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バカ殿セリス様・華麗なる日々
第7章・トラキアの旅(後編) 秋を迎えたトラキアの空には、灰色の雲が立ち込めていた。 険しい山の山頂には、幾重もの薄布のように靄がかかり、その先の風景を隠していた。 そして、地上には、黒い鉄の塊がずらっと並んでいた。 「あの敵の中を走り抜けるのか…。」 ミーズ城のすぐ南の平野に陣を敷き、開いた作戦会議の席上で、 ぼくはその危険な提案について考えていた。 華麗なるコンビネーション・プレイ(?)によってトラバントを破ったぼくたちであるが、 トラキアの戦いはまだ終わっていなかったのである。 アリオーンが後を継いで敵軍の指揮を執り、ハンニバルの装甲騎士団も 目前まで迫って来ていた。 情報によれば、ハンニバル将軍は養子のコープルを人質に取られ、やむなく戦っているという。 ルテキア城を先に占拠し、養子を救出すれば、将軍も戦いを止めてくれるだろう…というのが、 オイフェの立てた戦略だった。 「ですが、それまでは我々主力が敵軍を食い止めねばなりません。 そこで、セリス様たちが別働隊としてコープル殿を救出し、連れてきて頂かねば…。」 はっきり言って、恐いのは嫌だ。以前のぼくなら、即座に断っていただろう。 でも、このまま引き下がるのは、何となく面白くなかった。 …ひとつの条件と引き換えに、ぼくはこの役目を引き受けることにした。 「だったら…。ユリアも一緒に連れて行っていい?」 こうして、ぼくたちはルテキア城に向かうことになった。しかし、 その道程には敵のアーマー部隊が立ちはだかっている。 まずは、ここを突破する必要があった。 敵軍の様子を、森に隠れたぼくは緊張した面持ちで眺めた。 じっとりと手に汗がにじむ。 「よいですか、セリス様。敵軍が算を乱し、潰走するのに乗じて、 敗残兵の斜め後方を走り抜けるのです。カパトギア城に戻った敵が陣容を立て直すまでの間に、 素早く城の南を通り抜けてください。」 隣でオイフェが、ぼくたちに注意を与えた。反対側の隣には、ユリアが無言で立っている。 そして間もなく、激戦が始まった。 …戦闘をこんなに間近で見るのは、ライザとの戦い以来だった。 改めて、恐怖が胸の内に沸き起こる。 あの時は、調子に乗ってひどい目にあったから、今度は大人しくしておくことにした。 相手も見事な統率と連携を持った強敵だったが、こちらは魔法を有効に使い、 徐々に包囲網を縮め、敵軍を追い詰めて行く。 走り出すタイミングを計り、ぼくはユリアの手をぐっと握った。 その手は温かく、じっとりと汗ばんでいた。 ユリアも、ぼくの手をぎゅっと握り返してくる。 …ぼくは、状況をわきまえず、内心ちょっと浮かれてしまった。 ちらりと彼女の横顔を見るが、ユリアは戦場から目を離さない。 ユリアの白皙の美貌は、いつも通り平静な表情だったが、 その奥に秘められた静かな闘志が、握った手から伝わって来た。 …自分の役割に集中するユリア。少し厳しさの混じったその表情を、 ぼくはとても気高く、頼もしいものに感じた。 「セリス様、今です!」 オイフェが告げると同時に、ユリアがぐいっとぼくの手を引っ張った。 ユリアに見とれていたぼくは、その動きについていけず、その場につんのめる。 あわててユリアが振り向いた。急いで…、しかし、落ちついて尋ねる。 「セリス様、大丈夫ですか?」 「う、うん…。さあ、行こう、ユリア。」 すでに敵軍は撤退を始めている。ぼくと行動をともにする別働隊も動き出していた。 ぼくは立ち直り、再びユリアと手を取りあって動き出した。 ルテキア城への道程は、とてつもなく長い。それでも、ぼくたちはできるだけ速く歩いた。 何日も、何日も。酷使されたぼくの足が悲鳴を上げたことは一度や二度ではなかったが、 そのたびにユリアが素早く杖で治療してくれた。 ぼくたちの前方には、甲冑の群れが背を向けて行進を続けている。 さすがに名将の部隊だけあり、撤退中でさえ、ほとんど混乱は無いようだった。 残存の兵力が向きを変え、攻撃してきたら、ぼくたちは一たまりもないだろう。 その恐怖にぼくは背筋を震わせた。 敵が動きを止めたとき、大声で「うわっ…!」と漏らしてしまうこともあった。 「敵に気づかれてはいけません。静かに!」 即座に、ユリアにたしなめられた。 結局、装甲騎士団はぼくたちに一切攻撃せず、カパトギア城内に撤退した。 ぼくたちが大急ぎでその前を通過した。城がぼくたちの後方遠くに見えるようになった頃、 陣容を立て直した敵軍が再び出撃し、ミーズ方面に向かうのが見えた。 こうして、ひとまずぼくたちは安全地帯にたどり着いた。 