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バカ殿セリス様・華麗なる日々
転章・光への道標 わたしは、すべてを思い出しました。 しかしそれは、新たな戦いの幕開けに過ぎなかったのです。 ペルルークで、わたしは暗黒教団に捕らえられました。 まがまがしい波動に包まれ、わたしの意識が闇に堕ちてゆくさなか、 どこかで、わたしを求めるセリス様の声が響きました。そして…。 気づいたら、この場所にいたのです。 なぜかは分かりませんが、わたしは記憶を取り戻していました。 グランベル帝国の皇女として、優しいお父様やお母様、お兄様に囲まれて過ごした日々を。 そして…あの、忌まわしい出来事を…。 わたしは、シアルフィ城の離れの塔の牢屋に監禁されていました。 昔、お父様に城に連れて行ってもらった時、 お兄様がわたしの手を引っ張って、この塔まで探検といたずらに来たのです。 後でわたしはお兄様と一緒に、お父様に叱られたものでした。 わたしがこの部屋のことを覚えていることが、無性に悲しくなりました。 やさしかったお兄様との思い出が、否応無しに蘇るのですから…。 すると、部屋の外から話し声と物音が聞こえました。 そして、扉が開き、誰かが入ってきました。 「お父様…。」 その時口にできた言葉は、それだけでした。 七年ぶりに見るその姿は、以前とは変わり果てたものでした。 眉間に、額に、頬に深く刻まれた皺は、あれからの苦悩の歳月を物語っているようでした。 「ユリア、おまえにはすまない事をした。」 そう言って、お父様はわたしの前で頭を下げました。 ですが、わたしはお父様を恨んだことなど一度もありません。そう告げました。 ただ…、ユリウス兄様が変わってしまったことだけが、たまらなく嫌でした…。 「言っても詮無いことだが。もし、ユリウスが昔の姿に戻れば…。 …また、昔のように暮らしたいものだな…。」 「それは…。」 お父様の言葉に、わたしは視線をそらしてうなだれました。 お父様も、分かって言っていらっしゃるのです。 いくら依り代にされたからとは言え、あれだけの事を行ったお兄様が、 人として赦されることはないことを。 仮に他の誰が赦したとしても、お兄様自身が決して赦しはしないでしょう。 それに…。わたしの胸には、もう一つの大切な思い出が蘇りました。 それを思い出と呼ばねばならないことが悲しくて、黒い天井を見上げ、 わたしは思わず呟いていました。 「セリス様…。」 それを聞いたお父様は、興味深そうに聞きました。 「…セリスか。解放軍の盟主だったな。一緒にいたのか?」 「はい。一年近く前から、セリス様たちと行動をともにしておりました。」 そう答えると、お父様は感心したように、ため息をつきました。 「なるほど…。この七年間、私は過去ばかり見つめてきた。 だが、おまえは、新しい生き方を見つけたのだな。」 そう言って、わたしの頭を優しく撫で、微笑まれました。 「おまえから見たセリスは、どんな男だ?」 わたしは迷わず、レヴィン様の考えた称号を答えました。 「セリス様は、『バカ殿』ですわ。」 予想通り、お父様は意外そうな顔になったので、わたしはなんだか可笑しくなりました。 「勇者などではありません。剣を振ったところなど見たこともありませんし、 しばらく歩くと疲れて動けなくなってしまいます。 打たれ弱いので、わたしはいつもセリス様が無理をしないように心配しておりました。」 そこまで言った後、お父様のほうに向き直って続けました。 「ですが、セリス様は、わたしを護ると言い、 常にわたしを気にかけ、ともに歩いてくださいました。そして、わたしを…。」 好きだと告げてくださいました…とは、言えませんでした。 わたしは、気づいてしまったのです。わたしたちが、兄妹であることに…。 「記憶が戻らなければ…。わたしは、セリス様と…。でも…。」 帝国と戦うセリス様と、帝国皇女たるわたしは、敵対してしまうのでしょうか? 「…わたしは、分からなくなっているのです。 どうすれば良いのか。何を信じれば良いのか…。」 わたしは、愚か者です。大切なものを、本当の価値が分からないまま、 二度も失ってしまったのですから…。 わたしは昔、変わってしまったユリウス兄様を見て、 恐ろしさのあまり記憶を失ってしまいました。 現実から逃げてしまったのです。それが、第一の罪。 そして、ペルルークのあの恐ろしい光景を見て、「きみを護る」というセリス様の言葉を忘れ、 逃げ出してしまいました。それが第二の罪です。 家族と暮らした日々と、セリス様たちとの日々。