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闇の皇女・外伝 闇の芽生え
迷いの森の奥深くにひっそりと存在する、ロプトの僧院。 トラキア戦役の際も発見されなかったこの場所は、長きに渡って暗黒教団の隠れ家となっていた。 もっともそこにいるのは暗黒教徒だけとは限らなかったが。 元アルスター王女ミランダ。彼女はアルスター王国滅亡後、 12歳から人質としてこの僧院に軟禁されていた。 閉ざされた環境の下ではリーフによるレンスター奪回も、セリスの即位も、 ロプトの国家滅亡も聞こえてくることはなく、いつしか彼女はこの僧院で17歳を迎えていた。 今日も彼女は日課となっている中庭での乗馬を終え、一息ついたところである。 「ふー、朝の馬乗りは最高ね。ジャンヌ、のど渇いたから何か持ってきて!」 昔から気ままなお姫様だっただけに、命令口調は今も抜けない。 「はい、そう言うと思って準備しときました!」 そんなミランダを、おつきの少女ジャンヌはよく理解していた。 彼女が僧院に来たときから、大して年の違わないこの王女の世話をしてきたためである。 ミランダの捕虜にしては傲慢ともいえる態度に振り回されつつも、ジャンヌは明るく、 かいがいしくミランダの身辺の世話を続けていた。 そしてロプトを毛嫌いしているミランダも、この黒みがかった茶色の髪の少女には好感を持っていた。 「ありがとう、さすがジャンヌね」 「何年越しの付き合いだと思ってるんですか!」 赤い瞳を細めてジャンヌは笑った。 赤い瞳。ロプトに忠誠を誓った者の証。 それを見るたび、ミランダはジャンヌに少しの嫌悪感を抱いてしまうのだけど… そしてちょうどそこに、もう二人の友人が現れた。 「あら、姫様の乗馬はもう終わっちゃったみたいよ、オルエン様」 黒髪を後ろでまとめた少女、レイリア。実際より大人っぽい雰囲気があり、元踊り子という噂がある。 「おはよう、ミランダ。相変わらず起きるの早いのね」 青い髪をした背の高い少女は、元騎士のオルエン。 この僧院の中でミランダと共に、例外的に瞳の赤くない人物だ。 身分を失った二人の高貴な少女と、それを世話する二人の付き人。 実際ならそのような立場だが、そういう言い方が似合わないほど四人は仲が良かった。 この時もいつもどおり、その場に座っての何でもない会話で時間が飛ぶように過ぎた。 やがて朝の鐘が鳴ると、ジャンヌとレイリアはしぶしぶ礼拝の儀式のために立ち上がった。 「ごめんなさい、それじゃ失礼しますね」 「じゃあ、またね」 この日は暗黒教団にとっての重要な儀式か祝祭の日だったらしく、 ジャンヌとレイリアはなかなか戻ってこなかった。彼女らだけでなく、 僧院内にはほとんど人は残っておらず、皆が礼拝堂に行っているようだった。 暗黒教徒ではないミランダとオルエンだけが、ぽつんと取り残されたかのようだった。 とはいえ、時間つぶしの手段がないわけではない。 剣術の真似事をしたり、書院で古代の書物を読んでみたり、 各所にある中庭で変わった植物を眺めてみたり… 要するに僧院内で退屈することはなかったのである。 ミランダもオルエンも、数年間の生活で勝手知ったるこの建物でいつも通りに楽しんだ。 親しい二人や、顔見知りがいないのが普段と違うけれど。 日も沈もうとするころ、二人は夕方の風を浴びようと中庭のひとつに出た。 そしてそこで、見慣れぬ人影を見たのである。 そこにいたのは、黒い長衣をまとい、どこかはかなげな印象を帯びた、長い銀髪の少女だった。 普段見たことがないので、明らかにこの僧院の住人ではない。 それどころか、この世界の人間ではないのではないか… そのような非現実的な雰囲気を漂わせる少女だった。思わずミランダは声をかけた。 「あなた誰?どうしてここにいるの?」 少女はこちらの方に顔を向けた。瞳がうつろな、 しかし同時に宝石のような赤い輝きを帯びていた。かすかに、その口が動いた。 「私は…ユリア…闇の皇女。暗黒の中で迷える人々を…救うために…きました」 銀の鳴るような、そんな響きに、ミランダとオルエンは聞き入った。 極めて短い言葉なのに、その音は頭の中で何回も響き渡り、 二人はうっとりとしたまま立ちすくんだ。 