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バカ殿セリス様・外伝
バカ姫ユリア様!?(後編) 「はい、セリス様、終わりました。」 ユリアがぼくを解放した時には、ぼくの頭はすでにショートして ぷすぷすと煙を上げていた。力が入らず、起き上がれない…。 ぼくは仰向けになり、しばらくそのままユリアの膝の上に横になっていた。 するとユリアは、こちらをじーっと見つめて、また口を開いた。 その口調に、少し陰がさしている。 「セリス様…お体の調子が悪いのですか?こんなに汗をかいて…」 そう言われて、はじめて気づく。ぼくの手が、頬が…額が、 熱い汗を途切れることなく吹き出させていた。そのせいで、 ユリアの薄黄色の服はしっとりと濡れて汚れてしまっている。 「あっ、ごめん…」 あわてて上半身を起こそうとするが、どうしてもふらつく。 「危ないです、セリス様。椅子から落ちてはいけませんわ。」 結局ぼくは、ユリアに抱えて膝から引き上げてもらった。 限りなく優しいその感触に、またしてもぼくはどぎまぎする。 ユリアは空色のハンカチを取り出し、ていねいにぼくの額と頬とをぬぐった。 その唇はしっかりとつぐまれ、瞳は真摯そのものだ。 そのまま手をぼくの頬から離さず、ぼくの顔をユリアの正面に向ける。 そして…ユリアは、そのまますっと頭を前に出した。 ぴと…っ…。 ぼくの額に、ユリアの額がぴたりと合わさる。その感触は、しっとりと、温かかった。 あああっ。この状況を、どうすれば良いのだろうか。 ぼくの理性を保つ最後の砦は、ユリアの純粋な思いだった。 ユリアがぼくにこんなことをするのに、他意があるわけではないだろう。 だったら、ぼくも手を出すわけにはいかない。 だけど、今日のユリアは…無意識の誘惑は、あまりにも強烈で。 あと数秒後には、ぼくはとち狂っているような気がした。 口をほんの少し突き出せば、そこにはまだ触れたことのないユリアの聖なる唇があるのだ。 そして、ぼくの両手のすぐそばには、抱きしめてくださいと 言わんばかりのユリアの身体が息づいていて。 ユ…ユリア…ぼくは、もう…。 「セリス、待たんかっ!!」 ぼくの暴走にストップをかけたのは、軍師ならぬ小言オヤジの一喝だった。 レヴィンは叫ぶなりずかずかと部屋に乱入し、 問答無用でぼくの側頭部をスパーンと叩いてユリアから引き剥がした。 そしてぼくを、レヴィンの目の前に直立させる。 シャナンもその後からやって来て、苦々しい顔をしてみせた。 こうなれば毎度のごとく、きついお小言を甘んじて受けなければならない。 「戦争中の身のくせに、一体何をやっているのだ!? 女にかまけるとは呆れるぞ。だがそれより、 私が気に入らんのはそのやり口だ。ユリアが無口なのをよいことに 不埒な行為を強引に要求し、己の色欲を勝手に満たそうとは 男の風上にもおけん。好きになるのは勝手だが、相手もそうとは限らんのだ。 鼻の下を伸ばす前に、相手への気遣いという点で反省しろ。」 ぐぐっ…こうまで言われると、ぼくもちょっと反論したくなる。 ユリアが手を挙げて口を開きかけたが、それより先にぼくは反撃を見舞った。 「いや、ちゃんと二人とも納得しているって。大丈夫だよ。 …それに、レヴィンだって若い頃はけっこう遊び人で、よく フュリーさんを泣かせたって聞いたけど…?」 レヴィンはこめかみを引きつらせながらも、わざと声のトーンを落として迎え撃った。 「…ともかく、無理強いはいかん。たとえ相手がうなずいたとしても、 内心は納得していないという可能性もある。 …さっきから見たら、食事だの膝枕だの…丸っきりベタベタのお約束な 展開ではないか!どうせ、お前がくだらん妄想を押しつけたに決まっている!」 「い、いや、それは…」 「そうではないのです、レヴィン様。」 ぼくたちの不毛な押し問答(ないしは口ゲンカ)を止めたのは、 芯の通ったユリアの声だった。その目は穏やかながら強く、 しっかりレヴィンを見つめている。 「今日は、わたしがセリス様を誘いました。