バカ殿セリス様・華麗なる日々

第9章・絶望の淵から(前編)


 転落の時は、いつも予告なしでやってくる。
 ぼくは今日ほど、運命の残酷と自分の迂闊さとを呪ったことはなかった。

 トラキアに続き、ミレトス地方に進出したぼくたち。 帝国軍との激戦の末、ペルルーク城を落とし、この地域に橋頭堡を確保した。
 この戦いのさなか、ぼくとユリアの関係は、つかず離れず…といったところだった。 お互い、おしゃべりな方ではない。 特別な話題が無いときは話しかけないし、むこうからも話しかけてこなかった。 この前、あんなことがあったから、お互いに気恥ずかしさもあり、 手をつないで歩くこともしなかった。
 でも、ぼくに不安は全く無かった。あの日、ぼくは精一杯、自分の気持ちを伝えた。 ユリアも、文字通り自分をさらけ出して、ぼくの気持ちを受けとめてくれた。
 今でも、ぼくがユリアを見ていると、時々ユリアがやわらかな眼で見つめ返してくれる。 暖かな視線が交錯する無言の数秒間に、燃えるような魂の喜びがあった。 それが、ぼくが歩むための何よりの力だった。 きっと、ペルルークでのデートも楽しいものになるだろう…そう思っていた。

 そんなぼくの目論みが甘かったことを知ったのは、ペルルークに入った時だった。
 先に入城したみんなが何やら戸惑っている様子を気に留めず、 城門の前でぼくはユリアを見つめ、微笑みかけた。一緒に行こう、という合図である。 それを正しく了解してくれたユリアは、ゆっくりとぼくの隣に歩み寄る。 ぼくたちは、肩を並べて入城した。
 そして…、城下町の様子を見て、二人揃って顔を引きつらせた。

 そこは…、まさに、地獄絵図だった。それが絵ではなく、現実である事を忘れれば。
 ぼくたち以外に、人がいない。 あるのは、毒々しい鳴き声を上げ、大量の新鮮な食料をついばむ烏の大群と、 赤黒く塗り固められたかのような家々の壁、道…。 そして、地面に累々と倒れ伏す、女や子供、武器を持たぬ市民…、いや、 かつてそう呼ばれていただろうもの。 …ここミレトスは、子供狩りが最も過酷に行われた地方だったのである。
 ぼくも、ユグドラルで人の死を見るのは初めてではない。 だが、むせ返る血の匂いと、この眼前の虐殺の跡は、あまりに衝撃的であり、 ぼくの頭から甘い幻想を吹き飛ばすに十分なものだった。 しばし呆然として、その場に立ち尽くした。
 そのショックは、戦い慣れたはずのユリアでさえ、同じだったようだ。 ユリアは、柔和だった顔を硬く強ばらせ、肩を縮こまらせ、 両手の平で口を押さえて立ち止まっていた。 そして、目の前の光景に耐えきれなくなったのか、突如くるりと踵を返した。 そのまま、城門をくぐり、町の外へと出ていった。
 ユリアの髪が風に儚げに揺れ、そして門の陰へと消えた。 ぼくの脳裏に一瞬、何かを切実に求めるユリアの瞳がよぎり…そして、散った。

 「セリス、本城へ」
 レヴィンが近づき、ぼくに告げた。 そうだ。ぼくは、城を占拠し、制圧を宣言せねばならない。 目の前の現実と、心に引っかかる違和感を、無理やり頭から追い出した。 なにも考えないと自分に言い聞かせ、 ペルルーク城へと強引に足を運んで行った。
 だがぼくは、本城への道中で、突然激しく背筋を震わせた。 とてつもない悪寒がぼくを襲ったのだ。
 さっき、ぼくの頭に浮かんだユリア。哀しげで切ない瞳…あれは一体、何だろうか? このペルルークに、何が…。
 …ん?ペルルーク…?ユリア…?
 ぼくは慄然とした。さっきから感じた違和感の正体に気がついたのだ。
 「ユリアが危ない!すぐに城門の外に行ってくれ!」
 オイフェの馬の後ろに飛び乗り、ぼくはできる限り素早く叫んだ。
 オイフェは状況が飲み込めずに一瞬躊躇したが、ぼくの眼を見るとすぐに決断した。 ぼくが背後からオイフェにしがみつくのと同時に、馬がいななき、 勢い良く駆け出した。怒涛の駆け足に、白馬の背は上下左右に激しく揺れ、 ぼくは何度も馬上から振り落とされそうになった。 だが、今のぼくに、自分の身を心配する余裕はなかった。 目をつぶるぼくの頭にあった思いは、ただ一つ。
 ユリア…、どうか無事で…!
 だが、運命の神様とやらは、あまりにも遅かったぼくの祈りを、 腹の底から思いっきりあざ笑ったのだった。

