バカ殿セリス様・華麗なる日々

第4章・生命の価値は(中編)


 暗い宇宙空間の中を、ぼくは両手を広げつつ一人で飛び続けていた。
 上下、左右、前後。どちらを向いても、あるのは広大な空間ばかり。 遥か遠くにきらめく星々が、ただ静かに光を放っているだけだった。
 ぼくは、底知れぬ不安に苛まれた。この暗く広い大海の中で、ぼくはどこへ向かって 進んで行けばよいのだろうか?どこに行っても、ここと全く変わらない、 何も無い空間が広がっているだけではないだろうか?
 ぼくは、何もできないまま、この虚無の空間をただ泳ぎつづけて、そのまま死ぬのか? …そんなのは嫌だ。どこかに、辿りつきたい。でも、どこへ行けば良いんだ?
 夢が欲しい。希望が欲しい。羅針盤が欲しい。ぼくは、周囲を見渡して、じっと 目を凝らした。
 ある方向に、一つの星が見えた。…他の人が見ればそれは何の変哲も無い、ただの 星に見えたかもしれない。だけど、ぼくは、その星に力を感じた。優しさを感じた。 そして、救いを感じた。
 どこかで、少女がぼくに微笑みかけるのが見えた。
 ぼくは、決意した。目指す星に向かって、一直線に突き進んで行く。飛行スピードは どんどん上がり、視界を光の点たちが流れるように過ぎ去って行く。でも、ぼくは その星を見失わなかった。なぜなら、それはどれよりも美しく、強く光り輝いているから。

 だが、突如、横合いからまがまがしい宇宙戦艦が現れる。ぼくは怯えた。 即座に方向転換し、必死で逃亡を図る。だが、戦艦の砲門から発射された光線は、 狙いたがわずぼくに向かって突き進んで行く。
 ぼくは、目指すべき星を完全に見失っていた。熱線がぼくの右腕に命中する。
 そして、全てが光の中に包み込まれ…。



 夢から覚めたぼくの視界に最初に映ったのは、ぼやけた灰色の天井だった。
 ここは、どこだろうか?…混濁した意識の中で、ぼくは自分の置かれた状況を 把握しようと努めた。視線を動かすと、そこにはスカサハ、ラクチェ、デルムッド… そんな仲間達の姿があった。
 ぼくをじっと見つめる彼らの姿に、なぜか、とても懐かしい気持ちを覚えた。

 「セリス様、気がついたようですね、良かった…」
 そう言って、スカサハが胸をなで下ろす。他の二人も、安堵の表情になった。
 どうやら、あの戦いで傷ついたぼくは気を失い、ここに運ばれて手当てを受けていた ようである。ぼくはスカサハに尋ねた。
 「戦いは終わったの?」
 「はい、勝ちました。…ここは、メルゲン城ですよ。」
 聞けば、ライザとの戦いの後、即座にメルゲン城を落としたという。 流石は神族の血を引く者ぞろいの精鋭部隊、見事な活躍である。
 ところで、ぼくの傷は?…あれは、致命傷に近かったはずだが…そう思って、ぼくは 自分の右腕を探る。しかし、そこには傷跡の一つも無く、ぼくの体は見事に完治していた。
 その様子を見ていたラクチェが、ぼくに言った。
 「ユリア様が、傷を治してくださったのですよ。」
 …はっ。そう言えば、ユリアは?ぼくは辺りを見まわしたが、彼女の姿は無い。
 う〜ん、仲間達に見守られて目覚めるのも良いけれど、せっかくなら、ユリアの側で 目覚めたかったな。ユリアが祈りを込めて、ぼくの唇に「ちゅっ」…と やって、それを合図にぼくが目を開く。「眠り姫」の逆バージョンだ。 ふっふっふ、いいねぇ…。
 そんな妄想はともかくとして。ぼくが「ユリアは?」と言おうとしたのを察したのか、 デルムッドが先に口を開く。
 「ユリア様は今、寝室にいます。何日もの間殆ど眠らずに、つきっきりで看病 されていましたからね。大丈夫でしょうか…。」
 それを聞いたぼくの心臓は、びくんと跳ねあがる。ぼくは、飛び起きて叫んだ。
 「な、何ぃ!ユリアが倒れたのか?そ、それは大変だ…!ユ、ユリアのところに…!」
 そう言って、駆け出そうと思ったのだが、まだ頭がふらふらして、思うように歩けない。 ラクチェが止めに入った。
 「セリス様、気がついたばかりなのですから、安静にしていてください。 大丈夫、ユリア様は疲れていらっしゃるのです。しばらく眠れば元気になります。」
 「そうか…でも、ユリアは…」
 ぼくのために、そこまでしてくれたのか…。それは感動すべきことだったかも 知れないけれど、ぼくはなぜか、「そこまでしなくても良いのに…」という 思いに捕らわれてしまった。

