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バカ殿セリス様・華麗なる日々
第5章・バカ殿、至上の一日(後編) 空は雲一つ無く晴れ渡り、薄い水色の空の上から太陽が眩しくきらめいている。 行き交う人々も、みな一様に薄着で、「暑いなあ」とこぼす人も少なくない。 「次は、どこへ行こうか?」 食堂を出て早々に、ぼくはユリアに問いかける。ユリアとなら、 二人きりでただぶらぶら歩くのも悪くないが、ユリアに行き先を選ばせて、 どんな店や物に関心があるのかを知る…というのも興味深い。 「…セリス様、あれはなんでしょうか…?」 しばらく歩いたところで、ユリアが何かを指差してぼくに訊いた。 ぼくも、そこを見やる。ユリアの指の先にあったものは、ちょっとした人だかりだった。 その中心に、二人の着飾った男の姿が見えた。 「はいはい、私が叩きます魔法のリズム、果たしてついて来れますかどうか? 見事成功した方には、記念品を贈呈致しますよ〜。さあ、勇気ある挑戦者はどなたかな?」 一人は、緑の短い髪の、芸人か吟遊詩人風の若者だ。手には、 いくつかカスタネットを持っている。隣には、フルートを持つ男もいた。 どうやら、周囲から何かの参加者を募っているらしい。 ユリアは、男の方へすたすたと近づき、すぐに声をかけた。 「その楽器を演奏すれば良いのね。わたしがやってみても良いですか?」 「おや、お嬢さんが?では、これを持って、私の叩くリズムについて、その通りに 叩いてくださいね〜。」 男はそう言って、ユリアにカスタネットを渡した。 これは意外である。ユリアが、自分から積極的に何かに首を突っ込むとは珍しい。 これまで、ユリアの楽器演奏を聞いたことは無いけれど、どうやら音楽は好きなようだ。 ユリアのことだから、演奏も、上手なんだろうな…。ぼくは内心、かなり期待して ユリアのカスタネットさばきを待った。 ところが。芸人は、隣の男が吹くフルートの音色に乗って、鮮やかにリズムを刻むのだが、 ユリアは、まるっきりそれについて行けないようだった。 男が、ごく簡単なリズムで、タンタンタン、と叩いても、それに続くユリアは 同じリズムを刻むはずが、タン……タ、カタタ…、という具合で、どうにもリズムが合わない。 挙句には、急いで叩こうとしてカスタネットを取り落としたりして、 ギャラリーの失笑を買う始末であった。 「う〜ん、残念だね、お嬢さん。また今度、上達したら挑戦してね〜。」 こうして、ユリアはすごすごとぼくのもとに引き下がった。 「すみません。勝手に出ていって、聞き苦しいものを聞かせてしまって…。」 ユリアがうつむいて呟く。そう言われると、正直なところ少々フォローに困るが…。 「気にしないでいいよ。…そうだ、今度はぼくがやってみるよ。」 話題をずらして、ごまかすことにした。 「お、次はお兄ちゃんの登場かい?いい所を見せてくださいよ。」 再び演奏が始まった。ぼくは懸命に男の刻むリズムに付いていく。 ユリアの番のとき、演奏を大体つかんでいるので、ノリでテンポはつかめる。 3連符や16分音符、裏拍などの複雑なリズムも、何とか男のやる通りに叩くことができた。 フルートの美しい音色に乗せて、軽快な打撃音が響き渡る。 気がつくと、ぼくはたった数分間の演奏で汗だくになっていた。 「少しずれましたけど、合格ですね。お見事でした。 はい、こちらを差し上げます。」 演奏を終えたぼくに、芸人は古びた腕輪を手渡す。 ギャラリーは、温かい拍手と歓声でぼくを迎えてくれた。 ユリアも、ぼくをじっと見つめて、ゆっくり拍手してくれた。 ぼくは疲労と満足感でぐったりしていたが、次の芸人の言葉が、それに待ったをかけた。 「ところで、お兄さん、どこかで見かけませんでしたか?確か最近、 城の方で見たような気が…」 し……しまった!すっかり忘れていたけど、ぼくは占領部隊のリーダー。 