バカ殿セリス様・外伝

たんぽぽの日  〜恋のスクランブル・アナザーサイドストーリー from ラナ〜(後編)


 城に帰る道すがら、わたしは思った。
 あの様子から見て、ユリアさんがスカサハを好きなんだってセリス様は思い込んでる。 わたしから見れば、そんなことはないと思うんだけど。 セリス様が苦しんでいるなら、誤解を解きたい。
 でも、ユリアさんの気持ち…本当はどうなんだろう。 彼女が何を考えているか、よく分からないところがある。 昨日、「好きな男の人がいる」と言っていたことも、気になる。 多分、セリス様だろうと思うんだけど…、わたしにも確信できない。
 なので、城に帰って二人になった時、わたしは彼女にそれを聞いた。 返ってきた答えは、実にあっけないものだった。
 「ここにいる男性は、みんな好きです。もちろん、女性も。」

 真顔で…そんなこと当然でしょう、と言わんばかりのユリアさんの答えに、 わたしは思わず口をぽかんと開けてしまった。
 「あの…わたしやフィーさんが昨日言った『好き』というのは、 そういう意味ではなかったのだけど…。彼と二人で一緒にいたいとか、将来結婚したいとか、 そういう人は…。」
 「そうだったの。わたしは、そういう事を考えたことはありませんが…」
 あまりにも平然としたその口ぶりが口惜しくて、わたしは思わず 彼女にかまをかけてしまった。
 「そう?例えばセリス様とずっと一緒にいたいとか、思わない?」
 そう言ったとたん、ユリアさんの動きがぴたりと止まった。 その場にしっかりと立ったまま、じっとしている。そして、ぽつりと呟いた。
 「セリス様、と……」
 …これってひょっとして、わたしの一言で、彼女にセリス様を意識させちゃったの? わっ、バカバカ、わたしのバカ!何やっているのよ、もう…。 わざわざキューピッドなんてやるつもり、無かったのに…。
 「あなたの言いたいこと、分かったわ。ありがとう。」
 わたしは話を適当に切り上げて、ユリアさんのもとから逃げ出した。

 その日の夕方、わたしはもう一度みんなを集めた。材料を集めているところを セリス様に見られたから、今度は自分達の行動をセリス様に気取られないように 工夫しようと呼びかけたのだ。
 「明日の朝から、お祝いの始まるお昼まで、誰かがどこかで セリス様の相手をして、会場に近づけないようにすればどうかな? ユリアさんとか…。」
 スカサハの提案を、わたしは強引に修正した。
 「いえ…わたしがやります。彼女は、準備でがんばってほしいですから。」
 わたしの言葉に、ユリアさんはこくりと肯き、レスター兄様は表情で、 なるほど、頑張れよ、とわたしに語った。

 その日…ユリアさんは、相変わらず料理にプレゼント作りに、ひたすら頑張った。 その合間に、ヨハンさんのところにも行ったらしい。
 料理とかプレゼントでは、わたしはユリアさんにかなわない。 セリス様も、わたしよりユリアさんの作ったものを喜ぶだろうし。 だから、わたしは裏方に回ることにした。 かんたんな会場設営や飾り物を用意したり、会の段取りを相談したり。 もちろん、わたしからセリス様へのプレゼントの用意も進めている。 町で買った白いハンカチに、小さな絵を描いて…。
 そんな風にして、この一日は過ぎていった。

 いよいよ明日が、セリス様の誕生日。でも、もしかしたら、わたしにとって それ以上に貴重かもしれない日…。



 そして、その日がやってきた。
 朝食を終えたわたしは、さっそくセリス様の様子を見に行った。
 隣の広間にいたセリス様は、やつれていた。後ろからでも、 ちょっと頬がやせていて、昨日あまり眠れていないな、と見て取れた。
 セリス様を元気付けることが、わたしの役目で、望みでもある。 わたしは、鏡の前で練習した、とびきりの笑顔の作り方を思い出し、それを実行する。 そして、セリス様に話しかけた。
 「セリス様、どうなさったのですか?」
 こうして、わたしとセリス様…二人だけの時が始まった。

 「お疲れですか?」
 わたしの声に対し、セリス様は気だるそうに首だけをこちらに向けて答えた。
 「うん…ちょっとね…。」
 無理をして作ったセリス様の笑顔を見て、さっきのわたしの笑顔もそうだったのかな、と 思った。そして、懸命に作ったわたしの笑顔の力がこの程度でしか無いことを思い知らされ、 わたしも少しがっかりしてしまった。
 でも、こんなことで挫けてはいられない。わたしは覚悟を決めて、 セリス様に向き直り、静かに言った。
 「セリス様……何か、お悩みなのではないですか?私がお役に立てるか分かりませんが、 良かったら、話してもらえませんか? …大丈夫です、誰にも言いませんから。」
 これは、わたしにとって皮肉な言葉だった。こんなことを言って、 セリス様が何を言うのか。もし、セリス様が明るく「なんでもないよ」と ごまかしたら、それはセリス様がわたしを信じていないということになる。 逆に、セリス様がすべてを話してくれたら…。今度は、その話の内容が、 わたしを苦しめるだろう。
 でも…、これは、セリス様と一緒にいたいと、わたし自身が決めたことだ。 わたしにできるのは、セリス様の力になること…。

