バカ殿セリス様・華麗なる日々

第1章・聖なる邂逅(後編)


 石造りの堅牢な城塞…。だがこの中庭では、芽を出し始めた草花や、小さいつぼみを 身につけた木々に囲まれ、陽の光は優しく降り注ぎ、心安らぐ風景となっていた。
 …しかし、その風景をもってしても、ぼくの心を安穏に導くことは不可能だったのだ。 ぼくのいる場所の風景だけが、凍りついていた。
 今、この場にいるのは、ぼく以外にただ一人だけ…、この可憐な少女と二人きりなのである。

 レヴィンは、レンスターに行くとか言い残して、さっさと出ていってしまった。 ぼくにユリアを任せるのに、一抹の…、いや、かなりの不安を感じている風であったが、 他に信頼できる人がいるわけでもない。「オイフェたちがお前を見ていることを忘れるなよ」 とぼくに釘をさしておくにとどまった。
 …だが、もちろん!そんな事でたじろぐぼくではない。 この機会を逃さず、ユリアと親密になる…その野望の炎は、いささかも衰えていないはずであった。 しかし…、今ぼくがおびえている相手は、レヴィンなどではなく、ユリアその人であったのだ。
 …一体、この少女に、どのように話しかければ良いのだろうか? 今、目の前にたたずんでいるユリアの静かな存在感に、ぼくは文字通り「言葉を失って」いた。 彼女の発する空気は、あまりに澄んでいて、あまりに尊くて…。 ユリアを…、この状況をどうしていいか、全く見当がつかないのだ。
 さっき、奇声を発しながらユリアに駆け寄っていった…あの時の自分がいたということが、 今では信じられない。…本当に、何といえば良いんだ?

 は…、「はじめまして、ユリア。」か?…いや、だめだ。 そんな、なんのたわいも無い挨拶じゃあ、自分を印象付けられない…。
 だったら、「ユリア、ぼくは一目見て、きみを好きになってしまったよ…」とでも 言おうか?…待て、ぼくはユリアと初対面なんだ!そんなに焦っても駄目だろう…。
 ならば、ユリアの美しさを称えようか?例えば、空を指差して…。
 「ああ、ユリア、きみの瞳の美しさは天空の一等星よりも美しい。 ぼくの進むべき道は、北極星ではなく、君の眼の光が教えてくれるよ。 …そして、君の透き通るような肌の美しさは、天女の衣よりも…」
 ……ちょっと待て!これじゃあヨハンじゃないか!ぼくはセリスなんだぞ。 こんな…、こんな恥ずかしいセリフが言えるわけ無いだろう!しかも今は真っ昼間だ。
 じゃあ、もっとフランクに告白しようか?手を握りつつ、「やあ、ユリア、俺がセリスさ。 これからずっと、俺がお前の面倒を見てやるぜ…。ついて来いよ。」
って…くっ、駄目だ、相手は、あの神聖不可侵のユリア様なんだ。 いながらにして高貴な雰囲気で周囲を包む彼女に、こんな下品な言葉を 掛けられるわけが無い…。
 ならば、外国語を使って知性をアピール…。
「ヘイ、ベイビー。ミーのソードに誓って、ユーを悪の手からガードするね。フォエバーよ。」 …なんじゃこりゃあ!ただのバカじゃないかあ…。

 「あの…。」

 あああ、でも、そう言えば本物のセリス様はユリアと出会った瞬間に 「愛してしまったようじゃ」の相思相愛になったんだよね…。よし、だったらぼくも告白だ。 そうすれば、バラ色の未来が…。さあ、行くぞ!
 いや待て、あれは本物のセリス様が相手の時だ。…「光の公子」セリス様なら、ユリアも 一目惚れしたかも知れないが、ぼくなんかが相手じゃあ…!
 ああ、もう、あんまり迷っているとユリアは呆れて帰ってしまうぞ! ほら、何でもいいから言うんだ、自分!…ああ、しかし、何と言えば…!

