おとなへの記念日 (後編)


 その日の夜。
 テントから呼び出されたわたしは、セリス様の隣で草の上に座り、 星空を見上げました。
 久しぶりに見る、高く深い空。深呼吸をして横を向くと、 ふふっと微笑んだセリス様がわたしに言いました。
 「誕生日おめでとう、ユリア。」
 一瞬何のことかと思いましたが…すぐに思い出しました。
 セリス様とわたしが出会ってから、今日でちょうど一年。 あの約束に従えば、今日がわたしの「誕生日」なのです。

 セリス様は、懐から何かを取り出しました。
 布の包みを解いて、出てきたものは…。 戦場でよく食べている乾いたお菓子に、小さな葉で飾り付けをした ものでした。セリス様はそれを手で持って、 その中にろうそくを1本立てました。
 「こんな場所だからケーキはできなかったけど、代わりに…。 こんな簡単なものでごめんね。」
 ろうそくに火をつけながら、セリス様はそう言いました。
 「いいえ。大変な時なのに、わたしのためにここまでしてくださって…。 本当に嬉しいです。」
 小さな包みの中の簡素なお菓子に込められた、大きな想い。
 ろうそくに照らされて黄色く浮かび上がるセリス様の微笑みが まるで夢のようで、わたしは胸が熱くなりました。
 セリス様のすすめに従い、わたしはそっとろうそくの火を 吹き消しました。

 「はい、プレゼント。」
 セリス様から再び手渡されたのは、 小さな額縁に納まった水彩の絵でした。 横に立って並ぶ、セリス様とわたし。上手な絵ではありませんが、 セリス様の思い入れが込められていることは一目でわかります。 それはあの日、鏡の前に立ったわたしたちの姿でした。
 「ぼくが描いたんだ。 ユリアといっしょにいたこと、ずっと忘れたくないと思って。 あの時の鏡の像を思い出して、描いたんだ。 ユリアと離れ離れになった後も、これをずっと見ていた。 そうすれば、ユリアといっしょにいられるような気がしたから…。
 下手だけど…受け取って、くれるかな?」
 頭を掻いて、はにかみながら差し出すセリス様。 自分がそれだけセリス様の心の支えになったことが嬉しくて、 わたしは思わず奪い取るようにそれを受け取ってしまいました。

 その絵は、わたしを不思議な気持ちにしました。 とても勇気付けられるような頼もしさ。そして少しの感傷。
 深呼吸したわたしは、目の前に広がる星ほどにも遠くなった 自分の過去を見つめ、セリス様に顔を向けてぽつりとつぶやきました。
 「今日が私の誕生日。…本当に、そうだったと思いました。」
 「…どういうこと?」
 静かに先を促すセリス様。わたしは足元の草をなでながら、 続く言葉を探しました。
 「…わたしは、グランベル帝国の皇女として、ユリウスにいさまの妹として この世に生まれました。家族は、わたしにとってとても大切でした。 家族を守るためなら、どんなことでもしたい…そう、思っていました。」
 ざわざわ…。草木を、風が揺らしていきます。 わたしの声とその音だけしか聞こえない、静寂の夜です。
 「でも、それからいろいろなことがあって… わたしにとって大切なものが、増えていきました。 わたしを育ててくれたレヴィン様…解放軍のみんな… そして…セリス様…。」
 わたしは、たったいま贈られた絵を手に取り、 じっと見つめました。一緒に並ぶ、セリス様とわたし。 そこからセリス様とのさまざまな思い出が連なって、 わたしの胸をいっぱいにしていきました。

 「ユリウス兄様がいなくなった時には、 わたしはもういらないのかな…と思ったときもありました。 でも…それは、間違いだったのですね。 セリス様がいれば、わたしは生きていけます…いいえ、 生きていなくては。そう思いました。 そしてそれは、あの日に始まったのですね…。」
 セリス様を少し見つめて、わたしは先を続けます。
 「セリス様も…間違いなく、わたしにとって大切なものになったのです。 ユリウス兄様とともに生まれたときだけではなく。 セリス様と出会った日もまた…わたしが、生まれた日なのですね。」

