バカ殿セリス様・華麗なる日々

第6章・過去からの呼び声(前編)


 「セリス様、ブルーム王の軍勢が襲来してきました!すぐに対策を…!」
 「ええ〜っ?何でこんな時に来るんだよ!」
 偵察に出ていたレスターからの報告に、ぼくは自分勝手な不満の声を鳴らした。

 デートの日から、5日ほど経っていた。 ユリアと、色々な楽しい思い出を積み重ねた、あの至福の一日。そして、 ユリアの「今度、もう一度…」という言葉。この状況で、戦争の準備などに身が入るわけがない。 レヴィンやオイフェが毎日会議室でこれからの戦略を懸命に練っているのをよそに、 ぼくは毎日自室で、次のデートの日程と、コース、内容などのプランを 懸命に練っていたのである。
 「え〜へへへ、にょほほ、ゆ〜、り〜、あ〜〜☆」
 …デートコース策定中のぼくの表情が、にやけまくっていたのは言うまでもない。
 そこへ突然やってきたのが、敵軍襲来の知らせであった。 これで、折角ぼくが三日も徹夜で考え、完璧に練り上げた 「今度こそユリアをゲット!納涼夏祭りと花火の夜」計画もパァである。 不機嫌になるのも無理はないだろう。
 …いや、そこで、「デートの計画とも言えない単なる妄想で、 貴重な作戦立案期間を浪費してるんじゃねえ!」とか言うのは禁止。ねっねっ、お願い。
 結局、レヴィンたちが予め立てていた迎撃作戦案を採用して、 再びぼくたちの戦いの日々が幕を開けたのである。

 「…いい景色だね…。」
 広がる夏の夕方の草原の上に立ち、ぼくはそんなことを呟いた。
 ここは、アルスターから北東の方向にある草原の真っ只中だ。 ぼくたち歩兵は、アルスターを狙ってきたムハマド将軍の部隊を迎え撃って、打ち破った。 その後、シャナンたちの主力は、レンスター方面で戦っている騎兵たちの応援に 駆けつけて行った。だが、ぼくがそこに行っても、かえって邪魔になる恐れがある。 そこで、ぼくたちだけは別行動で草原を突っ切り、北東のコノート近辺で 味方と落ち合おうと考えたのである。
 ちなみに、ユリアは今回もぼくと一緒だ。ぼくのたっての希望でもあったが、 周囲も、ぼくが歩くときはライブの杖が必要だということは承知していた。 …もっとも、最近は歩き慣れてきたせいか、ライブを受ける回数も減ってきているが。
 北には森が鬱蒼と生い茂り、南にはトラキアの山々がそびえ立つ。 ぼくは、その壮大な景色に、ただただ見とれていた。 だが、ユリアは、この場所に、全く違ったものを感じていたのである。

 「セリス様…」
 ぼくの横で、ユリアがぽつりと言葉をもらした。 あれ…?すっきり晴れた夕空の下なのに、ユリアの声色には、明るさが見られない。 いや、アクセントに乏しい静かな声というのならいつもの事なのだが、 今の声には、もっと不穏な色が混ざっているような気がした。
 「ユリア……」
 見ると、確かに様子が変だ。ユリアは、両腕でしっかりと自分の体を抱きしめ、 首をすくめている。目を伏せているのは普段と同じだが、 視線がいつもよりもさらに下を向いていた。
 「ユリア…?…どうしたの?」
 ユリアは、ちらっとぼくを見たが、またすぐに視線を地面に落とす。 自分の胴に巻いた腕をしきりに動かし、首を曲げて視線をあちこちに動かしていた。 いつも沈着な(一般人と比べて、性格はものすごく落ちついている) ユリアが、今だけは落ち着きを失っていた。
 ぼくは、取りあえずユリアを落ちつかせるために、近づこうとした。 その時、ユリアがもう一度ぼくを見て、かすれた声で訴えてきた。
 「……なんだか恐ろしいのです…。このあたりには、 邪悪な気配が漂っている気がします…。」
 ぼくには、そう言われてもピンと来ない。自慢ではないが、霊感はゼロだ。 だが、ユリアは巫女である。そのユリアが、こんなことを言うのだから、 無視はできない。きっと、何かあるのだろう。
 とは言え、ユリアもかわいそうだよね…。ぼくのように何も感じなければ、 霊などに怯えることも無かったのに…。そう思うと、 震えるユリアを元気付けてあげたくなった。ユリアを覗き込んで、言葉をかける。
 「大丈夫だよ、ユリア。ここは見晴らしもいいし、敵もいない。 何も危険じゃないから…。落ちついて。」
 「はい……セリス様…。…でも…」
 それでも、ユリアの震えは止まらない。…いや、ますます激しくなってきていた。