 わたしは、ここでセリス様の頼りにならなくてはいけないから、心細さを必死で隠して、 あくまでセリス様の答えを待つ態度を取った。わたしにとって、一世一代の名演技だ。
 セリス様、どうするの?
 わたしは、祈るような気持ちでセリス様の口が動くのを待った。

 「うん…。実は、ユリアのことなんだけれど…。」

 ああっ、やっぱり…!
 セリス様の切ない声が届いた瞬間、わたしはとうとう耐え切れなくなって、 息をのんでぎゅっと目をつぶり、歯を食いしばって両手を握ってしまった。 本当は、そんな表情をセリス様に見られてはいけないのだけれど…、 この瞬間だけは、どうしようもなかった。

 その後のセリス様からの話は予想通りのものだった。 スカサハだけでなく、デルムッドやヨハンさんが彼女と一緒にいるところも見たようだ。
 その話を聞いて、わたしは辛かったけど、誇らしかった。
 セリス様は、細かいところまで綿密に、言葉に力を込めて話していた。 それだけ、このことに…ユリアさんに思い入れがあるということになる。 セリス様の一言一言から、汲めども尽きない彼女への想いが伝わってきて、 わたしの胸を締めつけた。
 でも、セリス様は、その想いをわたしに話してくれる。 わたしを信じて、正直に思いを打ち明けている。私がセリス様に認められていることが、 そして、そんなセリス様が好きなわたしが、誇らしかった。

 最後にセリス様は、決定的な質問をわたしに投げかけた。
 「ユリアの好きな人って、誰なんだろうね?ラナは、知ってる?」
 この時…わたしは、自分の心に住む悪魔が囁くのを聞いた。

 今のセリス様は、迷っている。そして、その心は、私の手に握られているのだ。
 もし、わたしが誰か他の人の名前をユリアさんの思い人としてあげれば、 セリス様は彼女の幸せを願って、あきらめるのではないだろうか。 そこを、わたしが慰めれば、セリス様は…。
 わたしは、セリス様の青い瞳に射すくめられ、自分の心臓に鳥肌が立つのを感じた。
セリス様…!そんなにすがるような、真剣な目で、わたしを見ないで下さい…!
そんな眼で誘惑されると、わたし、すべてを自分のものにしたくなって…、 取り返しのつかない過ちを犯してしまいそうです…!

 わたしは、自分の心を鷲づかみにしている深い瞳から、やっとの思いで目をそらした。
 でも、まだ、誘惑に負けてしまいそうだ。わたしは、その時の免罪符を求めて、 無意識のうちにセリス様の方を向いて、ちょっと強く言った。
 「セリス様…。それをわたしの口から言って、良いのですか?」
 それはきっと、わたしの心の弱さだ。これでセリス様が首を縦に振ったら、 セリス様が認めたのだから、ということを自分の中での言い訳にして、 わたしはセリス様を騙していたのだろう。
 そんな葛藤を隠すため、わたしはセリス様の前で精一杯、強がっていた。

 でも、セリス様は違った。ふっと表情がやわらかくなったかと思うと…、
 「…そうだね。ぼくはきっといつか、自分の気持ちをユリアに言うよ。そして、 ユリアがどう思っているのか、自分で聞きたい。だから…、今は、遠慮しておくよ。」
 自然体の決意を、極上の笑顔とともに、わたしに語ったのだ。

 わたしは、一言も無かった。卑怯なことをして好きな人を手に入れようとしていた 自分の心の罪深さに気づき、わたしの背筋は凍りついた。
 わたしが、決してユリアさんのように純粋になれない…、つまり、 セリス様の心に届かないことをも、この時、思い知らされた。
 これはすべて、わたしの身から出た錆だけど…、わたしの気持ちを全く知らないで、 人の心をここまで揺さぶる言葉を出すセリス様が、少しだけ憎たらしく思えてしまった。
 ねえ。セリス様もユリアさんも、どうしてそんなにピュアになれるの? こんなお似合いの二人、他にいないよ…。

 わたしは、こぼれようとする涙を懸命にこらえた。でも、このまま何もかもわたしの胸に しまっているには、胸の中の嵐は強すぎた。だから、わたしはわざと頬を膨らませ、 おどけた表情を作る。
 「…もう、そんなことを言うと、意地悪をしたくなってしまいます。 罰として、ユリアさんの好きな相手が誰か、無理やりにでも聞いてもらいます。」
 そんなことを言った。セリス様の顔が、動揺でさっと青くなる。
 でも…わたしは結局、セリス様のために正直に言った。 セリス様は心底ほっとしたように、驚かさないでよ、と言って笑った。
 ふふっ、いい気味だわ。わたしの気持ち、少しは分かったかしら?

