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バカ殿セリス様・外伝
恋のスクランブル(後編) 悲しい…と言うより、混濁した一夜が明けて。 ぼくは、げっそりとした面持ちで朝を迎えた。 いつものように、みんなで朝食を取っていたが、ぼくは ユリアの方をまともに見られなかった。それでも時々ぼくの目に入るユリアは、 いつもと変わらぬ無口無表情で、ゆっくりと料理を口に運んでいた。 その表情からは、彼女が誰を思っているのか、何を考えているのか、 全く読み取れない。 朝食を終えたぼくは、隣の広間でぐったりと椅子に座っていた。 もはや、町へ出て行く元気など無かった。 偵察部隊も帰還し、作戦も決定したようなので、明日からはまた戦いが始まりそうだ。 だけどこんな状態では、ぼくは指揮官という本来の役目に全く集中できず、 日がな一日ぼーっとして過ごす毎日になるだろう。 …もっとも、ぼくが役立たずなのは前からだったから、 そのことによって解放軍の戦力が落ちることは無いかもしれないが。 ぼくは、もう一度、ユリアの顔を思い浮かべた。 伏し目がち、うつむき加減のユリアが、ぼくの言葉に応えて、目をきらりと輝かせ、 自然な笑顔を見せてくれる。その姿が脳裏をよぎった瞬間、 ぼくの精神は愛しさで一杯になり、胸に詰まった想いの苦しさにぼくの顔が歪んだ。 ユリア…。 やっぱり、ぼくはきみのことを忘れられない…。 「セリス様、どうなさったのですか?」 背後から突然、ぼくに声がかかった。それがユリアの声だったら、 ぼくはびっくりして飛び起きただろうけれど、そうでないことはすぐに分かる。 ぼくは、くるっと後ろを振り向いて、無気力な受け答えをした。 「ああ…、ラナか。」 「お疲れですか?」 「うん…ちょっとね…。」 何て言って良いのか分からず、ぼくは力のない笑顔でラナを見返した。 それに反応してか、ラナの表情も翳る。しばらくの間、沈黙が落ちた。 その静寂が決して暗くなかったのは、ラナがそれを何とかしようと思っている おかげだったかもしれない。 やがて、ラナが静かに口を開いた。いつもの明るい声に比べ、だいぶ落ちついている。 「セリス様……何か、お悩みなのではないですか? わたしがお役に立てるか分かりませんが、良かったら、話してもらえませんか? …大丈夫です、誰にも言いませんから。」 …ふうん。ラナって、けっこう優しいんだね。シスターだからかな。 表情が、ちょっと迷っているような、震えているような感じだったけど…気のせいかな? ちょっと、独りで葛藤を抱えているのが苦しかったところだし、ラナなら頼れそうだ。 話してみよう、という気分になった。 「うん…。実は、ユリアのことなんだけれど…。」 ぼくがそう言った瞬間だけ、ラナの目と両手がぎゅっと閉じられたような気がした。 ユリアに好きな人がいると聞いて、相手が誰だか気になっていること。 その後、スカサハと一緒にいるところを見てショックを受けたり、 デルムッドやヨハンとのことで一層混乱したり…。だいたい全て、正直に話した。 ラナも、ヨハンのくだりで思わず吹き出してしまった以外は、しっかりと聞いてくれた。 「ユリアの好きな人って、誰なんだろうね?ラナは、知ってる?」 ラナは、ぼくから少し視線を反らすようにして、しばらく押し黙った。 そして、ぼくを静かに見つめて、厳かに尋ねたのである。 「セリス様…。それをわたしの口から言って、良いのですか?」 うっ…。 ぼくは、ラナの言葉とその迫力に押されて、かなりたじろいだ。 確かに…、ここでラナに、誰かの名前を言われてしまったら、ぼくは ユリアに自分の想いを告げることの無いまま、恋が終わってしまうことになる。 その方が、ユリアの気持ちを傷つけないという点で、良いのかもしれないけれど。 でも…。