バカ殿セリス様・華麗なる日々

第9章・絶望の淵から(後編)


 ぼくは、どこにいるのだろうか?何をしているのだろうか?
 どうやら、ここは夢の中らしい。まあよい。 夢だろうと現実だろうと、今のぼくには違いは無いはずだ。どちらも、どうでもよい。

 「セリス様…。」
 ああ、きみか。久しぶりだね。
 闇の中に浮かんだ朧な人の輪郭と、ぼくは会話とも言えない行いをする。 なるほど。きみに会えるだけ、夢の方がまだましのようだ。
 「セリス様、会いたい…。」
 ごめんね。護ってあげられなくて。デートの約束もしたのにね…。 もう、会えない…。
 「セリス様、わたしはどこにいるの…?」
 ごめん。ぼくには分からない。ぼく自身、居場所が無いんだ。 もう、探す気も起きないけれど。
 「セリス様、わたしを見て…。」
 だめだよ。もう、きみの姿は、ぼやけて見えなくなってしまった。
 「セリス様、強いですね。」
 そんなわけないだろう。きみを守れない強さなんて、なんの意味も無い。
 「セリス様、わたしはセリス様の往く道を…、」
 …ずっときみを騙していて、本当にごめん。ぼくは、セリス様じゃなかったんだ。 こんな弱音を聞かせたのも、謝るよ。…もう、偽者のぼくには近寄らない方がいいよ。 きみの好きな、本当のセリス様に救ってもらってね。
 「……信じています。」

 その言葉とともに、目の前のぼやけた輪郭が、一瞬だけ明確な形を取った。 紫がかった銀の長髪。小ぶりな顔に、透けるような白い肌。 薄い唇に、すっと通った鼻、細長い眉。 最後に、二つの目が形作られ、その中の紫の瞳が、遠くにいるぼくを確かにとらえた。
 ぼくはこの顔を、ユグドラルでの日々を通して覚えたことに気づいた。

 「ユリア…。」

 目覚めたぼくは、ベッドの上で、無意識のうちにその名前を口に出していた。
 ぼくがその名前を言うのは、あの日以来初めてだった。 これまで、ぼく自身は「ユリア」と決して言わなかった。 セリスではない下賎なぼくに、ユリアを守れなかった人形に、 その尊い名前を口にする資格は無いと思っていたから。
 だけど…。

 薪が燃える音が、ぼくの耳にぱちぱちと伝わってきた。 部屋の奥から、熱が伝わってくる。
 「暖炉に、火をつけたんだ。」
 ベッドから半身を起こしたぼくは、燃え盛る炎に向けて言った。
 「ああ。もう冬だからな。」
 応えたのは、ベッドから離れた椅子でずっとぼくを見守っていた、レヴィンだった。
 ぼくは、炎をじっと見つめた。
 普段の、冷静で無表情な顔。考え事をしている時の、遠い目と不動の体勢。 驚いたときの、きょとんとした目つき。戦いでの、凛とした鋭い視線。
 炎の中に、色々なユリアの姿が浮かんでは消えた。
 「ユリアのことを、教えて。」
 ぼくはまた、炎に向けてつぶやいた。
 「…さっき、なんでも知っていると言わなかったか?」
 「そうだと思っていた。そして、何もかも『決まっている』と思っていた。 だけど…、分からなくなった。もう一度、ユリアの素性と経験、そして未来を、 聞かせてくれないか。」
 レヴィンの言葉に、ぼくは彼をちらりと見て答えた。 そのまま、ぱちぱちと炎のはぜる音だけが、しばらくこの部屋を支配した。