 だから、あの日がわたしの誕生日。
 わたしに、新しい生の意味を与えてくれた誕生日…。

 「おとなになったね、ユリア。」

 じっとわたしを見つめて、話を聞いてくれたセリス様。 話が終わった後しばらくそのままにしていたセリス様が 感慨深そうにつぶやいた言葉が、それでした。
 「おとなに…ですか?」
 わたしは今、18歳。グランベルでは成人が認められる年齢です。 ですが、セリス様が言おうとしているのはそれではないように思いました。
 「…ユリウスがいなくなるのは、やっぱりつらいよね?」
 セリス様の次の言葉は、わたしの心の奥をぴたりと突きました。 セリス様の手前、表に出しては言わないようにしていたこと。 ですが、やはりセリス様はすべてを見抜いていたのです。
 「こどもは、ある意味で幸せなんだよ。 自分の大切なものを勝ち取るため、守るために、一直線に 目標に向かって走ればいいから。 …子供時代のぼくの場合は帝国からみんなを守るという目標に向かう 力が足りなかったから、まずは強くなることが目標だったけれどね。」
 とうとうと話すセリス様に、わたしは引き込まれます。
 「…でも、年をとるたびに、大切なものが増えていくんだ。 ティルナノグの人たち、解放軍の仲間…そしてユリアも。 みんな、みんなを、精一杯の力で守りたいって思った。
 でも、大切なものが増えると、全部を守りきることはできなくなる。 …忙しくなるからだけじゃない。その中には、 どうしようもなく両立しないものができてしまうんだ。」
 セリス様は足元の草をつかんで、ぶちっと引き抜きました。
 「イシュトーやイシュタル、トラバントやアリオーン… 分かりあえたはずだった。ともに生きられるはずだった。 でも…帝国を倒す、ぼくの目標と両立はできなかった…。」
 歯を食いしばりながら、セリス様はちぎれた草を風に乗せて 手放します。
 「そんな時、何も考えずに突き進んでいられた子供のときを、 なつかしく…ちょっとうらやましく思ったりもした。 おとなになると、どこに向かっても大切なものを失ってしまう、 そういう苦しさがあるって、気づいた…。」
 そこまで言って、セリス様はこちらを振り向きました。 その顔には、笑みが張り付いています。いろいろな思いが、 そこに閉じ込められていました。
 「…でもね。ぼくは逆にそれが誇らしくもあるんだ。 たくさんの、大切なもの。その中から何を選んで、自分の力で どうしていくのか。それを考えることのできる、 おとなになったんだ…ってね。
 そして今、ユリアもそうなったんだなって、思った。」

 セリス様はわたしの手をとり、じっとこちらを見据えました。
 嬉しさ、寂しさ、切なさ、あたたかさ…いろいろな感情がこもった、 深い海のようなその目。
 「夢の一部を捨てるのは、つらいことでもあると思う。それでも…、 ユリウスのことを決めたとき。
 きみは…おとなに、なったんだよ。」

 「…はい。」
 切なさと誇りが入り混じった万感の思いを胸に、 震える声でわたしはセリス様の手を握り締めました。
 わたしに「セリス様」という名前の、 新しい夢と生き方を与えてくれた誕生日。
 セリス様とユリウス兄様…わたしの夢の対立を生み、 おとなへの第一歩となった誕生日。
 たくさんの意味で…もう戻れない一歩を、踏み出した日だったのです。

 セリス様の手をとったわたしは、ふとあることを思い出しました。
 「…セリス様にとっても、今日はわたしと出会った日なのですよね?」
 「うん、そうだね。」
 「つまり、セリス様にとっても、誕生日…なのでしょうか。」
 セリス様にとってのわたしがそれほど大切だとは限らないのに、 態度の大きいことを言ってしまったかもしれません。 でも、今までのセリス様が、わたしに自然にそれを言わせていました。
 「そうか、そうなるね。 今日は、『愛する人がいるセリス』が生まれた、誕生日…だね。」
 セリス様は手をとったまま、ごく自然にそんなことを言いました。 その言葉の意味を知って、わたしは赤面してしまいました。 それと同時に、胸の奥から熱い思いがこみ上げてきました。
 「セリス様、お誕生日おめでとうございます。 では、わたしからもプレゼントを差し上げます。」
 「えっ…ユリア、何か持っているの?」
 「いいえ。そのかわり…セリス様、目を閉じてくれますか?」
 「うん?こう…かな?」
 わたしの言葉に従い、セリス様は目を閉じました。 セリス様の手を通して、お互いの胸の鼓動が伝わるようでした。 このまま、素直に思いを遂げたい。強く、強くそう思いました。 ですが…。
 わたしはセリス様の手を握ったまま顔に近づいて。 そのまま、しばらく止まり。そして…、
 その頬に、そっとくちづけました。

 「ありがとう。ユリア。」
 わたしに礼を言うセリス様の笑顔が完全ではないのは、 気のせいだったでしょうか。いいえ、きっと… セリス様も気づいていたでしょう。
 わたしがセリス様の唇に向かおうとして、迷った末に、 くちづけの場所を頬に変えたことを。
 唇を合わせることは、夫婦としてともに生きるものの証だと ユグドラルでは言われています。 それが許されないことをも、今のわたしは知ってしまっていました。

 「じゃあ、そろそろ休もうか。」
 「はい。」
 その晩は星々だけが見つめる空の下で、 ただふたり寄り添って眠りました。



 わたしたちはこれから、また行く道を選ばなければなりません。
 このあとの人生で、わたしたちがユグドラルを光へ導こうとするならば。 わたしのもうひとつの夢…セリス様と出会った日に生まれたあの夢は、 閉ざさなければならなくなるかもしれません。
 それを決めるのは、セリス様と、そして…このわたし自身なのです。
 セリス様といて、ただ楽しかった日々…。あの頃のように、 こどものままでいられれば…。そうも思います。それでも。
 わたしは、おとなになったことを、誇りにしようと思います。
 セリス様とわたし…どんな結果になったとしても後悔しない決断を、 するつもりです。

 「セリス様、行きましょう。」
 そしてわたしは、バーハラへと歩き始めました。
 セリス様と、手に手を取り合って。


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