セリーとユリーのアトリエ
〜グランベルの錬金術師〜 (後編)



 翌日。
 「ふう…こんなものでいいかな。」
 徹夜のまま、集中力を切らさずに頑張ってきたセリー。 汗だくの顔に、満足感が漂っています。
 「…できたわ…」
 たった一粒の丸薬に、ありったけの想いをこめて。 ユリーの品も、完成したようです。

 その日の午後…。
 緊張の面持ちで町に出たセリーは、途中で何度も道を引き返したり、 ぐるぐる回ったりしながら…やっとの思いで、 昨日と同じ場所に辿り着きました。
 ごくりとのどを鳴らして、扉を叩きます。 ユリーの、アトリエの扉を。
 コンコンコン。
 そのずっと前から扉の裏で待っていたユリーは、大きく深呼吸をしてから、 かちゃりと扉を開けました。

 「ユリー…頼んでおいたやつ、できたかな?」
 できるだけ自然に、さわやかに…。手ににじむ汗をごまかして、 セリーは明るくたずねます。ユリーも穏やかな無表情を保ったまま、 つとめて平静に答えました。
 「ええ。これでいいかしら。」
 そう言って、セリーの手に自分の手を乗せ、トロイヤの丸薬を差し出しました。
 「あ…ありがとう。」
 そう言って一粒の丸薬を受け取り、手をひこうとするセリーですが。 なぜか、ユリーは手を離してくれません。顔を伏せたまま、 セリーの右手の上に自分の右手を…さらにその下に左手を重ねて。
 「ど…どうしたの、ユリー…!?」
 セリーの声が上ずります。やがてユリーが伏せた顔を上げたとき、 その顔に、セリーは絶句してしまいました。
 どこまでもやわらかい表情、湖のように深い紫の瞳でセリーを見つめるユリー。 その眼はセリーをとらえて離しません。
 そしてユリーは、…とても深い声で…ひとつ、ききました。

 「セリー…あなたはそれで本当にいいの…?」

 その一言に、どれだけの想いがこめられていたでしょうか。
 ユリーの作った丸薬は、彼女の渾身の力をこめて作った、 最高の効力を持つ惚れ薬でした。 …そう。結局ユリーは、ラナのアドバイスに従わず、 セリーの決断にすべてを任せることを決めたのです。
 このとき、ひそかにユリーのアトリエの扉の外で聞き耳を 立てていたラナは、ふぅと溜め息をついて、そのまま 街道へと去っていきました。
 「…負けたわ、ユリー…」

 セリーは、ユリーの言葉に大きな衝撃を受けました。 ですが、彼だって腹をくくって、覚悟を決めてきたのです。 ここまできては、引き返せません。
 セリーは彼女を見つめ、ゆっくりと首を縦に振りました。

 セリー…自分の決めた好きなひとと、幸せになる道を選んだのね…。
 そのときのユリーの気持ちは、嬉しさと切なさが半々でした。 セリーの想う誰かのことを考えると胸がちくちくしますが、 それでも、そういう相手を見つけることのできた彼を、 まぶしく思っていたのです。
 でも、セリーはまだユリーのアトリエを去ろうとしません。 彼は、持ってきた包み紙をあけ、中のものをユリーに差し出しました。
 「ユリー。これを…受けとってくれるかな…?」
 「えっ…?」
 セリスの手にあるのは、古代の守り神の力が秘められた首飾り。 その細工の丁寧さ、魔力の強さは、セリーのこめた想いの大きさでもあります。
 「ゼーレネックレスっていうんだ。ユリーに似合うと思ったから。 ぼくの気持ち…だよ。」
 そう言って、セリーはにっこり笑います。
 「…わたしは、これを作ってと依頼してはいなかったけれど…?」
 ユリーは目をぱちくりさせましたが、セリーはもう一度勇気を振り絞って、 ユリーに笑いかけます。
 「…そういえば、このトロイヤの丸薬…なぜ頼んだのか、ユリーには 話していなかったよね。教えてあげる。」
 「……?」
 さっきの話とどうつながるのかがよくわからずに、戸惑うユリー。 次の瞬間に与えられた答は、彼女が全く考えていなかったものでした。

 「ぼくが、ユリーに使うんだよ。」

 「…えっ…!?」
 言うが早いか、セリーは丸薬を持ち、ユリーに手を伸ばします。 驚きのあまりユリーは一歩下がりますが、身体のバランスを失って 倒れてしまいました。
 「きゃあっ!」
 「あっ…ユリー、大丈夫…?」
 そんな…セリー、だめよ。セリーとわたしは、結ばれてはいけないの。 わかっているの…?
 ユリーの叫びは声にならないまま、彼女の意識が遠くなりました。


