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バカ殿セリス様・華麗なる日々
第11章・ぼくたちの聖戦(前編) 冬の終わり…。真っ白な空から、はらはらと粉雪が舞う。 それを囲むのは、むき出しの地面と、まばらに立ち並び、 葉ひとつ無く、細い枝を心細そうにさらす木々。 だが、よく見れば大地からは小さな芽が葺き、 木の枝にはつぼみが日を追うごとに増えてきていた。 「…行ってくるよ。」 バーハラの西に構えた本陣の出口で、ぼくは、みんなに告げた。 オイフェ、シャナン、スカサハ、ラクチェ、ラナ、ティニー、コープル…。 みんなが、ぼくを見送ってくれている。 中には明らかに顔色を曇らせ、心細そーにしている人も多い。 大丈夫なのかなあ、道に迷って野垂れ死にしたりしないでね、とでも言いたげだ。 …ぼくだから、当たり前だけどね。 解放戦争の終結は近づいていた。 ぼくたちは、グランベルに入り、フリージ城の東の平原に陣を張っていた。 アルヴィスを倒し、シアルフィを制圧してから1ヶ月。 解放軍は破竹の快進撃を見せ続けた。 すでに、エッダ、ドズル、フリージの各城を制圧し、当たるべからざる勢いである。 また、解放軍の活躍に刺激され、ユグドラル各地で住民の義勇兵が蜂起し、 帝国に対し果敢に戦いを挑んでいるとのことだった。 この間のぼくの役割は、号令を出すことだけだった。 敵も味方も、精鋭中の精鋭部隊である。戦闘中に、ぼくの出る幕があるわけがない。 ぼくは、本陣の中央の椅子に、ぼーっと座っているだけの、ただのお飾りだった。 そして、敵の切り札とも言うべき雷神・イシュタルが出撃したのが、 つい1週間前のことである。 イシュタルとは、一度だけ直接出会ったことがあった。あのとき、 彼女がぼくたちを殺すことは、容易だったはずである。 そうすれば、歴史は変わり、このような事態は無かったかもしれない。 …今更、言っても仕方の無いことだが。 イシュタルに対しては、ティニーが決死の覚悟で説得を行った。 その危険を鑑み、アーサーや仲間達は止めたが、ティニーの決意は固かった。 ぼくは…、ティニーを止めなかった。 大切な人を思い、そのために危険を冒す覚悟を、ぼく自身もしていたからだ。 ティニーは、よく頑張った。敵味方が入り乱れる激戦の中で、 激しい攻撃をかいくぐり、ティニーはイシュタルの元へ走った。 そして、戦場全体に響く大声でイシュタルの名を叫んだティニーは、 戦いを望まないイシュタルの心を言い当て、悲しい戦いを回避するよう、 涙ながらに説得を続けたのである。 結局、ティニーはイシュタルを止められなかった。イシュタルは、ティニーに謝りつつも、 決してトールハンマーを手放そうとはしなかった。ティニーの前に現れたセティが、 冷たい風を引き起こし、イシュタルの身体を塵にして空に還していった。 ティニーは、イシュタルの死を悲しみ、自分の無力を怒ったけれど、 自分のしたことに対しては後悔していなかったようだ。 きっと、もう一度同じ状況に立っても、ティニーは同じ行動をするのだろう。 ティニーにとって、イシュタルは自分を懸けて説得する意味のある、 かけがえの無い存在だった。ならば、ぼくにとって…。 「セリス様、大変です!ユリア様が、ユリア様が…!」 偵察に派遣していたデルムッドが、血相を変えてぼくの本陣に飛びこんできた。 これまでずっと手持ち無沙汰で、不安と退屈とともに暮らしてきたぼくにとって、 それは待ちに待ったニュースであり、同時に最も恐れていた事態でもあった。 「どうした!ユリアは、ユリアは無事かーっ!?」 息せき切って飛びこんだ彼に数倍する勢いで、がばあっと跳ね起きたぼくは、 勢い余って彼にぶつかり、そのまま首を掴んでがたがたと振った。 