バカ殿セリス様・華麗なる日々

第6章・過去からの呼び声(後編)


 「私は、フリージ家のイシュタル。お前たちは誰だ!」
 一陣の涼しい風が、黄緑色に照らされる草原を揺らす。
 目の前にいるのは、ぼくたちに死を運ぶためにやってきた、 伝説の武器の使い手、雷神イシュタルであった。
 …じょーだんじゃない!この事態を、いったいどうしろと言うのだ? 「当たらない武器」の代名詞であるロングアーチにさえ、見事に攻撃を受け、 何日も寝込んで生死の境をさ迷ったぼくである。 命中率最強のトールハンマーを避けるなど、言うまでも無く不可能だろう。 もちろん、当たったら終わりなのは分かりきっている事だ。 残せる遺産は、黒焦げの炭だけ…いや、それすら散り散りになって、 何も残らないかもしれない。
 戦いの日の恐怖が、鮮やかに蘇る。それとともに、頭が真っ白になり、 ぼくは戦わずしてその場に崩れ落ちそうになった。
 と、その時ぼくの視界に、ユリアの姿が入った。
 ユリアは相変わらずの無表情で、イシュタルを見つめている。 全くの不動体勢だ。…さすが、ユリア。この状況にも動揺せず、 相手の隙をうかがっているのだろうか。
 だが、ユリアといえども、イシュタル相手では分が悪い。 何とかしなければ…。そう思ったぼくは、めまいから立ち直り、 咄嗟の機転を利かして行動に出た。

 「おやま〜。あんたがイシュタル王女様だべか?こんな田舎まで、ご苦労様だぁ。 なんかぁ、あっちの方で戦があったみたいだべ。」
 …必殺!現地の民間人になりすまし戦法!
 「王女様が、わざわざわしらに声をかけてくださるなんて、有難いことじゃぁ。 んだ、わしらは明日も畑の世話をするでな、王女様、頑張って下せぇ。」
 上目遣いで、揉み手でへこへこしながら、懸命にごまかす。 そして、「さぁ、行くだよ」と、ユリアの手を引いて、村の方へ歩き出そうとした。

 「その剣と魔道書で、畑を耕すのか?」
 だが、返ってきたのは、そのとてつもなく冷たいツッコミだった。 思わず、ぼくの身体がびくんと震える。
 …言われてみれば、そうか。剣を持っていて…しかも、こんな目立つ衣装で、 農夫に見えるわけが無い。
 イシュタルは、嘆かわしそうにため息をつき、語り始めた。
 「まったく…貴様には戦士のプライドは無いのか!堂々と戦ったらどうだ? 貴様には…、命を懸けて守りたいものは無いのか!」
 「ひぇっ」
 黒ずくめの衣装で恫喝する彼女のド迫力は、見る者を圧倒する。 ぼくは思わず悲鳴をあげて後ずさり、震えながらマニュアル通りの受け答えをした。
 「こ、子供狩りを止めて、て、帝国の圧政から、ユグドラルを、 ハイホー、いや、か、かい…」
 だが、ぷるぷる震えるぼくの舌の運動は、イシュタルの一喝によって中断を余儀なくされた。
 「黙れ、見苦しい!軟弱者が、偉そうな口を聞くな!」
 沈黙したぼくを見限り、イシュタルはユリアの方に向き直った。
 「腑抜けに語る言葉は無い。こちらの娘の方が手強そうだ。 …先に、片付けておくとするか。」
 …そして、そして…!イシュタルはその右手をまっすぐユリアの方に向け、 低く力強い声色で呪文詠唱を開始した。 ユリアは目をつぶり、杖を両手で強く握り締める。
 ばぢばぢっ…ばぢっ…。
 イシュタルの掌に、黄色い光の珠が宿り、放電を始める。 見る見るうちに、その珠は大きくなっていく…!