 「…あっ、気がついた。ユリー、大丈夫?」
 気がつくと、ユリーはベッドで寝ていました。 あのとき気絶して、セリーに介抱してもらったようです。 あれからそれほど時間は経っていないようですが…。
 「あ、ありがとう。大丈夫よ…」
 「そうか。栄養剤を飲ませたから、もう元気になったかな。」
 どうやら、気絶している間にセリーは彼女に栄養剤を飲ませたようです。 徹夜で根を詰めたために、ユリーは予想以上に疲れていたみたいですね。 栄養剤を飲んで少し横になっていただけで、すっかり回復したようです。
 「ありがとう、セリー。もう心配ないから…」
 そう言って体を起こし、ユリーはベッドから下りようとしました。
 その瞬間でした。
 「えっ…?」

 ユリーの肩に、強く熱い圧力がかかりました。 それが自分を抱きしめるセリーの腕の力であると自覚するまで、 数瞬の間を必要としました。…そして。

 「好きだよ、ユリー…。ぼくと、つきあってほしい…!」

 自分の耳元で囁きかけられた言葉の意味を理解したとき。
 ユリーの顔は、見る見るうちに真っ赤に染まっていったのです。

 ユリーは、自分の身体が自分のものではないような、 不思議な感覚に覆われていました。
 セリーに包まれているあたりから、肩が、胸が、ふうーっと膨らんで、 言い知れぬ躍動感が舞いあがってきます。 身体全体に注ぎ込まれる、切なくたぎる脈動。 これまでに感じたことの無い、ぞくぞくするような、 とても心地良い感覚です。セリーの中で、 このままどこまでも空を飛んで行きたいと思ってしまうほど…。
 はじめて知るその感覚は、あまりに新鮮で、衝撃的で。快いはずなのに、 それに身を任せるのがユリーはなんだか怖くなってしまいました。
 そのとき、ユリーは思い出しました。 「トロイヤの丸薬は、ユリーに使う」という、セリーの言葉を。
 そうか…気絶している間に、わたしはセリーに丸薬を飲まされて。 そのせいで、わたしはこんなふうになっているのね…。 陶酔の中で、ユリーはそんなことを思いました。

 「ま…待って、セリー。いけないわ、わたしたちには…」
 精神の波間に沈もうとする意識を必死で引きあげながら、 ユリーは止めに入ります。 お互いに好きであっても、超えてはならない境目で、 ふたりは今、転落するぎりぎりのところで踏ん張っていました。
 今、わたしの心は、惚れ薬に操られてしまっている。 流されて、よく考えもしないままにセリーを受けいれても、 それは禁忌…きっと、後悔する。 とりかえしのつかないことに…なってしまう…!
 せまり来る心地良さの烈風に意識を飛ばされそうになりながら、 ユリーは何とか理性を保とうとしています。
 セリーはいったん身体を離すと、ユリーの手を握って、 そっと笑いかけました。

 「ぼくは、ユリーと一緒なら、どんな困難にも負けない気力を持てるんだ。 もしユリーもそうだったら、きっと…何もこわくないよ…!」

 限りなく優しいセリーの眼を見て、ユリーは思いました。
 セリーだったら、惚れ薬に心を奪われてもかまわない…。 だって…セリーとなら、どこまでも行ける。 何でもできるという賢者の石だって、きっと作れる。 それが、わたしの本当の望みだから…!

 ユリーはにっこり微笑み、セリーの胸にしがみつきました。 その首には、ゼーレネックレスが光っています。 そんなユリーの背中を、セリーはそっと抱きしめて…。
 重なり合うセリーとユリーの影。その足もとの床には、 トロイヤの丸薬が一粒、残されていました。



 「おはよう、ユリア。ゆうべ、不思議な夢を見たんだけど…」
 朝食の席で、フォークを手にセリスは話す。 ユリアは少しの間のあとに、問いかけた。
 「もしかしたら、セリス様とわたしが錬金術師になる 夢ではありませんか?」
 「あれ?どうしてわかるの…?」
 「わたしも、そういう夢を見たのですよ。」
 「へえ、偶然だなあ…。あの本、面白いよね。」
 意外なできごとに驚くセリス。そのあと、ちょっといたずらっぽく問い掛けた。
 「で、夢の中ではどんなできごとがあったの?最後はどうなった?」
 ユリアはちょっと首を傾げて、穏やかな表情で答えた。
 「…秘密、です。」



 「ザールブルグの錬金術師」の本の冒頭には、 「夢」についてのある文言が記されていた。
 グランベルの後世の歴史家は、その文言を見習って、 次のように書き記したといわれている。

 はじめは、誰もが無力だった。
 光の聖王も、神竜の皇女も、はじめは禁忌に打ち勝つ力を持たぬ、ただの人間だった。

 だが、彼らは誰よりも強く「想い」を持ち、追い続けた。
 どうか、まっすぐに生きてほしい。
 純粋な想いは、いつかきっと、結ばれるものなのだから――。


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