デルムッドにとってはいい迷惑だが、最重要事項で頭が飽和した今のぼくには、 彼の首の都合まで気を回す余裕はなかった。 とは言っても、このままでは彼の報告は聞けない。仕方ないので、 ぼくは彼の首を離した。デルムッドは、けほけほと咳き込んだあと、報告を続けた。 「ユリア様が、この本陣に向かっておられます! しかし、こちらの呼びかけには答えてもらえず、その上、攻撃を仕掛けてくるのです。 いくら呼びかけても、全く反応らしい反応を見せません。 まるで、何かに操られているかのようです…。 とりあえず撤退してきましたが、どうすれば良いものか…。」 顔色を真っ青にし、憔悴と困惑の色をあらわにして、デルムッドはそう言った。 それに対し、ぼくは胸をなで下ろして、こう返したのだった。 「そうか…。それはよかった。」 「…よかった……?」 ぼくの言葉に、周囲はあっけに取られた。レヴィンやオイフェをはじめ、 居並ぶ面々が一斉にぼくに目を向け、口をぽかんと開けた。 確かに、この状況に相応しくない言葉かもしれない。のんき過ぎる上に、 不謹慎と謗られても仕方がないだろう。だが、これがぼくの本心だった。 ぼくは、みんなを見回して、にっこり笑って喜びを表した。 「よかった。ユリアは…、生きているんだ。」 ぼくは、ペルルークでユリアを護れなかったことを、ずっと後悔していた。 絶望から立ち直った今でも、それは変わらない。 ユリアをもう一度この手に取り戻し、今度こそ、ずっとユリアを護ること。 それが、今のぼくの原動力の全てだった。 だが、ぼくにとって気がかりだったのは、罪を償う機会が、ぼくに与えられるのか、 という点だった。ぼくの心には、一つの言葉が、振りほどいても振りほどいても離れない 悪魔の呪いのように、ずっとこびりついていたのである。 「セリス様と離れ離れになって、もう二度と会えないような気がします」 トラキアの山頂で、ユリアは確かに、そう言っていた。 他の人の言葉なら、ぼくも気のせいだと思っただろう。でも、ユリアは巫女だ。 こういった、予言めいた言葉の価値は、時として非常に重い。 まして、ユリアが敵の手にある今となっては、いつ、 ぼくの元に絶望的な報告が届いてもおかしくなかった。 もし、マンフロイによってすでにユリアが殺されていたとしたら…? ぼくの失敗が、取り返しのつかないものだったら? その時、ぼくがこの世に存在する理由は、残っていなかった。 のしかかる不安に耐えつづけたぼくにとって、デルムッドがもたらした報告は、 まさしく希望の光であった。ずっと苛まれてきた不安から、解き放たれたこと…、 何かに全力でチャレンジする機会を与えられたことに、ぼくは心から感謝した。 ぼくは、知っていた。この戦乱の帰趨が、今、この時にかかっていることを。 だが、ぼくが考えているのは、あくまでユリアのことだけだった。 「つまるところ、この戦いは、光と闇の対決なのだ。 この世にあらゆる災いをもたらした暗黒竜ロプトウスは、ユリウス皇子に宿っている。 そして、その闇を打ち払うことができるのは、神竜ナーガの後継者、 ユリア皇女だけなのだ。ユリアなくして、我々の勝利は無い。」 以前に語られた、レヴィンの言葉である。 それを思い出したぼくは、デルムッドの報告を受け、レヴィンたちと相談した。 「ユリアが、正気を失っているみたいだ。暗黒魔法のせいだろうか。」 「そうだろう。敵に操られているのだろうな。」 「だとすれば、どうしたらいい?…救う方法は、あるのか?」 ぼくは、レヴィンに問うた。もっとも、もしレヴィンが「無い」と答えたとしても、 ぼくは自分の頭だけで必死に考え、答えを模索しつづけただろうが。 レヴィンは、それよりは有効な回答をぼくに与えた。 