身元をばらされるのは…まずい。 「い、いえ、人違いでしょう。ぼくは、こんな事しか取り柄の無い一般市民ですし。 あはは…」 冷汗をたらしつつ、後ずさりしながらそう言って、ユリアの手を引っ張ると、 ぼくは一目散にその場を去っていった。 かなり離れた路地裏まで移動して、ぼくはようやく安堵の息をつく。 「ふう…。ごめんね、手、痛かった?…お忍びで遊ぶのも、楽じゃないね。」 そう言って、ユリアに微笑みかけた。 ユリアはと言うと、呼吸を乱しつつも、表情は変えていない。 少し立ち止まって息を整えると、ぼくを誉めてくれた。 「演奏は、案外難しいものね。でも、セリス様は、とてもお上手でした。」 …尊敬の眼差しでそんなことを言われると、どうしても照れてしまう。 「…ありがとう、ユリア。…何だか安心したな。」 ぼくは、そんなふうに応えた。 ぼくが、ユリアの力を上回る。正直なところ、こんな経験は初めてであった。 とにかくこれまで、ユリアは完璧だった。 容姿、性格の良さは勿論、優しく、礼儀正しく、言葉遣いも丁寧で、頭脳も明晰、 意思と責任感が強く、魔道に通じ、回復の杖を使い、戦闘能力も…、 そして、戦う覚悟も備えている。 そんな彼女を見て、いつの間にか、ぼくは無意識に、ユリアにできないものは無いと 思い込んでいたようだ。 弱くて身勝手な、欠点だらけの自分と見比べて、気落ちすることもあった。 そんなユリアに、こんな弱点があったなんて…。 でも、リズム感が無くてまごつくユリアも、それはそれでとても可愛く見える。 ユリアだって女の子なんだから、欠点の一つや二つぐらい無いと…、ね。 「ここはちょっと暗いから、公園で話そうか?」 ちょっとだけ自信をつけたぼくは、ユリアにそう提案した。 楽しいデートも、いよいよ終わりが近づいてきた。 一日の締めくくりとして、ぼくたちが来たのは、小高い丘の上にある公園だった。 子供たちは、広場で追いかけっこや木登りをして、大声ではしゃぎ、遊んでいる。 そして、大人たちも、談笑したり読書したり、それぞれの楽しみを持っていた。 ぼくたちは、丘の頂上にある見晴台に行った。 「いい眺めだ…。」 「そうね…。」 街を見下ろすぼくたちは、感嘆の声をもらした。 近くには、アルスター大通りの灰色の石畳が夕日に照らされて黄色に光っており、 その周囲では緑色の草の上に、民家の白い屋根が並び、 そこから長い影が伸びている。 城下町の周辺部では民家もまばらになり、所々で大きな木が存在感を出す。 その外側に、灰色の外壁が堂々とそびえ立っていた。 さらに、城外にはどこまでも緑色の草原が広がり、遥か彼方に広がる山や森、村や要塞…。 そして、北の地平線近くには、レンスター城の姿もうっすらと見えた。 「音楽は、好きなの?」 そう尋ねると、ユリアはこくりと首を縦に振った。 「はい。わたしは、一人でいることが多かったから…。そんな時は、 いろいろな音楽や歌を思い起こして、元気を出したのですよ。」 いつもの、静かな表情のまま、ユリアは答える。…でも、遠くを見つめるその瞳が、 今までよりずっと奥深くなったような気がした。 ユリアはすぐ隣にいるのに、近づきがたい雰囲気がある。 …ぼくは、何も言えずに、ユリアの切なげな顔を、しばらくじっと見つめていた。 そのまま、しばしの時が流れる。一陣の涼しい風が、ユリアの豊かな髪を揺らした。 「一日をセリス様と過ごして、とても楽しかったです。 セリス様のことを、いろいろ知ることができました。」 「うん…。ぼくも、楽しかったよ…。」 「それに、こうして人と話すと、わたし自身のことも、発見できるの。 …わたし、ひとりでいるのが好きでしたけど…。二人でいるほうが良いのかもしれません。」 そう言って、ユリアはこちらを振り向く。ぼくは、ユリアに近づこうとしたが、 少し体勢を崩した。思わずユリアの肩にしがみついて、バランスを整える。 一息ついたぼくは、そのままユリアに話しかけた。 