかかってこないの?」
「ひ、ひいい!助けてください、どうか、命は」
蔑んだ笑いがティニーの口に浮かんだ。
「憎しみ、復讐心、嫉妬。これらを持つ人間は強くなり、進歩していく。
服従、忠誠を持つ人間はそれほど強くなれない。けれど、強い人間を支える役には立つわ。
…逆らいきることも服従しきることもせず、困ったら叫ぶだけの人間が、 わたしは一番嫌いなの。
憎悪を子供達に刻み込むための、糧となりなさい」

閃光が走った。
「だからって悲しみを与えていいというの!人の命を奪っていいというの!
あなたの言うことは一理あるかもしれないけれど、絶対に私は認めない!」
ティニーが魔法を放とうとするより速く、リンダが雷の魔法を放ったのだ。
高まった感情が彼女の「怒り」を呼び起こし、 その力によって何倍にも増幅された魔法がティニーを襲った。
厚い扉は粉砕され、部屋の中もタダでは済まなかった。 だが、人間には傷1つつかなかった。ティニーを含めて。
「リンダ…さすがわたしのいとこね。人間としては相当な魔法の威力よ。 でも、わたしを傷つけるには、まだ足りないわ」
アミッドは仰天した。確かに、今までティニーが傷つくのを見たことはない。
それは彼女の技量と魔力によるものと思い込んでいたが、今の魔法をまともにくらったのだ。 人間なら無事である方がおかしい。
「リンダ、逃げろ!俺たちじゃ、絶対ティニーにはかなわない!」
「イヤよ!せめて一矢報いてやらないと、逃げるわけにはいかない」
「バカ野郎、こんな化け物相手に勝負挑むなんてどうかしてるぜ」
悪態をつきながらも、アミッドの手は腰にくくりつけた魔道書に伸びていた。 だが、リンダの手がそれを制した。
「逃げて。二人とも死んだら何も意味がないわ。『怒り』の魔力すらないアミッドじゃ、 私より勝ち目ないから」
「分かってるけどスタコラ逃げられるか。だ…」
大事な妹を置いて。そう言おうとして、言葉に詰まった。だが、リンダは笑って答えた。
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいわ。だから、お……お願い、早く行って!」
今度はアミッドも迷わなかった。脱兎のごとく、彼は階段を駆け上がっていった。
「わたしに対する敵意、兄を守ろうとする心…それが力を高めてる。 おせじ抜きで素晴らしい感情ね、リンダ」
心の底から感心した表情でティニーが言ったが、リンダの方は再び厳しい顔つきに戻っていた。
「しゃべらないで。今のあなたは人間じゃない、化け物よ。私にあなたは絶対倒せない。
だけど…人であることを捨てたあなたに、人間らしい痛みを少しでも感じさせてあげる」
「いいね、その顔と言葉。今まで会った中で一番強い感情よ。さあ、力を見せて」


地下深い部屋で、力の衝突が一瞬起こり、城全体がうなり、揺らいだ。
そしてすぐ静かになった。


アミッドは必死で走った。広い城の扉を次々とくぐり、 怪しむ衛兵を振り切り、何とか裏門まで走った。彼の動きに続いて、茂みが揺れ動いた。
夜間に正門が開いているはずはないが、 裏門なら抜けられるかもしれないというわずかな望みを持ってのことだった。
だが、それもはかない望みだった。城門裏手の小さな扉は何重にも鍵をかけられており、 アミッド1人の手には余るものだった。
「残念でした」
声のする方を振り向くと、そこにはティニーが立っていた。 月光を浴び、うっすらと微笑を浮かべて。
アミッドは思わず笑った。逃げられないことなど、分かっていた。
「さすがですね。でも、まさかこんなに早く来るとは思わなかった。 あなたは一体、何者なんですか」
「この期に及んで余裕があるのね。いいわ、教えてあげるね。 わたしのもう1つの名は、ゼクス」
その名を聞いて、アミッドは合点した。何があったのかは分からないが、 目の前にいるのが何者かは納得がいった。
だが、あせりも恐怖も感じなかった。あまりに格が違いすぎる。気になることはただ1つ。
「リンダは、どうした」
ティニーは無言で、ペンダントを取り出した。アミッドとリンダが揃いでつけていたものだった。
「そうかい。妙なもんだな。こうなってようやく、あいつの存在の大きさが分かった気がするぜ。
本当なら女に手を挙げたくはないが…そのキレイな顔に、 傷でもつけてやらないと気が済まねえ!」
言うなり風の魔法がうなりをあげて飛んだ。
ティニーが受け流すつもりでいたとすれば、それは失敗だった。 予想以上の衝撃波が彼女を襲った。吹き飛ばされこそしなかったものの、彼女はよろめいた。
「そんな…こいつにこんな魔力が!?」
姿勢を立て直す間もなく、衝撃を伴った風の刃が真っ向から飛んできた。 完全に打ち消すのは不可能だった。
並の人間であれば、吹き飛ばされるか寸断されていたほどの強力な魔法。
月光を受けて青白く輝くティニーの肌に、 数本の線のような傷がついたのも当然のことだった。もはや彼女は笑わなかった。