それは、どちらも大切なものです。 でも今は、その二つがわたしの中で対立してしまっています。 それどころか、両方とも失われようとしているのです…。 わたしは、自分の道が見えませんでした。 そんなわたしに、お父様はしゃがみこんで、同じ目線で、 じっと見つめて真摯に語ってくださいました。 「それは、おまえの問題だ。私が答えを与えることはできない。 何をしたいのか、何が幸せか、自分自身で考え、決めるのだ。 …だが、そのための手がかりを私が与えることはできる。」 「手がかり…。」 「私とディアドラは、ともに闇の血を引いていた。 その血が交わることは、ロプトウスの復活を意味したのだ。 ユリウスは、暗黒の化身となってしまった。 その、ロプトの力を制することができるのは、神竜ナーガの力。 そして、それを受け継ぐものは……。」 …お父様は横を向き、それ以上何も仰いませんでした。 わたしの胸には疑問が残りました。 お兄様と対立する、ナーガの継承者とは、誰なのでしょうか…? 「光と闇の戦い、それは神の意思に過ぎぬ。従うかどうかは、おまえが決めよ。 もし、戦いの道を行くならば…、これが行くべき道を示すだろう。」 そう言うとお父様は、懐から鈍く光る環を取り出しました。 わたしは、そこから懐かしく暖かい感触を得ました。 「このサークレットを受け取るのだ。これは、おまえの母の形見。 そして、おまえを守る最後の…。」 そこまで言ったとき、急にお父様の背後から毒々しい声がかかりました。 「ふぉふぉふぉ…傀儡皇帝が、何を企んでおる。早々に出てゆくが良い。 ユリア殿は、わしとともにヴェルトマーにおいでいただこう…。」 ロプト大司教の、マンフロイが現れたのです。 そのまがまがしい声は、わたしをまた一歩絶望に近づけました。 お父様はわたしに、密かにサークレットを渡すと、辛そうな目でわたしを見つめました。 そしてわたしに背中を向け、一つの言葉を残しました。 「ユリアよ。自分の信じる道を定めよ。そして、どんなに険しい道であろうとも、 そこを歩き続けるのだ。それが、炎の紋章の意味。忘れるな…。」 コツン、コツンと硬い足音を立て、牢屋を去るお父様。 その心中は、いかばかりだったでしょうか。 それが、お父様との最後の別れでした。 わたしは、暗黒教団の手によってヴェルトマーへと運ばれました。 それからまた、冷たい牢で独りきりで過ごす日々が何週間も続きました。 以前、セリス様は、わたしのことを「明るくなった」とおっしゃいました。 確かに、セリス様たちといた日々、わたしの心の動きは激しくなったようです。 ですが、今は…。 最初は、食事もろくに喉を通りませんでした。セリス様と出会う前のわたしだったら、 孤独はそれほど辛くなかったかもしれません。ですが、セリス様たちと笑い、悲しみ、 楽しむことを知ってしまったわたしにとっては、この部屋は寒すぎました。 マンフロイに、今日殺されるか、それとも明日か…。ただ怯えていました。 しかし、わたしは絶望の闇を追い払う方法に気づきました。 それは、過去を見つめ、その延長線上に未来を描くことです。 幼い頃の、ユリウス兄様の楽しい声を思い出しました。そして、 ユリウス兄様の心が戻り、再びお兄様と一緒に過ごせることを夢見ました。 ディアドラ母様が、わたしを優しく抱いてくれたことを思い出しました。 いつか、わたしに子供が生まれたら、同じように抱きしめたいと感じました。 そして、セリス様のことを思い出しました。 わたしはきっと、初めて出会った時から、セリス様を慕っていたのだと思います。 わたしと出会ったとき、セリス様は迷わずに私を護ると言ってくれました。 街を奔走して魔道書を探して下さり、砂漠で力を分け合ってくれました。 雨の日以来、悩んだわたしのことを、真剣に思いやってくれました。 町で楽しく食事をし、お粗末だったわたしの代わりに、見事な演奏をしてくれました。 イシュタル様を相手取る気構えを見せ、本当の自分を探すと約束しました。 そして…。 マジックシールドに乗せたわたしの想いを受けとめて、 わたしを抱きしめて、好きだと伝えてくれました。 この一つ一つの思い出が、今のわたしの宝物です。 暗い牢の中で、時には挫けそうになることもありました。そんな時、わたしは想像しました。 わたしを見失ったセリス様は、どうしているのかと。 自惚れかも知れませんが、きっと、「ユリア〜〜!」と雄叫びを上げながら両手を広げ、 全力疾走の馬車さながらの暴走ぶりで、わたしを探すのではないでしょうか? わたしを見つけたら、勢い余って弾き飛ばしてしまうかもしれません。 