そして二人が我に帰ったときには、ユリアと名乗った少女の姿はなかった… その夜、四人はある部屋に集まっていつもどおり会話に興じていた。 口火を切ったのはジャンヌだった。 「今日の礼拝で、私達の救世主様が来てくれたんです!私たちを救うために!」 目を輝かせて興奮気味に語るジャンヌに、ミランダは冷ややかに言った。 「どうせ根暗なじいさまでしょ?私たちなんか今日ね…」 「いえ、ジャンヌの言うことは本当よ。それに姫様の思ってるような人じゃないわ」 レイリアが穏やかに言った。 「でも、その話は後にしてくれるかしら?興味がないわけではないけど、 本当に驚くことがあったの」 オルエンが落ち着いた口調で言うと、ジャンヌは不満げながらも納得した。 そして待ちきれなかったようにミランダが話し始めた。 「じゃあ、聞いてね。夕方に中庭で…」 興奮気味にミランダが中庭での出来事を話し終わるか終わらないかのうちに、 ジャンヌが叫び声をあげた。 「銀髪のはかなげな女の子って…それがさっき言った救世主様です!」 「えっ!あの子が?嘘でしょ?」 大声で叫びあう二人をなだめると、オルエンが言った。とはいえ彼女も驚きを隠せない様子だった。 「レイリア、ちょっと話してくれる?急な話でわからないわ」 年長者の風格でレイリアはうなずいた。 「今日の礼拝が長引いたのは、そのユリア様が来たからなの。 私たちロプト教団の中で最高位の聖職者・マンフロイ様がユリア様を連れてきて、 ロプトの国の再興を宣言してくれた。ユリア様も私たち一人一人に声をかけてくださったの」 ロプトの国、と聞いてミランダはあからさまにいやな表情を浮かべた。 「また子供をいけにえにするような国を復興するつもりなの?」 ジャンヌとレイリアは強く首を横に振った。 「それは昔の話です!今もそうだったら、あたしはここにいなかったはずです」 「私もね」 意外な二人の意見に、ミランダもオルエンも驚きの気持ちを抱いた。 子供を生きたまま火にくべるという暗黒教団のはずなのに。 「どういうことなのか、よかったら話してくれる?」 オルエンの言葉に、ジャンヌもレイリアもうなずいた。 まず話し始めたのはジャンヌだった。 彼女の父はアグストリア最強の騎士団・クロスナイツの一人だった。 しかしシグルド軍との戦いで父は戦死し、国内の治安も悪化。 母はまだ幼かった彼女とその兄を連れ、故郷レンスターまでの長い旅に出たのである。 しかし子供二人を連れての旅には困難が多すぎた。 やがて母はジャンヌの兄を道中で出会った一人の騎士に託すと、 娘一人を連れて望みなき旅を続けた。 だが、故郷に着くことなく母はマンスターで息を引き取り、 ジャンヌはそこで幼くして物乞い生活を余儀なくされたのである。 「もう死んだほうが楽かな、とか毎日思いながら生きてたときに ロプト教団の人が救ってくれたんです」 道先で彼女を見つけたローブ姿の一団が彼女を拾い、教団の寺院で養ってくれた。 寺院には彼女だけでなく、何人もの孤児が養われていたという。 「初めは噂を信じて警戒してたんですが、長い間そこでお世話になるうちに、 それは一部でだけ行われている出来事だという話を聞きました。 教団も一様ではなく、昔の無意味な習慣を続けているところがあります。 でも、それだけが本当の姿じゃない、いつかよくなる。そう思ったから、 私はこの教団に入ることを決めたんです」 続いて話し始めたレイリアの生い立ちも、だいたいはジャンヌと一緒だった。 違ったのは経歴である。 親に捨てられ、幼いころから踊り子として生きていくしかなかった彼女は、 生きていく中で世の中を憎悪するようになった。しかし生きるためには愛想笑いをし、 さも人々を気に入っているかのようなしぐさをしなければならない。 その矛盾で、心が壊れそうになっていた。 だがある日、暗黒教団の団体の前で舞を舞ったとき、その心の迷いを彼らに見破られたという。 「そんなのがばれたら商売にならないから、初めはしまったと思ったわ。 でも、彼らが言ったのは『心に嘘をつくようなことはしなくていい』ということだったの。 そして、もし望むなら一緒に来てもいいってね。喜んで踊り子を引退して、この教団に入ったわ」 あまりに意外すぎるロプトの一面。 