|
バカ殿セリス様・外伝
恋のスクランブル(中編) 翌日。東の果ての地平線に朝日が姿を現すのを待ちかねたかのようにして、 ぼくは、がばあっと勢い良く起き出した。自分に都合の良い考え方ができるのは、 人生にとって得なのだろうかとも思える。有り余るエネルギーを持て余したぼくは、 鼻息を荒くしてその一日の幕を開けたのだった。 何しろ、ユリアがぼくを好きなことは、すでにぼくの中で決定されているのだから、 何も恐いものは無い。仕度を終えたぼくは、善は急げとばかりに早速、 これからぼくの恋人になる(既定)少女に対し、 目をぎらつかせ、自信に満ち溢れた声をかけた。 「ユリア…」 大事な話があるんだ。聞いてほしい。続けて出す予定だったそれらの言葉は、 しかしながらぼくの口から出ることは無かった。 「…ごめんなさい、セリス様。用事がありますので、また後ほど…。」 いつも通りの無表情、抑揚の無い声で、ユリアは静かにそう呟き、 ぼくに背を向けて広間を出て行った。 あれ?何かおかしいなぁ…。 これまで、ユリアがぼくの誘いを断ったことなど無かった。 ぼくが話し始めれば、ずっとこちらを見て (たまに、ぽうっとして、見ているんだかいないんだか分からない時もあるけど)、 しっかりと話を最後まで聞いてくれていた。その上で、 ユリアにして欲しいと言った場合には、必ず「はい。」とうなずいて、 実行してくれたものだ。 例えば、ちょっと話を聞かせてほしいとか、一緒に荷物を持ってきてほしいとか。 …まあ、そんなに無茶な注文を出さなかったせいでもあるだろうけれど。 今回の様子がいつもと違うので、ぼくは何となく胸騒ぎを覚えた。 今日も、みんなは思い思いに過ごしている。 軍の上層部では、次の戦いの戦略を懸命に練っているようだ。 イード神殿のシャナンと合流する計画のようだが、偵察隊の帰りを待っている状態で、 ぼくたちにはちょっとした暇ができていた。 本当は、ぼくも解放軍指揮官として今日の軍議に出るように言われていたけれど、 面白くないし、ぼくが出たところで意味無いしね。 ぼくは、城をこっそり抜け出した。 ……今、どこかからレヴィンが「それでもリーダーか!」って叫んでた気もするけど、 気にしないことにしようね。 ぼくは、何となく街をぶらぶらしていた。 イザーク独特の白い石造りの家が立ち並ぶ町並みを抜けると、 雑木林と、その向こうにちょっとした野原がある。 林を通りぬけ、野原に出ようとしたところで、ぼくは顔をひきっと凍りつかせた。 慌てて、木の陰に隠れ、向こうの様子をちらちらと見る。 春真っ盛りの今の時期。みずみずしい緑の葉の上に、黄色や青、紫など、 色とりどりの花が咲き乱れている。そんな風景に包まれて、 原っぱの真ん中で話し合っている、ほのぼのとした雰囲気の二人がいた。 一人は、決して派手ではないが、実直で誠実…そんな雰囲気を持つ、黒髪の少年。 もう一人は、人の顔を覚えるのが苦手なぼくが、ただ一人「決して忘れない」と誓える 少女だった。 そうか……そうだったんだね、きみの好きな人は……。 さんさんと降り注ぐ太陽、空高く飛び立ってゆったりとさえずる小鳥、 そよそよと囁く微風、そして花から花へと舞い移る蝶たち。 そんな全てに祝福されるように、スカサハとユリアは幸せそうに佇んでいた。 スカサハとユリアは、二人ともかごのような物を片手に持っている。 二人はちょっと離れて、草を摘み取っては、かごに入れているようだった。 すこし経つと、二人は採取を中断し、顔を上げて近づき、何やら話し始めた。 ぼくは、二人の会話を聞こうと、耳を澄ませた。ちょっと遠いし、 二人とも大声では話さないので、聞き取りづらいが…。 「よかった。