 ぼうっ…うぅぅうぅん……

 突然、ユリアから奇妙な音が聞こえた。 …いや、もしかしたらそれは音ではなかったかもしれない。 五感を通さず、頭の中に直接響いてくるような何か…。それが、ユリアから伝わってきた。
 次の瞬間、ユリアの顔がぼうっと光った。 いや、ユリアの周りを、何かが包んでいる…と言った方が正確だろうか。 陶器のように真っ白なユリアの頬の周囲を、透明な何かが包みこんでいた。 そして、ユリアの長髪は、風も無いのにゆらゆらと揺れて、ばらばらにうねり、 先端がふわりと舞い上がっていた。ユリアの眼が見開かれる。 その瞳も、黄金色…普段は紫色だ…に輝いていた。
 あまりのことに、ぼくはその場にくずおれ、尻餅をついてしまう。 正直に言って、これは怖い。不気味だ、という思いを隠し切れない。 逃げ出したいという衝動にも駆られる。…だけど、ぼくの中に響く自分の声が、 それを押しとどめた。
 必要ならためらわずに敵を倒すのも、ユリアのひとつの姿。 そして、今目の前にあるのも、また一つの「ユリア」なのだ。 ユリアを好きならば、現実を受け止めなければ!…逃げるな!直視するんだ…!
 ユリアが、口を開く。しかし、そこから漏れ出てくる声は、別人のものだった。 温かく、静かで優しい…その点はユリアと同じだが、だいぶ大人びた感じの女性の声である。
 「……セリス、気をつけなさい…。…イシュタルは恐ろしい敵…。 戦ってはなりません…。」

 こっ、これは……?
 パニックを起こす頭を何とか静めて、ぼくは目の前の状況を把握しようとする。 ぼくの前にいる姿は、確かにユリア。しかし、その声や言葉遣いは、別人のものだ。 …何者かが、ユリアの意識を乗っ取ったのだろうか?
 では、本来のユリアは閉じ込められてしまうのだろうか?…それは嫌だ。 そう思ったぼくは、反射的にユリアの手を握っていた。 一瞬前までの、怖い…という思いは、どこかに吹き飛ばされていた。
 「ユリア!どうした、しっかり!」
 大声で呼びかける。ユリアの心の奥、深く遠いところまで声が届くように。
 すると…ぼくの声が届いたせいかどうかは分からないが、 ユリアを包む瘴気が薄れてゆく。白い靄のような得体の知れない何かが、 ユリアの頭上からすうっと抜けていった。そして、瞳は閉じられ、 髪は動きを止めて自然に下がり…、そして、身体から力が抜けた。

 ふらっ…、と、ユリアの体が傾く。
 危ない!…思わず、ぼくはユリアを抱きとめていた。 さらに、ぼくの胸で受けたユリアの体が、力を失ってずり落ちそうになる。 ぼくは、両腕で背中と腕を強く抱きしめて、彼女の転倒を防いだ。
 ユリアは、外から見れば決して太ってはいない…標準か、もしくはやや細身の方だ。 が、ぼくの筋力はそれ以上に弱い。ユリアの全体重がのしかかってくるのを、 ぼくは必死で抱きとめ、こらえた。
 そんな時間が、ほんの少しですんだのは幸いだった。抱いた体に、 温もりが甦った気がした。やがて、ユリアの足腰に力が入る。
 ぼくは、身体を抱いたまま、その様子をうかがった。 肌には再び生気が宿り、目も紫色に戻っている。その眼の焦点が、 ぼくの目にしっかりと合った。
 「ハッ…わたし、いったい何を…」