 翌日。傷も癒え、肉体的にはばっちりフル回復したぼくは立場を変えて、みんなと一緒に ユリアのところにお見舞いに行っていた。ユリアも、まだ寝台で休んでいるけれど、 もういつでも動けるぐらい良くなっているようだ。
 「セリス様…」
 「きみのおかげで、すっかり元気になったよ。ありがとう。」
 半身を起こしたユリアと、言葉を交わす。他の仲間達も次々とユリアに声をかけていたが、 ユリアがいつも通りに回復したと知ると、みんなそそくさと出ていってしまった。 最後にフィーが出て行くとき、ぼくの肩をぽんぽんと叩いて、にぃっと笑ったようだが… 何を言いたかったのだろうか?…まあいいや。
 寝台の側に腰を下ろすと、ユリアは改めてぼくを見つめた。ユリアは、相変わらず感情を 表さず、ただ静かに座っている。ぼくが回復したんだから、もっと喜んでも良さそうだけど…。 やっぱり、ユリアにとってぼくはそこまで関心を引く対象じゃないのだろうか?
 …これまで、ユリアをじっと見てきたぼくだから、 顔の色つやや細かいしぐさから、ユリアの気持ちを読み取ることが多少できるように なったと思ったけれど…。今日は、なぜかユリアが遠く見える。
 「セリス様…お体は、良くなったようですね。」
 ユリアが、穏やかで温かい声をかける。…でも、その声の端が、ほんの少しだけ 震えているのが、ぼくには気になった。
 「うん、ありがとう。でも…。」

 その先の言葉は、言わない方が良かったのかもしれない。 でも、ユリアを心配するあまり、ぼくは自分の口がその言葉を発するのを止めることが できなかった。今まで、山の頂上にあって微妙なバランスで留まっていた二つの球が、 ぼくの言葉をきっかけに、反対方向に転がり始めていた。二人の気持ちが離れて行くのを、 止めることができない。
 ぼくをじっと見つめるユリアに、ゆっくりと語りかける。
 「ユリア、きみはずっとぼくの側で看病してくれたんだってね。ありがたいけど… でも、だめだよ。どうして、こんな風になるまで、休まなかったの? 今回は、きみも無事だったから良いけれど…。もし、きみが倒れてしまったら………」
 その言葉に、ユリアの眉がわずかに上がる。その目の色がかすかに変わったことに、 ぼくは気づかなかった。さらに、ぼくは言葉を続ける。…このとき、ぼくの目は既に 宙に泳ぎ、ユリアのことなど見てはいなかった…と気づくのは、後のことだ。
 「それに…この前の戦いで、きみはあの女将軍を魔法で倒したよね。 ぼくが狙われているところを救ってくれて、助かった。…だけど……。」
 …違う…!ぼくが言いたいのは、こんなことじゃない…! ただ、ユリアが無理をしないかと、心配なだけなんだ…!心のどこかで、ぼくは 自分にそう叫んでいた。でも、口の動きは止まらない。
 「ぼくは、あのときのきみを見て、怖くなったんだ。 ぼくの前に出るときの動きとか、呪文を唱えたときとか…きみの動きには、ぜんぜん 迷いが無かったんだよ。…ぼくは敵と真剣に戦ったことがないから分からないけど、 本当に戦うとなったら…ぼくは、多分相手を殺すのをためらうと思う…。 だから、ユリアも…。」
 もし、ぼくが冷静さを保っていれば、そのときのユリアの表情が明らかに強ばっていたのに 気がついただろう。あの、常に無表情なユリアが、ここまで顔を変化させることは 何週間ぶりだろうか…。でも、ぼくは最後までそれに気づくことはなかった。
 「ユリアも、もう少し、あの人を殺すのをためらうものだと思っていた…。」
 …そして、決定的な一言が、ぼくの口から流れ出てしまう。

 「ぼくは、きみに、あんなふうに人を殺して欲しくなかった…。」

 がたり。
 不意に音がした。ユリアが、寝台から起き出して立ち上がったのだ。 その音で、ぼくは現実に引き戻された。…ここの空気が、ひどく寒く なったような気がした。いつの間にか降り出していた雨の音が、ぼくの耳に、やけに ぼやけて響く。少し歩いたユリアが、ぼくの方を振り向いた。
 「セリス様は…」
 澄み切った…あまりにも澄みすぎた声が響く。その声色は、これまでのどのユリアの声よりも 澄んでいて…か細く、生気が無かった。
 「ユリア…?」
 異変に気づいたぼくが、胸のうちに湧き上がる不安を如実に表した声を出す。 だけど、事態はすでに、すぐには取り返しがつかないところまで来ていた。
 真っ白な顔をしたユリアが、ぼくから目をそらしつつ、静かに呟く。

 「セリス様は、解放軍のリーダーなのでしょう?みんなと一緒に、戦ったのでしょう? …なのに、わたしにだけ、その様なことを言うのですか…?」

 その一言は、ぼくの胸に鋭く突き刺さった。ぼくは、まともに動揺する。
 それを見て、今度はユリアがうろたえた。はっと驚きの表情になると、 声を震わせる。
 「あ…………。ごめんなさい、セリス様………、わたし……」
 そう呟く間に、どんどんユリアの顔がうつむいていった。そして突然、 ぼくに背を向けて走り出す。動けないぼくを見捨てるかのように、ユリアはあっという間に ぼくのもとを去っていった。

 ぼくの言葉が、ユリアを傷つけてしまったことは、あまりにも明らかだった。 何とかしなければならない。ぼくは、ユリアを守ると誓ったのだから。
 でも、ぼくもどうしていいか分からなかった。心が痛い。動けない…。
 放心状態のぼくの耳に、冷たく降りしきる雨の音だけが 絶え間なく入ってきていた。



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