ぼくは、それでは諦め切れなかった。 「…そうだね。ぼくはきっといつか、自分の気持ちをユリアに言うよ。 そして、ユリアがどう思っているのか、自分で聞きたい。 だから…、今は、遠慮しておくよ。」 ぼくは、にっこりと笑ってラナにそう告げた。 ラナは、一瞬目を丸くしてそんなぼくを見つめ、そしてちょっと溜め息をついた。 そして、ぷっくりと頬を膨らませて、 「…もう、そんなことを言うと、意地悪をしたくなってしまいます。 罰として、ユリアさんの好きな相手が誰か、無理やりにでも聞いてもらいます。」 …へ?ぼくはラナに、何か悪いことをしたかなぁ…。 そう思っている間に、ラナの言葉は続いた。 その内容の重要性に気づき、ぼくの心臓の動きが急に乱れる。 「昨日、ユリア様に、好きな男の人って誰かって聞いたところ…。 何て答えたと思います? 『ここにいる男性は、みんな好きです。もちろん、女性も。』 …ですって。ユリア様らしいですよね。」 両手を広げて、呆れたように言うラナ。ぼくは胸に手を当て、 これまでで一番大きな溜め息をついて、へなへなとその場に崩れ落ち、 「ふう…。驚かさないでよ、ラナ…。」 そのまま、ラナを見上げて、苦笑いをするしかなかった。 確かに、ユリアらしいよね。天然ボケと言うのかな…。 でも、ぼくはそんなユリアの純粋さも大好きだけど…。 「スカサハ、デルムッドや、ヨハンさんについては、それとは別に ちゃんとした理由があるんですよ。でも、セリス様には内緒にしているんです。」 ラナは指をぴんと立てて、いたずらっぽい目でそんなことを言った。 「え?どうして?気になるなぁ…教えてよ。」 「いいですよ。でも、その代わり……お昼まで、わたしの話し相手をしてくれますか? …大丈夫です、後でユリアさんと会えますから。」 …??ラナの真意がよく分からないけど…、 「うん、いいよ。」 こうして、ちょっと珍しい組み合わせで、ぼくは午前中を過ごすことになった。 時々、ぼくがぽーっとしていると、 「ユリアさんのことを考えているのですか?」 「えっ、えーと…その…」 「…あっ、言わなくていいです…」 なんて会話が交わされたりもした。ラナって、鋭いよね…。 そうこうしているうちに、お昼になって。ラナは、しばらく窓から空を見上げた後、 ぼくを見つめて笑った。 「行きましょうか、セリス様。」 「えっ…どこへ行くの?確か、ユリアとスカサハたちのこととか、教えてくれるんだよね?」 「ふふっ…、とにかく、わたしについて来てください。」 そう言って、ラナはぼくの手を握り、引っ張って行った。もう少し問い詰めたかったけど、 ラナの顔がちょっと真剣になっていて、話し掛けづらい雰囲気だったので、 結局ぼくは無言のまま、大広間の前の扉まで連れてこられた。 「さあ…、入りますよ。」 そう言ってラナは大扉に手をかけ、勢いよく開いた。 「セリス様、お誕生日おめでとうございます!」 みんなが、声を合わせてぼくを一斉に祝福し、拍手してくれた。 中には、色とりどりの料理が並べられていて、なかなか見栄えが豪華だ。 その部屋の中に、ずらっと並んでぼくを出迎えてくれたのは、 スカサハ、ラクチェ、レスターをはじめとする仲間のみんな。 オイフェやレヴィンたちの姿もある。そして…。 ぼくの目の前にいた少女…もう、何年も話していなかったような気さえする…が、 紫の瞳をぼくに向け、ちょっとたどたどしい口調で話し始めた。 「お誕生日のお祝いを、これから始めます。今日はみんなで楽しみましょう。」 そこでいったん言葉を止め、ユリアは部屋の真ん中にあるケーキを手で示した。 「…セリス様、ろうそくの火を消してください。」 そうか。本来のセリス様は、今日が誕生日だったんだ。 「ありがとう、ユリア、みんな。」 ぼくはそう言って、ケーキに立てられた19本のろうそくをきれいに吹き消した。 