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バカ殿セリス様・華麗なる日々
第10章・赤き皇帝 ぼくは、最大の難問を突きつけられた。 殺すことが、できるか? 話は、アルヴィスとの場面から数日前にさかのぼる。 逃れた子供たちを救うため、ぼくたちはシアルフィの東に向かった。 追手のダークマージは、すでにフィーたちによって倒されていたので、 ぼくたちは余裕をもって子供たちを迎えることができた。 泣きついてくる子供たちを適当にあしらっていると、 向こうから一人の老人がゆっくりと歩み寄ってきた。 彼はぼくの前でひざまずき、丁寧に話し出した。 「これはセリス様、お待ちしておりましたぞ。私はシグルド様の側近だった司祭、 パルマークと申します。さあ、これをお受けください。」 そう言って、持っていた一振りの剣を両手で差し出した。 「これは?」 「シアルフィ家の家宝、聖剣ティルフィングです。」 そう言われて、あらためてその剣を見る。 そこには確かに、その名に恥じない風格があった。立派な剣だ。 …だが、ぼくはそれを前に戸惑っていた。 「…私に、これを身につける資格があるのか…?」 「何をおっしゃいますか。セリス様はこの剣の正当なる後継者。 剣のあるべき場所は、あなたの手をおいて他にありませぬ。 …セリス様、あなたの肩をご覧ください。」 そうだった。今まですっっかり失念していたのだが、このぼくもバルドの血を引く身体。 ならば、肉体のどこかに聖痕があって当然であろう。 …なんで忘れてたかなぁ、ぼくは…。 服を脱いで、首を後ろに回し、自分の背中、右肩の下を見やる。 オイフェが、すかさず鏡を用意してぼくの肩を映し出した。 その瞬間、ぼくの肌から発する光が鏡に反射し、まぶしさで目が眩んだ。 …しばらく目をつぶり、ゆっくりと目を開けて再び自分の体を確める。 そこには、青く光る剣の紋章があった。 「これが…。」 ぼくは、初めて見るその刻印を、しばらくの間目に焼き付けていた。 伝説の戦士にのみ現れるという、聖戦士の刻印。そこから、 様々な感慨の波がぼくの心に押し寄せてきた。 ぼくの体に、本来あるはずのない妙なものがこびりついているという違和感。 自分が、なにか特別な存在に思えてくる選民的な感覚。 聖なる力が自分の中に湧いてきそうな、頼もしさ。 逆にそのとてつもない力に、自分が乗っ取られそうな漠然とした危機感。 …そして、血筋によって使命を押し付けられることへの嫌悪感。 人は、「聖戦士」という存在に憧れるかもしれない。 しかし、自分がそうであることを知ったぼくの実感からするならば、 それは決して単純に喜べることではなかった。 その違和感は、剣を手に取ることで、より確かな形を取った。 ぼくにとって、聖剣ティルフィングは、あまりにも重すぎた。 腰をしっかりと入れて、鞘を両腕と胴体とで支えることで、やっと その重みに耐えることができる。それでも、気を抜くと取り落としてしまいそうだ。 ましてや、この剣を振り回すなど、無理な相談であった。 「すまない。私には、この剣を使いこなせないようだ。」 「…ならば、せめてそのままお持ちください。それだけでも、退魔の力が得られます。」 顔色に失望を表したパルマークは、それでもぼくにこの剣を受け取らせようとした。 「分かりました。では、しばらくの間、私が預かることにします。」 ぼくはとりあえずそう言って、この場をおさめた。 だが、剣の重みは明らかにぼくには負担が過ぎていた。 剣そのものの重みよりも、むしろ、その上に課せられた使命の重さが辛かった。 ユリアは、こんなものを背負っていたのか…。 それに比べたら、ぼくはくだらないことで悩んでいたものだ。 今は側にいない少女を思い、ぼくの心はきりきりと締めつけられた。 激烈を極めた戦闘が、終わりを告げたそのとき。 そこに立っている者は、誰もいなかった。 シアルフィ城の大広間は、本来の壮麗な構えを完全に失い、炎の墓場と化していた。 広間の中央では、床がファラフレイムによって融解し、球形に削れ、 表面の石材が泡立っていた。美麗な壁画やタペストリーは、剣と風に刻まれ、 炎で焼け焦げていた。 そして、目の前では、ぼくの代わりに戦ってくれたアレスとセティが、 床にへたり込み、荒い息をついていた。 この二人にとってさえ、ここは死を賭けた決戦場であった事が表情から知れた。 「すまん、セリス…。」 広間に入ってきたぼくに、アレスがぼんやりとした目で話しかけた。 ぼくは、アルヴィスとの戦いをアレスとセティに任せ、自分は遠くに避難していたのだ。 だが、それに先だって、ぼくは彼らに一つの指示を与えていた。 「アルヴィス皇帝を、殺さないでほしいんだ。」 