音も光もない、黒い雷とでも言おうか。月の光をかき消すような闇が、城の片隅で静かに轟いた。


城内の者で、この夜の出来事を目にした者はいなかった。
茂みの中でうごめいていた影を除けば。

夜明けと共に、ティニーは目覚めた。昨晩負ったわずかな傷はもう癒えている。
疲労を覚えない彼女にとって睡眠という行為には何の意味もないのだが、 彼女は目覚めた後の習慣が好きだった。
まず長い髪をリボンで自分流にまとめ、それから鏡に映った自分の姿を眺める。そして…
ドアがノックされた。お気に入りの時間を邪魔されて、彼女は不機嫌に答えた。
「誰?」
「『黒』にございます」
「子供達の様子はどう?」
「多くがあなた様への憎しみで、恐ろしい目をしております」
「それでいい。彼女らの元に送るまで、憎悪を煽り立てておいて」
「はい。それと…あの二人は何なのですか?」
「感情から生まれたあの力は、血より強いかもしれない。殺さず彼女らのもとへ送って」
「…はい。それでは」
最後の声にはやや疑念が混じっていた。
ティニーは軽く舌打ちすると、鏡に向き直った。猫背でうつむいた、 影のある少女が映っていた。
着替えをし、化粧をし、ヒールの高い靴を履き、立ち上がり、すっと背筋を伸ばす。
鏡には、雷神イシュタルと見まごうばかりの美女が映っている。 違うとすれば、その赤い瞳に人間らしい光が宿っていないことか。
それが終わると彼女は、棚の上に置かれた肖像画を眺める。描かれているのは3人の女性。
ティニー、以前の自分。姉というべき存在だった、イシュタル。 そして彼女を苛め抜いた女、ヒルダ。
そして彼女は語りかける。まず、どこかおびえた表情をした自分に。
「恐れて何になるの?弱くて得るものなど何もない。 下僕になるか、主人になるか…どちらかなのよ。
恐れさえなければ、強く美しくあれるのに。…忌々しい」
そして次は、慕っていたイシュタルに。
「姉様は幸せでしたか?愛する人のために、無関係の人をも手にかけることが。
わたしは今の自分が、そして強さが好き。そして強さを追い求める人間も好き。
でも、もっと強くなるの。わたしに力をくれた人以外は、わたしより強くてはだめ」
最後に、忌み嫌っていたヒルダに。
「どう、ヒルダ?地味な娘であったこのわたしが、 完璧なスタイルと容姿であなたの前にいるわ。
地獄でさぞ歯噛みしているでしょうね。いい気味だわ」
そして肖像画に背を向けると、恍惚とした表情と気分で玉座の間に行き、 また人間の瑣末事に付き合う。
いつもならそうするはずだが、この日の彼女はそうしなかった。
ヒルダをじっと見て優越感にひたったまま、静かに続けた。
「あなたは自分の力を振るうのが何より好きだったね。魔力でも権力でも。
思えば、今のわたし、あなたの気持ちが少しは分かるわ。力って素晴らしいもの。
でもあなたは権力にこだわりすぎた。
イシュタルを利用して高みまで上り詰めようとしたけど、国自体が滅びてしまった。
バカな女。何にも頼らない力でなければ、支えを失った時にもろく崩れるのにね。
何にも頼らない力でないと…」
いつの間にか、彼女の顔から笑みが消えていた。
「アミッドとリンダの二人は、どうして何にも頼らず戦えたのかしら。
強力な魔道書があるわけでもない、わたしのようにフリージの直系の力もない。
ましてやアミッドはトードの血が薄く、『怒り』の力もない。 それなのに、わたしに傷を負わせた。
自分がおしまいだという状況で、それでも戦うことができるというの?
もしわたしが追い詰められたら、『自分』という支えがなくなったら…?」
急に彼女は自分が震えるのを感じた。自分もヒルダのように滅びるのか。 醜くあがきながら、1人で。
魔将となって透き通るように白くなった彼女の肌には、もう傷一つない。
だが、二人の人間と戦った時に得た傷は、彼女の心に細く、しかし深い切れ込みを入れていた。
急に1人でいることに耐え切れなくなり、彼女は立ち上がった。
今日は不思議と、人間のくだらない用事に付き合ってやりたくなった。衛士を呼ぼうか。
どちらにせよ、準備に取り掛からねば。その日はすぐだ。

薄明の暗さに紛れ、中庭の茂みから影が飛び出し、どこへともなく消えた。






 セリス(コメント by マルチくうねる)
 こちらは、磯辺巻き様から投稿していただいた小説です。
 各地での闇の蠢動も、今回で一区切り。最後はティニーです。国を導く立場として 強くあらねばならない彼女。でも作り物のティニーの強さは大好きなイシュタルのそれとは違って 脆いことに、彼女はいつ気がつくでしょうか。

 感想を伝えたいという方は、磯辺巻きさんあてに メールでお願いします。(ぺこり)



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