「心を操る術は、暗黒魔法でも高度なものだ。術者は、恐らくマンフロイだろう。 ならば、一刻も早くマンフロイを倒すのが先決だ。 うまく行けば、それで呪縛が解けるかも知れん。」 「もし、それでもユリアが元に戻らなかったら?」 「その時は…。私にも分からん。だが、古代の文献で、見たことがあるな。 『心を歪めせしめる闇の呪法あり。かの竜は、武器を恐れず。 ただ人の愛を恐れるのみ…。』と。愛する者の説得で、心が動くかもしれん。」 レヴィンの言葉を聞いたその時点で、ぼくの心は決まった。 ぼくは、別働隊として、リーフ、アレス、レスター、ナンナ、アーサーら、 騎馬隊の精鋭をそろえ、ヴェルトマーに急行させた。 本来ならば攻城戦では、陥落させたあとすぐに城を占領し、民心を安定させるため、 指揮官であるぼくが随行するのが普通である。 ルテキア城のコープル救出作戦においても、そのために、 わざわざぼくが危険地帯に駆り出されたわけである。 もっともそれは、「自分だけの役割」であったから、 無事にコープルを助け出したときの充実感はかなりのものがあった。 だが、今回は例外である。ぼくは、自陣を動かなかった。 城制圧を差し置いてでもやらねばならない、ぼく自身の役割があったのだ。 それから数日後、フィーから報告が入った。 昼夜兼行の猛進の末、リーフたちがついにマンフロイを討ち果たしたという。 「さすがは伝説の戦士」と言おうとして、ぼくは止めた。 リーフたちの強さは、竜族の血を引いているからではない。 強い意思と、戦う覚悟、日々のたゆまぬ努力の賜物だった。 それを見計らったように、ついに、運命はぼくの出番を告げた。 ユリアがすぐ近くまで来ているという知らせが、スカサハから届いたのだ。 マンフロイは倒れたが、まだユリアの様子は異常なままであるという。 ぼくは、ここにいる仲間達を全員集めた。 みんなが固唾を飲んで見守る中、ぼくは静かに、自分の決意を告げた。 「みんなは、ついてこないでほしい。私は、一人で行く。」 もしも、ひとりひとりの人に、人生の中で一つずつ、その人だけの役割というものが あるとするならば。ぼくの役割を果たすのは、今日この日をおいて他に無い。 この役目だけは、絶対に他の人には譲れなかった。 「ユリアは、私が助ける!」 それは、およそ常識的とは言えなかった。 ユリアは武器を持っており、危険な存在である。普通なら、まず罠を仕掛けるなどして、 ユリアの行動の自由を奪い、捕らえて、魔道書を取り上げる。 その上で、様々な手段でユリアの回復を試みるのが、冷静で安全な手段と言えるだろう。 だが、このぼくが、そんな手段を許すわけがない。 いくら闇に捕らわれているからと言っても、ユリアの身体なのだ。 精神だって、きっとそこで苦しんでいるだろう。 ユリアをこれ以上傷つけることは、彼女に心を開いてもらう資格を自ら捨てるに等しかった。 みんなも、気づいたのだろう。自分はこの日のためにこの場所にいたのだという、 ぼくの思いに。素っ頓狂なぼくの決断に反論する者は、誰もいなかった。 ぼくは、自分のテントで出発の準備に入った。と言っても、持ち物などほとんど要らない。 持っていくべきものは、ただ一つだった。…ユリアへの、まごころ。 「セリス…。」 背後から、静かな声が聞こえた。振り向くと、テントの入り口に、 これまでぼくとユリアを陰で支えてくれた恩人が立っていた。 レヴィンには、ぼくに確かめたいことがあったようだ。 「セリスよ。もし、ユリアに話しかけても目覚めなかったら…、 お前への攻撃を止めなかったら、どうするのだ?」 厳かな、レヴィンの問いかけ。ぼくは、これまでずっと考えつづけてきたその問いに、 気取らない、自分なりの答えを返した。 「話しかけるよ。何度でも…。