ぼくのその注文に、はじめは二人とも難色を示した。 アルヴィスの攻撃能力は群を抜き、とても手加減できる相手ではないと言った。 だが、ぼくの真意を聞くと、二人はうなずいてくれた。 「分かった。…なるべく、殺さないようにする。保証はできないけどな。」 「できる限りの手は尽くします。成功を祈っていてください。」 だが、今のアレスの表情には、満足感はなかった。 …一方のセティの方も、力ない表情ですっと右手を上げる。 その指のさす方向には、崩れた玉座があった。そして、そこに横たわるのは…。 「ラナ、ティニー!二人を治療してくれ!」 ぼくは、そう言うと同時に、玉座に向かって走り出していた。 崩れ落ちた玉座の、残骸。 その手前に、全身血まみれであお向けに倒れるアルヴィスの姿があった。 「アルヴィス皇帝!」 ぼくは、彼のもとに駆け寄った。すると、彼の身体がわずかに動いた。 アルヴィスが生きていることに、ぼくは心から安心した。 たとえ、彼が魔道書を失い、手足も動かせず、もう戦えなかったとしても。 「生きていたのですね、よかった…」 そう言って、ぼくは彼を助け起こそうとした。 コープルを呼び、応急処置を彼に施すように言う。 だが、彼の行動は、ぼくの甘い想像を完全に裏切った。 アルヴィスは、顔をこちらに向け、厳しい目で睨み、ぼくにこう告げたのである。 「セリスよ、わしを殺せ。」 「な…!」 その言葉は、ぼくにとって何よりも大きな衝撃だった。 その意図をはかりかね、ぼくは言葉に詰まった。 「何を…!アルヴィス皇帝…あなたは…」 「怖気づいたか?その剣で、我が首を刺すのだ。」 そう言って彼が指したのは、ぼくの腰に下げた細身の剣ではなく、 後からついてきたレヴィンが持つ、聖剣ティルフィングであった。 戦闘前にアルヴィスと会話するとき、邪魔だからと預かってもらっていたのだ。 「なぜ…。私は、あなたに生きていてほしいと願ったのに…。」 「世迷いごとを…。もはや、我等の時代は終わったのだ。」 アルヴィスは、外見から見たら、まともに話せる状態ではない。 それどころか、はっきり言って瀕死であった。 コープルも必死で治療しているのだが、うまくいかないようだった。 だけど、いま追い詰められているのは、ぼくなのだ。 勝利を目前にしたぼくのほうが背筋を寒くし、呂律が回らない。 逆に、満身創痍のアルヴィスの方が堂々と話していた。 「セリスよ、皇帝の言葉が正しい。」 レヴィンはそう言って、ぼくに聖剣を押し付けてきた。 そして、淡々と運命の理を説明した。 「これは、神の意志なのだ。 アルヴィス皇帝のグランベル帝国は、はじめこそ正しい政治を行ったものの、 やがてロプトの暗黒教団に実権を奪われ、残虐非道な恐怖政治へと転落した。 現在、民衆はそれに反旗を翻しているが、帝国は強大なため、まだ二の足を踏む者も多い。 今、民が求めているのは、英雄の物語なのだ。シグルドの遺志を継いだ 光の公子・セリスが、聖剣を手に皇帝・アルヴィスを倒した。 そう聞けば、ユグドラルの民がみな勇気付けられ、一斉に蜂起するだろう。 ここで躊躇することは、世界を救うチャンスを逸するに等しい。」 レヴィンの気迫に押され、ぼくはティルフィングを手に取った。 見事な宝飾を施された鞘と、金ぴかで格好よい柄。 伝説の武器というだけあって、それだけで見るものを圧倒する威厳に満ちていた。 そして、すっと鞘から引き抜いた。刀身はそれ自身、晧晧と青白い光を放ち、 ありのままの姿で、いかにも「聖剣ですっ!」という趣をたたえている。 確かに、伝説を作るには絶好の場面であった。 「さあ、早く刺すのだ。」 死を前にして、少し焦りを含んだ皇帝の声が響いた。その声に引き寄せられるようにして、 ぼくは剣先を彼に向けた。 皇帝は、仰臥したまま、髪の毛一本さえ動かさず、 ただ燃え盛るような視線だけをこちらに放っていた。 その皇帝の首筋の真上の空間に、ぼくは両手で掴んだ剣を、 ぶら下げるような形で垂直に抱え持った。あとは、ただ腕を下ろすだけでよいのだ。 …どくん、どくん。どこからともなく音が聞こえる。 それは、アルヴィスを刺そうとするぼくの、高揚と恐怖の表れた心臓の音だったのだろうか。 それとも、命脈尽きようとする皇帝の、最後の命の脈動だったのだろうか。 剣先が震えている。それだけではない、剣を持つぼくの手も…、いや、 ぼくの全身が、がたがたと震えていた。歯はがちがちと鳴り、 身体全体から脂汗がどくどくと流れ、目の前はぐらぐらと回った。 両手だけで支えるには、重い剣である。両手で支えているつもりが、 いつのまにか自重によって剣は下がってきていた。剣先から、汗の雫が滴り落ちた。 自分の体が、まるで自分のものではないように、輝く剣先は自動的に吸い寄せられて行く。 アルヴィスの、喉元に…。 