バカ殿セリス様・華麗なる日々

第3章・砂漠のぬくもり


 「見事だ、セリス。イザークの解放は無事に終わったな」
 リボー城を制圧したぼくの前に、レヴィンが再び現れた。
レヴィンは、無傷のぼくたちの姿を見て安堵したようである。 ぼくたち…というのは、他でもない。ぼく自身と、ぼくの隣に静かに佇んでいる 神秘的な少女…、ユリアの二人である。
 レヴィンは、ぼくに向けて懇々と語り始めた。
 「セリス、世界は今揺れ動いている。なぜだかわかるか?」
 「え?…い、いや…」
 …どうも、ぼくの苦手な説教臭い話が始まりそうである。こういう時は、 話を聞いているふりをしてやり過ごすのが一番だ。ぼくは、だんまりを決め込むことにした。
 「…アルヴィス皇帝は絶対的な法治主義をもって世界に君臨し、少々窮屈ではあるが 穏やかな治世が……」
 ……あくびが出そうになるのを我慢して、ぼくはふと横を見た。相変わらず、ユリアが ぼくのすぐ隣に立っている。所在無さげであるが…、ユリアのことだから、これでも 退屈しているわけではないのだろう。
 「…しかし、ここ数年の間………、ロプト教団の勢力は……、 世界中で子供狩りが行われて…」
 …こうしてすぐそばでユリアの横顔をじっと見つめるのは、初めての経験だ。 どんな角度から見ても、ユリアは美しいな…。耳たぶ、首筋から肩口、そして鎖骨…。 大理石の彫像のような白い肌に、ぼくは目を奪われていた。
 「…それに反抗した者は皆奴隷となったり処刑され…」
 …ユリアの手も、すらっとしていてきれいだ…。そう思ったぼくは、ふとユリアの手を 握ってみたくなった。
 ユリアと、手をつなぐ!
 それは、なんという甘美な響きを持つ言葉であろうか。 自分の顔が、耳までかあっと赤くなるのがわかった。
 「…今、各地で反乱が…」
 ぼくは、ごくりと生唾を飲み込んだ。ドキドキドキドキ…、心臓が早鐘のように鳴り始める。 さり気なさを装いつつ、ぼくはぶるぶる震える自分の右手を、少しずつユリアの左手へと 近づけていった。
 「…世界は,救世主を必要と…」
 ユリアの手まで、あと10センチ…、5センチ…。だがそこで、ふとぼくは思い直した。 ユリアは、ぼくのことをどう思っているのだろうか?この前、魔道書を渡した時も、 結局ユリアの気持ちは分からなかった。ユリアがぼくのことを何とも思っていないのなら、 いきなり手を握られても困るだろう。
 やっぱり、いきなりは止めておくか。焦らず、焦らず…。ぼくは、自分に言い聞かせた。
 「どうだ、できるか、セリス?」
 レヴィンがぼくに問い掛けた。どうやら、話は終わったようだ。ユリアに気を取られて 全く聞いていなかったけれど。…世界がどうこうとか言っていた気もするけれど、 とりあえず適当に答えておけば良さそうだ。
 「はい、分かりました。やります」
 「…ほう、すぐに引き受けるとは、意外だな。重大な使命にしり込みするかと思っていたが。 …だが、セリスの額ににじむ汗を見れば、運命の大きさに気づいていないわけでもなさそうだ。 よし、では行くぞ」
 レヴィンは、そう言った。…どうも、なにやら重大な役目を押しつけられてしまったらしい。 ぼくが汗をかいていたのは、ユリアの手を握ろうとして緊張していたからなんだけど…。
 まあ、いいか。なんとかなるだろう。どうせ、戦うのはぼくじゃないんだし…。 ぼくは、とりあえず今の出来事を忘れることにした。



 次にぼくたちの前に立ちはだかったのは、イザークの平原よりも遥かに手強い相手だった。
 あたり一面、灰色だらけの淋しい風景。だが、ぼくたちには、寂しいなどと 言っている余裕はない。吹き荒れる砂嵐は、容赦なくぼくたちの身体に細かい砂粒を 吹きつけてくる。一歩一歩、ぼくの足は砂を踏みしめ、やがてぼくの靴の中は砂まみれになる。 荒涼とした砂漠は昼は真夏のように暑く、熱はぼくの体から確実に水分を奪っていく。 だが夜になると、急に冷え込み、今度はぼくを凍えさせるのだ。 一つの砂丘を超えると、眼前にまたもう一つの砂丘が現れる。 まるで、全く同じ場所で堂々巡りをしているのではないか…、そんな錯覚にとらわれる。
 かのノディオン王女さえここから帰れなかったという、恐るべき死の砂漠。 イードと呼ばれるその地を、ぼくはユリアと二人で歩きつづけていた。