 「ユリア!」
 門から飛び出したぼくたちが見たのは、なにかを抱える誰かだった。 ぼくは即座に馬から飛び降り、駆け寄った。 …それが何なのか、確かめたくない。認めたくない。だが、現実は容赦がなかった。
 「ほう、貴様が例の小僧か…。だが、遅かったな…。」
 そう呟いたのは、暗褐色のローブを纏った、鷲鼻の皺の深い老人。 その手には、ぽかんと口を開け、光を失いまばたき一つしない灰色の眼を持つ少女。 その名が、マンフロイとユリアであること。 それを知っている自分が、今は悔しくてたまらなかった。
 危険を顧みず、ぼくはユリアに駆け寄ろうとする。だが、奴は嘲笑を一つ残し、 ぼくとの距離が縮まらないうちに呪文を終え、あまりにもあっさりと…、 ぼくの大切なものを虚空へと連れ去っていった。



 冷たい木枯らしが、窓外を吹きぬけて行く。城内のベッドの背にもたれながら、 ぼくは舞い散る枯れ葉を見るともなく見ていた。
 あれから2週間が過ぎた。最近のぼくは、魂の抜け殻に過ぎなかった。 生きる活力を失い、その場で倒れたぼくは、そのままここに担ぎ込まれた。 そして、それからずっと、ベッドから出ていない。
 仲間達は、次々と見舞いに来てくれては、色々話をしてくれた。
リーフは、快活に励ましてくれた。アレスは、厳しく叱咤してくれた。 ラナは、優しい祈りを捧げてくれた。リーンは、心をこめて踊ってくれた。 アーサーやティニーは、家族を失ってから立ち直った経験を話してくれた。 オイフェとシャナン、フィンは、「父上」…シグルドの苦難と克己の道を語った。
 だけど、誰がどれだけ「セリス様」を励ましても、ぼくの心には届かなかった。 ぼくは、誰の前でも、一言も喋らなかった。 ただ、少しの粥を口にしただけだ。
 「ははっ…、ばかげた話だよね…。」
 誰かの死に台詞のような言葉を、ぼくは独り呟いた。 全くその通りだ。ぼくが、きみを好きだって?恋人になれ? あまつさえ、きみを護る…などと抜かして。
 それがこのざまだ。みんなも、ぼくを「光の公子」セリス様と信じて疑わない。 大体、ぼくをセリス様なんかにしたの、誰だよ? ぼくも、セリス様も、この世界の神も、何もかも、馬鹿馬鹿しい限りだよ…。

 がちゃりと扉が開き、誰かがこの部屋に入ってきた。 もう、誰なのかを確かめるのも億劫だ。ぼくは、窓外から目を離さなかった。
 「セリス、何を考えている?」
 この声は…、確か…、レヴィンだ。別に思い出さなくても良かったのだが。 この男のことだ、また、戦争中に呆けている場合かとか、役立たずは出て行けとか、 そんなセリフを吐くのだろう。 そんなものを聞くつもりは無いし、抵抗するつもりも無かった。
 だが、聞き流すつもりで耳に入った言葉に、ぼくは見事に意表をつかれた。