「暗黒教団」と呼ばれてきたロプト教がそうやって恵まれぬ子供たちを救ってきたとは…。 ミランダは絶句するだけだった。だが、やがてオルエンも思い当たる節があったように話し始めた。 「そういえば、私が敵に捕らえられたときもそんな事があった。 守りを固めて動かない敵を挑発するために単騎で敵陣前まで乗り込んだの。 当然捕虜になって、あとは殺されるか何かされるかという状況だった。 でも、その場にいたロプトの高官が『手を出さず捕虜にし、寺院に護送せよ』と言って、 おかげで私は難を逃れたわ」 ミランダも自分のことを思い返してみた。 そういえば、自分が帝国の捕虜としてでなく、 この寺院で自由ではないにせよそこそこの暮らしをできるようにしたのも、 思えばロプトの所業ではないか…。 ロプトを憎んでいた自分の気持ちが揺らぐのを、彼女は感じた。 夜も更けて、寺院は静寂に包まれていた。だがミランダは眠れなかった。 一人中庭を歩きながら、彼女は今日聞いた話を、今日会った少女のことを、 必死で整理しようとしていた。 「眠れないの、ミランダ?」 名前を呼ばれて彼女はびっくりして振り向いた。そこにいたのはオルエンだった。 「そうよね、驚く話ばかり聞かされたものね。私も眠れなさそう」 ミランダはうなずくだけで黙っていた。 しばらく、沈黙があった。やがてミランダが口を開いた。 「あのね、オルエン。あたし、ロプト教団に入信しようと考えてるの」 オルエンが彼女のほうを向いた。ミランダは続ける。 「本気よ。あたし、今までロプトが何してるか本気で考えてなかった。 あんな黒いローブばっかり着てるからどうせ悪の集団だと思ってた。でも違った。 それどころか、あたしも守られてばっかりだと気づいたの。 ジャンヌやレイリアがあんなに苦労してきたのに、 あたしは昔も今もぬくぬく暮らしてばっかり。 せっかく学んだ魔法や馬術、剣術をあの子達や、まだ苦しんでる人たちのために使いたいの」 それを聞いて、オルエンは微笑んだ。 「私と全く同じ考えね」 「え?じゃ、オルエンも!?」 「ええ。騎士として、彼女らのために何かできないか考えたの。 あの救世主という子も、明らかにこの教団をいい方向に導いてくれそうだしね」 ユリア。自分と大して年の変わらなさそうな少女をミランダは思い浮かべた。 あの子のために戦うっていうのも、悪くはないか。 一週間の後。 不思議な香りの立ち込める礼拝堂の中で、ある儀式が行われていた。 祭壇の前に、ミランダとオルエンの二人がひざまずいている。 二人とも目の焦点は定まらず、ただ祭司の言葉に聞き入っている。 二人の前にはユリアが立ち、いずこの地のものか分からない言葉を低い声で唱え続けている。 やがて、その言葉が意味の分かるものに変化する。 「今、汝らの前には黒竜がいる。黒竜は恐ろしくも美しく、汝らはその姿を見つめ続ける。 黒竜の瞳は宝石のように赤く、汝らはその輝きに魅せられる…」 たちまち、ミランダとオルエンの脳裏にその情景が鮮明に浮かんだ。 今、自分の前には黒竜がいる。黒竜は恐ろしくも美しく、自分はその姿を見つめ続ける。 黒竜の瞳は宝石のように赤く、自分はその輝きに魅せられる。黒竜の声は澄み渡り、 自分はその響きに心奪われる。 やがて黒竜が言葉を発する。美しい姿に、赤い瞳に、澄んだ声に、自分は釘付けだ。 なんという姿だろう。 「汝らにロプトの祝福あれ。闇の皇女に、闇の司教に永遠の忠誠を誓うべし」 自分が口を開く。意識せぬまま、言葉が口から出てくる。 「はい。ロプトに永遠の忠誠を」 黒竜は満足げに、その美しい瞳を細める。と、黒竜は口を開き、恐ろしい息で私を吸い込む。 その黒い体の中へ吸い込まれ…意識も黒に包まれる。 ひざまずいていた二人は同時にその場に崩れ落ちた。 「目を…覚ましなさい…新たなる使徒たちよ」 ユリアが言葉をかける。その言葉に、二人はゆっくりと立ち上がった。 その瞳はロプトへの忠誠の証として赤く染まっていた。 礼拝堂の扉が開かれた。その前ではジャンヌとレイリアがずっと待っていた。 「ミランダ様、オルエン様!その瞳、信徒になったんですね!」 「おめでとう、これで正式に私達の味方だね」 瞳に限らず、二人は衣装をロプトの意匠を凝らした装いに変えていた。 