 殺される…このままでは…ユリアが!
 その瞬間、ぼくは何も考えずに駆け出していた。猛然とダッシュをかけ、 ユリアとイシュタルの間に立ちはだかり、そのまま剣を抜き、敵に一撃を食らわせる。
 …だったら、格好よかったのだけれど。
 「まちょりゅえあぁぁ!」
 意味不明の絶叫を上げつつ、反射的に動いたぼくの肉体は、 当然の如くコントロールを失った。イシュタルまで数歩も近づくことなく、 足がもつれて見事に転ぶ。それでも、ぼくはもがき、叫びつづけた。

 「うわちゃああぁぁ、ユリアぁうをおぉぉぉ、護りゅのどぐぅぉぁあああ!」

 おもちゃを買って欲しくて駄々をこねる子供のように、ぼくは草の上で手足をばたばたさせた。 無論、戦いには何の役にも立っていない。イシュタルと、そしてユリアまでもが、 ぽかんとした表情でこちらを見つめていた。
 やがてイシュタルは、ふっと嘲るような笑みを浮かべ、くるりと踵を返した。 そのまま、ゆっくりと歩き去って行く。ユリアは、その様子をじっと見つめていた。
 …ふっ、やった、勝ったぞ!イシュタルは、ぼくの迫力に恐れをなして、 尻尾を巻いて逃げて行ったのだ! …いや、ちょっと別の意味で「恐れ」をなしたのかも知れないけれど。それは言わないで。

 これで、当面の危険は去ったかに思われたが、そこにもう一波乱が起こった。
 ぼくたちからかなり遠ざかったイシュタルの前に、突如、魔法陣が出現し、 そこにひとりの男が現れた。遠くて顔はよく見えないが、 豪華な衣装を身に纏った少年のようだ。髪の色は、赤…。 いや、単なる赤ではなく、血の色を連想させる。彼はイシュタルと少し話をしたようだ。
 そしてその後、こちらに顔を向ける。 その瞬間、ぼくの隣で何かが大きく動揺した気配があった。 見ると、ユリアが、彼の方を凝視している。口を半開きにしたその表情は、 やや冷静さを欠いているように見えた。
 少年の方は、それ以上こちらに興味を示さず、来たときと同様に …今度はイシュタルを連れて…魔法陣の中へと消えていった。
 「…行くよ。」
 ぼくはユリアを促し、村へと歩いて行ったが、ユリアの足取りは冴えなかった。 とぼとぼと歩くユリアの歩調に合わせて、ぼくもゆっくりと村へと入っていった。



 どうやって話し掛けようか…。ぼくは、ひたすら迷っていた。
 一軒の民家に世話になり、夕食を頂いたあと、ぼくとユリアはその部屋のテーブルの前に、 お互い無言でずっと座っていた。家の人は、気をきかせてくれたのか、 食器を片付けた後は席を外している。 外からは、夏の夜の虫の小さな鳴き声が響いてきていた。
 とにかく、今日のユリアは様子がおかしかった。 あの、憑かれたような突然の変貌もだが、その前後の様子も…、そして、 あの赤毛の少年を見たときのしぐさも。 いつも表情に波風ひとつ立てないユリアにしては、かなりの動揺が見て取れた。
 ぼくは、その奥底にあるユリアの心に触れたいと思う。だけど、 ユリアの抱えているものの大きさを、ぼくはおぼろげに知っているから、 あからさまに聞くのがはばかられる。 ユリアの心を傷つけずに、それを聞こうというジレンマに、ぼくは悩んでいた。

 「セリス様…。」
 この部屋を支配する静寂を破ったのは、細波のようなユリアの声だった。
 ぼくは無言で、向かい側に座るユリアを見つめる。 ユリアは、ちらりとこちらを見たが、またすぐに俯いて視線をそらした。
 そのまま再び、しばらくの沈黙が落ちる。その時間は、 ユリアが自分と向き合う覚悟をするために必要としたものだったのだろうか。

 「わたし…。自分って一体なんだろうって、思うことがあるの。」

 とても遠い眼で、ぽつりとこぼした一言。そこには、計り知れない重さがあった。
 「わたしには、子供の頃の記憶がありません。 わたしの家族が、どういう人なのかも…。 そんなわたしを、レヴィン様も、セリス様たちも温かく迎えてくれました。 …ですから、わたしは、みんなと一緒にいて、お役に立ちたいと思っています。 でも…。それが、本当のわたしなのか……。」
 ユリアの外見は、いつもと変わらない。透明な湖の水面のような表情。 でも、その湖は…、きっと、底知れぬ深さを持っているのだろう。
 「わたしの中に、時々、もう一人のわたしがいるような気がします。 それは…きっと、過去のわたし。今日、わたしの所に来た誰かの気配…、 とても、懐かしい気がしたの。…そして、イシュタル王女を連れ去ったあの人も…。 …思い出せないのですが、何かとても大切なことがあるような…。」
 ユグドラルに来る前のぼくだったら、彼の正体を知っていた。 あっさりと、それをユリアに教えていただろう。しかし、 ユリアにここまで深く関わってしまった今、それはためらわれた。
 「わたしは、記憶を取り戻したいと思っています。 ……でも、それが怖いんです。もし、わたしが思い出したとき、 わたしの家族や、昔の友達…大切な人が、セリス様の敵だったら…。 …わたしは、どうすればよいのでしょう…。」