「ユリア…。また、もう一度今日みたいに遊びたいな。 …これからも、ぼくのそばにいてくれる?」 「セリス様…。」 ぼくを呼ぶ声はか細く、少し震えていた。ユリアは、そのまま動かず、じっとしている。 この時点で、ぼくはあることを意識し、自分の顔全体がどっと充血するのを感じた。 ぼくは、至近距離でユリアの肩を掴んで…言わば、抱き寄せるような状態になっている。 ユリアは、無言でぼくと見つめあっている。 こっ、これは…、いわゆるひとつの…。 キス待ち体勢ではないかっ!? デートの締めくくり。夕暮れの公園に、人の声は途絶えつつある。 シチュエーションとしては、完璧だ。こんなチャンスは、恐らく二度とあるまい。 …よし、やるぞ…!ぼくは決意を固めた。喉がごくりと鳴る。 ぼくは、震える左手をゆっくりとユリアの首の後ろに回した。 つややかな髪の感触が手に心地良い。その奥からは控えめに体の熱が伝わってくる。 ぼくの右手からも、ユリアの肩の優しい感触が感じられる。 ぼくは、改めてユリアの美しさを知った。 強くて、脆くて、可憐な少女が、ぼくの手の中で、確かに息づいている。 色白のユリアの面が、鮮やかな橙色に彩られている。それは、ユリアを優しく照らす 夕日のためなのか、それともユリアの心情を映し出したものなのか。 頭が真っ白になったぼくには、判別できなかった。 「ユリア…!」 えいっ、ままよ……!ぼくは、顔を一気にユリアの薄い唇に近づけようとした。 スコーン! 次の瞬間、やたらに軽い音が、公園全体に鳴り響いた。軽い木の切れ端が、 ぼくの頭にぶつかったのである。ぼくは、ユリアを離してうめいた。 「痛たたた…。」 「あっ、セリス様、ユリア様!こんなところにいたんですね。」 何だかわざとらしい言葉とともに、切れ端が飛んで来たのと同じ方向から、 ラナがひょっこり姿を現した。ぼくは、慌ててユリアと離れる。 「セリス様…。今、何をしていたんですか?」 いたずらっぽい笑みを浮かべて、ラナが聞いてくる。 ぼくは、後ろめたい気分を抱えつつ、笑って誤魔化すしかない。 その上、ラナのいた方をよく見ると、ほかにも仲間がうようよいる。 アレス、リーン、アーサー、フィー、パティ…その他、総勢10名以上。 これはつまり、今のシーンを、みんなが見ていたということ…だろうか…? 「あは、あははは…。まあ、もう日も暮れるし、みんなで帰ろうか?」 ぼくは、崩れ落ちそうになる体を支え、そんなセリフを吐くのがやっとだった。 集団での帰り道のさなか、ユリアは密かにぼくに囁いた。 「…さっき、セリス様がわたしの肩や首を触ったから、驚いてしまったわ。」 それを聞いて、ぼくの額を冷や汗が伝う。 さっきのは、やっぱりキスを期待してたわけじゃなかったのか…。危ない、危ない。 …考えてみれば、そうだよね。恋人になったわけでもないし、 さっきの食堂でも、ぼくが好きだとは言わなかったわけだし…。 「でも、本当に楽しかったです。今度、もう一度今日のように…。」 城に着いた後、別れ際にそんなことを言っていたので、とにもかくにも今日のデートが 大成功だったことは確かなようだ。 「みんなが私たちを見ていたなんて…。あれ、レヴィンがつけた監視なの? 趣味が悪いよ。」 城で夕食を取りながら、ぼくは抗議する。だが、レヴィンは平然としていた。 「私は何も指示していないぞ。ただ、誰かあの二人を見に行かないか、と言ったら、 全員が手を上げたというだけの事だ。実際、監視がいて良かっただろう?」 ううむ。間違ってキスするのを止めてくれたわけだし、そうかもしれない。 でも、ちょっと口惜しいので、切り返してみよう。 「…ところで、ユリアにリズム感が無いのって、昔からレヴィンがいつも、 調子の狂いまくった歌をユリアに聞かせていたからなんじゃ…」 レヴィンは無言だったが、わずかな頬の引きつりと、そこに伝わる少々の冷汗を、 ぼくは見逃さなかった。 |