そう思うと、思わず笑いがこぼれてしまいました。 それとともに、わたしの中に新たな活力が生まれてきました。 こうして、独りで過ごしていて、初めて知りました。 わたしは、家族やセリス様から、かけがえのないものを与えられたのです。 それはきっと…、「希望」というのだと思います。 そしてもう一つ、大切なことがあります。それは、現実を見据えること。 夢は、ただ見ているだけでは叶わないのです。 わたしは、ずっと考えました。自分の希望は、実現できるのか。 どれが可能で、どれが不可能なのか。どういう方法で実現するのか。 そのために、どんな犠牲を払うのか。叶ったら、本当に幸せなのか…。 むろん、この境遇から脱出しないことには、何も始まりません。 どれも、か細い糸のような望みですが、必死で考えたのです。 それが、お父様に教わったことでした。 そんなある日、ついにマンフロイがここにやって来ました。 そして、わたしを謁見の間に連れて行ったのです。 そこに待っていたのは、ユリウス兄様でした。 …そう呼ぶことができれば、どんなに幸せだったことでしょう。 しかし、彼の額にある見覚えのない赤い刻印が、戻らない時を象徴していました。 わたしとユリウス兄様の会話は、およそ兄妹のものとは思えませんでした。 昔の日々を取り戻したい…。そんなわたしの思いを兄様はもてあそび、 楽しんでいたのです。 「…ほおー、私を覚えているのか。ふふふ…」 「すべてを思い出しました。まるで、昨日のことのように…」 「それはよかったな。やさしかった母上のことも思い出したか。」 …お兄様は、辛い思い出をわたしの中に呼び起こし、 その反応を興味深そうに見ていました。 ユリウス兄様の正体。 わたしは、自分で見聞きするまで、どうしても認めたくありませんでした。 しかし…。自分の内なる声に耐えきれず、叫んでいました。 「…あなたは誰なの?…あのときから、何もかもが変わってしまったわ。 やさしかったわたしの兄はその日を限りにいなくなって、 あとに残ったのは恐ろしい力を持った悪魔の子だけだった。 あなたは母様だけでなく、兄様までわたしから奪った。 …あなたは一体誰なの!?」 兄様は…いいえ、「その存在」は、待っていましたとばかりに唇を歪め、 得意げに語り始めました。 「私はロプト一族の力を受け継ぐ者、この世界の支配者なのだ。 ユリアよ、我が宿敵ナーガの力を受け継ぐ者として、お前にはここで死んでもらおう。」 その言葉は、わたしにとって最大の衝撃でした。 死ねと言われたからではありません。わたしが、ナーガの継承者であること。 わたしとユリウス兄様が、相容れない関係にある事を、知ってしまったからです。 「嘘よ!」と叫びたくて、たまりませんでした。 しかし、その言葉が真実である証拠が、わたしの中にありました。 わたしの胸に、神竜のしるしがある理由は、他に考えられなかったのです。 光と闇…。あの日々は、もう戻らないのでしょうか…? わたしは命の危険を知り、さっと身構えましたが、 それを制したのはマンフロイ大司教でした。 「お待ちください、ユリウス様。ただ殺すより、良い方法があります。 この娘を洗脳し、セリスとか言うこわっぱに対する刺客とするのです。 愛する者同志で戦う…、なかなか面白い趣向ではありませんかな。ふふふ…。」 以前のわたしなら、その言葉に絶望していたでしょう。 しかし、今のわたしは、それを千載一遇の好機と感じました。 今ならば、わたしは何もできずに殺されていたはずです。 ですが、どんな形であれ、セリス様と再び会えるのでしたら…。 わたしはその感情を表に出さず、無抵抗でその場を後にしました。 その後、また牢の中で、ずっと考えつづけました。 そして、何週間後でしょうか、実際にわたしが術をかけられる日には、 わたしの希望と、行くべき道程は、しっかりと定まっていたのです。 その時、わたしの額には、お母様のサークレットが光っていました。 「ふふふ…お前は我が心のままに動くクグツじゃ…。諦めよ…。」 大司教の声に、わたしは心の中で精一杯言い返しました。 わたしは、決して諦めません。セリス様と再会し、わたしの想いを告げるのです。 マンフロイの術によって、闇に堕ちるわたしの心と体。 そのとき、わたしはセリス様を感じようと、全神経を集中させました。 セリス様の、ちょっと頼りない姿、間延びした声、独特の匂い、華奢でひ弱な感触、 一つ一つの言葉、そして…。 それらを思い出し、捜し求める決意をしました。 セリス様。わたしはセリス様の往かれる道を、信じています。 |