 焦点の合わない眼で、ユリアはかすれた声を紡ぎつづける。 ユリアの芯の強さと同居する脆さを、垣間見た気がした。
 ぼくは、薄暗い天井を見やりながら、必死で頭を回して答えた。
 「ユリア…。ぼくたちは神様じゃないんだから、何でも見通すことはできないんだ。 だから、自分の目に見える範囲で、一番正しいと思うことをするしかないんじゃないかな。 シグルド…、いや、父上も、すべてを見破れなかったから、あんな最期を迎えたけれど。 でも、できる限りの事をしたから、後悔していないだろうと思うんだ。」
 喋りながら、ぼく自身も不安になる。何の人生経験も無いぼくの軽薄な言葉が、 ユリアの心に響くだろうか?…そんな心の囁きに反抗しつつ、ぼくは続ける。
 「記憶は、きっといつか戻るよ。今は、きみが知ることができる範囲の中で、 一番いいと思うことを選んでね。昔を思い出したら、その時のきみが判断できることの中でね。 …その決断がもし、ぼくたちと離れることだとしても、 きみが心からそれを願うんだったら、…それがきっと、『本当のユリア』だから…。」
 「ごめんなさい、そんなつもりは…」
 謝ろうとするユリアの言葉を遮り、ぼくは別の話を始めた。

 「みんな、自分を探している。きみだけじゃないんだ。 …ぼくも、自分がこんなに弱いのに、戦いが怖いのに、 なぜ解放軍のリーダーをやっているのか、分からないんだ。」
 こんなことを言うことこそが、ぼくの弱さの証明だ。ユリアの悩みを聞いているはずが、 何時の間にか、またユリアに甘えたがっていた。
 そんなぼくを、ユリアは斜めに見つめて告げた。
 「セリス様は、わたしより強いかもしれませんよ。」
 えっ…?そんなばかな。戦闘能力では、ぼくはユリアの足元にも及ばないはずだ。 …だが、ユリアは、意外な告白をした。
 「わたしは、イシュタル王女の前で、足がすくんで動けなくなってしまったのです…。」
 …あのユリアでも、相手に恐怖することがあるのか…。 ぼくはみんなと別の人種だと思っていたけれど、そうではなかったことを教えられる。
 「セリス様、戦いが怖いのは、あなただけではありません。 わたしだって…、いいえ、きっとみんな、心の底では、ずっと怯えているのですよ。」
 そうか。スカサハやラクチェだって、最初から強かったわけじゃないんだ。 きっと昔は、何度も訓練で負かされ…、今でも、表にこそ出さないが、 死の恐怖と戦っているのだろう。
 「そうだったのか。…でも、そうは言ってもぼくは弱いからなぁ。 ただ地面にすっ転がって踊るだけで。イシュタルも、呆れて帰っちゃったよ。」
 ぼくは、重い空気をジョークで紛らわそうとした。だけど、ユリアは静かにかぶりを振る。
 「いいえ、あのままだったら、わたしたちは殺されていたでしょう。 セリス様が動いてくれたから、助かったのですよ。」
 そ、そおかなぁ…。ぼくはぽりぽりと頭を掻く。
 「それに、わたしは本当に、セリス様はあの時変わられたと思いました。 何か…背負うものがある強さが見えました。」
 そのユリアの言葉は、微妙にぼくの心に引っかかった。 …背負うもの…?…戦いの中で…。

 ユリアは、じっとぼくの瞳を見つめた。
 「セリス様、ありがとう…。お互い、見つけましょうね。本当の自分を。」
 ぼくは、ユリアの手を取り、心から願った。
 「それが見つかったときも、今と同じように、 ユリアがぼくのそばにいられるように…、なったらいいな…」
 ぼくの右腕の古びた腕輪が一瞬、不思議な輝きを放った。



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