 「あの…、セリス様?」
 ぼくを、思考の迷路の堂々巡りから引き戻してくれたのは、怪訝そうな響きの、その声だった。
 ふと気がついてみると、ぼくは自分の頭を両手で抱え、背中を右後方に曲げた 奇妙なポーズで立っている。…どうやら、迷いのあまりのた打ち回っていたらしい。
 そんなぼくを、ユリアは不思議そうな表情で見つめていた。…それはそうだろう。 自分を見るなり突進してきてすっ転び、その後には自分に話しかけるでもなく 身体をグネグネと曲げてうめく男…、はっきり言って狂人である。
 ここに至って、ぼくは自分の失敗を悟り、心からそれを悔やんだ。 こんな醜態を見せては、ユリアも呆れたに違いない。ああ、せっかくチャンスをもらったのに…。 ユリアに嫌われては、ぼくはもうこの世界で生きていく理由が無いよ…。

 …と、その時。不意に、ぼくの背中に電流が走った。
 自分の失敗に落胆し、下を向いて落ち込んでいたぼくの肩に、何か柔かいものが触れたのだ。 それは、暖かくて、優しくて…。ぼくの知らない感覚だった。
 我に返って振り向くと…。ぼくの肩に、ユリアの手が触れていた。 ユリアは、不安げな眼差しで、じっとこちらを見つめている。
 「セリス様…、大丈夫ですか?」
 その一言で、ぼくの元気は百倍となった。今度は、高揚感に我を忘れてしまいそうであったが、 さすがにもうユリアを心配させるわけにはいかない。とりあえず頭に浮かんだ一言を、 口に出すことにした。それは、簡単なことではなかったが…。
 「ご…、ご、ごめん…。」
 絞り出すようにして、やっとユリアに向けて最初の一言を伝えたのである。

 それにしても、何という情けない会話であろうか?こんな言葉しか言えない自分が、 ほとほといやになる。こんな体たらくでは、ユリアと愛し合うなど、夢のまた夢だろう…。
 落ち着きを取り戻しつつあるぼくを見て、ユリアは安堵したようだ。
 「何ともないようですね。良かった…。」
 そう言って、ほっと胸をなでおろしている。
 「あ…あの、ほらさ、ぼ、ぼく、実はユリアに会うの初めてで…、 いきなりユリアと二人きりで…、だ、だから、何を話せばいいのか、とか…。 どうしていいのかとか、そういうのが分からなくて…。」
 ぼくはユリアに、説明になっていない説明をした。 実はも何も、初対面なのは分かりきっている事だ。 何を話せばいいかって?挨拶でもすればよかろうに…。
 だが、それでもぼくの気持ちはユリアに通じたようだった。 にっこり笑って、ユリアの唇が滑らかに言葉を紡ぐ。
 「まあ…、そうだったのですか。どうしたのかと思いましたわ」
 そう言った後、くすりと笑って、更に一言付け加えた。
 「セリス様って、おもしろい方ですね…」
 おおっ!何か知らないけど好印象みたいだ!…ぼくは胸中で快哉を叫んだ。
 ユリアに話しかけるまでは、緊張と焦燥でがちがちになってしまったけれど…。怪我の功名と いうやつで、この出来事はぼくとユリア、双方の心をほぐす効果があったようである。
 「ふふっ…」
 「うふふ…」
 ぼくとユリアは、お互い見つめ合いながら、ただただ可笑しくて笑っていた。

 「ぼくはセリス。イザークを帝国から解放するために戦っているんだ。 …と言っても、実際に戦っているのは仲間たちで、ぼくは見ているだけだけどね。」
 一度打ち解けてしまうと、それまでのことが嘘のようにすらすらと言葉が出てきた。
 最初に出会った時には、神聖な、近寄りがたい雰囲気に満ち満ちていたユリアだけど、 こうして見ると、ひとりの、ごく普通の女の子だ。 笑うときに手を口にやったり、首をかしげるしぐさが、とても可愛らしい。
 ぼくは、ユリアにまっすぐ向き直って、自分の決心を伝えた。
 「ユリア…。ぼくは、きみを守りたい。レヴィンに言われたからではないよ。 ぼく自身が、きみを見て、きみを守りたいと思ったんだ。 ぼくは、剣も使えない、何の力も無い人間だけど…。それでも、きみを護るからね。」
 それは、精一杯の強がりだった。自分で言った通り、ぼくはなんの力も無い、 ただの一市民…、それももともとは部外者だ。これから待ち受けているであろう危険から、 ユリアを守れるような実力など、皆無と言って良い。
 それでも、ぼくはユリアを守ると言った。それは、今、ユリアが頼ることのできる 人間が、「セリス」しかいなかったためであり…。 そしてまたこれは、ぼくの心の底からの希望を表した言葉でもあったのだ。
 ユリアは、驚きの混じった表情でぼくを見つめた。そして…。

 「セリス様…。」

 この時のユリアの幸福の表情を、ぼくは、一生忘れない。
 ユリアは、満面の笑みでぼくに応えてくれた。その瞳は強く輝き、肌はきらめき、 生き生きとした美しさは、この世にただ一つしかないユリアの命を、 全力で輝かせていた。
 ぼくは、「この人のためなら死んでも良い」という気持ちを、はじめて知った。

 第2章「心は霧の中」へ


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