ぼくは、はじめて人を殺すのだ。 ぼくの脳裏に、誰かの言葉が響いた。言葉は、ぼくの意識の中を駆け巡り、回転した。 人を殺す?なあに、気にするな。この世界では、当たり前のことだ。 アルヴィスは悪の皇帝だからな、殺しても誰もとがめやしない、むしろ英雄になれる。 第一、今までだって軍のリーダーをやっていたんだろう? 部下を使って、数え切れないほどの敵を殺してきているんじゃないか。 その上にもう一人増えたって、どうってことはないさ。 しかも、見ろよ。アルヴィスのやつ、放っといたってもうすぐ死にそうだ。 どっちにしろ死ぬんだから、変わらないさ。楽にしてやったら良いんだ。 それが、運命だよ。光の公子に、なるんだ…! いつの間にか、ぼくは目をつぶっていた。もう一度、目を開いて前を見る。 そこにあったのは、聖剣の剣先。そして、そこから目と鼻の先ほど近くにある、 皇帝アルヴィスの首筋であった。 赤い髪、衣装、鎧。炎の紋章、気高き理想、正義の心、たゆまぬ情熱。 そして…床に広がる、自らの血の池。 全身を赤に染めた皇帝が、必死の形相でこちらを見据えていた。 あと少し、ぼくが手を下ろせば、剣は彼の喉笛を貫くであろう。 …だが。彼の顔を見たとき、ぼくの動きは完全に止まっていた。 「できないよ…。」 震えてうるんだ声が、シアルフィの大広間に響き渡った。 それが、ぼく自身の声であることを自分で意識するまでに、かなりの時間を必要とした。 それは、理性ではない。ぼくの、心の底から浮かび上がった声だったのだ。 「ぼくには、殺せないんだ…。あなたは、殺せない…。」 他の誰かなら、殺せたかもしれない。でも、アルヴィスは例外だった。 「頼む、レヴィン。傷の治療を…。」 アルヴィスの状態は、コープルには手におえないようだった。 レヴィン…いや、フォルセティなら、何とかしてくれるのではないか。 期待を込めて、ぼくは見上げた。 だが、レヴィンは厳しい視線でそれを受けとめ、決して動こうとはしなかった。 竜族にとっては、あるべき歴史を動かすことは許されない。 レヴィンがその立場に立っていることを、ぼくは思い知らされた。 一方、アルヴィスは、ぼやけた眼で睨み、厳しく、熱い口調でぼくを蔑んだ。 「未熟者め。そんなことで、ユリアの相手がつとまるものか。」 ユリア。その言葉を聞いて、ぼくは自分の心をはっきりと知った。 鍵は、そこにあったのだ。 ぼくのアイデンティティが、「シグルドの息子」なら、喜んで父の仇をとっていただろう。 「光の公子」であっても、聖剣をひらめかせていたに違いない。 「解放軍盟主」だとしても、アルヴィスを生かす理由は無かった筈だ。 だけど、ぼくの存在を最も強く主張する要素は、そのどれでもなかった。 からん。どさっ。 軽い音を立てて、剣が床に落ちる。刀身からは、すでに光は失われていた。 そして、ほぼ同時に…。ぼくの膝も、アルヴィスの目の前に崩れ落ちていた。 床に流れる彼の血が、ぼくの足を赤く染めた。 「あなたは殺せない。たとえあなたが、皇帝であっても…。」 いかに多くの民衆に憎まれ、殺意を抱かれていたとしても。 殺すわけにはいかなかった。なぜならば、ぼくにとって…。 「あなたは、ユリアの父上なのだから…。」 ぼくは、アルヴィス…義父上の大きな手を両手で包んだ。 もはや力なく、熱も失いつつあるその手を、ぼくは祈りを込めてさすった。 ぼくが自分で定めた、アルヴィスに対する行動。それは、殺すことではなく、 ユリアとの仲を認めさせ、ユリアのために生きてもらうことだったのだ。 まだユリアには結婚しようとは言っていないけれど、 彼が死んでは、承諾を得ることができないではないか。 「ふっ、馬鹿め…。」 アルヴィスが、か細く呟く。その眼には、どのような感情が秘められているのか、 もはや読み取れなかった。彼の炎が、尽きようとしている。 …そして。 アルヴィスの手が、ぼくの手の中からばさりと落ちた。 それが、グランベル帝国初代皇帝の、いや、ユリアの父上の最期だった。 「コープル、バルキリーを使えないだろうか?」 常識外れのぼくの提案に対しても、返ってきた答えは常識的なものだった。 …もし、運命に従うことを常識というならば。 「だめです。エーギルが尽きています…。彼は、ここで亡くなる定めだったのです…。」 レヴィンは、ぼくをじっと見つめていた。 そして、いつもの厳しい表情を崩さず、無言でその場を去っていった。 またしても、歴史を変えられなかった…。そうも思う。 だが、やるだけのことはやったためか、不思議と無力感はなかった。 疲れ果てたぼくの意識も、その場で眠りの世界へと落ちて行く。 「ユリアを、頼む…。」 意識が途切れる瞬間、ぼくの耳元に、ユリアの亡き父親の声が聞こえた…気がした。 |