ルテキアへと続く、赤土の道。左右は険しい山に挟まれ、その頂は霧にかすみ、 遠くからは竜の鳴き声が聞こえて来ていた。 「ふう…。ぼくも、まだまだ甘いなあ…。」 ルテキアへの道を急ぎながら、ぼくは自嘲する。このとき、別働隊の多くは 先行していて、ここにいるのは二人きりだった。 …ユリアが、少しの間の後に話しかけてきた。 「…どうしたのですか、セリス様?」 「戦争中だから、気構えだけでもしっかりしなきゃと思ったのに、今回も、 気持ちがぐらついて、何度も取り乱しちゃった。今度は、もっと集中しないと…!」 すると、ユリアの足取りが重くなり、声の調子に陰がこもった。 「…セリス様…。また、戦場に出られるのですか…?」 「どうしたの?」 「あの……。無理をしないでほしいのです…。」 ついに、ユリアの足が止まる。ぼくをじっと見つめた後、うつむいたユリアの目が、 前髪の向こうに隠れた。ぼくも、歩みを止め、ユリアの言葉を待った。 「ごめんなさい。でも…ここ何日かも、わたしは不安でした。 わたしは…、セリス様が心配なのです。」 …ユリアがぼくを気にかけてくれるのは、正直に嬉しかった。ただ…。 「…ごめん…。そうだよね。ぼくは弱いし、足手まといだ…。でも…。」 ぼくの中に、何かもやもやした気持ちがある。でも、うまく言葉にできない。 ぼくは、思いつくまま心に浮かぶ言葉を口に出してみた。 「…ライザとの戦いの日、ぼくは、何もできなかった…。弱いからだよ。 みんなは、強かった。自分が情けなかった…。だから、強く…。」 ぼくの呟きに、ユリアは意外な問いを投げかけた。 「セリス様は、戦いに強くなりたいのですか?」 ぼくは面食らった。言われてみれば…これまで、何となく強くなればいいなと思っていた。 でも、戦いに強く、というのは、微妙に違う気もする…。 ユリアは、はっきりした口調で語り始めた。 「セリス様。誰もが戦いに強くなくてもよいのです。 戦うだけが、役に立つ方法ではありません。パティ様のようにお金を稼いだり、 リーン様のように、踊りで役に立ったり。戦略や作戦を立てたり指揮したり、 輸送や補給…、さまざまです。これからは、 …戦いは仲間に任せて、セリス様はもっと安全なことを…。」 ユリアの言葉は、確かに正論だった。でも、口惜しくてちょっと反論したくなる。 「あれ?この前の、イシュタルのときは、ぼくは強いって言わなかったっけ?」 そう言うと、ユリアはうろたえて言葉を濁した。 「それは、そうなのですけれど…。」 視線をそらし、まともに困った表情になるユリアを見て、ぼくは慌てて取り繕った。 「あ、ごめん。あんな手がいつも通用するわけが無いよね。あはは…。 じゃあ、そろそろ行こうか。追いつかないと。」 強引に話を切り上げて、ぼくは再び歩き始めた。だが、ぼくには宿題が残された。 道すがら、ずっと考えつづける。 ぼくは、解放軍にいて何をしたいのか?何をすればいいのか…? 数日後、ぼくたちはルテキア城を制圧し、コープルを救出した。 養父の元へと急行するコープルの後姿を、ユリアとともに城のテラスから眺めつつ、 ぼくは、心地良い達成感を噛み締めていた。 この感覚は、過去を乗り越え、未来に向かう一歩となる。 ハンニバル将軍を仲間に迎えたぼくたちは、帝国軍の増援を破り、 グルティア城を落とした。その後、仲間となったアルテナ王女の意思を受け、 トラキアに何度も休戦の使者を送ったが、アリオーンは耳を貸さなかった。 「これ以上、ここで血を流したくないのに…。」 ぼくは、らしくもない苛立った呟きを会議室でもらした。 その言葉に、隣に座るユリアが反応し、首を傾げてこちらに目を向けた。 トラキアの住民はぼくたち侵略者を憎み…、そして、再びこの地に戦端が開かれた。 ぼくには、戦う力も無ければ、戦いを止める力も無かった。 枯れたトラキアの地を潤すのは、赤い血の雨か、それとも涙の雨か…。 ぼくは、ユリアの隣で呟く。 「これが、戦争なんだね…。 ぼくは…。トラキアを救えない…。アルテナを、アリオーンを救えない…。」 これが、高みから戦争を見下ろす、傍観者の傲慢であることは分かっている。 戦争の哀しみが、今回に限ったものではないことも。 それでも、ファバルたちが竜騎士を次々と打ち落とすのを、ぼくは素直に喜べなかった。 トラバント王への敵愾心から、ぼくが始めてしまった戦いだという負い目もある。 そのことについては、ぼくは少し後悔していた。 だけど、ぼくがトラキアと戦っていなければ、リーフ王子あたりが戦っていただろう。 …歴史は変えられないのか…。ぼくは、半ば諦めの境地にあった。 