これで……」 「……。わたしも…、……ませんか?」 「ええ。…………教えてさしあげますよ。ですが、ユリア様もお上手なのでは…」 んぐっ!?ぼくは、目の前がぐるぐると回るのを感じた。 お…「教えてあげる」だぁ?ス、スカサハ貴様、 ぼくのユリアに何を教えるというのだあっ! ユリアがスカサハから教わるのだから、スカサハの得意なこと…剣術だろうか? だが、ユリアは魔法が使えるので、剣はあまり必要ではないだろう。 ま、まさか…スカサハの人畜無害を装った目の奥には、 とんでもない邪悪な欲望が秘められているのではなかろうな? ユリアの純真な心につけこむのは、このぼくが許さんぞ! し、しかも、「ユリアも上手」って、一体何事…? ぼくは(自分で勝手に)途方もないショックを受けて、拳をわなわなと震わせた。 かと言って、その場に飛び出して文句を言ってもどうなるものでもない。 ユリアも困るだろう。 くっ…ぼくは、目に涙をためながら回れ右をして、ダッシュで城へと去っていった。 その途中林の中で、ラナとレスターがこちらにやって来ていたが、 そんなことはどうでも良かった。 「セ、セリス様?」 焦ったようなラナの声が届くより前に、ぼくはその場を駆け抜けていた。 城内のぼくの部屋。目の前の光景が、涙でうるんでぐるぐると回る。 やっぱり、ユリアがぼくを好きだなんて都合の良い話は、幻でしかなかったんだね…。 うん…。分かっているよ。それがユリアの意思なら、その通りにするのがいいよ。 きっとスカサハは、いい人間だから…。幸せにね。 さよなら、ぼくのユリア…。 そんなふうに悲劇の主人公の気分にどっぷりと浸って、ぼくはじっと青空を見上げた。 ところが。ほろ苦い思い出となるはずだったぼくの気持ちは、 その日のうちに、またまた急展開することとなった。 ユリアへの想いを絶ちがたく、ぼくは放心状態のままふらふらと城内を さまよっていた。やがて、ある部屋の入り口にさしかかったぼくは、 その中にユリアの姿を認め、反射的にがばっと身を翻した。 そして、壁に張り付き、そーっと部屋の外から中の様子をうかがう。 ごめん、ユリア…勝手に盗み見るようなまねをして…。 でも、ぼくは今、まともにきみと顔を合わせられないよ…。 野原から帰ってきたユリアは、疲れた様子も見せず、今度は椅子に腰掛け、 白く細長い布を手に取っている。糸と針も持っていて…、どうやら裁縫をしているようだ。 しっかりとした目つき、落ちついた手さばき…、こういう時のユリアは、 とても頼もしい。何に対してもまじめに取り組む姿勢は、見習いたいよね…。 でも…。 ぼくは再び、大きな溜め息をついた。 その美しい瞳が見つめているのは…ぼくではないんだよね…。 今の縫い物も、スカサハのためなのかな…彼のためだから、あれだけ頑張れるのか…。 ぼくは目をつぶり、垂れた頭を振ってその場を去ろうとした。 ところが、その時、ユリアがぽつりと呟いたのである。 「デルムッド様に…。」 デ、デルムッド…? ぼくは、わが耳を疑った。あれは、デルムッドに贈るために作っていたのだろうか? とすると、ユリアが好きなのは、もしかして、彼…? と、その時。ユリアのいる部屋に、向こう側から人影が現れた。 金髪に細面、おでこの広い独特の髪形は…まごうことなき、デルムッド当人である。 ユリアがデルムッドの方を向いたのを見て、彼は自然な調子で話しかけた。 「ユリア様、いかがですか?もうすぐ出来あがるでしょうか。」 「はい。…この前は、ありがとうございました。」 ぐっ…。デルムッドはユリアが何を作っているか、以前から知っていたようだ。 しかも、この前にユリアに何かしてあげたらしい。 