黒いマント、黒い鎧、そして化粧など、 二人の雰囲気は「使命感に燃える少女」というより「敵を殲滅する妖艶な女」のそれであった。 だが、ジャンヌとレイリアに声をかけられた二人はいつもどおりに微笑み返した。 「カッコいいでしょ?大人の女って感じで」 「浮かれてばかりはいられないけどね。皆のためにがんばろうと思ってる」 彼女らが喜びに沸いている裏で、礼拝堂の奥ではユリア、マンフロイ、 そして数人の暗黒司祭が密談を行っていた。 「上手くいきましたな、あやつらの支配は」 「他の信者達も我らの命令どおりに動くでしょう。準備はできました」 「この調子で、十二魔将を揃えることもできるのではないでしょうか」 司祭たちの言葉に、マンフロイは満足げにうなずいた。 「うむ、かつて英雄の屍を動かしていただけの魔将と違い、 生身の人間を使えば質は何倍にも向上するであろうな。 なおかつ、ユリアの瞳と言葉にはあらゆる人間を惹きつける魔力がある。 ユリアの魔力とわしらの魔力があれば、最強の軍団を作れるかも知れんな…」 マンフロイはユリアのほうに向き直った。 「ユリアよ、お前の知っている中で何人か力を頼れそうな者はいるか? 多少弱くても構わぬ、魔将らしく強化してやれば済むことだからな」 ユリアは何の感情も表さず聞いた。 「マショウ…とは、いったい何ですか」 「魔将というのは、おぬしを守る12人の最強の楯にして、 ロプトの国を作るに必要な最強の戦士たちのこと。そなたが知る者で揃えるのが良いじゃろう」 何の反応もせずしばらくたった後、ユリアが言った。 「すべて女性でも…よろしいのですか」 「む…そなたが望むならそれでも構わぬ。なぜじゃ」 「…男の人など、もう…望まないから。女性なら…お友達に…なってくれる」 マンフロイは眉をひそめた。しかし後から彼女の思考も変えてやればよい。 「よかろう」 二人の暗黒騎士は、ロプトの信徒のためにその力を振るった。 盗賊や山賊を討伐すると同時に寺院周辺の治安維持にも全力を尽くし、 また孤児の救済にも力を尽くした。彼女らに感謝する人々も多く現れた。 しかし、やがて彼女らは彼女ら以外の意図で動かされはじめる… 「行きましょう、ミランダ」 武装を整えてオルエンが言った。 「うん、こっちも準備は大丈夫。あとはあの二人を待つだけ」 髪を束ねる漆黒のサークレットをつけ、ミランダが答えた。 「お待たせしました!いつでも行けます」 「私も準備はオッケーよ」 そこにやって来たのはジャンヌとレイリアだった。ジャンヌは軽装ながらも鎧を身につけ、 剣と杖を装備していた。レイリアは魔術師と踊り子の中間といった感じの衣装をまとい、 マントを羽織っていた。 「ようやくミランダ様が生まれ故郷に戻れるんですね!あたし頑張りますから」 「ちょっとジャンヌ、あんまり目立っちゃ駄目なんだからね」 一同のリーダー的なオルエンが二人にうなずき、言った。 「いい、私たちはミランダを救出した従者として彼女に付き従うの。 長い間行方不明だったとはいえ王家の血の絶えているアルスターだもの、 きっと彼女を迎え入れるわ。その後彼女が王位に戻り次第、ロプトに益となる政策を出していく。 私たちはそれを支持しつつ…邪魔者を消す」 それを聞いてミランダが言った。 「殺しすぎないでね?いくら楽しいからっていっても…ね」 それを言うミランダ自身、うっすらと笑みを浮かべていた。 オルエンも、ジャンヌも、レイリアも… 「さあ、行くよ。マンスターをあたし達のものにするの。邪魔者は殺す」 「ええ」 「はい!」 「そうね」 マンフロイの思想ゆえか、ユリアの暗黒ゆえか、それともすべてが狂気に支配されつつあるゆえか。 ロプト全体が当初の理想から外れ、全てを闇に染める軍団へと変わりつつあった… (コメント by マルチくうねる)こちらは、磯辺巻き様から投稿していただいた小説です。 十二魔将以外にも、闇の皇女ユリアの勢力はいたようです。 そんな舞台裏の話のひとつ、という位置づけですね。 ロプト教団の思想と、その勢力がいかにして伸びていったか、という部分の 説明も興味深いです。 感想を伝えたいという方は、磯辺巻きさんあてに メールでお願いします。(ぺこり) |