そのとき、ぼくたちの前の竜騎士達の中から、ひときわ大きなシルエットが浮かび上がった。 齢を重ねただろう大型の竜にまたがり、逆光の中、 天にも届くような光を放つ槍を携えたその姿は、トラバントを彷彿とさせた。 アリオーンである。彼はこちらを見据えると、グングニルとともに、 信じられないスピードでまっすぐこちらに迫ってきた。 その時、ぼくとアリオーンの間を、横から飛びこんだユリアが遮った。 鋭い視線で、躊躇のない動作。その姿には、既視感があった。 ライザとの戦いの時と、ほぼ同じ光景である。 だが、ただ一つ異なる点があった。ユリアの手に握られていたのは、 リザイアの書ではなく、古びた一振りの杖だったのである。 ユリアは杖を振りかざし、流麗な口調で呪文を唱えた。 その口から出るのは、優しく、甘い響きの言葉だった。そして…。 「スリープ!」 声を上げた瞬間、近距離まで迫っていたアリオーンを、紫の波動が包む。 そして彼はゆっくりと目の前の地上に降下し、そのまま動かなくなった。 オイフェやシャナンたちが、素早く彼を拘束する。 「セリス様、今です!降伏勧告を!」 ユリアが叫ぶ。ぼくは、その声に戸惑った。どうすれば良いのか分からなかったからである。 だが、ユリアの勇気と迫力に押され、とりあえずその場で竜騎士のほうを向き、 両手を振ってみた。そして、腹の底から大声を上げる。 「え〜と、アリオーン王子は捕まえました〜。 良かったら、戦いを止めてくださ〜〜い!」 ぼくの言葉はえらく間延びし、その場の雰囲気にそぐわないことおびただしかった。 …が、かえってそれが彼らの戦意を殺いだようである。 毒気を抜かれた竜騎士達は、ばらばらと投降してきた。 「セリス様…。これで、赦してくれますか?」 髪をなびかせて、くるりと振り向いたユリアは、ぼくをじっと見つめてそう言った。 紫の双眸は凛と輝き、その奥の潤みは自信と不安と満足とをたたえていた。 「えっ…、赦す…って?」 「雨の日のこと…。赦して、くれますか…?」 …その言葉に、ぼくは慄然とした。腕に鳥肌が立ち、頬を冷汗が伝う。 雨のメルゲン城で、ぼくがユリアを詰ってしまった言葉。 「きみには、殺して欲しくなかった」という言葉。 それを、ユリアは今までずっと気に病んでいたのである。 「戦争なんだから、仕方ない」で片付ければ済む問題かもしれない。 それを、彼女なりに悩みつづけ、ついに出した答えがこれだったのだ。 ぼくは、一言も無かった。ユリアをここまで深く傷つけていた罪悪感。 その問題をしっかり考えつづけ、結果を出したユリアの責任感、粘り強さへの尊敬。 そんな気持ちの激流に包まれ、ただ茫然としていた。 ぼくは、目をつぶり、何度もうなずきながら、ユリアの肩を握る。かすれる声で、ただ一言、 「…ありがとう…。」 そう呟くのがやっとだった。 だが、物語はこのままめでたしめでたしでは終わらなかった。 突然、捕らえたアリオーンの前に魔法陣が出現し、ひとりの男が現れる。 以前の戦いで、イシュタルを連れ去った、あの赤毛の少年だった。 今度は、より間近で見ることになる。その目は、血のように濃密で、氷のように冷たかった。 「アリオーン、まだ死なせるわけにはいかぬ。私のもとに来い…。」 言うが早いか、アリオーンの巨体を軽々と持ち上げる。そして、 ユリアに一瞥をくれ、口を開いた。 「ユリアか…。」 少年の声に、ユリアの身体はびくんと震え、珍しく声を荒げて相手に食って掛かった。 「…なぜ私のことを…?あなたは誰なの!?」 それを聞いて、赤毛の少年の目がぎらりと光った。不吉な笑みがこぼれる。 「ほう…。何も覚えていないのか?…面白い。ふふふ、また会おう。」 「くっ…逃がさん!」 少年の動作に反応し、シャナンがバルムンクを抜いて切ってかかった。 「ザコがぁ!」 だが、少年の大喝とともに見えない波動がシャナンを襲い、地面に叩きつける。 その衝撃はこちらにまでびりびりと伝わり、背筋に悪寒が走った。 少年は、ぼくをちらりと見て、嘲るような笑いを浮かべると、そのまま呪文を唱え、 アリオーンとともに虚空の中に消えていった。 「あれは…。ユリウス皇子…!?」 後ろからティニーの叫びが響いたのは、その後のことだった。 ユリアは、驚愕と不安を顔に張りつかせて、彼の消えた虚空から、 いつまでも視線を動かせずにいた。 トラキアの戦い…。ぼくたちにとってそれは、「旅」だった。 …自分を知るための、徒歩で、地図も無い、手探りの旅。 だけど、鉄と血に彩られたその旅路では、貴重な宝物が…、 自分への道標となる手がかりが、いくつも転がっていた。 ぼくとユリアは、この旅で得た鍵を胸に抱いて。 自分と、互いの、心の扉を叩くことになる。 |