 「ユリア…きみはいったい…?」
 先ほどの情景が脳裏をよぎり、そのままの体勢で、ぼくは呼びかける。  次の瞬間、ユリアはさっと身を翻して、ぼくから離れた。 距離を置いてこちらを振り返り、少し震える声でつぶやく。
 「セリス様…なぜ…。…わたしは…。」
 その表情には、不信と困惑の色があった。あの雨の日のように。
 ぼくは、その反応に戸惑い、ユリアがなぜこんな態度を取るのか、 今までの自分の行動を反省してみた。 …すぐに、ある結論に行き当たる。ぼくは、顔面蒼白となった。
 慌てて、ユリアにまくし立てる。
 「ま、待ってくれ、ユリア!今のは、きみが倒れそうになったから、 咄嗟に受けとめていたんだ。 決して、やましい気持ちがあったわけじゃないから…!」
 ユリアから見れば、さっきは、「気がついてみたら男に強く抱きつかれていた」 という状況である。ぼくが、眠っているユリアに対し、淫らなことを企てていた…、 などと誤解されているのではないだろうか。
 それで弁解していたぼくを見て、しかしユリアは、首をかすかに横に振る。
 「いいえ、そうではないのです…。…ごめんなさい、 わたし、自分が分からなくなって…。」
 どうやら、ユリア自身、先ほどのショックからまだ立ち直っていないらしい。 少し、気持ちを落ちつかせた方が良さそうだ。
 周囲を見ると、しばらく東に入った所に、村が見える。
 「ねえ、もう日も暮れるし、今日はあそこの村で泊めてもらおう。 ここを離れれば、きっと大丈夫だよ。」
 …本当は、ユリアの手を取って言いたかったけど、さっき抱きしめてしまった手前、 それは自粛しておく。少し遠くから呼びかけた。
 「…はい。」
 ユリアも、警戒を解いてうなずいてくれた。

 村への道すがら、ユリアが平静を装ってぼくに尋ねた。
 「セリス様、あの時わたしから、別の人の声が聞こえませんでしたか?」
 …こう言いながら、ユリアが何を思っているのかは分からない。 迷ったけど、ぼくは正直にうなずいた。
 「そうですか。あの時、わたしはとても温かいものに包まれたような気がしたのです。 …どのようなことを言っていましたか?」
 ぼくは、さっきの言葉を思い出し、ユリアに伝えた。 イシュタル…。最近レヴィンから聞かされた、彼女の人物像を思い出す。
 「雷神の異名を持つフリージ家の王女様で、トールハンマーを使われると聞きました。」
 ユリアの言う通り。世界で噂される美貌と、並ぶ者無き戦闘能力を誇る、 ユグドラルでも屈指の魔道の達人である。 そこまで思い出して、ぼくは思わず苦笑した。
 「誰だか知らないけど、バカだなぁ。わざわざ言われなくても、 このぼくが、そんなおっかない奴を相手にする訳がないじゃないか。 わざわざ出てきてご苦労なことだけど、無駄骨だったね。はっはは。」
 ユリアもつられて笑うかと思ったけど、見ると、表情を変えていない。 …いや、ユリアは目の前のある一点を凝視して、立ち止まっていた。

 「そう言うお前達は、誰かな?……反乱軍の者か?」
 刃物のような鋭い怒気をはらんだ声が、ぼくたちの前に立ちはだかった。 その姿を見て、ぼくの背筋が凍る。ユリアは、さっきの無表情のまま動かない。
 目の前にいるのは、ユリアに似た銀の髪の少女。だが、鋭利な視線と、 苛烈さを表に出したその表情は、黒一色の衣装とあいまって、 さながら死の女神のような雰囲気を醸し出していた。
 …そう。今、目の前に立ち塞がった敵の名は。

 雷神、イシュタル…!



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