食事のことも、飲み物のことも、 その他…すべて、わたしから提案したことです。 ですから、お叱りを受けるのはわたしの方です…。」 その言葉が信じがたいのか、レヴィンとシャナンはそろって口をあんぐりと開けた。 「そんな…、ユリアまで、『バカ姫』になってしまったというのか!?」 「ユリアが頑張ってくれたのを、馬鹿にするなあっ!」 レヴィンの無神経な発言に、ぼくはもちろん反発した。 「いやしかし、ユリアがどこからそんな妙な知識を……?」 レヴィンの言葉に、ぼくも動きが止まる。…そう。ぼくも、さっきからそこが疑問だった。 おとなしく純真で、よこしまな欲望の無いはずのユリアが、今日だけはおかしかった。 たとえ誰かが知識を吹き込んだとしても、ユリアが積極的に あんなことをしたいと思うだろうか…?とにかく、不思議だらけだ。 その疑問に答えるユリア。 「セリス様のお気持ちを確かめずに勝手なことをしてしまい、ごめんなさい。 ですが、今日のことは、きっとセリス様のお気に召すだろうと思ったのです。 …なぜなら…。」 「…これ、か?」 ため息混じりの声の主は、シャナンだった。 そして、その手に掲げられたノートの表紙には、 踊るような文字で、次のように記されていた。 『ゆ・り・あ★★ら〜ぶらぶ☆☆計・画・帳』 ぼくの全身の血が、さーーーっと音を立てて引きまくった。 門外不出の、秘蔵の書。それが今、白日の下に堂々とさらけ出されている。 シャナンがその表紙をぱらぱらとめくると、中からめくるめく妄想の世界が 暴露されていった。その数は、十や二十ではない。 『二人で、並んで歩いていると…。 突然、ぼくの腕に、ユリアの腕が絡められた。』 『同じコップのジュースを、ストローで二人で飲む。まさに、至福の時だ。』 『ぼくはユリアの側で、体を横たえる。膝枕でまどろむぼくに対し、 ユリアは耳かきを取り出し…』 口に出すのも恥ずかしい妄想の数々。その横には、 幼児の落書きのごとき絵(?)で、愛し合う二人の情景らしきものが描かれている。 もしかして…いや、間違いなく、ユリアは…これを……。 全身をがくがく震わせたぼくの視線を受け流し、ユリアはあっさりと答えた。 「はい。そちらを拝見しました。」 ぼくの膝は、弱々しく床に崩れ落ちた。 「わたしは先日セリス様に、何かしてほしいことがお有りかと尋ねました。 セリス様は、直接はお答えになりませんでしたが、後でわたしに知らせてくださると おっしゃいました。今日の朝、早くにセリス様の部屋の前を通りますと、 中からわたしを呼ぶ声が聞こえたような気がしました。それで、 部屋の中に入ったのですが…セリス様はまだお休みでした。」 …そう言えば、ぼくは時々寝言を言う癖がある…らしい。 「どうしようかと悩んだところ、セリス様のベッドの下に、 そちらの本があるのに気づいたのです。それを読んだところ、 わたしについて書かれていましたので…、きっとこれが、セリス様の 『わたしにしてほしいこと』だと思いまして…。」 なるほど…。ぼくは、ようやく真相を理解した。 同時に、レヴィンとシャナンがぎろりとこちらを振り返る。 「結局…、おまえが原因じゃないかっ!」 再び立ちあがって彼らの声に抗う力は、もはや残っていなかった。 「ふむ…。だが、他人の書いたものを勝手に読むのは感心せんな。 …プライバシーについて教えなかったのは、失敗だったか。」 レヴィンが、厳しい表情で呟く。その視線がユリアを捉えると、 彼女はわずかに唇を引き締めた。 「…読んではいけないものだったのですか…。わたしは、 セリス様を信じておりますのに…。」 「本当のことを、誰でも知りたいだろう。だが、誰しも心に闇を持つ。 …余人に知られたくないことも、あるのだ。…信じ、愛する者であってもな…。」 …なるほど。ユリアは記憶を失って以来、ずっと孤独に暮らしてきた。 ユリア本人も、誠実で正直…裏表の無い性格だ。そのせいで、 個人的な秘密という感覚が育たなかったのかもしれない。 言ってみればこのできごとは、純粋すぎるユリアの性格が引き起こしたのである。 