 「お前の言う通り、ユリアはグランベル帝国の皇女として生まれた。 アルヴィスとディアドラの娘、ユリウスの、そしてセリスの妹だ。 だがユリウスはロプトウスを、そしてユリアはナーガの血を継承した。」
 腰掛けたまま、レヴィンはとうとうと語り始めた。 切れ長の目が、赤く照らされている。
 「子供の頃は、幸せに暮らしていたようだ。皇帝一家らしくない、 温かい家庭だったと聞く。だが、十歳のとき、兄は暗黒の血に目覚め、ユリアが襲われた。 恐らく、母はユリアを逃がすのが精一杯だったのだろう。 私がユリアを助けたときには、気絶し、記憶も失っていた。」
 「……。」
 「それからのユリアは、よくやってくれた。いくつかの家に世話になり、 シレジアを転々としたが、滅多に泣き言は言わなかった。 生きてゆく術を教えたら、飲み込みは速かった。 いくらもしないうちに、ほとんどのことは一人でできるようになっていた。」
 考えてみると、ユリアの中のレヴィンの存在は、大きいよね。育ての親というところかな。 でも、あまり甘えなかったようだ。
 「そして七年後、ユリアはセリスと出会った。 …あとは、セリスの方がよく知っているはずだ。…言ってみろ。」

 ぼくは躊躇した。昔のことを、語っていいのか。 セリスでない、抜け殻のぼくが、そんなまねをして許されるのか。 …だけど、心は、確かに、自分の経験を思い出したがっていた。
 ぼくは、重い口を開いた。ユリアと過ごした日々を、一つ一つ克明に語った。 ぼくの言葉、ユリアの言葉、表情、仕草、服装、癖…。 記憶の糸を懸命に手繰り寄せ、言葉を紡いでいった。 それを聞かせる相手は、実はレヴィンではなかった。 ぼくは、自分に、魂を入れていたのである。
 ぼくは、ぼく自身の発する一言一言に、きりきりと胸を締め付けられた。
 ユグドラルに来る前から、ぼくはユリアを知っていた。 彼女の不幸も、理解していたつもりだった。だけど…。当時は、しょせん他人事だった。
 一年近く、ユリアとともに過ごしてきた日々の重さ。 それを、ぼくは日記帳のページを一枚一枚重ねるように、思い出していった。

 ぼくと出会って、笑顔を見せてくれた。
 魔道書を受け取り、目を潤ませた。
 砂漠を、手をつないで歩いた。
 ぼくの弱さのために、傷つけてしまった。
 城下町で、戦争を忘れて心からデートを楽しんだ。
 霊に取りつかれ、過去を見つめようとした。
 敵を眠らせ、ぼくのつけた心の傷を乗り越えた。
 そして、ずっと抱いてきたぼくの想いを、精一杯の気持ちで受けとめてくれた。

 そんな一つ一つのユリアを、ぼくは身をもって知っている。だから、ユリアの気持ちは、 空想の観念としてだけではなく、まさに自分のものとして、ぼくの心に迫ってくるのだった。

 「そして…、ここで私は、恐怖に駆られてユリアのことを忘れ、 彼女は敵に捕らえられてしまった…。」
 「…そうだ。過去の話はこれまでだな。次に、未来だが。 …セリス、何か思い違いをしているのではないか?」
 「えっ?」
 レヴィンの言葉に、ぎくりとする。 だけど、ぼくはその真意をすでにどこかで理解していた。
 「私を、全知全能の神などと思うな。未来を知る能力など無い。 ましてや、未来を運命によって定めるなど、誰にもできないはずだ。」
 その言葉に、ぼくはうなずいた。
 「運命などというもので全てが決まっていたら、楽だろうな。 いずれユリウスが倒れ、世界が救われることが決まっていたら、誰も努力など要らない。 だがセリス、未来はそんなものではない。私達が勝てるかどうか、 ユリアが助かるかどうかは、まだ誰にも決められないはずだ。」
 「ユリア…。ぼくが…。」
 「どうあろうと、セリスはセリスだ。そして、 これからの結果は、セリス次第で決まるのだ。」
 ぼくは、その意味を理解した。
 セリスの運命は、一つではないのだ。 ユグドラルの王となるセリスもいれば、志半ばで倒れるセリスもいるだろう。 強いセリスも、弱いセリスもいる。 ラナを王妃にする人もいれば、ラクチェを恋人にする人もいるだろう。 そのどれもが、セリスの可能性であり、それは自分で切り開いていくものなのだ。
 このぼくだって、すごく軟弱だけど、一人のセリスであって良いのだ。 そして、ぼくが進む道は…。決まっていた。
 ぼくは、ベッドから起き上がった。窓の外を見やると、舞い落ちる枯れ葉の中でも、 懸命に木枯らしに耐え、枝にしがみついて震えている葉があった。
 「私の罪は、気持ち悪さに我を忘れて、 現実を…、ユリアを見ていなかったことだ。それも、2週間もの間。」
 …ぼく自身に言い聞かせる。 今気づいた事だって、思えば当たり前のことだった。 現実を直視し、戦う理由を見出し、未来を自分で切り開くこと。 どれも、ユリアに教えられたことだ。
 これまでの罪を心の中でユリアに詫び、ぼくは部屋の中へ向き直った。
 「レヴィン、さっきの言葉は間違っていた、謝る。明日、仲間と会わせてくれ。」