「あっ、この山菜料理、美味しいね。誰が作ったの?」 「ユリア様です。今回の料理は、だいたいユリア様が作ったのですよ。」 ぼくの質問に答えたスカサハは、そう言ってユリアをぼくの前に連れてきた。 「ユリアは、料理も上手だったんだね。」 「いいえ。これは、スカサハ様に教えていただきました。材料の取り方も、 料理も、スカサハ様の見よう見真似です。」 なるほど。スカサハと一緒にいたのは、そのためだったのか。 確かに、彼の料理の腕は抜群だからね。 「そう言えば、あの計画は無くなってしまったんですね。」 ラクチェが、口を差し挟んできた。隣には、ヨハンが立っている。 「ユリア様が、セリス様に感謝の言葉を言いたいということで、 どう喋ればいいのか、ヨハンに相談したんですよ。ところが、手本を示すはずのヨハンが、 いつも通りの非常識な話し方でやったもんだから…。ユリア様、 困ってしまったんですね?」 堂々と真相を披露するラクチェに、ヨハンは困った表情で両腕を広げた。 「セリス様に見つかった時は、心臓が不安の底無し沼にはまりましたよ。 誤解されて、ラクチェに告げ口されたらどうしようかと…。 だが、我が愛しのラクチェよ、私が心からあのような言葉を向ける相手は君だけだから、 私の純粋なる愛を受け入れて……ぐはっ」 ヨハンの恋は今日もまた、愛しの人の肘鉄によって撃沈する。 「大丈夫だよ、無理して上手に話そうとしなくても。 その気持ちだけで十分だ。ありがとう、ユリア。」 ぼくは、ユリアに笑いかけた。だけど、ヨハンばりの派手なパフォーマンスで 「おお、セリス様〜〜」とか言うユリアも、 ちょっとだけ見てみたい気もした…ぜんっぜん想像できないけれど。 みんなから多くのプレゼントをもらって、食べて騒いで、宴は盛況のうちに終了した。 ぼくのそばにいるのは、ユリアだけじゃない。そんなことを実感できた一日だった。 ぼくは今、城壁の上の見晴台でひとり佇んでいる。ふと横を見ると、 いつの間にか音も無く、ユリアが隣に来て、ぼくを見つめていた。 ぼくの心臓が、ときん、と一段階強くなるのが感じられる。 「ユリア…ありがとう。今日のために、頑張ってくれたんだね。」 「いいえ、他の皆様のおかげです。…わたしも、セリス様のお役に立ちたいと思って、 皆様からいろいろなことを習いました。力を分かち合って成長できるのは、 良いものですね…。」 「そうだね、ユリア…。」 そうか。ユリアはこれまで、独りでいることが多かったから、こういう経験は 少なかったに違いない。でも、自分でその殻を破って、自ら成長して行けるなんて…。 はるかに続くイード砂漠を見つめるユリアの横顔に、ぼくはあらためて尊敬の念を抱いた。 「セリス様。これを受け取って、巻いて下さいますか? …作り方は、デルムッド様に教わったのですけれど…。」 そう言って、ユリアはおずおずと、細長い布をぼくに向けて差し出した。 そして、ぼくの頭を指し示す。 なるほど。ぼくは、ユリアの意図を理解した。 まっさらな白い布地、きっちりとした折り目、縫い目は、ユリアの純粋な心を 映し出しているように見える。ぼくはそれを額に巻いて、ぎゅっと結んだ。 ぐっと、胸の底に気合いが入ってくる。 「ありがとう、ユリア。似合うかな?」 「…はい。」 ユリアに包まれているみたいで、とても気持ちがいいよ…とは、 ちょっと口には出せなかった。 ユリア、疑ってごめん…。ぼくは、まっすぐな瞳で自分を見つめる少女に、 心の中で謝った。 実際のところ、ぼくがユリアと恋人になれるかは分からない。 いつかは、本当に昨日のような苦い思いを味わう日が来るかもしれない。 それでも、恋人としてでなくても、ユリアとこんな風に感謝の心を分け合い、 心を通わせて行きたいな…。 これからの道程に思いを致しながら、ぼくはユリアの横でさわやかな陽気を楽しんでいた。 |