 「ユリアは、お前が好きだと言っていたぞ。」

 「んなっ…!?」
 思わず、声を漏らしてしまった。ぼくが人前で声を出すのは、 事件以来はじめてである。そんなぼくに、レヴィンはさらに追い討ちをかけた。
 「告白して、さらに脱がしたんだろう?責任をとってやれ。」
 「ちょ…ちょっと、なんでレヴィンが知っているの?」
 赤面して、ぼくは抗議する。すっかり、レヴィンのペースにはまっていた。
 「分からないのか?岩山の頂上の高台ほど、目立つ場所はそうは無い。 全兵士の注目の的だった。 ずっとセリスが好きだったラナも、あれを見て諦めたと聞いたな。」
 「ぐっ…。」
 ぼくの頭に血が上り、レヴィンとやりあおうとする。だけど、あの山頂の出来事を思い出し、 あの時のユリアが今はいないのだと実感すると、また無力感がぼくを包んだ。

 「責任を取れだって?結婚しろとでも言うの?…嘘だね。」
 しばらくの静寂の後。ぼくは、険しい口調で吐き捨てた。 巧妙な手口で、ぼくを動かそうとしたのだろうが、ぼくだって、操り人形ではない。 押し黙るレヴィンをきっと睨み、ぼくは告げた。
 「彼女は、私の妹。結ばれないことぐらい、知っているよ。 …『フォルセティ』さん…。」

 ぼくが、セリス様でなくなったこのとき。 レヴィン…いや、竜族フォルセティは、無表情だった。
 「…驚いているのかいないのか…。相変わらず分からないね。 私がセリス様じゃないってこと、知っているのかな…? …まあいいや。」
 こんなことを言うと、何もかもぶち壊しになるかもしれない。 でも、もうぼくの世界は壊されているのだ。
 「私は、いろいろ知っているよ。…彼女は、アルヴィス皇帝とディアドラ皇后の子供で、 ユリウス皇子の双子の妹。だから、私の妹でもあるね。 で、ユリウス皇子はロプトウスの化身なんだよね。」
 そうして、ぼくは怒りの矛先をとりあえず目の前の人物に向けた。
 「で、あなたは、レヴィンのふりをして陰で物語を操り、神様気取りなの? 結構なご身分だよね。彼女の正体を知っていて、あっさりさらわれるなんて…。 あなたが、わざと誘拐させたんじゃないだろうね?」
 ぼくは、無駄な知識を吐き捨て続けた。
 「で、このあとは彼女が記憶を取り戻し、ナーガを継承して、 最後の敵、ユリウスを倒して世界に平和が戻りました、めでたしめでたし…という筋書き? ははっ、名作だね。『聖戦の系譜』という御大層な題名に、良く似合っているよ。 ヒロインなんて大役をもらって、彼女も泣いて喜ぶだろうね!」
 …だけど、ぼくが本当に絶望しているのは、そんなことじゃない。
 「でも、そんなことを色々知ってても何の役にも立たない。 …私は、『知っていた』んだ!彼女の宿命を…。 なのに、それをすっかり忘れていて、何の手も打たなかった! 一番大事なときに、彼女を救えなかった…。」

 そう。ぼくが最も情けなかったのは、こういうことだ。
 ぼくは、ユグドラル大陸を舞台にした戦乱の物語を、ここに来る前に既に知っていた。 話の全てを…、そう、ここペルルークで、ユリアがさらわれることも。
 なのに、ユグドラルで一日一日を必死で過ごすうちに、 いつの間にか大切なことを忘れていた。 ここでは、信頼する仲間たちみんなで、一分の隙もなくユリアを見守り、 誘拐を防ぐべきだったのである。 これこそが、ぼくにしかできないことだったはずなのに…。

 「英雄か…。いい称号だよね。何も考えずに踊る、あなたの手駒に相応しい名だ。 …でも、べつに私が『聖戦』の主人公である必要は無いよね。 リーフあたりを代役に立ててさ、お話の残りを楽しんだらどう?」
 ぼくは、許せなかった。ユリアに悲劇を強いるシナリオを組んだ何者かを。 それを止められない、ポンコツの操り人形を。 そんな物は、ごみ捨て場に行くべきだろう。
 …そうひとりごちて、ぼくは毛布を被った。再び、部屋に静寂が戻った。



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