「セリス様…本当に申し訳ありませんでした。」 ユリアは眉と肩を落とし、こちらを向いて深深と頭を下げた。 そして、くるりと踵を返して、部屋を出た。 走りこそしないが、かなりのスピードですたすたと去っていく。 「ま…、待ってよ、ユリア。」 背後からのぼくの声にも反応しない。廊下を曲がって見えなくなる ユリアを、ぼくはあわてて追いかけていった。 「ユリアっ!…待って、話を聞いてほしい。」 ユリアの部屋の目の前で、ぼくは彼女の腕をつかんだ。 ユリアはようやく足を止め、ぼくを見てくれた。 その目はほんの少しだけうるみ、自分の不甲斐なさを叱っているようだった。 「…慣れないことは、するものではありませんね…。」 下を向いてぽつりと呟いたユリアの一言。…ぼくはそれで、 今日にかけた彼女の思いを少しだけ理解した。 ぼくのノートを読んで実行したと簡単に言うけれど、 ストローなどの道具を用意してくれたり、身体を触れるなどの 慣れない振る舞いをするために練習したりもしたのだろう。 今日これまでも、ユリアは几帳面に無表情を守ったけれど、 その内心は……もしかしたら、かなり恥ずかしかったのかもしれない。 そんな状況をおして、ぼくに都合よく演じてくれた健気なユリア。 それなのに叱られてしまったので、少しだけ取り乱してしまったみたいだ。 ならばぼくも…、恥をしのんで、本当のことを言わなければならない。 「ユリア…あのノートに書いたことは…、本当だよ。 ぼくはきみと、ああいうことをしたいって…心のどこかで、思っていた。 でも、いやらしいと言うか…、口に出しづらいことだったから、 きみには秘密にしておこうと思ったんだけど…。」 ユリアは、まだ伏せた目を上げない。何を考えているのか…読めない。 でも、ぼくはただ言うしかなかった。 「でも…、今になって思うと、嬉しかったんだ。 もちろん、料理やひざまくらとか、そういうことも嬉しかったけど…。 きみが、ぼくのことを知りたいと思ってくれたこと。 そして、ノートを見て、きみに経験の無いあんなことを…、 努力して、ぼくのためにしてくれたこと…。 そういう気持ちが、本当に嬉しかったんだ。」 …ユリアは、ようやく顔を上げてくれた。目を大きく開けて、 じっとこちらを見つめる。その瞳が純真無垢に見えて、 ぼくは罪の意識に苛まれた。 「ユリア…ごめん。ぼくを嫌いになったかな…。ぼくは、 こんなことを考えていたんだって…。きみにとっては、汚らわしいような、 わけの分からないことだと思うけど…」 「いいえ、そのようなことはありません」 言下にユリアは否定した。その目は真剣で、この手の浮ついた話題にありがちな 軽い笑いや照れは見られない。 「最初にこれを見たとき…少し、驚きました。ですが、 実際にこのようなことをしますと…よく分からないのですが、 何だか幸せな気分になりました。ですから…今は、 セリス様のお気持ちも、何となく分かります。」 「安心したよ。また今度、何かやってくれると嬉しいな。 …今日ほどじゃなくていいからさ。」 そういってぼくが笑いかけると、ユリアの頬も少しだけほころんだ。 「はい。セリス様が、お望みでしたら…。」 「…ふふっ。今日はありがとう。」 そう言ってぼくが去ろうとする所に、レヴィンたちが再び駆けつけて来た。 シャナンは、大きなピンクの布らしきものを持っている。 「ユリア。城の仕立て屋が、これを持ってきたのだが…お前が注文したのか?」 ユリアはそれを受け取り、目の前で大きく広げた。 「はい、そうです。……これが、『フリルエプロン』という物ですか…。」 それを見て、レヴィンとシャナンがぎろりとこちらを睨む。 身に覚えのありまくるぼくは、冷や汗をたらしながらじりじりと後退を始める。 だが、ユリアの発言は決定的だった。 「セリス様。今度、こちらを身につけて料理しますね。 ……でも、このようないでたちでは、とても寒いのではないでしょうか……?」 「セ〜リ〜ス〜〜、貴様ユリアに、何をたくらんでいたあぁっ!!」 レヴィンとシャナンの鉄拳が、ぼくのよこしまな欲望を 容赦なく床に叩き伏せた。 |