私の夢は、ずっとユリアと一緒にいること。 私と一緒の道を歩けるように、ずっと説得する。」 「もし、それでも駄目なら?」 「…分からない。でも、私はユリアとは戦えない。 ユリアと一緒になれるなら、いっそのこと、 ユリウスやマンフロイに従ってしまうかもしれない。 もちろん、その時はあなたたち解放軍の手で殺されるだろうね。 でも、ユリアのいない平和な世界なんて、私には意味がないんだ。」 「そうか、まあ良い。セリスの意思は変えられん。 だが、ユリアの表面だけを見るな。その奥に眠る心を見出すのだ。」 「うん。ユリアの本心は、そんなことをしてほしくないだろう。」 一見そっけない忠告が、心に温かく響いた。 レヴィンはさらに容赦無く、ぼくの覚悟を試した。 「それともう一つ。ユリアが正気に戻っても、ユリウスと戦えないと言ったらどうする?」 「…ユリアを説得しろ、と言いたそうだね?」 レヴィンは無言のまま、一切反応を見せなかった。 「そんなことはしないよ。少なくとも、私には不可能だ。 私は、血の繋がらないアルヴィスさえ、殺せなかったんだからね。」 ぼくは、ユリアの壮絶な過去に思いを飛ばした。 「ユリアは、記憶をなくし、逃げ隠れて暮らして、今は両親をなくし、 敵に捕らわれ、暗黒魔法で操られて…。ナーガのしるしなんて物があるせいで、 どれだけ苦しい思いをしたか。…もう、たくさんだよ。」 「……。」 「もしユリアが戦いたくないと言ったとしたら、私は認める。 普通の人なら、あんな思いをしたすぐ後に、戦ったりなんかできないよ。 ユリアに、『運命に逆らうな』とか、『ロプト帝国を認めるのか』とか言う奴がいたら、 私がぶっ飛ばすよ。言うなら、ユリアと同じ経験をしてからにしろって言ってね。」 そう言って、ぼくは腰の細身の剣を、鞘のまま両手で持った。 「…ユリアが戦えないなら、しばらく休ませる。 双子の兄と、絶対に戦えないと言ったなら、私はユリアと一緒に解放軍を抜ける。 追手も来るだろうけど、なんとか逃げきって見せるよ。 そして、どこかの山の中で、ひっそりと暮らすよ。無責任だと思うなら、笑えばいい。 その時は、私の生きがいは、ユリアの傷を癒すために少しでも役に立つこと…に、なるな。」 きわめて危険なぼくの言葉にも、レヴィンはいつも通り冷静に応対した。 「それが、セリスか。わかった。」 それは、世界の破滅を呼ぶかもしれない。だが、ユリアがそんな行動をとったとしても、 世界に一人ぐらい、そんなユリアを愛する人がいてもいいだろう。 もしかしたら、ぼくの気持ちに最も共感できる人は、 イシュタルなのかもしれないな…。そんなことを空想した。 後ろを振り向くと、すでにレヴィンはいなかった。 ぼくは、深呼吸をして立ちあがり、テントを後にした。 いつの間にか、外では雪が降り始めていた。 そして、物語は冒頭の場面へと帰る。 見送るみんなににっこり笑いかけ、右手を上げてくるりと背を向け、 無言でその場を去っていく…、なーんていう演出も考えたけど、ぼくには似合わない。 自分の心を正直にさらけ出すのが、ぼくのスタイルだ。 「ついに…、ついに会えるんだね…。」 ぼくは両手で握りこぶしを作り、ぶるぶる震わせた。顔には隠しきれない笑みがこぼれ、 それにつれて全身が自然に躍動を始める。肩が、足が、がたがたと揺れ、そして…。 「ユリア〜〜〜〜〜!!」 両腕を、横に、上に、いっぱいに広げて、本陣に背を向けて一目散に走って行った。 ぼくは、これまで心にしまっておいた思いを、顔に、身体に、前面に押し出して出発したのだ。 その絶叫は、遠くバーハラ城まで響いたという。 「なんという、恥ずかしい奴だ…。」 遠くの木陰で見ていたレヴィンの嘆きの声は、無論ぼくには届かなかった。 春は、すぐそこまでやってきていた。 |