やっぱり、デルムッドへの贈り物なのだろうか…。 ぼくは、ぐらぐら揺れる気持ちを抱えてその場を後にした。 ユリア…どうしたの?きみが好きなのは、スカサハじゃなかったの…? デルムッドは…髪型はちょっと独特だけど、頼り甲斐があるし、カリスマも 持ち合わせているから、いい男だと思うよ。でも…。 まさか、ユリアがふたまたをかけるわけないし…。 ああっ、ユリア…。きみの心に住んでいるのは、誰なんだい? もう、ぼくを愛してほしいなんてわがままは言わないけれど…、 きみが思っていることぐらい、知りたいよ…。 ぼくは、またしても自室で天を仰ぐのであった。 しばらく悩んでいたぼくの耳に、場違いな明るい響きの声が飛びこんできた。 「おお〜、我が愛しの人よ。君の笑顔は夜空の星々のようにきらめき、 君の声は小鳥のさえずりより心地良く響く。ああ、私に…」 ヨハンだ…この声は。間違いない。いつものように、意中の人を口説いているのだろう。 ぼくも、あんな風に積極的にユリアにアプローチできていれば、 結果は違っていたのだろうか…。ふと、そんな事を考える。 もっとも、ヨハンの愛はいまだに受け入れられる兆しが見えないから、 押しまくれば良いというわけでもないのだろうが。 そんなことを考えながら、ぼくは声の響く現場に向かった。 相手に撃沈されるはずのヨハンが心配だったからだ…と言うよりも、 野次馬根性と言った方が正しいかもしれないが。 ところが。 ばたーん!べちっ。 訓練室の入り口でずっこけ、派手に床とキスをすることになったのは、ヨハンではなかった。 中のあまりの光景に、ある意味で喜劇的な衝撃を受けた、ぼく自身だったのである。 その場にいるのは、まず、薔薇を右手の指に挟み、 膝を立て、さわやか過ぎる笑顔で白い歯をきらめかせるヨハン。 そして当然、ヨハンのほかに一人の女性がいたのだが。 それはぼくの予期した姿…黒髪、引き締まった身体の女剣士ではなかった。 歯の浮きまくるヨハンの口説き文句を前に、顔をわずかに赤らめ、凝視していたのは。 他ならぬ、ユリアだったのである! 「う、うそだろ…。」 衝撃の光景に耐えられず、ぼくは思わず声を漏らす。 こちらに気づき、目を丸くしているヨハンと、きょとんとしたユリアを前に、 ぼくはうわごとのように呟いた。そして、彼らが何か言い出すより前に、 「うわああーっ!」 そのまま、叫び声を挙げてその場から逃げ出していた。 な…、何ということだっ!よりにもよって、ヨハンだとっ!? あいつ、斧しか持てないから、使い勝手がすごく悪いんだぞっ。 闘技場だって、あんまり勝ち抜けないし…。顔や性格は悪くないけどさ。 でも、あんなに臆面もなく、ぬけぬけと愛を語るやつが好みだったのか? 意外だ、意外過ぎるぞ、ユリアー! あんな役立たずよりも、ぼくを…。そこまで考えた時、ぼくは愕然とした。 ぼくの方が、ヨハンよりもずっと弱くて、使えなくて、 かっこ悪いお荷物だということに…。 結局、誰と比べても、ぼくは勝てないってことか…。はうぅ。 ぼくは、自室で深い溜め息をついた。 スカサハか、デルムッドか、それともヨハンか? ぼくの頭の中に、いつも通りの清楚で可憐なユリアの姿が映る。 だが、その隣で、彼女に向けて微笑んでいる男の姿が、 次から次へとぐるぐる変わって行った。 その誰もが、ぼくより頼り甲斐のある人間であることは分かるけれど。 でも、ユリアがその誰かの側にいて、心からの幸せをつかみとる姿は、 ぼくには想像できなかった。 ユリア……。ぼくには、きみの気持ちが分からないよ…。 誰よりも透明なのに、深くて底の見えない、ユリアの心。 ぼくの魂は、ユリアの果てしない精神の海の中で漂い、おぼれ続けていた。 |