 「ユリア、大丈夫?」
 岩陰で一旦立ち止まり、ぼくはユリアに声をかけた。
 ユリアは、これまで表情一つ変えずに、無言でただひたすらぼくの隣を歩いていた。 表面上はしっかりした足取りで、ユリアに疲れは無いように見える。だけど、 感情を表に出さないユリアのことだから、一見大丈夫に見えるだけで、 もしかしたら疲れ切っているかもしれない…。
 「私は平気です」
 ぼくの心配をよそに、ユリアはいつもと変わらぬ静かな口調で答えた。 そして、ぼくの方に向き直って、問い返す。
 「セリス様は、お疲れではないですか?」
 その疑問を、ぼくは否定したかった。ユリアが大丈夫だと言っているのに、 男のぼくがユリアに介抱されるなど、情けなさ過ぎる。…だけど、男のプライドをもって 自分は健康だと強弁するには、現実とのギャップがあまりに大きすぎた。
 「うん…、実はもうくたくただよ。足が動かない…。」
 そう言って、ぼくは近くの岩に座り込んでしまった。ブーツを脱いで逆さにすると、ざーっと 砂がこぼれ落ちていく。そんなぼくを見て、ユリアは心配そうな表情になり、 一振りの杖を取り出す。彼女が二言三言の呪文を詠唱すると、ぼくの体のまわりに 大きな光球が現れ、ぼくは自分の肉体の泣き声が止んだのを知った。
 …こうして、ユリアのライブを受けるのは、もう何回目になるだろうか? ぼくは、この方法で疲れが取れるから良いけれど…、ユリアは、本当に大丈夫なのだろうか? ユリアの白い長裾ローブはすでに砂で汚れきっていた。履いているのは、軽いサンダル。 長旅用に工夫されているとは言え、お世辞にも砂漠の旅が似合う身なりとは思えなかった。

 「ユリア…、ごめんね。」
 ぼくは、座ったままユリアを見上げる。その表情は、いつもと全く変わらないように 見えるのだけれど、目のあたりにいくばくかの陰りがあるのは、気のせいだろうか? …ぼくは、ユリアをこんな場所に連れてきたのを、後悔していた。
 「ぼくは、きみについてきてほしいと言ったね…。それは、ぼくがユリアを守りたいと 思っていたからだけど…。でも、ぼくは何一つきみの役に立てない。 護るだなんて大げさなことを言っても、ぼくには、何の力も無いんだ…。 ぼくがイード神殿まで行って帰ってくる間、きみに砂漠の外で待ってもらっていれば、 きみはこんな辛い思いをしなくて済んだのにね。
 …ごめん、ユリア。迷惑をかけてしまった…。」
 ユリアへの申し訳無さが胸にしみわたる…。泣きたくなったけれど、それではますます ユリアを困らせてしまうから…、ぐっと我慢した。
 ユリアは、そんなぼくを静かに見つめていたが、やがてぼくの前にしゃがみこんで、 ひとことずつ、丁寧な口調で話し始めた。
 「いいえ、セリス様、迷惑などではありません。私は、セリス様とともに歩くことが できて、嬉しいのです。…わたし、これまで一人でいることが多かったから、 セリス様と…」
 そこまで言って、ユリアはふと口をつぐむ。…いつもと変わらない表情ながら、 ぼくの目から微妙に視線をずらして、言葉を続けた。
 「セリス様たちと一緒にいて、ここにわたしの居場所がある、お役に立てると思うと、 それで心が満たされるのです…。セリス様、ここを歩いていて、私はお役に立てましたか? 私が足を引っ張ったりしなかったでしょうか?」
 それを聞いて、ぼくは慌てて首を横に振る。
 「とんでもないよ!ユリアがいてくれなかったら、ぼくはとっくに砂漠でのたれ死んでいたよ。 ユリアと一緒だったから、ここまで来れたんだ。ライブを掛けてもらったのもそうだけど、 ユリアが隣にいて、頑張って歩いている、それがわかったから、ぼくも頑張ることができたんだ。 本当に…、ユリアのおかげだよ。」
 そう言い終わると、ユリアの瞳が何となく明るくなった。 さっきより、心持ち抑揚の強い声で、ユリアがぼくに語りかける。
 「ありがとうございます。…それが、わたしの喜びなのです。 セリス様も、わたしと同じことを…」
 ぼくは、やっとユリアの気持ちを理解できた。ユリアもきっと、ぼくと一緒にいることで 難所を歩きつづける活力を得たのだろう。誰かとともに努力することで、人はより強くなる。 一緒に歩く相手がぼくでなくても、誰でも同じではあるだろうけれど…、それでも、 ぼくは、ユリアに力を与えられたのだ。勘違いかもしれないけれど…、でも、 そう思うことにしよう。

 ぼくは立ちあがり、ユリアに手を差し伸べた。
 「ねえ、ユリア。二人で手をつないで歩こう。」
 それを聞いたユリアは、少しだけきょとんとして、そしてこくりと頷いた。 ユリアの白い、一見華奢な手が差し出される。…そして。

 ぼくはユリアの手を、優しく握りしめた。

 ユリアの手の感触は、ぼくが全く知らないものだった。 意外なほど温かくて、柔かくて、張りがあって、ほんの少しだけ汗で湿っていて…。 ぼくの心と身体に、これまでに無い種類の活力がぐんぐんと湧き上がって来た。
 そう。ユリアも分かってくれただろう。お互いがいることが力になるというのなら、 手を握ることで、その力の源をいつも感じていることができるのだ。 お互いが、相手の手を通して心に回復魔法を掛けつづけることができるのだ…!
 それからの道中、ぼくは何度か休んだけれど、一度も辛い気持ちになることは無かった。 しっかりと手を握り、ぼくの手が、ユリアの力になることを祈りながら歩きつづける。 その行程の、何と楽しいことか。もう、ここが死の砂漠であろうが何であろうが、関係なかった。 ぼくがいて、ユリアがいる。ただそれだけで、どこまでも歩いて行ける。 そんな感情に、ぼくは満たされていた。
 手をとりあって歩き続けるぼくたちの前に、荒廃したイード神殿とシャナン、パティが 姿を現したとき、ぼくはあれほど辛かったはずの砂漠の旅が終わるのを とても名残惜しく感じていた。



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