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おとなへの記念日
(前編)
わたしが、セリス様と出会った日。 「ユリア、心細いだろうけど、心配はいらないよ。 ぼくがきみを守るから」 太陽のようなセリス様の微笑みは、わたしの中の何かを芽生えさせました。 大切な人との出会い。戦いへの決意。仲間との絆。そして…。 今思えば、その日がわたしにとって、おとなへの第一歩だったのです。 「セリス様、お誕生日おめでとうございます。」 わたしにできたささやかな贈り物は、その言葉と少しの料理、 裏地に魔除けの呪を織り込んだ白いバンダナだけ。 それでも、セリス様は見たこともない満面の笑みでそれに報いて くださいました。 「ありがとう…本当にありがとう。これでまた、 つらい戦いも頑張っていくことができるよ。」 それだけで、わたしの心は満たされたのに。 セリス様は、さらなる思いやりをくださいました。 「そういえば…ユリアは自分の誕生日を覚えて…いないよね?」 みんなが去り、急に閑散とした城の広間の中で、 セリス様は表情を一変させ、弱い声でわたしに尋ねました。 「…はい……すみません、セリス様。」 わたしは謝りました。 セリス様の期待にこたえられなかった気がしたからです。 「いや、ユリアが謝ることじゃないよ。 でもそれだと、今回のプレゼントのお返しができないなあ…。 ぼくも、ユリアの誕生日を祝いたいのに…。ごめんね。」 「いいえ、かまいません、そんなこと…。」 見つめるセリス様からほんの少し目を反らして、わたしは答えました。 ですがセリス様はそれでも納得が行かない様子で、しばらく考え… 「うーん……それなら、こうしない?ぼくたちが出会った日を、 ユリアの誕生日ってことにしよう。」 ぽんと手を叩いて、そんなことを言いました。 「えっ…ですけど、そんな…」 わたしは驚きました。知らないからといって、自分で勝手に 誕生日を決めてしまうなんて、そんなことがあるのでしょうか。 でもセリス様はにっこり笑い、わたしの戸惑いを封じてしまいました。 「ぼくも、ユリアに誕生日祝いを贈りたいからね。 ぼくたちが出会った日が、なんとなく誕生日かなっていう気が するんだけど…どうかな?」 「…はい…」 「じゃ、決まり。贈り物は…そうだなあ…」 そう言ってしばらく考えていたセリス様。少しの間黙っていたと思ったら、 「うん」と言い、突然わたしの手を引いて歩き出しました。 「ちょっと、こっちに来て。」 にっこり笑いつつも有無を言わせずわたしを連れて行くセリス様。 なんだかとても強引で…そんなに誕生日の贈り物をしたいものでしょうか、 それに、まだその「誕生日」までは間があるのに…と 少しいぶかしんでしまいます。でも、それがわたしへの親切であることが わかるから、わたしも思わず心の中で顔をほころばせながら ついていってしまうのです。 セリス様に引っ張られたわたしの行き先は、 隣の部屋にある、大きな鏡の前でした。 「ちょっと、鏡を見ていて。」 そう言うとセリス様は、わたしの手を繋いで横に立ちました。 あらためて、目の前の光景を確かめます。 古びた木の枠と、しっかり磨かれた銀の面との対照が風格を 醸し出しているその鏡。 そこに映るのは、並び立つセリス様とわたしの姿。 青を基調とした指揮官の立派な衣装が似合うセリス様。 同じく青いその瞳が、鏡に反射される形でじっとこちらを見つめていて。 その真剣な眼にとらえられ、息をするたびに胸がふくらむような 高まりを感じながら、わたしもじっとセリス様を見つめました。 鏡越しに交錯する眼と眼。永遠の一瞬のように感じられました。 やがて、セリス様は手を放し、わたしに笑いかけました。 「…うん、もう大丈夫。じゃあ、ぼくたちが出会ったあの日が、 きみの誕生日だよ。忘れないでね。」 指を立て、微笑むセリス様。わたしには、今のセリス様の行動を 不思議に思いました。ですが、迷いの無いセリス様の目が、わたしを 素直にセリス様の言葉に従わせました。 「…はい。ありがとうございます。」 当時のわたしは、まったく理解していませんでした。 この約束が、どれほど大切な意味を持つのかを。 それから、数え切れないほどいろいろなことがありました。 うちつづく激戦。人々の感謝の声。つかの間の休息。 イードからレンスター、そしてトラキアへ。 春が過ぎ、夏が過ぎ、秋を迎え。