 翌日、ペルルーク城の会議室に集まったのは、レヴィン、オイフェ、シャナン、 ラナ、ラクチェ、アーサー、リーフ、アレス…その他大勢の仲間達。 みな、それぞれの胸に「戦う理由」を持ち、ぼくに話してくれていた。
 その席から立ちあがり、ぼくは話を始めた。
 「みんな、私が弱いばかりに、心配をかけてすまなかった。 私はもう大丈夫だ。安心して戦って欲しい。」
 ぼくの左隣に、空席がある。いつも、ユリアが座っていた場所だ。 そこからの淋しさの風が、ぼくの心を吹きぬける。だけど、ユリアはきっとどこかで、 ぼくたちを求めている。そう思おうと心がけた。
 「だけどその前に、一つ訊きたいことがある。私は、光の公子などではない。 私の目的は、ユグドラルを解放するとか、そんな崇高なものじゃないんだ。」
 解放軍のリーダーとしては、失格かもしれない。 でも、ぼくがやっと見つけた「戦う理由」を、知ってほしかった。
 「私は、帝国と戦う。理由は、ユリアの笑顔を見たいから。それだけだ。 ユリアを敵の手から取り戻し、私の犯した罪を償おうと思っている。 …それでも、一緒に戦ってくれるだろうか?」
 ぼくが言い終わり、みんなを見回す。すぐに答えてくれた人もあり、 ためらった人もいたが…。
 「もちろんですとも、セリス様。」
 「それで良いのです。戦う動機なんて、個人的なものでよいのですよ。」
 「セリス様、生き生きしていますね。」
 「そりゃあ、あんなにアツいところを見せられちゃあな…。」
 みんな、ぼくの拙い言葉にも、温かくこたえてくれた。 これでようやく、ぼくも解放軍の一員になれたのだろうか? 戦闘で一切役に立たないのは、相変わらずだとしても。
 数日後、ぼくたちは進軍を開始した。



 「セリスか…よく来たな。その勇気は誉めてやろう。」
 「アルヴィス皇帝!ひとつだけ、あなたに言いたいことがある。」
 ぼくは今、シアルフィ城の謁見の間で、グランベル帝国皇帝と対峙していた。 彼の威厳と圧力感は、イシュタルさえはるかに凌駕する。 普段のぼくなら、睨まれただけでへなへなと倒れていただろう。 だが、ぼくには、果たすべき役目があった。 アルヴィスの目を、じっと見据える。
 ぼくは大きく息を吸い込むと、目をつぶり、アルヴィスに頭を下げて、 一息に言葉を放った。

 「お義父さん、私とユリアとの結婚を許してください! 必ず、二人で幸せになります!」

 「ほう?…それは面白い。」
 周囲の衛兵が当惑したり、笑ったりする中、 アルヴィス皇帝だけは眉を上げて真面目な顔を保った。 「妹と結婚するな!」というツッコミは、彼にだけは実行不可能だった。
 「ならば…、わしを倒してみよ!」
 アルヴィスがそう言ってマントを投げ捨てたとき、 既にぼくはみんなの後ろに逃げていた。
 「悪いですが、私に自分で戦うなどというプライドはありません。 代役のアレス王子と戦ってください。」
 炎と剣戟と怒号が渦巻く戦場から、ぼくは素早く後退した。 戦うみんなの後方で、ぼくの隣にレヴィンが立って、語りかけた。
 「バカ殿復活、だな」
 それに答えて、ぼくも軽口を叩く。
 「そう言えば、この前言っていたこと、本当なの? ユリアが私を好きだって…。」
 「さあな。本人に直接聞いてみればいい。」
 ぼくとレヴィンは、にやりと笑いを交わした。



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