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バカ殿セリス様・華麗なる日々
序章・光を継いじゃった者 「セリス様、セリス様!……どうされました、大丈夫ですか?」 「う………うーん…。」 何をどこでどう間違ってしまったのだろうか。…それを考えるのは、どうやら無意味なようだ。 ぼくは、数年間住みつづけているマンションで、いつもの通りに眠って、いつもの通りに起きた はずであった。今日も、どうという事もない一日だ。何をしようか…。 そんな思いで、眠気まなこを周囲に走らせる。 …ところが。そこにあったのは、まったく見たことのない風景であった。 自分が眠っているのは、古めかしい木製の寝台。周囲にも、素朴で簡素な造りの、家具や食器が 並んでいる。窓枠の外には草原が広がり、花のつぼみがもうすぐ来る春を待っているようだ。 およそ、現代のマンションにはふさわしくない光景である。 そして、半身を起こした自分を、かたわらで心配そうに見つめる、黒髪の少年がいた。 …この人は誰だろう?…どこかで見たような気はするが。そんなことを思っていると、 その少年が焦りを含む声でぼくに話しかけてきた。 「セリス様、お身体は大丈夫ですか?ずいぶんうなされていたようですが。」 …言っている意味が良くわからない。寝ぼけているのかな?…そう思いつつ、ぼくは我ながら ずいぶん間抜けなことを聞き返していた。 「セリス様…って、誰のことですか?」 「あなたに決まっているではありませんか、ご冗談を…。夢見が悪かったのでしたら、 早く忘れることですね。」 やはり、そう言われる。ぼくを指してセリス様と呼んだのだから、セリス様はぼくに決まっている。 ぼくが寝台から起き上がると、自分の青い長髪が目の前にかかった。…そうか、思い出した。 あの少年は、光の公子、セリス様の幼なじみの剣士、スカサハだ。だからあんなにぼくのことを 心配していたんだな。ここはティルナノグだろうか。そしてぼくはセリス……………… 「ええええぇぇーーーーーーーっっっ!」 事態を認識した瞬間、部屋中にぼくの叫び声が響き渡った。 「すると、何も覚えていないのですか?」と、スカサハが言う。 しばらく後。金髪と黒髪の少女二人を加えた三人に囲まれ、ぼくは途方にくれていた。 一体、どう説明すれば良いのだろうか? 「覚えていないと言うよりも、間違っていますよ、これは!ぼくは昨日まで、日本で平和に 暮らしていたはずなんです。それが突然こんな……」 そんなことを言っても分かってもらえる筈がない、という事は、誰よりもぼく自身が 良く知っていた。ぼくは色々説明しようとしたが…、そのうち、面倒くさくなってしまった。 説明したところで、事態がどうなるというものでもない。次第に、説明がおざなりになり、 自分がセリスであると言う事実を受け入れるような物言いになってしまった。 「セリス様…何となく雰囲気が変わられたようですが、私達の名前は、覚えていますよね?」 金髪の少女が尋ねる。そう、ぼくは、ぼく自身…セリスのことについて、幸か不幸か それなりに知っているのだ。そして、その仲間のことも。 「ラナとラクチェ……だよね?」 三人は、胸をなでおろしたようだった。 こうして、ぼくはセリス様になってしまったのである! 「さあ、セリス様、今日も裏庭にいきましょう。」 朝食を食べ終えた頃、ラクチェが元気に言い放った。こういう時は、いちいち細かいことを 尋ねなければならない。…不便であるが、仕方がない。 「裏庭って…、何をするの?」 「…剣術の訓練ですよ。」 心配そうな顔で…ぼくの記憶のことを案じているのだろう…ラクチェが答える。しかし、 ぼくにとっては彼女の表情よりも、その答えの内容のほうが重大だった。 「えっ…?私は、剣なんて持ったことないけど?」 思わずこう答えてしまってから、しまった、と思う。セリス様なら、毎日でも剣術を 学んでいるに違いないのだ。 とりあえず、一緒に裏庭に行き、ぼくがいつも使っていると言う細身の剣を受け取ったが…。 案の定、重いのだ!両手で支えてなんとか持ち上がるという 程度で、振り回そうとすると逆にこちらが振り回されて、剣を壁にぶつけてしまう。 細身の剣でこの始末では、ラクチェの扱う鉄の大剣など持ち上げることも出来ないだろう。 ここに至って、ラクチェもぼくの異変を理解したようだった。 ぼくは、剣をまともに扱えない…。 そこへ折悪しく、外回りをしていたスカサハが急報を持って駆けつけて来た。 「セリス様、このティルナノグのアジトが帝国軍に見つかりました! 討伐隊が迫っています!」 これを聞いたときのぼくの正直な気持ちは、「逃げようかな…」というものであった。 しかし、セリス様としての立場とプライド、そして、ぼくの脳裏に浮かんだとある少女の顔が、 それを押しとどめた。ぼくは、とりあえずこう言ってみた。 「スカサハ、ラクチェ…、君たちで、あいつらをやっつけてくれるかな?」 こうして、ぼくたちの、なんか絶望的な気がする聖戦が始まったのであった。 しかし、このときぼくの頭に去来していたのは、解放戦争の行方でも、ユグドラルの未来でも なかった。ぼくは、セリス様という立場を思いっきり楽しんでやろうと、野望をめぐらせて いたのである。どんな野望か…、読者諸賢はすでにご承知であろう。 もうすぐ、もうすぐ会いに行くよ…。待っていてね…。 激戦の始まった大平原と、どこまでも続く青い空とを、遠くに眺めつつ、ぼくは 細身の剣を杖代わりにして、いそいそと危なっかしい足取りで歩き始めた。 |