そしてまた新たな戦い…。 そんな中、セリス様はいつもわたしのそばにいてくださいました。 嬉しいときも、つらいときも、セリス様はわたしとその気持ちを 分け合ってくださいました。 そのたびに、わたしの中のセリス様は大きくなっていきました。 それは、わたしのそれまでの人生で、 最も輝かしいときだったかもしれません。 ですが、その幸せは長くは続きませんでした。 わたしは不覚にもマンフロイにとらわれ、連れ去られてしまったのです。 そこに待っていた現実は、残酷なものでした。 お母様はすでに兄様の手にかかり、お父様は今やすべての力を失って セリス様が自分を討ちにくるのを待つしかありませんでした。 そして、セリス様は…わたしの、兄であったのです。 わたしは、ナーガの力を受け継ぐ…ロプトの敵たる存在。 そんなわたしに術をかけ、セリス様を襲わせるとマンフロイは言いました。 わたしは、必死で考えました。 この境遇で、わたしに何ができるのか。何をしたいのか。 何をしなければならないのかを。 まず考えたのは、この悲しい戦争を避け、セリス様とユリウス兄様と ともに暮らせるようになる道でした。 ですが、わたしはその道を描けませんでした。 わたしの持つナーガの力は、ロプトと相容れないでしょう。それ以上に、 ロプトウスとしてあれだけの罪を犯してしまった「ユリウス」を、 ユリウス兄様自身が赦すことはないように思われたのです。 セリス様といたい。ユリウス兄様といたい。 そのふたつを並べる限り、わたしの思考は堂々巡りを続けるだけでした。 わたしはかぶりを振り、もう一度考え直しました。そして…。 わたしは、ナーガの力を行使してこの戦争を終わらせる道を選ぶ 決意をしました。なんとかしてマンフロイの術を打ち破り、 セリス様のもとに戻り、この手で呪われた聖戦に終止符を打つのです。 それは、光の聖戦士として、闇と戦い、この世界から打ち払うことを 意味します。 ……ユリウス、という名の……。 わたしはぎゅっと歯をかみ締め、こぼれそうになる涙をおさえました。 わたしは、自分が生まれた理由をはじめて知りました。 それは、幼い頃には誰よりも好きだったユリウス兄様を、 この手で殺すことだったのです。 でも、それなら…最初からふたりとも生まれなければよかったのかも しれません。 そんな思いが、わたしの心の風穴を冷たく吹きぬけて行きました。 わたしの生まれた理由がそれならば、ユリウス兄様がいなくなれば わたしのこの世での役割もおしまいです。 それに、戦争が終われば、戦犯の処刑も必要でしょう。 帝国皇女たるわたしがそれに含まれても、不思議ではありません。 数え切れないほどの敵を殺し、罪の血に赤く塗れたわたしの手。 この次には、わたしが望んで…兄様を血で汚す、この手。 誕生日…わたしとユリウス兄様のそれは、全く同じ。 ならば、命日も同じであっても、いいですよね…? わたしの心の中で、そんなささやきが聞こえました。 わたしは多くの人に悲しみをもたらす自殺を… また、それを行ってしまう心の弱さを、嫌っていました。 だから、その声を心から信じることはありませんでしたが。 それでも、そのささやきは、ずっとわたしの中で響いていました。 「……リア!…ユリアっ!」 …声が…響きました。やさしい声が…なつかしい声が。 その方向に、あたたかな光が見えました。 この遠く暗く寒い場所から、救い上げてくれる光。 それは… …セ……リ…………さ……ま…… わたしはそこに、像を見ました。鏡にうつったふたりの像。 わたしと手をつないだ、大切な人。 わたしはその光景を知っていました。あの、約束を…! 「…はっ。…セリス様!?」 「ユリア、気がついたのか…よかった…」 わたしは瞬きをして、そこに映った像を確かめます。周囲の草原を見て、 自分の手元を見て、また目の前に視線を戻して。 …それが、夢ではないことに気づいて! わたしは、大きな安堵と喜びに包まれました。 マンフロイの暗黒魔法によって操られていたわたしの身体を、 セリス様の手で取り戻すことができたのです。 「わたしは戦う。逃げたりはしないわ」 わたしは、自分の決めた道をセリス様に伝えました。 考えている間はあれほど迷い悩んでいたのに、今はとても平静に、自然に それを口に出しています。わたし自身が、それに驚くほど。 「そうか…ユリアは強いな」 セリス様の潤んだ言葉が、本当にわたしを強くしたような気がしました。 |