 わたしは、自分のものにしたペースを離さないよう、気をつけて話を進めた。
 「スカサハ、デルムッドや、ヨハンさんについては、それとは別に ちゃんとした理由があるんですよ。でも、セリス様には内緒にしているんです。」
 「え?どうして?気になるなぁ…教えてよ。」
 予想通りの反応だ。ここで、わたしはさりげなさを装いつつ、 ありったけの勇気を振り絞って、セリス様を誘った。 これは、わたしの役目であると同時に、わたしの意思…いえ、願いでもあった。
 「いいですよ。でも、その代わり……お昼まで、わたしの話し相手をしてくれますか? …大丈夫です、後でユリアさんと会えますから。」
 あとに余分な言葉を付け加えてしまったのは、わたしの照れ隠しだ。
 セリス様がこたえるまでの間が、何時間もあるように感じられた。
 「うん、いいよ。」
 セリス様は、わたしの気持ちをよそに、あっけなく誘いを受けてくれた。

 わたしたちは、いろいろな話をした。
 エーディンお母様といたティルナノグの思い出。スカサハたち、幼なじみの話。 アーサーさん、フィーさんなど、新しい仲間の話。危なかった戦いの話。 ヨハンさんとラクチェなどの、恋の噂…なんていう話もした。
 時に、ぼうっとしているセリス様が切なくて、 「ユリアさんのことを考えているのですか?」なんて嫉妬深いことを言ってしまったりもした。 すぐに、「言わなくていいです」と言いなおしたけれど。

 セリス様の、青く、深く、優しい瞳。しっかりとした、やわらかい声。 窓辺から差し込む日の光に照らされた、明るい顔。理知的な、良く考えられた言葉。 そのすべてが、今は、わたしだけに向けられている。
 わたしだけが、今のセリス様の世界にいる―――。

 そんな幸せの一時は、あっという間に過ぎて行く。
 気がつくと、南中した太陽が、わたしに夢の終わりを告げていた。 セリス様も、お昼になったことに気づいたようだ。約束の場所に、連れて行かなければならない。 わたしはしばらく空を見上げ、決意をかためた。
 「行きましょうか、セリス様。わたしについて来てください。」
 戸惑うセリス様の手を引いて、わたしは廊下を歩き始めた。

 こんな風に手を繋いで歩くのは、何年ぶりだろうか。
 そう…、セリス様を会場に連れて行くというのを口実に、 わたしはひそかに、セリス様と手をつないで歩くということを目論んでいた。 それが実現して…、今、わたしのてのひらの中に、セリス様の手がある。 そして、二人で歩いている。ただそれだけの、無言の時間。
 ごめんなさい、ユリアさん、セリス様。
 今だけは、わたしの時間。ふたりだけで、いさせてね…。

 わたしは、自分の手が心臓になって、どくどく脈打っているように感じた。 セリス様の手に触れている部分が、この上なく熱くなる。
 いけない。こんなに激しい胸の鼓動、セリス様に伝わってしまう。 セリス様…どうか、気づきませんように…!

 わたしは、昨日見た光景を思い出していた。男の子がたんぽぽの綿毛を吹いた場面だ。
 あの時の男の子にとって、たんぽぽは、一時の興味を引く存在に過ぎない。 息を吹きかけ、飛ばしたら、また隣の女の子と遊びはじめる。
 でも、たんぽぽにとっては、それは新たな命を送り出す…、自分の一生を決める、 大切な儀式。だから、その日のこと、自分を送り出してくれた男の子のことを、 絶対に忘れない。そして、来年のたんぽぽにも、その思いは受け継がれていく。
 わたしが、セリス様にとって、単なる道端の一輪のたんぽぽでも、いいの。 一瞬の心の安らぎを、与えられるなら。
 それに…。

 そこまで考えた時、目の前に大広間の扉が現れた。
 ついに、わたしの時間は終わったのだ。
 「さあ…、入りますよ。」
 自分に言い聞かせるように言うと、わたしは思いっきり扉を開けた。
 「セリス様、お誕生日おめでとうございます!」
 その声が、主演女優の交代を告げた。

 あとは、わたしの出る幕じゃない。セリス様にプレゼントをあげたほかは、 特に話をする事もなく、わたしは一人でぼうっとしていた。
 「お疲れ様、ラナ。」
 セリス様とユリアさんが親しそうに話すのを、遠くの壁から見るともなく眺めていた わたしの肩を、レスター兄様がやさしく叩いた。
 「大丈夫、ラナの頑張りは、きっとセリス様に伝わっているから。」
 レスター兄様は、そう言ってにっこりと笑った。

 わたしは、さっき考えた事の続きを、心の中で口に出した。
 …それに…、まだ、諦めたわけではないわ。人の心は、変わるかも知れないから…。 わたしでも、いつかセリス様を振り向かせられるかもしれない。
 それに、たとえ思いが叶わなくても、男の子が吹いた風…いえ、 セリス様が与えてくれた力によって、わたしは強く飛び立つことができる。

 セリス様の手元で、プレゼントしたハンカチの絵のたんぽぽが、 元気に微笑んでいるような気がした。

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